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暑い日のサラダ [食文化]

毎日、発狂しそうなほどの暑さ! 我が家は多摩地区にあって、
東京の最高気温の予想が36度なら、間違いなく、36.5度以上にはなる。
庭もちりちりに干上がってきて、散歩の前に水撒きもしなければならず(汗)。

食欲も今一つ。これからもしばらく続くだろう、酷暑の日々を乗り切れるか、と
不安になるのだが。とにかく、きちんと寝て、きちんと食べる、が基本。
なので、今日は暑さを乗り切るためのサラダ、について書いてみます。

タイのバンコクには、ヤム・プラ・ムックという伝統的な料理がある。
さっと湯がいたイカと、キュウリや玉ねぎなどの野菜を、やはり伝統的な
調味料であるナムプラー(魚醤)、唐辛子粉、レモン汁で和えたサラダ。
最後に香菜(生のコリアンダー)を粗く刻んで混ぜ合わせるのがポイント。

タイの北部の古都、チェンマイには、ヤム・ウンセンというやはり伝統的な
サラダ料理があるが、こちらは春雨にエビを加えて作る。調味料はヤム・
プラ・ムックと同じで、香菜を加えるところも同じ。

昨日、買い物に出かけた折、タコを酢の物にしようかと思って購入したのだが、
帰宅してから、冷蔵庫内の食材を点検し、急遽、タイ風のサラダにすることに。

常備の春雨をつかうことにしたので、バンコック風というより、チェンマイ風に近いが、
エビの代わりに蛸を使うことになる。赤玉葱をみじん切りにし、タコは長さ
一センチくらいに切り、春雨は熱湯で4~5分茹でて、さっと流水で洗い水を切る。
香菜は粗く刻む。材料全体を計量してみると、300gくらい。
レモン汁を50CCほど入れるので、350gになる。ナムプラーの量は、
材料全体の5%ほどが基本になります。唐辛子粉はお好みで。

さっぱりとしていながら、ピリッとした辛さが楽しめ、暑い日の
食卓には有難い一品。

二十年近く前になるが、タイからの留学生が我が家にホームステイしたことが
あった。最初にお迎えした女子学生は、料理上手で、ヤム・プラ・ムックを
とても美味しく作ってくれたことが記憶にある。私がさんまの塩焼きを作ると、
骨だけ残して丁寧に食べてくれたことも忘れられない。日本の魚はおいしいです、
特に、さんまとか鯖は高くて、タイではなかなか食べられません。と言っていて。
当時、これ等の魚は日本では大衆魚だったから、ちょっと可笑しかったのを
覚えているのだが・・。
あれから、サンマも鯖も、けっこう値の張る食材になってしまった・・・。
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ザリガニの鳴くところ [映画]

評判になった映画。何しろ世界で1500万部も売れたという、同名の
小説の映画化である。題名も、どこか見知らぬ地へと誘われる感覚があり
素敵である。そして私が一番興味を抱かされたのは、かつて住んだことのある
アメリカ南東部のノースカロライナ州が舞台になっているところ。

今月、初めてWOWOWに登場したので、早速録画して観ることに。
冒頭、湿地帯近くに遊びに来た少年二人が、側の櫓から転落死したらしい
若い男の死体を発見する。うまい作りである。観客は大きな謎を与えられ、
この状況がどのような理由によるのか、考えながら映画に集中していく。

深い湿地帯は、高い木が生い茂り、その木からspanish mossと呼ばれる、
巨大な海藻状の植物が垂れ下がり、なんとも陰鬱な雰囲気を醸し出している。
NCに住んでいた頃に、州内の沼沢地に足を伸ばした事はないが、ルイジアナの
沼沢地を訪れたことはあり、その地の景色とよく似ていて、懐かしかった。

沼地で漁をしながら生計を立てている父、絵を描く母。仲の良い
姉や兄に囲まれて育つ末娘のカイア、幸せな幼児期を過ごしているかに見えた
のだが、暴力を振るう夫に耐えかねて母は家を出てしまう。
姉、兄も湿地帯を去り、父までが母の手紙に激怒して去ってしまう。
学校へも行かず、近くで雑貨屋を営む黒人の夫婦に助けられながら、
カイアは一人暮らしを続ける・・・。

この映画の主役は、何といっても、湿地帯、という特異な場所である。
人里離れた、いわば文明とは一線を画している場所。
そこに子供の頃から一人で住む女、となれば、地域から奇異な目で
観られているに決まっている。学校に馴染めなかった頃のカイアは、
汚れた格好をして、行動も不審、とみられ、いじめの対象だった。

