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赤い薔薇ソースの伝説 [藝術]

メキシコの作家ラウラ・エスキヴェルによる小説
『赤い薔薇ソースの伝説』は、1990年代前半に映画化されて
日本でも評判になり、その後に小説の方が訳されて人気を博していた。
そのことは知っていたが、映画を観ることも小説を手にとることも
なく過ぎていた。この小説がバレエとなってロンドンで、新作バレエ
として上演され、その舞台が映画化されたという。

我家からほど近い横浜ららぽーと内の映画館で上映されると聞き、
早速出かけることにした。ここではコロナが下火になり始めた昨年頃から
またロンドンでのオペラとバレエの公演が再開されるようになって、
シネマビューイングが復活したのだけれど。

映画の開始時間が遅すぎるということもあって、観たい演目も
いけないでいたのだが、この「赤い~」は、上演時間三時間弱だが
夕方の六時には終わるという。それで、相棒を誘って見に行くことに。
「え、バレエ? オペラじゃないの?」と、少々臆した風だったが、
ショッピングセンターの中で夕食摂ろうよ、と誘うと乗ってきた。

出掛ける前に小説版の『赤い~』を図書館から借りて、ざっと
読んでおこうと思っていたが、半分ほど読んだところで、予定の日に
なってしまったのだったが。

実際に見たところの感想を一言で言うと、かなり迫力のある舞台で
感動した。ストーリーは、中南米らしい、現実と幻想が綯い混じった
ような、魅惑的な展開で。それだけで私の好みなのだけれど。
亡くなった母親が柩から立ち上がり、嫉妬と憎悪に燃え、巨大な
姿となって、主人公のティタたちの前に立ちふさがるさまには
ぎょっとしながらも、目を離せないシーンになった。

ここが一つの山場で、舞台はこの後、ハッピーエンドに向かうのだが。
母の狂気のシーンで終幕としても良かったかな、とも思えた。
とはいえ、最後のティタと、ペドロが恋の勝利を互いにたたえ合うような
しっとりとした踊りもとても魅力的で、見ごたえたっぷりだった。

新作バレエとあって、認知度が低いせいだろう、観客がとても少なくて、
それが残念だった。以前から、このロイヤルオペラとバレエのシリーズは
メトのそれに比べても観客数が少なくて、ひやひやする。とてもいい
プログラムを組んでいるのに、この観客数では中止になってしまうのでは、
と、危惧するからである。バレエにはあまり縁のない相棒も、
「新作って聞いて、あんまり期待できないと思ってたけれど、
良かったよな。特に音楽が良かった。メキシコの伝統的な楽器が色々
使われていただろ? 雰囲気をぐっと盛り上げたよね」と言っていた。

この後、ロイヤルオペラの、「セビリアの理髪師」、バレエの
「シンデレラ」なども上演されます。興味のある方は是非、映画館の
上映予定を確認してみて下さいね。



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pay pay初体験 [生活]

スマホを手にしてから、やたらとpay payのCMがメールに
送られてくるようになった。自分で利用してみようとは
思っていたが、何となく億劫なまま先送りしていた半年ほど前。

いよいよ使ってみようと、ネットで使用法を調べて、いざ
コンビニに出かけたのだが、ATMが混んでいて、とりあえず
後日に、ということに。それからもやろうと思っていて、
お金を忘れたり(普段、ナナコを使っている)、やはり混雑
していたり、コンビニに出かける時間がなかったり、など、いろいろ。

もうめんどくさいし、なくってもいいか。と思い始めていた、
三週間ほど前。ラジオを聴いていたら、たぶん、三十代くらいの
パーソナリティが、若いゲストと話していたのだが。
「今はいろいろと進んでいて、毎回色々な新しいことを
体験しなければならなくなっていますよね」
「そういえば、携帯を初めて操作するとき、ドキドキでしたね」
「私、スイカを初めて使う時、怖かったの覚えてます」
などと言い合っているのを聞いて。やっぱ、若い人もそうなんだ、
何でもすぐにできる、ってわけじゃないんだ(って、当然だが)。

