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機嫌のよい時、単車で [言葉]

昨年末、押入れを整理していたら、小学校一、二年の時の
作文のノートの束が出てきた。前にこのブログでも書いたことがあるが、
小学校一、二年の時の担任の先生がとても文章教育に熱心で、各児童の文章に
良く眼を通してくれる方だったので、私も調子に乗って、随分沢山書き、
それが一年に数冊分にもなった。先生はそれを閉じ合わせて、一冊の本の
ように仕立て、画用紙の表紙をつけ、名前も付けて保存するように、と
指導して下さった。その文集が二冊とも、出てきたのである。

その頃は先生が良く褒めてくれたので、私はかなり調子に乗っていた。
何しろ、文集の厚さは、クラスでダントツだったし。
で、あれれ、どんなこと書いていたんだろう、とまあ、ン十年ぶりに
開いてみたんだが・・。恥ずかしくなって、すぐに閉じましたデス。
なんとまあ、だらだらとヘタな文章を書き綴ったもんだ、と。

そして、いきなり、だが、「単車」という言葉を思い出した。
小学校一、二年の同級生に、名前は忘れてしまったが、よく欠席する
男子児童がいた。給食の日だけは必ず出てきていたが(当時私たちが
通った田舎の学校は、給食室が狭くて、給食の日は、学年ごとに決まっていて
週に二、三度しかなかった)。彼は家庭に、何か問題がありそうな子だった。
成績の方も思わしくなく、授業中に時折奇声を上げたりする。

ある日の作文の時間、先生はお題をだされた。
「なんでもいいけれど、家族について、あるいは家族と食べたもの、
出掛けた場所、遊んだことなどについて書きましょう」

自分で何を書いたか、全く覚えていないのだが、授業の終りに、
先生に指名された人が、自分の作文を読みあげることになった。
その時に、あまり授業には熱心でない、その男子が当たったのである。
私は、ちょっと驚いた、書いていないような気がしたから。
彼は、照れくさそうに立ち上がって、読み上げた。

「うちの父ちゃんは、いつもお酒をのんで、ごろごろしてます。
きげんがよいとき、たんしゃでしごとにいきます。」

凄く驚いたことを覚えている。これは、もしかしたら、すごく
いい文章なのではないか、と。短くて、完璧なのではないかと。
でも、それは一瞬だったのだろう。もし本気でそう思っていたら、
その後、私の文章はかなり変わっていたはずで・・・。



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今年の一字 [言葉]

毎年暮れになると、今年の漢字一字が選ばれ、清水寺で
お坊さんが大筆でその文字を書く様子がニュースで流れる。
私個人で言うなら、今年の一字はずばり「偶」である。

広漢和辞典で調べてみるとこの字の意味は、第一に「でく」
旁の部分が「寓」に通じ、「借りる」の意となり、木を借りて
人形にこしらえたことから、「でく」の意味なのだとか。
ほかに偶数の偶(はんか、ちょうかのちょう)、ならぶ、そろう、
などの意味があり、私が意図しているところは、七番目にようやく
登場する「たまたま、おもいがけず」である。この字の旁は、
なまけもの、という意味があってそこから転じて「意図せずに」
「たまさか」という意味につながっていったらしい。

私がこの一字を今年の漢字に選びたいのは、驚くほどの偶然が
今年、何度も起きたこと。良い偶然もあれば、嫌な偶然もあったが。
良い方から云うと、三月に、米沢市在住のK・Yさんからお手紙を
頂いたこと。彼女とは全く面識もなく、ただ、彼女が市立図書館で
たまたま、私の歌集を目にした、というだけ。連絡をいただき
私は半世紀ぶりに米沢市と山形市を訪れることができたのだった。

そして、不思議に偶然は繋がるもの。九月の「塔短歌会」の大会で、
出席者は二百人もいた懇親会の、席がたまたま隣になった九州の
離島にお住いのH・Yさんが、山形県の出身で、なんと、私が
三カ月だけ席を置いた高校の卒業生だったこと!
さらに彼女は、K・Yさんのご主人と同窓生だったのだ!