成長した彼女もまた、弊衣蓬髪といった状態であるのが自然だろう。
それだからこそ、地域住民から疎まれ、有力者の息子だったチェイスを
殺したとしても、あるいは殺人まではしていないとしても、こんなはみ出し者
は、有罪になっても構わない、というような雰囲気が生まれそうな気はする。

だが、しかし・・。彼女は、清潔感溢れ、身なりも整っていて、とても
魅力的な女性に育っている。これには、どうしても違和感をぬぐえなかった。
だが、魅力的だからこそ、親切な少年テートに助けられて、文字を学び、
多くの書を読み、また母親譲りの画力を生かして、沼地の生物についての
見事な画譜を仕上げ、出版にこぎつける。世間一般の価値観からすると
マイナスだった成長環境を、最大限に生かして、人生を切り開いていくことに
なる。

そんな時、カイアをさんざん弄んだチェイスが死体で見つかる。
事故か事件か、わからないうちに、カイアに嫌疑がかかってしまう。

はてさて、チェイスの死亡時、編集者と打ち合わせするために遠出していた彼女に、
手を下す時間はあったのか。

最後に、暗示的な場面が流れるのだが、納得はできない。
まあ、サスペンスは大方、不自然な終わり方をするものだが。

色々と、齟齬を感じる作品だったが、娯楽ものとしては、良くできている、
と思われた。特に私は、NCの懐かしい地名を耳にすることができて、
しばらく、かの地での思い出に浸ることができた。
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オペラ・魔笛 [藝術]

メトのライブビューイング「魔笛」を観てきました!
「魔笛」は、メトのビューイングで初めて観た演目で、2017年12月、
席の予約もせず、いきなり映画館へ出かけてしまったのでしたが、
なんと、ほぼ満席に近く、一列目しか空いていなかったのでした。

画面を見上げるような位置に、戸惑ったのでしたが、それでもたちまち
素晴らしい音と映像世界に没入してしまい・・・。以来、メトの
ビューイングは、全部とはいかないまでも、かなり見ているのです。

今回の魔笛は、先先週、メトの「ドン・ジョバンニ」を観た際、
予告が流れていたので、大体の傾向は分かっていたのでした。
つまり、音楽は素晴らしい。出演者たちは、役者としても堂々たる演技ぶりで。
そこは相変わらずのメトで、きっと、期待できる。でも、でも、
演出のほうはどうなんだろう・・・、一抹の危惧が。

案の定、演出には、かなり「?」が付きました。舞台装置は、
今時の環境配慮型? とでもいうべきでしょうか。
舞台上に登場する装置は、基本的に、大きな木製の台一枚のみ。
四隅にロープが取り付けられていて、上下、前後に稼働させながら、
板は、空になったり、洞窟の入り口になったり、舞台上の
舞台にまでなったり、時に幕代わりもして。

場面の展開を導くのは、舞台の袖に、まるで紙芝居屋さんのように
陣取った一人の男性。彼はボードに字や絵を書いたり、影絵の人形を
動かしたりして、その様子はそのまま、プロジェクターで、舞台の
奥の幕に大写しされる。つまり、舞台装置の代わりをしているのでした。

これは、かなりの省力化、経費の節約につながっているはずです。
これまでのメトでいえば、大掛かりの舞台装置を、係りの男性たちが
何人も、幕が下りるたびに、舞台裏で動かしていたのですから。

効果音の係の人も、舞台の袖に登場していました。ワインの空き瓶に
水を入れて、棒で叩いたり、蛇腹状の紙を揺らしたり、ポリ袋を
くしゃくしゃさせたりしながら、舞台の音を作っているさまが、
観客に見えるのは、それなりに面白かったけれども・・・。

魔笛の主役は、その名の通り、魔法の笛。これまでの演出だと、
王子のタミーノがこの魔法の笛を与えられ、ところどころで、吹く、
というか、吹くふりをすると、オーケストラのフルート担当の奏者が
その身ぶりに合わせて演奏する、というのが普通でした。

でも、今回の場合は、フルート奏者自身が舞台に登場して、
必要な場面ごとに、タミーノから笛を受け取って、吹く、という演出。
(そういえば、今回はオケ全体が、舞台上にあるような作りでした)

これは違うんじゃないの、と一番違和感をもったところ。
それに悲しいかな、タミーノを演じる男性、歌唱力は素晴らしいものの、
ルックスは、体型は・・・。一方のフルート奏者の、なんという美男子ぶり!