妙に勇気づけられた気がして、それから間もなく、コンビニに
ペイペイを使うための入金に出かけてきた。ATMに必要事項を
入れると、自分のスマホに番号が送られてきて、それを入力してから
入金する、と、手順を頭に入れてから、余り混雑しない時間を
選んで、ATMが二台置いてある、やや大きいコンビニへ車で行った。

なんと、すぐにできました! って、喜び勇んでここに書くほどのこと
じゃないとは思うけれど。とにかく、すぐに試したくて、ペイペイで
そのコンビニ内のワインを購入。夜、ひとり乾杯しました。
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折々の作家・芥川龍之介 [文学]

一か月半くらい前、図書館の大活字本シリーズの中に、
ミステリー編として「芥川龍之介」が丸ごと一冊収められている
本があり(丸一冊といっても大活字本なので、内容的には少ない)
芥川作品をミステリ、という分野から選ぶのか、と興味を持ち、
借りてきた。すでに読んでいる(『藪の中』など)も収録されていた
のだけれど、なんだかとても新鮮な感じで面白く読んだ。ちなみに
シリーズの中の他のも借りて見たが、あまりピンとくるものがなかった。
芥川って、ほんと、文章うまかったんだな、とあらためて感動し。

先日このブログで書いたけれど、その後に読んだ『夕暮れに夜明けの
歌を』の中にも、芥川の『芋粥』について触れている章があり、
この書も既に読んではいるのだが、何しろ、中学一年の時だったので、
あらためて読んでみることにした。父が買ってくれた河出書房版の
日本文学全集に「芥川」が入っていて、『芋粥』も収められている。

中学生の頃に読んで「まあまあ面白い」と思ったのが、「鼻」とか
「手巾」。すごく衝撃的で、長くうなされることにもなったのが
「羅生門」。それ以外は、ぱらぱらと読んで、さほど面白いとも
思わなかった作品が多かったのだが・・・。

我が家には相棒が購入したちくま文庫の『芥川龍之介全集』
全六巻もある。河出版は重いので、文庫版の方の、未読の作品を
拾い読み始めたのだが、結局第一巻全部をのめり込むように読んでしまった。
ところどころの表現に唸りながら。続いて第二巻も読み始めているのだが。

第一巻には一篇だけ中編に近い長さの作品が含まれていて、とりわけ
心に残った。題名には、難しい漢字が使われている
語源を調べてみようと、もう一度字面を確かめる。裏表紙に
収録作品の題名がずらっと、書いてあるので、あらためて
目次や本編を見る必要はない・・・。ええと、盗人の話で、「喩盗」。
え、こんな字だったのか、とあらためて驚く。こんな熟語があったのか!

中漢和辞典を引いてみると、この言葉は載っていなかった。
ゆとう、で広辞苑を調べて見ても載っていない。いよいよ、
『広漢和辞典』を引くしかないか、と思いつつ、む、待てよ、
と思い直す。本文の頁を開いてみると・・・。なんと!
題名は『偸盗』となっているではないか! 「ちゅうとう」と
カナも振ってあった。裏表紙の題名は、誤植だったんだ!

もし『喩盗』だったら、どんな展開だったろうかな、なんてちょっと
夢想してしまいました。とにかく『偸盗』は、実に暴力的な文章で、
派手な活劇を観ているような一篇だったので。芥川はこんな文章も
書いていたんだなあ、と驚嘆したのでしたが。『喩盗』だったら、
何か王朝絵巻のような、優雅な作品になっていたかもしれませぬ。
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WBC2023 [スポーツ]

二週間前から始まったWBC2023。野球は大好きだし、
滞米時も、ミネソタ州に一時ホームスティしていたとき、
ツインズ対カーディナルスを観に行ったこともある。
アメリカの野球の、おおらかで皆がお祭りのように楽しんで
いる様子に感動したことだった。もう三十数年前のことで、
当時の日本の野球は、どことなくせせこましくて、策ばかり
弄しているようなところ、少々つまらなく感じたりもしていたから。