私はこれらのことで、最近は余り思い出すことも少なくなっていた
山形県で暮した日々を思い出し、山形県の歌人で、中学校の校歌の
作詞者だった結城哀草果についてエッセイを書き、「塔12月号」に
投稿、その掲載誌をK・Yさんにお送りすると、到着したのが先回の
ブログに記した通り、哀草果の親族の人たちと参加する短歌講座の
前日だったのだそうだ。

偶然が偶然を呼び、不思議の縁が繋がっていくような出来事だった。
他にも、驚くほどの「偶然」がもう一つあったが、それは胸に秘めておこう。
もうこういうことが、これから何度もあるとは、思えないのだけれど。
来年だって、もしかしたらわからない。楽しい縁つながりで、何かまた
おもいがけないことに出会えるかもしれず・・・。
今年出会えた多くの人たちに感謝して、今年のブログを閉じることにしたい。
皆さま、良いお年を!
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「ひた赤し」をめぐって [言葉]

私が所属する「塔短歌会」の会誌には、「八角堂だより」という
欄があり、毎月一頁分ずつ、選者が当番でエッセイを投稿している。
今年選者になった私は、今月初めてこの欄を担当した(締切は十月中旬)。
何について書くか、八月ごろから頭の隅に置き、時々考えていた。

短歌の雑誌なので、短歌について書く、そして、私は初登場なので、
ちらっと、自己紹介的な内容が含まれるものがいい、と思い、
出身地山形の歌人について書くことにした。茂吉はつとに有名だから、
山形に終生、居を置き、茂吉の山形における一番弟子とされた
結城哀草果について、茂吉と絡めて書くことにした。

 ひた赤し煉瓦の塀はひた赤し女刺しし男にものいひ居れば 
            齋藤茂吉『赤光』(1913年刊・初版)

 ひた赤し落ちて行く日はひた赤し代掻馬は首ふりすすむ
            結城哀草果『山麓』(1929年刊)

茂吉の作品の方は、1920年に刊行された改訂版『赤光』からは削除
されているのだが、この二首の構成の酷似と、それぞれの内容上の
相違について採り上げてエッセイとしてまとめ、八角堂に掲載した。

茂吉と哀草果について、改めて考えるきっかけを作ってくれたのは、
今年の四月、私を半世紀ぶりに山形訪問へと導いてくれた、
米沢市在住のYさんだったので、彼女にも「塔12月号」をお送りした。

すると、これも何という偶然だろう、哀草果の親族にあたる方たちとの
短歌講座に出席する前日に届いたとのこと、彼女は八角堂をコピーして、
参加者の方たちに、配ってくれたのだそうだ。

そこで、新たな発見があったのだとか。それは、「ひた赤し」である。
親族の方のお一人が、母親の暗誦によってこの歌を「した赤し」と記憶、
それを聞いていたYさんも「した赤し落ちて行く日はした赤し」と
記憶し、田の水に映る夕陽だとおもっていたのだとか!

考えて見れば「ひた赤し」という言い回しは、一般にはあまり聞かない。
「下赤し」なら、それなりに、普通に理解できる内容になるが。
茂吉は「ひた」という言葉が好きだったらしく、『赤光』にはほかに
「ひた走る」とか、結構使われている印象がある。

「ひた」について、広辞苑をひいてみると独立した項としては出ていないが、
「直謝り」とか「直染め」とか、熟語としては幾つも掲載されている。
「日本国語辞典」には、「直(ひた)」は独立して掲載されていて、品詞は
「語素」とある。あまり耳慣れない言葉だが、いろいろな使われ方をしていて、
単に接頭語とは言えないからだろう。

と、あれこれとまた、言葉の森を楽しくさまようことになった。
郷里の友人というのは、なかなかにありがたいものである。
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文字を習う [言葉]

現在の日本人に、文字の読めない人はほとんどいないだろう。
学校教育にはいろいろと問題はありそうだが、とりあえず、
読み書きや簡単な計算を、無料で漏れなく教えてはくれる。

もう三十年余りになるけれど、アメリカに滞在し始めた時、
先ずは、外国人のための英語教室を探して通い出したのだが。
アルファベットを読み書きから教える、無料の教室も併設されていて、
主に大人の黒人女性たちが通ってきていた。彼女たちは、初等教育を
受けられなかった人たちだった。八十年代も後半になっていたのに、
そして、本人たちが教育を拒んだというわけでもなく・・・。
おそらく、差別と貧困の結果だったのだろう。

