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再び、絵本について [藝術]

好きな絵本のことは、以前に何度か書いているのだが。

一年ほど前から通い始めた、アトリエの先生は
絵本にもとても関心の深い方で、アトリエにも何冊か、
絵本を常備してある。それらの本を持ち出して、
一緒に見ることもあれば、時々、私が
興味を持っている本を持ち込んで、一緒に見ることもある。
(先生はあまり文章は読まない。絵だけ楽しんでいる感じ)
時々、批評的なことも仰るし、技術的な話もされるので、
この時間が、なかなか楽しいのである。

私は、絵本がずっと大好きで、気に入ったものはできるだけ
手元に置いてきたけれど、どちらかというと
ストーリーを楽しむ方に重きがかかっていた。
でも、絵本はやはり、絵の力が圧倒的に強い。
そう、感じるようになったこの頃。

絵の先生と一緒に見た絵本について、
ここで少し、メモ的に綴っておきたい。
(この項、少し続けます)

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折々の作家・R・マキャモン [文学]

ロバート・マキャモンという作家の小説を始めて手に
したのは、1996年4月のことである。当時の「読書ノート」が
たまたま残っていたので、詳しい日付がわかる。そして最初に
読んだのは『はるか南へ』だった。「『少年時代』が入手できず、
これから読み始める」とのメモ書きもついているので、どうやら
新聞か雑誌の書評でマキャモンの『少年時代』の評判を知り、
興味を持った、ということみたいだ。

この小説ですっかりマキャモンファンになった私は、続いて
『アッシャー家の弔鐘』を手にしている。こちらは『はるか‥』とは
かなり異なる、いわゆるオカルトっぽい恐怖小説で、驚いた。
そしてマキャモンはもともと、S・キングに次ぐ、恐怖小説家として
出発したことを知ったのである。だが、こちらも結構楽しめた。
特にお話の舞台が、私も住んでいたことのあるノース・カロライナ州
だったことが、可笑しかった。この地は、なるほど、吸血鬼も
出てきそう、と多くの人(特に他州の人)を納得させそうな土地だったから。

私はその後もせっせとマキャモン作品を探し回り、入手できるものから
読んでいったが、全部で10冊にも満たない。あまり多作な作家では
ないようである。でも、やはり日本でも評判を呼んだ『少年時代』、
『マイン』『魔女は夜ささやく』などは、文章も緻密で、傑作である。

恐怖小説から脱しながら、恐怖小説的不気味さと不条理とを
たとえ自然描写の場面でさえも、色濃くにじませながら表現して
いる点が、私などが一番魅力に思われる点なのだが・・・。

願わくはもう少し作品を多く発表してほしいところ。
日本で未翻訳の作品もあるらしいので、その翻訳を待ち望んで
いる。一つの文章が長々しくて、原文で読むのはいかにも
しんどそうな作家であるし。

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折々の作家・村上春樹 [文学]

村上春樹との出会いはやはり『風の歌を聴け』だったと思う。
なんだか、かっこいい。ちょっと今まで読んできた作品とは
違うかも・・・。という感じはしたが、特に好きというほどではなく。

でもその後に読んだ『1973年のピンボール』にははまった。
かなり「気になる作家」となり、その後も、作品がでると
手にするようになった。でも私の春樹好き、は一般的な
ハルキストとはちょっと異なっているのかもしれない。

『ノルウェイの森』が爆発的にヒットした時、ちょっと
驚いた。私は同じころに発表された『ダンス・ダンス・ダンス』
の方がずっと好きで、友人たちに驚かれ、呆れられた。

彼の旅行記も好きで、もっと書いてくれたらいいのに、
と思うくらい。小説の方は、色々、複雑だ。
傑作だ、と思えるのと、そうは思えない作品と、落差が大きくて。
でも、考えてみたら、どんな作家だってそうではないか。
春樹だから、色々と期待値も高まり、細かいところまで
眼についてしまうのかも。

結局、彼はエンターティナーなんだと思う。
その辺りの器用さが、ノーベル賞受賞に至らない理由では・・・
とも思ってしまう。もらえたらいい、でももらえなくても
いいんじゃないかな。と、私なんかは思っている。
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折々の作家・本多勝一 [文学]