今回のWBCは、これまでのそれと違って、大リーガーの主力選手
たちも登場する。メジャーで活躍する、日本選手の参加もある、と
知って、俄然興味が湧き、楽しみにしていたのだが・・・。
いざ、始まると、連日の過剰な報道に、少々嫌気が差す、という
ことも多々起きてきた。もう、見る方が踊らされている感が
ありありで、たかが野球じゃないか、スポーツのコーナーで報道する
だけで十分じゃないか、やり過ぎだ! と腹を立てたりしていた。

それでも悲しいかな、試合はかなり気合入れて見てしまいました。
一次リーグでは、韓国や中国に先取点を奪われる、という展開も
あって、これはどうなんだろう。負けるのかも、とはらはら
する場面も。アジアの野球がこうして底上げされていくのは、
とてもいいことだ、とは思うのだけれど。やっぱり、心情としては、
最終的に日本に勝ってほしいんだよね。

メキシコとの準決勝は、朝から落ち着かず。何しろ、決勝で戦う
アメリカをこれまで唯一破っている国なんだから。先発の投手が
すばらしいピッチングをするのを見て、さらに佐々木投手が
三点本塁打を浴びるのを見てしまい、なんだか見続けられなくなって、
しばらくテレビを切って、あちこちかたづけ物などをしていた。

11時近くになって、相棒がテレビをつけ、「あ、四対三だよ」
というので、びっくり。いつの間に点を取っていたんだ。
それからの展開は、ご存知の通り。本当に、出来過ぎていて、
ヘタなドラマでも、こうは運べない、という展開でした。
凄かったよね! しばらく、胸がバクバクしたくらい。

そして、今日! きっとアメリカが優勝するんだろう、でも
日本はきっといい試合運びをしてくれるはず・・、と思いながら
五回まで見たところで、買い物へ出かけました。
帰ってきたら、八回が始まるところ。そしてスコアは出かける前の
ままの三対一! これは予想していなかった。そして投手は
なんとなんと、ダルビッシュ! 本塁打を打たれたけれど、その
一本で抑えて、次の投手は大谷! もうこれは、盆と正月が一緒に
来たような豪華さで、ついのめり込むように見てしまいました。
最後の打者はあの強打者のトラウト選手だなんて!
見ている方も力が入って、手に汗かいていた!

ああ、いいもの見せてもらった。生きているうちにこんな
豪華な投手リレーの試合を見ることは二度とないだろう。
もちろん、彼ら大リーガー組のみならず、今永、佐々木、戸郷、
山本、高橋、などなど、どの投手も素晴らしかった。野手だって、
見事な守備に何度も驚嘆した。日本のみならず、たとえばメキシコの
外野手も、良い働きをしていたし。不振にあえいでいた村上や岡本が
アメリカに渡ってからは目の覚めるような活躍をするということもあり、
見ごたえたっぷりの試合続きでした。
WBCが終わってしまって、この余韻に浸っていると
これからの日本のペナントレ―スを物足りなく感じてしまうかも。
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山形銘菓・のし梅 [食文化]

三週間余り前、いつものように電子版の山形新聞を読んでいると、
山形の銘菓・のし梅についての記事が掲載されていた。のし梅の
老舗として有名な山形市の佐藤屋の会長、佐藤松兵衛氏と夫人の
淳子氏により『のし梅の歴史』という本が発行されたという内容。

アマゾンなどで調べてみたが、販売はされていないようで、
佐藤屋のHPを開き、問い合わせフォームに、自分は甘味文化について
興味があり、山形に以前住んでいたこともあり、のし梅には特別の
興味があることを記し、値段と送料を教えてほしい旨連絡したところ、
早速送って下さった。なんと、無料とのことだった。とても感激し、
私も早速近著『砂糖をめぐる旅』などをお送りしました。