そうした人たちがどんなふうに授業を受けているか、
ヴォランティアの人に誘われて、見学したことがある。

教科書には、一頁にひとつずつ、大きな絵が描いてある。
一ページ目は、赤い綺麗な林檎。その林檎を縁取るように
「a」の文字が記されている。「An apple」と教師が読み、
生徒たちは続けて発音し、林檎の回りをなぞるように「a」と
指で描く。二頁目には、鳥の絵が描いてあり、その絵を縁取る
ように「b」の文字が書いてある。教師が「A bird」と読み、
生徒たちが発音を繰り返し、bの文字を指でなぞる・・・・。
大人になってからの文字の習得の大変さを、つくづくと感じる時間だった。

「読み書きができないということは、働く場もごく限られ、貧困から
脱出できないんです。それで、彼女たちは頑張ってなんとかしようと
しているんですが・・。脱落してしまう人も多いんですよ。」

ヴォランティアの人が、そう話してくれた。
今はどうだろう、初等教育はもう、立場を問わず、浸透しているのだろうか。
教育は、人種や立場を問わず平等であってほしいし、今では状況は変わっている
だろうとは思うのだが。

アメリカの教育は、日本のように、誰もがまんべんなく、最低のことを
身に着ける、というやり方、というより、本人が自主的に学んで行けるよう、
モチベーションを植え付ける、という方へ、重きが置かれているように見える。
できる子はそこでインスパイアされて、好きな方向へ自在に進んでいくだろう。
好きで興味あることをみつける、これは人生でとても大事なことだとは思うのだが。

その過程で、落ちこぼれていく子も多いのではないだろうか。
勉強だけが大切とは、勿論思わない。でも、初等教育は別であろう。
誰もが最低身に着けるべきことがあるし、その段階では、決して
落ちこぼれを作ってはいけない、と思うのである。
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対談・鼎談・座談会 [言葉]

短歌のシンポジウムなどで、対談や鼎談、それ以上の人数の座談会など、
これまで何度も拝聴する機会があったけれど、概して対談は面白く、
成功しているな、とおもわれる例が多い割に、人数が三人以上の場合は、
「?」、あるいは完全に「残念」となる例も多い印象がある。なぜだろう。
参加者各自の興味が食い違い、なかなか一つのテーマを詰め切れない、
各自にどうしても自分の得意分野へ話を引き込もうとする力が働き、
話が拡散するというせいである場合が多いように感じる。

では、どうして三人、四人の話者による座談会が組まれるのか。
それは、二人だけだとどうしても視野が狭くなりがち、ということがあるから
ではないだろうか。ここに一人、二人が加わることで、話の内容に客観性が
生まれる、はず。でも、進行は難しそうだ・・・。

そんなことをぼんやり考えながら、用事を済ませた帰り近くの公園を通りかかったら、
中学生らしい二人の男子がバレーボールの練習をしていた。互いに投げ上げ、
相手がそれを受け、軽くかえしたり、ときどきアタックも入れて・・・。

そこへもう一人加わった。三人で平等にボールを回し合っていたが、途中から
二等辺三角形の形になり、頂点に立つ一人が、二人へ交互にボールを渡す、
という形にし始めた。頂点の一人がアタックし、受けた相手のボールが
横や後ろに逸れると、もう一人がカバーに入る。ああ、鼎談って、
こういう形になるのが理想かも、と見ていて興味深かった。

最近読んだ綾辻行人『セッション』(集英社文庫)は、かなり面白かった。
綾辻が同じサスペンスの分野の作家らと対談(時に鼎談)した内容を
纏めたもので、対談相手は宮部みゆき、篠田節子、大槻ケンヂ、法月綸太郎、
北村薫、ら、錚々たる面々が並んでいる。養老猛司とか、ちょっと毛色の
違う人も登場させていて、いずれもめっぽう面白い。

書名は『セッション』だけれど、ほとんどの場合、綾辻氏対誰か。
たまにもう一人加わって三人。「セッション」的、つまり多重的な
効果が発揮されていると思える項は少なかった。
この書全体で、セッション、て意味だったのかな。

京極夏彦氏との対談で、京極氏が次のように発言されたのが面白かった。

 ・・・私のタイトルは上半分が漢字でいうと「へん」に当たりまして、
 下に付く一文字が「つくり」になるわけです。妖怪を表わしたい、というのと、
 もう一筋ありまして、そちらはあまり公言はいたしませんが・・・
 どちらも欠けては成り立たないという部分なんですけどね。・・・どっちかで
 引っかかって頂ければ・・私は本望です。「魍魎」で引っかかっていただいても、
 「匣」で引っかかっていただいても・・・