本多勝一という作家の、いわゆる「探検三部作」という存在を
私に知らせてくれたのも、八十年代の初めころに同僚だった
Kさんだったように記憶する。彼女が最初に読んでいたのは
『アラビア遊牧民』だった。私が「それ、どんな本?」と
尋ねると、さらっと「ベドウィンについてよ」と言われた。
当時の私は、ベドウィンを知らず、なんだか、自分を
アホ、のように思えたことをちらっと覚えている。

面白くて、面白くて・・・というのも、私は当時、読む、
といえば、小説の類が圧倒的の多くて、ドキュメンタリは
ほとんど手にしていなかったから。この世に、こんな
興味深い分野があったのか、知らないでいて、損した、
と思われるくらいだった。

アラビア遊牧民のあと、ニューギニア高地人、カナダ
エスキモー、と続けて読んだ。いずれも抜群に面白かったが、
やはり一番面白かったのはアラビア遊牧民、だった。
最初に読んだから、かもしれないが、砂漠という場所の
珍奇さも大きく影響していたのではないか、と思う。
何しろ私は、日本でも有数の豪雪地、それも山間部で
育っているので、氷雪地帯であるエスキモーや、山間地である
ニューギニアには、親近感は湧くものの、物珍しさ、という点では、
アラビアの比ではないからである。

本多勝一の探検記を読んでから十余年後に、イスラエルを、
二十年後にサハラ砂漠を訪ねた。イスラエルでは遠くに
ベドウィンらしい人群れも見たが、現地のガイドが
「もめ事は避けたいので、近寄らないで」と言う。
本多の体当たりのルポの凄さを改めて思った。
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開高健・余談 [文学]

昨日の朝日新聞の朝刊、土曜日なので毎週、Beと
と名付けられた12ページ分の文化欄がついているのだが、
そこに「作家の口福」と名付けられたコラムがある。
一カ月交代で書き手が変わるシリーズで、今月の担当は
夢枕獏、今週は「モンゴルで食べたタルガバン」と題し、
モンゴルで一般的に食べられている野生のモルモットの
味について展開している。

二年前にモンゴルを訪れている相棒に早速聞いてみる。
「モンゴルで、タルガバンって、食べてみた?」
「あれは、ペストを媒介するって聞いたから、
食べなかった」との返答。モンゴルは今もペストの
発生率が高く、多くはこのげっ歯類が媒介しているのだそうだ。
ふ~ん。

そのあと、私はなぜか開高健のことを思い出していて、
その思考の流れは、タルガバン→ドードー鳥→開高道子
(ドードーが登場する『アリスの国の不思議な料理』を翻訳している)
→開高健、と続き、ああ、開高健、懐かしいなあ、何か書こう、
という気になり、そのままブログの新規作成へと、進んだのだが。

もう一度、『オーパ』シリーズを確認してみようと思って、
本棚にもう長く立てかけたままにしていた『オーパ、オーパ!!』
を引っ張り出してみた。四半世紀も前、スリランカに出かけるときに
購入した、「モンゴル・中国・スリランカ」篇である。
手にとってみて、スリランカの項以外は、ぱらっと写真を見る
程度。きちんと読んでいなかったことに気がついた。

モンゴル篇を読みだしたところで視線が止まった。
見開き全部が写真ページ。モンゴルの美しい青空の下、草原の斜面で、
銃を構える今はなき、開高健(若い!)。
そしてその次の写真ページには、獲物であるタルガバンを
見事射止め、得意そうに微笑む開高と、その足元にうつぶせている、
大きな(まるで狸くらいもある)タルガバンの姿があった・・・。
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折々の作家・開高健 [文学]

好きになってしまった作家、興味をいだいた作家の
作品は、集中的に読む癖がある。ある程度読んでしまうと、
興味はまた異なる作家へと移っていく。また何かの機会に
同じ作家の作品に会い、再び集中的に読む、ということも。

開高健という作家は、学生の頃に『日本三文オペラ』、
『ロビンソンの末裔』などをパラパラと読んでいただけ。
終戦直後の日本社会の闇を描く人、というイメージのまま、
特に興味を持つ事もなく過ごしてきたのだが・・・。

1980年代の初めの頃、当時は勤めていたのだが、
同僚のKさん(少し年上の女性)が、カラーのページの沢山ある、
豪華な本を開いているのに気がつき、
「何の本見ているの?」と尋ねたことがある。