山形で暮したことのある人なら、のし梅が山形を代表する銘菓である
ということに異存はないはず。でも、でも・・・。長い歴史をもつ
お菓子が、生き残っていくことの難しさが、それとなく伝わってくる
書だった。もちろん、著者もその周囲の方々も、老舗を守っていくことに
強い矜持を抱き、それだからこそ、このような書も生まれたのだが。

『のし梅の歴史』には、山形出身の歌人、齋藤茂吉の息子の
北杜夫が小説に取り上げている部分にも触れている。

 山形からくる客たちは大抵ケチで、名産ののし梅しかもって
 こなかった。のし梅はいつも楡病院にあふれ、桃子はのし梅の
 顔をみるのも嫌なくらい。
              北杜夫『楡家の人々』

のし梅はけっこう高級品なのに「ケチ」と言われ、さらに「顔を見るのも嫌」
とまで、貶められている。あんまり気の毒な話なのだけれど、私はちょっと
笑ってしまった。子供の頃は、のし梅というと、山形出身の母が頻繁に
贈答用に買っていて、「時々は、他のものも選んだらいいのに」と思って
いたことだった。母には自慢の郷土菓子だったらしいけれど。

のし梅についてあれこれと思い出を辿っていたら
食べたくなって、佐藤屋さんのHPから注文することに・・・。
昨日、届きました! しばらくぶりの味、ただただ懐かしいです。
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「塔」編集部 [短歌]

私が所属している「塔短歌会」の編集部は、編集委員二十数名、さらに
数十名の編集スタッフがいて、毎月の塔誌が発行される仕組みになっている。
私は2005年初頭から編集委員を務めてきている。

主な仕事のひとつが一首評執筆者の選出と依頼。これは毎月八名ずつ選んで、
主として葉書で依頼を出す。断られる人、全く返事がない人なども
いて、結構大変である。特に一年半ほど前に、土曜配達がなくなり、
郵便事情が極端に低下してしまってからは、色々と選出にも苦慮した。
「塔」の発行が遅れがちな、一月号や五月号、日数の短い二月号の場合は
北海道や九州など遠方の人への依頼は控えるなどの対策もした。

もう一つの仕事は、一年に一度だが、「塔短歌会賞」の郵送受付と、
そのコピー、選者と担当者合計七名への応募作品のコピー、応募一覧の
作成などである。毎年五十通以上の応募があるので、コピーの量は
半端じゃない。およそ八百枚ほどもコピーしなければならず、主として
スーパーやコンビニのコピー機を利用するのだが、他に利用者が来て
順番を待たれると、落ち着いて取り組むことができず(ときには
「こっちは二、三枚なんだから、ちょっと代わって」と言われることも)
コピー機のある店を転々としながら作業したこともある。

幸い、近くのスーパーが二台そなえるようになったこと、その機械の
そばに狭いながらも作業台がおかれるようになったこともあって、
そこで集中的にできるようになってからは、比較的楽になった。
正直、この仕事は2011年の編集会議の議案書にわたしの名前が載っていて
もう、なんだか当然のように仕事を振られ、11年間勤めてきたけれど、
精神的にもきつかった。短歌会賞の締め切りが二年前までは二月で、
風邪などをひいてしまい、極端に体調が悪かったこともあった・・・。
父が亡くなった四年前は、葬儀社との話し合いの間に、コピー取りを
したこともあった。

一首評の仕事とこのコピー取りの仕事は、もう勘弁してもらいたいなあ、
と、一昨年頃から思い始めていた。いつも手伝ってくれていた相棒に言うと
「十分やったじゃないか。そろそろやめてもいいだろ」
と言ってくれたので、タイミングを考えていたのだけれど。

これら主な二つの仕事(他に都内の書店に「塔誌」を置く担当者との連絡
などがあるが、散発的で大した仕事ではない)を断るとなると、きっと
塔の編集部を抜けなければならなくなるだろう。でもそれは寂しい気がする。
特に、当番制でHPにブログを書くのはとても楽しいので、これだけでも
続けさせてくれないかなあ、と思っていた。でも編集部をやめると同時に
この当番からも外されることに決まっていた。これは特に未練があった。