すると、司会をしている人だろう(編集部のひとか、名前は登場せず)
 「の」に引っかかる人もいるかもしれない(笑)。

と茶々を入れている。これに対し、京極氏は

 ・・・もっともうるさい人かもしれませんね。

と応じていた。鼎談の形ではなかったが、こういう一人が加わることで、
ぐんと面白くなる。そういう参加の仕方って、あるなあ、と考えた。
それにしても、自著のタイトルを「偏」と「旁」に例えるなんて・・・。
思わず、漢字の成り立ちや意味について、考えてしまった。私は京極氏の本は
ほとんど読んでいないが。相棒は熱狂的ファンです、綾辻さんの方も。
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ユーモアについて [言葉]

さりげないユーモアは、人間関係を円滑にするし、何といっても
発話者の余裕が感じられて、すてきなものだ。私がお勤めしていた時代、
異動期に歓送迎会が開かれていて、参加するのが気が重い時が
あった。円満退職者や、栄転のひとの歓送迎は良いとして、中には
やむを得ない退職や、降格的な人事による配転もあったから。
期待していた配転ができず、据え置きになってしまったAさんが、宴会の席で
「いや~、どうもねえ、名簿のちょうど見開きの真ん中あたりに、僕の
名前が載ってしまっているようで、担当者の目につきにくいんでしょうね」
と、さらりと言って、場を和ませていたことを覚えている。

映画の題は忘れてしまったが、確かフランス映画だったと記憶する。
妻が余命宣告された老夫婦が主人公で、夫が介護しつつ二人暮しを
続けているという、かなりシリアスな内容だった。
夫婦にはイギリス人と結婚した娘がいて、今は英国住まいなのだが、
両親を心配して、二人で帰国する、と連絡が入る、その時の夫婦の会話。
「今はあの、イギリス人特有のユーモアに耐えられる状態ではない」
「私も。帰国は断りましょう」

ああ、フランス人もそうなんだな、と深く納得したことだった。
イギリス人のユーモア、と言うのは時に、その域を超えている、と
感じられることが結構多いから。日本人が真面目過ぎるから?
と、言う訳でもなさそうだ、と気づいたのだ。たとえば、
英国には、こんななぞなぞがあるんだけれど・・・。

 How do you fit a hundred babies in a telephone booth?
 電話ボックスに百人の赤子をぴったりと入れるには、どうすればいいか。

答えは何と、
Mince them.

切り刻めばよい。 ちょっとびっくりですよね。このなぞなぞは、
中村保男『英語なぞなぞ集』(岩波ジュニア新書)にも載っていて、
やはり子供の間で、遊びに使われるなぞなぞらしい、とわかる。

ずっと以前、読んでいた翻訳関係の雑誌で、イギリス人のユーモアについての
特集を読んだことがあるのだが、その中で、障害があって四肢が動かせず、
遊びに参加できない子どもに対し、
「君はボールの役目をしてくれればいい、僕らが(蹴って)転がすから」
と呼びかけ、遊びに誘った、という例が紹介されていた。む~、これって。
ユーモアなんだろうか、と、頭を抱えたことだった。
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ああ、京都 [言葉]

山形新聞に、月に二度、黒木あるじ氏のエッセイ「真夜中のたわごと」
が掲載されている。黒木氏は山形市在住の作家さんである。
本日は「ありがとう関西」という題で、関西圏での経験について。

普段はおしゃべりで鳴らしている黒木氏が、数年前京都を訪れた際、
「ずいぶんおとなしい方どすなあ」と言われ、京都の人はアクティブ
なんだろうなあ、と思いかけたところ・・・。実際は
「うるさいやつだ、少しは黙ってろ」という意味だったと知って衝撃を
受けた、という思い出話から始まる。

ここで私は、大阪育ちの相棒に
「京都で、『もう一杯お茶如何?』
って訊かれたとき、ホイホイと応じていたらあかんよ。
それは、『さっさと帰ったらどうだ』って意味なんだから」
と注意されたことを思い出した。まあ、各地それぞれだから、一概には
言えないが、京都の人って、ちょっとコワイ、と感じたことだった。