観終わって、エレベータに乗っていると、乗り合わせたどこぞのおばさまが
「フルート吹いていた人、すてきだったわねえ~」と
うっとりしながら、お連れの人に話しかけていた。mmm、こういう
ところがものすごく強い印象に残ってしまうのって、どうだろう?

メトはいろいろ挑戦している。その強い意志には感服するが。
オペラはひとときの夢の世界であってほしいんだよね・・・。
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料理の言葉 [言葉]

毎日、気ちがいじみた暑さである。私の住む多摩地方では
このところ、体温越えの日々が続き、すっかりバテ気味。
でも、何か食べなくちゃいけない。外食も暑すぎて億劫なので、
とりあえず、手抜き食を考える。酷暑が来る、と予報が出た日、
図書館から「手抜きご飯」と名打った本までかりてきてあった。
相棒に渡して、「食べたいの、ある?」と訊く。何しろ、酷い
偏食屋さんなんだから(ぶつぶつ)。

「あえもの、って何? あえる、ってどうすること?」
え? ちょっと焦る。料理法として知ってはいるが、どう言葉で説明すればいいか。
「茹でた野菜とか、煮た貝とかを、調味料と混ぜ合わせたりする料理だけど」
「混ぜること? 混ぜると和えるってどう違うの?」
「混ぜる、っていうと無造作にかき混ぜるような感じがするじゃない?
和えるっていえば、食べ物を対象にしていて、丁寧に味を染み込ませる、
って感じかな?」
答えていることに、自信はない。そんなこと一度も考えたことなかったし。
そう思っていると、質問は途切れなく続く。

「きんぴらってどんな料理?」
「きんぴら牛蒡が有名だけれど、ごま油で炒めて、醤油とみりんで
味付けする料理。うちじゃ、貴方が牛蒡も人参も食べないから、茸で
作ってる。食べたことあるでしょ」
「きんぴらって名前、何から来たの?」
何だか、子供を相手にしてるみたいだ。
慌てて、近くに転がしておいた『広辞苑』を引くことに。

「あ、坂田金時の息子の金平、からついた名前なんだって。
へ~、知らなかった。金平牛蒡には強精作用があると考えられ、怪力金平の
名が付けられた・・。ふ~っむ」

「ポン酢のぽん、ってなあに?」
「ポン酢は柑橘類を使った酢だから、ポンカンのぽん、じゃないのかな」
こちらも広辞苑を捲ってみる。
「あ、語源はオランダ語のポンス(pons)だって! お転婆とか、
ランドセルと一緒だったんだねえ~」

「竜田揚げって、どんな料理?」
「お魚とかお肉に醤油やみりんで味付けして、片栗粉まぶして
油で揚げた料理だよ(学生の頃、一度家で作ってみたことがある。
最近はあまり作っていないけど。料理を始めた頃の思い出がどっと
蘇ってきて、ちょっとウルウルしていると・・)」
「竜田って名前、どこからきているのかな?」
「あ、きっと竜田川だよ、あの名歌の
 このたびは幣もとりあえず竜田川もみじの錦神のまにまに・・・」
広辞苑で確認すると、まさにその通りでした。
色彩が赤いから、もみじの名所に例えた、ってあるけど、ちょっと大げさ?

料理本から、言葉をめぐる楽しい会話に発展したのでしたが。
はて、次の手抜き料理を何にするか、決まっておりませぬ。
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折々のオペラ・フィガロの結婚 [藝術]

このところ、雑用が続いて忙しい。尋常ではない酷暑も続き、
いささかバテ気味なのだけれど・・・。今月は見たい映画が
目白押し。劇場公演のライブビューイングで、NYのメトでの
作品が二つ(ドン・ジョバンニ、魔笛)、さらにロンドンの
ロイヤル・オペラが一つ(フィガロの結婚)。特にフィガロは
相棒が、「メトでの演目にずっと入っていないから、是非、
ロンドン版で見たい」というので、時間のやりくりをしてでかけることに。

映画の興行期日は一週間、と決まっていて、最終日の13日に、
ようやく見に行けました。フィガロといえば、私たちが初めて
生の公演でみたオペラの演目(ウイーンで1989年に鑑賞)であった。
ウイーンでは二泊しただけで、切符が取れたオペラはこれだけだった。