色々考えていた昨年六月、主宰の吉川さんから電話があり、
「選者に」という依頼だったことに驚く。これは全く予期していなかったので。
塔の選者は定年制になっていて、八十歳でやめなければならない。私には
もう十年も残っていないのである。それなのに、この時点で引き受けるか!
という気持ちが先ず先に来た。でも、でも。選者ということになれば、
ブログ当番も続けられるし、コピー取りももう、しなくていい・・・。

色々考えた末、お引き受けすることにした。
「結局、ブログが書きたかった、ってことだろ」って、相棒には言われたが。

この一月末からすでに選者の仕事は始まっている。
二十数年の長きにわたって横浜歌会での総評は担当してきたけれど。
ほとんどあったこともない人達の作品を、それも丸ごと十首(ちょっと
驚いたのだが、ほとんどの人が十首ずつの詠草を作成してくる)の
手書きの詠草を読ませてもらうことになり、それも毎月六十数名分!
全国の色々な地から送られてくる。それぞれの詠草から季節が香り、
風土や慣習なども漂ってくる。とても得難い経験だ、と気がついた。

丁寧に、集中して読み、一首ずつ向き合いながら、選歌している。
自分の詠草つくりも、おろそかにはできない、と心に銘じながら。
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ザ・ファイター [映画]

WOWOWで放映されていたものを録画して観た。
監督はデヴィッド・ラッセル。2010年アメリカ制作の映画。
実在した兄弟のボクシング人生を描く、とあって、興味を抱いた。
ボクシングというスポーツは、私はほとんど興味がなく、テレビで
観戦することも皆無なのだが、映画「ロッキー」で映画の中の
ボクシングに開眼してしまい、それからは時々ボクシングを
テーマにした映画を観たり、ドキュメンタリー(例えば『一瞬の夏』など)
も読むようになったのだから、ちょっと不思議だ。

ボクシング作品に興味を持つようになった契機は、「ロッキー」だけでは
なく、ちょうどロッキーをシリーズで見始めた頃、相棒が仕事上、
関わることになった若者に、その分野でかなり名を挙げてきた人がいて。
相棒が言うには、「普段は驚くほど、弱弱しいんだ。ど素人の
自分でも、殴り勝てるんじゃないか、って思えるくらいなんだ。
でも、一旦リングに立つと、別人になるみたいだ。その落差が
見ていて、怖いくらいなんだよ。狂気に近いものを感じる・・・」

そういうことってあるかも知れないな、と思う。
全くの他人を殴りつけ、叩きのめして勝利を勝ち取る、という
スポーツがこの世に存在することを、凄まじいものと感じ、何か、
全く人格が変わらないと、できないことではないか、と思えるからだ。

さて、映画「ザ・ファイター」の方だが、ボクシングというスポーツの
二つの側面、いや、どんなスポーツにも共通する、だが、ボクシングに
とりわけ顕著と思える二つの要素を、共にボクシングに命を捧げながら、
全く性格の相反する兄弟を通して描き出していて、面白い映画だった。

兄のデッキ―は、かつて最強と言われるボクサーを倒したことがあり、
彼らの住む小さな町の英雄と崇められるのだが、そののちの試合で
結果を出せなくなり、麻薬に手を出すようになる。彼はもともとが
怠惰で、傲慢で、ボクサーに必要な日々の鍛錬ができない性格だった。
でも、天才的なひらめきは持っている。彼は弟ミッキーに自分の
夢を託そうとする。

ミッキーの方は、我慢強く、冷静で、自分をコントロールできるタイプの
ボクサーなのだが、兄の持つ、ほとんど直感的な天分は備えていない。
彼は兄に自分のないものを見出し、頼ろうとはするのだが、
放漫な生活を続ける兄に振り回され、次第に自分を見失っていくのである。