黒木氏は、先回の経験を踏まえ、関西を訪れる際に、また
勘違いしないように気をつけよう、としたのだそうだが・・・。

関西の人たちがお店でサービスを受けて立ち去る際、
ほとんどの人が「ありがとう」というのに気がついたのだそうだ。
ああ、そういえば、そうだ、と私も思い当たる。こちらは客なのに、
お金を払って「ありがとう」って、どうしてなの?
って思った記憶が蘇ってきたのだった。

黒木氏はこの習慣に心動かされ、自分も関西弁のアクセントで
「ありがとう」と返すことにした。店の人たちの表情も好意的で
調子に乗っていると、ある店で「東北からのお客?」と、見破られ、
やはり、自分の舌には山形訛が染みついている、とあらためて感じる。
もう、関西弁を真似するのはやめ、山形県人らしく
「ありがどさま」ということにしたのだとか。

山形へ帰郷するため空港でお土産の八つ橋を購入した際、これまでどおり
「ありがどさま」と声を掛けると
「キレイな言葉を使わらはりますなあ」
と返された。
はて、それは? というところでエッセイは結んである。そりゃ、もちろん・・・。

三重県出身で、京都の大学に進学、卒業後、しばらく京都市内で
お勤めしていた友人がいる。私よりかなり若い人なのだが、
「京都の人って、いじわるなんだ。もう、いやになる」
と、たびたびぼやいていたことを覚えている。
それもまた文化なんだろうなあ、古都の歴史が紡いできた文化・・・。
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料理の言葉 [言葉]

毎日、気ちがいじみた暑さである。私の住む多摩地方では
このところ、体温越えの日々が続き、すっかりバテ気味。
でも、何か食べなくちゃいけない。外食も暑すぎて億劫なので、
とりあえず、手抜き食を考える。酷暑が来る、と予報が出た日、
図書館から「手抜きご飯」と名打った本までかりてきてあった。
相棒に渡して、「食べたいの、ある?」と訊く。何しろ、酷い
偏食屋さんなんだから(ぶつぶつ)。

「あえもの、って何? あえる、ってどうすること?」
え? ちょっと焦る。料理法として知ってはいるが、どう言葉で説明すればいいか。
「茹でた野菜とか、煮た貝とかを、調味料と混ぜ合わせたりする料理だけど」
「混ぜること? 混ぜると和えるってどう違うの?」
「混ぜる、っていうと無造作にかき混ぜるような感じがするじゃない?
和えるっていえば、食べ物を対象にしていて、丁寧に味を染み込ませる、
って感じかな?」
答えていることに、自信はない。そんなこと一度も考えたことなかったし。
そう思っていると、質問は途切れなく続く。

「きんぴらってどんな料理?」
「きんぴら牛蒡が有名だけれど、ごま油で炒めて、醤油とみりんで
味付けする料理。うちじゃ、貴方が牛蒡も人参も食べないから、茸で
作ってる。食べたことあるでしょ」
「きんぴらって名前、何から来たの?」
何だか、子供を相手にしてるみたいだ。
慌てて、近くに転がしておいた『広辞苑』を引くことに。

「あ、坂田金時の息子の金平、からついた名前なんだって。
へ~、知らなかった。金平牛蒡には強精作用があると考えられ、怪力金平の
名が付けられた・・。ふ~っむ」

「ポン酢のぽん、ってなあに?」
「ポン酢は柑橘類を使った酢だから、ポンカンのぽん、じゃないのかな」
こちらも広辞苑を捲ってみる。
「あ、語源はオランダ語のポンス(pons)だって! お転婆とか、
ランドセルと一緒だったんだねえ~」

「竜田揚げって、どんな料理?」
「お魚とかお肉に醤油やみりんで味付けして、片栗粉まぶして
油で揚げた料理だよ(学生の頃、一度家で作ってみたことがある。
最近はあまり作っていないけど。料理を始めた頃の思い出がどっと
蘇ってきて、ちょっとウルウルしていると・・)」
「竜田って名前、どこからきているのかな?」
「あ、きっと竜田川だよ、あの名歌の
 このたびは幣もとりあえず竜田川もみじの錦神のまにまに・・・」
広辞苑で確認すると、まさにその通りでした。
色彩が赤いから、もみじの名所に例えた、ってあるけど、ちょっと大げさ?