その後、1996年に中欧を旅行した際に、チェコの歌劇場でも
フィガロを見たのだった。この時も、劇場に足を運べる日は限られていた。
何れも、偶然に導かれたようなもの。ストーリーは良く知らなかったが、
音楽のすばらしさに酔いしれた記憶は残っている。
その後は、LDやDVDで歌劇を観るようになっていった。

モーツアルトの歌劇というと、「魔笛」と「ドン・ジョバンニ」が双璧、
そして音楽通には、特に「ドン・・」の方が人気が高い、という印象が
あるのだけれど。モーツアルトらしい、明るさ、軽快さ、人間愛に溢れ、
登場人物の多彩さなどの点からいっても、フィガロはとりわけ
楽しいオペラだと私は思っている。

というわけで期待に胸震わせながら劇場へ向かったのでした。
そして、本当に、期待通りの素晴らしい公演でした!
私は、フィガロを演じたリッカルド・ファッシが素晴らしい、
と思ったのだけれど。相棒はケルビーノ役のハンナ・ヒップが良かった、
と言っていた。とにかく、色々な性格の人物が登場し、互いの個性が
ぶつかり合い、争い、そして和解へと導かれている過程がとても魅力的。

初めて見たときは自分も三十代、と若く、結婚間近のフィガロの恋人、
スザンナに心寄せながら観た記憶があるが。
今回は、夫に裏切られ続けている伯爵夫人の、愁いを含んだ歌声に
心を奪われたり・・・。演出が変わり、歌い手も変わると、作品自体が
がらり、と違ったものになるのも、オペラの魅力だろう。
特にモーツアルトの音楽は、大きな万華鏡のようで、覗くたびに違う世界が
展開していくよう。また、どこかで「フィガロ・・・」に会えますように。
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魚が食べたい [食文化]

BS朝日放送で毎週放映されている「魚が食べたい」という
番組は、二、三年前に偶然見たことがきっかけに、興味を持った。
しばらくは、気がついたときに見る、という程度だったが、相棒が
「面白そう。録画してみよう」と言い出し、今年に入ってからは、
ずっと予約状態にして、時間があるときにまとめて見るようになった。

日本のあちこちにある漁港を訪ね、その地でだけ味わえる魚、その時だけ
美味な魚をルポしてゆく番組なのだが、当然ながら相手は自然なので、
時化が続いたり、その時々の状況で、お目当ての魚にありつけなかったり、
ということもある。漁船に同乗させてもらった番組スタッフが、
酔ってしまって、仕事がうまく進まなかったりすることもあるらしい。

面白いのは、地域、地域で、工夫された漁法があること。
海に囲まれた国で暮しているんだなあ、とあらためて感じると同時に、
時間をかけて育てられてきた個性的な漁法に、瞠目させられることも多い。

沼津の漁港でだったと思うが、沢山の種類の深海魚が採れる、という
ルポがあって、こんな近海で名も知らぬ多くの深海魚が生息している、
ということに驚いたこともあった。魚好きな相棒は、興味深げに見ていて
「冷凍パックの宅配便もあるらしい」と、かなり食指が動いているようだ。

私はというと・・・。グロテスクな深海魚は、観るだけならともかく、
食べたい、という気持ちにはなかなかなれず。まして、自分で捌くなんて、
どうかご勘弁を、というところ。相棒はかなり未練がありそうだったが、
「調理するの、たいへんそうだな」と、あきらめてくれました。

釣りの得意な人は、捌きも得意な人であってほしい、とは、
多くの女性が望むところではないだろうか。釣るだけ釣ってきて
「調理して」と押し付けてくる男性もけっこう多いらしいから、
お魚好きでも、釣りをしない夫だったことに、少々ほっとしたりして。
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ミミズ [生活]

一日に一万歩は難しいが、最低3千歩くらいは歩くことにしている。
五月まではお昼頃に散歩に出ることも多かったが、このところは
暑い日が多いので、朝早く起きて、七時までには散歩を終わらせることに。

歩いていると、ミミズの死骸を頻繁に目にする。もうすっかり乾ききって、
中には車に轢かれてしまっているらしいものも・・。痛ましい。
ミミズは雨後には地表面に這い出すことが多いのだという。雨によって
土中の二酸化炭素が増加することが原因ともみられているらしいが。

  みづからの死を問ふだろうその先も はてなのかたちに干乾ぶ蚯蚓
                      岡部史

蚯蚓は土を豊穣にしてくれる大切な生き物だ。舗装路で亡くなっている
蚯蚓はどれも直径一センチはありそうな立派な蚯蚓ばかり。
這い出す力があるから、路面にまで出てしまって、結果命を落としているのか。