彼女はもうすぐ、お姉さんの住むブラジルに出かけ、
ついでにペルーを旅行する予定であること、それで
南米の情報が一杯のこの本を読んでいるのだ、と
言って、私に貸してくれた。その本の作家が何と、
開高健! 私はかなり驚いた。本の題は『もっと広く』。

文章はコミカルながら味わい深く、単なる旅行ガイドの域を超えていた。
釣りをしながら異国を見聞するドキュメンタリという形をとっていたが。
文章に劣らず、写真がまた素晴らしかった。

この後、私は狂ったように開高健の同様の書を
追いかけていくことになった。先述の書と対になっている
『もっと遠く』、また中国やスリランカ篇ともいえる
『オーパ』シリーズである。どの本も素晴らしかった。

Kさんが教えてくれなかったら、私はいつまでも、
開高健のもう一つの顔に、興味を持つことなくすごしていたかも。

あの後、私は仕事を辞め、アメリカの大学に行き、
そこで知り合ったペルー出身のSと、ペルーを旅行した。
その時の南米で見聞きした数々の経験は、ともすると
Kさんが最初に私に見せてくれた『もっと広く』に
収められていた写真の映像ともだぶる。いや、だぶらせるような
形で、自分の旅の記憶を、絶えず強化してきたような気がする。

開高健は今も、私にとって大切な作家、自分の人生の転機を
感じていた時期に、記念碑のように立つ作家である。
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フジコ・ヘミング・続 [藝術]

「フジコ・ヘミングソロコンサート」を鑑賞した後、
ドキュメンタリ映画になっている「フジコ・ヘミングの時間」を観た。
冒頭、手作りらしい小冊子が画面いっぱいに登場する。
彼女が十四歳の夏休みに書いた「絵日記」らしい。

頁の上半分に描かれている、絵が素晴らしいのにびっくり。
色彩がすばらしく鮮やか、そして登場する人間の描き方が、
独特なのである。手や足が、少々アンバランス。でも、それがそのまま
絵としての味わいになっていて、眼を奪われる。

ああ、この人は、画家としても成功していたかもしれない。
と思った。同時に、この絵を見たことによって、彼女の
音楽の秘密も覗けたような気がした。つまり、型破りで
個性的、なのである。この曲は、こう弾くべき。とか
こう解釈すべき、という縛りがない、囚われない、ということ。

一つの音楽を自分のものにする。人の評価なんかには
気に留めず、まっすぐに自分の道をゆく。
彼女の演奏から受ける、何かとてつもなく大きな熱量
のようなものは、そういうものだったのかも、と思えた。

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フジコ・ヘミング [藝術]

フジコ・ヘミングというピアニストは、コンサートの広告とか
テレビのちょっとした番組で目や耳にしたことがあるだけだった。
先月末、WOWOWで、彼女の生活を追ったドキュメンタリー、
『フジコ・ヘミングの時間』と、コンサートのライブ
「フジコ・ヘミング ソロコンサート いと小さきもののために」
が、放映されると知り、録画しておいた。

何しろ、六十代後半になってから世に出て、以後の二十年余り、
日本のみならず、世界各地でコンサート活動をしている、という。
なんだか、怪物のような(失礼だが、外見もものすごく、
ユニークというか、人間離れしている印象がある)お方。
いったい、どういう人で、どんな演奏をされるのだろうと、
興味津々だったのである。

二日ほど前、まず、ソロコンサートのライブから鑑賞した。
日本で行われたチャリティーコンサートで、演奏されたのは、
ショパン、リスト、ドビュッシーらのピアノ曲である。

ピアノの前に置かれた、大きなグラブのような分厚い手。
その太い指が鍵盤を這い出すと、大きく厳かにしてつややかな、
かつふくよかな音があふれ出してきて、驚かされた。
私は何度も書いているように、耳があまりよくないのだが、
そんな私でも、音の世界にふっくりと包み込まれるような、
幸せな感覚に酔いしれてしまっていた。(続きます)

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Possum Magic [藝術]

昨年の六月中旬から通い始めたアトリエ。
ほとんど休みなく、月に3~4回ずつ、今も出かけている。
教えてくれている先生は、主に植物を水彩画で描いている、
ということもあり、私も一通り、水彩画の道具を揃え、
花や景色を描いてみたりしたけれど。