料理本から、言葉をめぐる楽しい会話に発展したのでしたが。
はて、次の手抜き料理を何にするか、決まっておりませぬ。
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ペンネーム [言葉]

十日ほど前の日曜日、私が所属する「塔短歌会」の拡大編集会議が
Zoomを使って行われた。一年に二度、二十数名の編集委員が一堂に
会する、今後の「塔」の方向性を決める大切な会議である。

半年ごとに執筆者が交代する選歌欄評の執筆者の選定について
討議していたとき。編集会議は前もって「会議案」がたたき台として
提出されているのだが、ある編集委員から、案として挙がっていた複数の
執筆候補者の中の人に疑問が出された。文章力や批評力、作歌力などについて
質問が出ることはこれまで、少ないながらもあったのだが・・・。

この時の質問は、会員のペンネームに対してだった。
「作者としてなら、この名前でも良いが、批評者としてはどうだろうか?」

ペンネームについては、これまで、あまりにも突飛な名前で登場する会員は、
長く続かない、という事例が多かったので、「よく考えて、決めるように」
という注意を、何かの折に流れていたような記憶がある(さだかでないが)。

名前の問題は、結構根が深いところがある、とあらためて考えさせられる
一件だった。私のような、昭和生まれのものには、名前とはある程度
決まっているものの中から選んで付けられるもの、という固定観念の
ようなものがあり、誰もがその範囲に収まるような名前を持っていた記憶がある。

ペンネームは、戸籍上の名前程に限定はされていないものの、やはり
「人間の名前らしい名前」という、常識のようなものがあった。
それが、戸籍上の命名にいわゆる「きらきらネーム」などと呼ばれるような
自由な命名が流行し始め、もう漢字をみても、読みあげることはできず、耳にしても
漢字に置き換えることができないような名前が巷に溢れ・・・。

それに従って、ペンネームはまさに、自由闊達、天衣無縫、いや、
全くの無法地帯化しているような状況になってしまっている。
偶々、昨日「短歌研究7月号」が届き、新人賞発表号なので、候補者の
名前を挙げてみると

 平安まだら(受賞者) 吉村おもち 有川わさび 
このあたりは、まだ、氏+ややおふざけの名 というところだが、

 いぬなり 大甘 たろりずむ
など、氏と名、という枠組みを取っ払ってしまっている名前も多く。
中には
 「仮定法が好き」 からすまぁ
などというペンネームまであった。これを自由でいいなあ、と感じるか、
ふざけ過ぎ、とまゆを顰めるか・・・。
私自身は、少々厄介な風潮だと思ってしまう方である。せめて、一度そう
自分を称するなら、歌を詠み続ける限り、最後まで通すように、と強く思う。
変えるなよ、その奇体なペンネームを! 
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地域差・性差 [言葉]

朝日新聞土曜版「be」には、毎週「いわせてもらお」という
読者投稿欄がある。日常のちょっとしたユーモラスな出来事を
読者が拾い上げて、七、八十字ほどにまとめた文章が、毎週
五人分くらいずつ掲載される。昨土曜日は、洗濯したはずの自分の
パンツが見当たらないと気づいた五十代の母親、帰宅した高校生の
息子に「体操着の長袖に詰まっていた」と渡されて、おたおたする話。

どれも面白くて、毎週楽しみなのだが、ある時、投稿者のほとんどが
西日本に偏っているのに気がついた。昨日も、大阪府、東京都、
大阪府、香川県、京都府、だった。北海道とか東北からの投稿を
ほとんど見たことがない。北陸も滅多に登場しないのだった。
北の地方の人は、ユーモア感覚に欠けるのだろうか。真面目だもんな。

新聞の歌壇や俳壇となると、俄然東北地方の人も増えるので、購読者が
偏っているわけではないだろう。ちなみにこうした文芸欄への投稿者に
男女の差も少なさそうである。唯一の例外は川柳欄だろう。
こちらは圧倒的に男性が多いのである。世の中をチクリ、と皮肉るのは
女性よりも男性の方がうまいんだろうか。

ところがところが・・・。先週金曜日の川柳の欄は、なんと、名前から
見る限り、全員が女性で占められていた。あれれ、女性限定の日?
とあらためて見るが、そういう規定はどこにも書いていない。
どうしたんだろう、と不思議に思っていると、翌日の川柳欄に

  選者どの どうかされたか みな女性  岩井三彌子

という一句が目に留まった。みんな、驚いたんだね。
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