この二週間ほどの間に、未明に雨が降って、朝方には晴れ上がる、
という日が何日かあったせいだろうか、散歩の途中に舗装路の路面で
身をくねらせている蚯蚓に三度も出会った。三匹のうちの二匹は、
体表がかなり乾いていて、まさに虫の息、に見えたのだけれど。
とりあえず、近くの草をむしって、ミミズを載せ、植え込みの下などに
避難させることに。土をまさぐるような動作をし始めるのを確認してから
その場を離れる。無事に生きていてほしいが。

一昨日に出会った蚯蚓は、家のすぐ近くの歩道で頻りに身をくねらせていた。
まだ出てきたばかりらしく、表面がぬらぬら濡れている。植え込みに運ぶと、
とたんに動作が緩慢になり、頻りに土を探っている様子。

火の照りつける舗装路は、蚯蚓には地獄だろう。
庭に人工芝を敷き詰めたり、砂利をびっしり敷いているお宅が増えたが、
こういう土地で、ミミズは生きていけるのかな、とも考えた。
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ブラックなる麺 [食文化]

五月中旬に新潟県糸魚川市を旅したことはこのブログにも書いた。
糸魚川にはブラック焼きそばなる料理があり、B級ご当地グルメとして
売り出し中、らしい。兄夫婦が、二日目の昼に、市内の中華料理店へ
連れて行ってくれ、そこには確かにブラック焼きそばなる料理も
あったのだが・・・。

注文はしなかった。たぶん、イカの墨入り焼きそばなんだろう、と
想像はついた。となると、食後は口中が真っ黒になるはず。
お天気のいい真昼の日曜日。店内はかなり混んでいる。
食べた後、すぐに歯を磨きに行けるような状況ではなく、また、この後、
私たちはお店のすぐ近くにある、相馬御風の家を訪れる予定も立てていた。
私はごく普通のエビ入りラーメンにしたのだった(これも美味ではあった)。

翌日は、義姉の車で富山を案内してもらい、高岡の駅近くのビジネスホテル
まで送ってもらう。一人で高岡近辺を回ったあと、翌日帰京の予定だった。
駅前に、大きな「ブラックラーメン」の看板をみつけ、夕飯はそれにしよう、
と決めたのだったが。大きなロータリーを回って、ようやく看板の下に
たどりつくと・・・。なんと定休日だった。

翌日はいろいろ時間の都合もあり、ブラックラーメンにはありつけず。
駅の売店で、ようやくこんな商品を見つけた。

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ブラックラーメンがカップ麺になっているのだった。
かさばるけれど(直径が20センチ余りある、やや大きなカップ入り)
相棒へのお土産も兼ねて、二つ購入。帰宅してから、早速食べてみました。
せっかくのカップ麺なのだけれど、鍋を使って、二人分一度に煮込んで。
これがなかなか、美味でした。イカ墨がスープに使われているんだけれど、
意外にあっさり。それでいてじんわり、コクがあって。
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九相図 [藝術]

「九相」とは仏教の言葉で、人間の死骸が腐敗し、白骨化するまでの
九つの段階について観想すること、らしい。でも、単に思い描くのみ
ならず、実際にその過程を九枚の絵に描き出す、という作業も行われていた。
九相図と呼ばれ、何種類か残っていると知ったのは、ほんの数年前である。

放送大学の授業を偶々見たからで、そこでは実際の絵も映し出されていた。
中世~近世期京都の町はずれにあった死体置き場に通って描かれた、
という説明もあったが・・・。
仏教の修行中、色事に迷わされないよう、肉体のむなしさを僧徒に
解くために描かれた、とも聞いた。何だか凄惨な印象に、ぞっとしたのだが。

担当した者は最初は、吐き気をこらえるような思いで描き始めたにちがいない。
だが、描きながら、やがては、その実態に迫れることに、何か
心震えるような思いも味わったのではないか、という気もしてくる。
極端だが、例えば、芥川龍之介が『地獄変』に登場させた絵師のように。

ピーターラビットの作者、ビアトリクス・ポターも、身近な動物が
亡くなると、骨を取り出して、絵に描く、という作業をしていたらしい。
衝撃的だけれど、あのリアルな動物の姿態を描けたのは、そのおかげなのかも。

  姪の朋子は絵を描く
 死に顔を三時間おきに描きしとふ皮膚が骨に張りつく過程
                    河野裕子『葦舟』

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