でも、どちらかというと動物の方が描きたくて。
「じゃあ、どんな絵が目標なの?」と先生。
たとえば、そうだなあ、ちょっとハードル高いけれど・・。
と、思い浮かんだのが、20年近くも前に、オーストラリアで
購入した一冊の絵本『Possum Magic』だった。

Possumは、オーストラリアに棲息するフクロネズミで、
この絵本の主人公は、フクロネズミのおばあさんと、
おばあさんに(身の安全を守るために)魔法をかけられて
透明になってしまったフクロネズミの子、ハッシュ。

物語は楽しい。でもそれ以上に、水彩の挿絵が
飛び切り美しい一冊なのだ。私は当時この本をオーストラリアの
ケアンズでみつけて、すっかり気に入り、
「ああ、自分で翻訳して出版出来たらいいなあ」
と希望も抱いて、購入してきたのだけれど。

残念ながら、その時にはすでに、日本のある出版社が版権を
おさえていると知り、夢はかなわなかったのだが。
(『ポスおばあちゃんの魔法』(朔北社)として、2003年に出版されている)

アトリエの先生に見てもらうと
「まあ、すばらしいわねえ。一枚一枚が、完成した
絵のようだわねえ。フォルムも大胆だし・・」
と感心しきり。

「子供より、大人が喜ぶような絵になっているわね」
ともおっしゃった。そうなのだった。
水彩の技術も、ところどころ、ため息がでそうなほど、
完璧にして、美しい。

そしてなんといっても、次々に登場する、
フクロネズミ、コアラ、カンガルー、
ハリネズミ、エミュー、ディンゴなどなどの、
オーストラリアに棲息する動物たちの形の面白さ、
色彩の美しさに見入ってしまうのである。
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トゥモロー・ワールド [映画]

「もう、見る映画なくなっちゃったよ!」と、やや
投げやりに相棒が言い出したのは一昨日。WOWOWの
番組案内を見ながら、録画すべき作品がないのだそう。

何か一つくらい、まだ見ていない逸品があるかも・・。
と、探し出して録画しておいたのが昨日早朝に放映されていた
「トゥモロー・ワールド」監督はアルフォンソ・キュアロンだし、
もしかして・・・。と少しばかり期待していたのだが、これが
やっぱり、未鑑賞の逸品だった。

時は2027年、制作された2006年から見ると、「近未来」かも
しれないが、現在からはもう、つい明日のこと、だ。
人間は生殖能力を失い、もう18年も子供が生まれておらず。
世界で最も若い少年は、近づいた人に唾を吐いて殺されてしまい
(よほど、ちやほやされてたんだろう)、いよいよ、子供が一人も
いない世界になってしまう。場所はイギリス。
駅のフォームでは、不法移民を詰め込んだ大きな檻が
林立し、街中は生きることに絶望した人々に溢れかえっている。

治安の悪さに、軍と警察とが異様なほどの統制を敷き、
さらに人々の自暴自棄をあおるような状況。

そんななか、一人の若い女性が妊娠していることがわかり。
一筋の希望を見出した、エネルギー省の若い官僚が、彼女を
守るべく奔走する、といった展開なのだが。

筋にはいろいろ無理はあるかも知れないが、このところの
中東や中南米の政治不安や、それによって生まれる大量の移民、
移民による社会不安によって加速する自国主義、貿易摩擦、
そして先進国の出生率の大幅低下、高齢化問題などなど。

このトゥモローワールドは、もう明日というより、今に迫った
問題をそのまま映像化しているような迫力を持っていた。
とにかく、荒廃した街並み、そこで繰り広げられる、
軍や警察と、市民、移民たちとの攻防はすばらしく
リアルで、ときどき、息苦しくなりそうなほど。

原題は「Children of Men」、「人類の子供」である。
こっちの方が色々と含みが多くて魅力的なはずなのだが。
特に最後の場面、無事子供を産み終え、その子を守り切った女性が、
軍の銃撃を受けて、ボロボロに荒廃した建物から
降りてくる場面・・。赤子の泣き声が響き、銃声がやみ、
いかつい兵士たちが、ふっと頬を緩めながら女性に
通路を開けてやる場面が印象的だから。

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