彼にはほかにも、自分にまとわりつき、色々と口出ししてくる母親と、
沢山の異父姉に取り囲まれていることにも苛立ちを隠せなくなるのだ。

ある才能を育て、健やかに開花させることの難しさを思いながら観た。
実話とはいえ、リングでの勝負のプロセスに、少々現実離れしたものを
感じたのは、私自身が、現実のボクシングを知らないせいかも知れない。



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『夕暮れに夜明けの歌を』 [文学]

奈倉有里著『夕暮れに夜明けの歌を』(イーストプレス 2021)は、
昨夏、大学時代からの友人Pが紹介してくれた本であるが、9月から
母が危篤状態に陥り、12月下旬に亡くなり、と落ち着かない日々が続き
さらに色々と手続きなどがあり、ようやくこのほど入手して読み終えた。

良い本だった。読み終ってしまうのが惜しかったくらいに。友人のPは
異国に心を遊ばせながら、美しい日本語で遠い地への憧れや、様々な
出会いを綴った書をこよなく愛している。だから彼女が勧めてくれた
本は、忙しくても、時間がかかっても手にとることにしているのだが。
この本はとりわけ良かった。

奈倉さんはロシア語の翻訳者としてお若い頃から活躍しておられ、
名前だけは知っていたけれど、この書ではそのいわば「ロシア語修業」の
過程をつぶさに語っておられて、特に文学への瑞々しい思いに溢れていて
感動する。7~8ページずつから成る小題つきの文章、三十章が一冊に
収められたもので、特に感動的なのは、ロシアの小さな村から進学した
勤勉な少女マーシャと寄宿舎の部屋を共有し、甘酸っぱい青春の時間を
共に過ごす話や、さらに興味深いのが、アントーノフという教授から
受ける「文学研究入門」という授業への熱の高さである。

この教授は独身でいつも酒瓶を手にしている奇人としてまず登場するが
教壇に立った途端、まるで別人のように「文学への愛」を迸らせ、
世界廿浦浦の文学に通暁し、その炯眼、博識、まるで独り舞台を演じる
役者のような弁舌に、作者はたちまち陶酔してしまう。
一語も漏らさずに聞き取りたい彼女は、これを機に速記をマスターして
しまう、というから凄い!

私はこの書を読みながら、同時に芥川龍之介を読み直し、トルストイも
読み直した。最後には、ロシアとウクライナの関係、特に日本人には
分りにくい、両国間の微妙な距離、心理をうまく掬い上げながら、今日的、
まさに、今起きているロシアのウクライナ侵攻前夜の雰囲気を描き
だしていて、驚かされる。危惧されていたことが、最悪な形で
現実化してしまったことに・・。

残念なのは、所々に引用してあるロシア語の詩に、さほどの
感動を覚えないこと。著者も記しているが、詩のリズムやロシア語の
発音の美しさに支えられた作品が多く、翻訳してしまうと、なんだか
ありふれた言辞が並んでいるだけ、としか見えないのである。

中国で暮していた時、中国人の友人が中国の詩を朗読してくれた
ことを思い出した。素晴らしく音楽的で、意味は分からないのに
とても感動したことだった。ロシア語でこの詩を聞きたい、と
切に思ったことである。
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塔・横浜歌会25年 [短歌]

先日もこの横浜歌会を話題にしたが、今年で結成25年になる。
三月に始めたので、25周年を迎えた、というべきだろうか。
会場は、私が住む自治体(東京西部の中都市)の公的施設を
利用しているのだが、ここは登録制度が敷かれていて、
利用者の住所・氏名、特に責任者は身分証明書を提示して
登録しておかなければならず、三年間の期限も設けられていて、
その都度、更新する必要もある。

先月で更新時期が切れていたことを指摘され、昨日、慌てて
市民センターに赴いて、手続きをした。書類はいろいろあり、
結構面倒である。さらに許可証が出るまで、二十分ほど待たされた。

その間、この歌会に参加されていた方々のことが、次々に脳裏に
浮かんできた。25年前からの参加は、私以外には先回記したKさんのみ。
二十年以上続けて参加されている人は、数人はいる。

二十二、三年前、良く続けて参加されていた方にIさんという女性が
いたことがふっと思い出された。私より三才年上。やや遅く子供を
もうけた、とのことで、ひとり娘さんはまだ小学生とのことだった。

一年近く、ほとんど休みなく歌会にも出席し、時々、私に
電話もかけてきたりしていた。私の歌集を購入してくれる、と
いうので、娘さん宛に、私が翻訳した児童書を贈呈したりもした。

ところが、ふっとやめてしまわれた。横浜歌会はもとより、そもそも
歌を詠むことをやめたのだそうだ。
「歌を詠む人とは、根本的に合わない、ということがわかった」
と綴った手紙が届いて、驚いたのだけれど・・。

一緒に歌を詠み合っていた時は、それなりに充実した時間を
過せていた気がしたのだけれど。まあ、色々な人がいて、
同じ時間を共有しながら、次々に去っていく。「わかれうた」の
歌詞じゃないが、去っていく人の方がかっこよく見えたりもするが。
短歌をしていなければ、出会わなかった人が沢山いたのだから、
私は歌を詠み続けてきたことに、何の後悔もないのだけれど。
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漢字のちから [言葉]

私が所属している「塔短歌会」。入会して今年で、なんと!
四十年にもなるのだが、二十余年前に、当時会員だったY・Kさんという
若い女性に促され、相模原市の公的施設を利用して、「塔」の東京西部
地区の会員向けの支部歌会を新設することになった。
現在月一度行っている「横浜歌会」の前身である。

K・Kさんは、その支部歌会の初期の頃に「塔」に入会され、お住まいが
近かったので、同時にその相模原での歌会に参加、以来、ずっと
一緒に横浜歌会に参加している、一番古い仲間である。

K・Kさんは、幼児期から目に障害をもたれていて、現在は強度の
弱視、さらに失明の危険と戦い続けておられる。現在は片方の目に
ほんの少し視力が残っている状態で、拡大読書器持参で、歌会に
ほぼ毎月参加されている。

普段「言葉がなかなか頭に入ってこない」と嘆いておられるので、
ある時「朗読を聞いてみるのはどうかしら。小説を朗読した
テープの類、結構出ているよね」と言ったところ
「う~ん、それもいいんだけれど・・・」と言葉を濁らせた後、
「わたし、漢字が読みたい!」と、きっぱりと仰られた。ああ、
そうだよなあ、きっと私も耳からの「ことば」だけだったら、
どんなにもどかしく感じることか、と思いった。安易に「朗読を」
などと口にしたことを恥じたのだった。

昨日はその横浜歌会があり、ある方の作品に「老女医」という
ことばが登場しているのを、拡大器を通して見たK・Kさんが、
「漢字ってすごいわよね。この三つの文字だけに、凄い情報が
詰まっていて、だいたいどんな様子の人物かすぐに想像できるなんて・・」
と驚きの声をあげていたのが印象的だった。

最近、私も驚くことがあった。2月25日(土)の朝日新聞朝刊の書評欄を
読んでいたら、「著者に会いたい」というコーナーに、『呪物蒐集録』を
刊行された怪談・呪物収集家という肩書をもつ田中俊行氏が紹介されて
いたのだが、その記事のなかに、

 呪うは、ネガティブな意味で「のろう」、ポジティブな意味で
「まじなう」とも読む。

と記されていたからである。同じ文字で、相反する意味を含むルビをふり、
使い分けることができるなんて・・・。と驚いたのである。
いやあ、漢字の世界は底なし沼のように深い。恐ろしい、と
想いながら、「塔2月号」をぱらぱらと読んでいたら、こんな歌が
目に飛び込んできた。その偶然に驚いたのだった。

  呪(まじな)ひも呪(のろ)ひも同じ字 前を向けと呪(のろ)ひの
  やうにかける呪(まじな)ひ    今井早苗「塔 2023年2月号」

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