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夜間の暖房 [生活]

私の暮す多摩南西部の地域は、都心より二、三度気温が低く、
特に朝晩はかなり冷え込むことが多い。

今の家を建てようと考え始めていた頃、淡路・阪神大震災が起きた。

寝ている間に倒れてきた家具の下敷きになった、という話も多く聞いたので
寝室は広めにし、丈のある家具や大きな重い家具などは置かない
ことにしたのだが。それなりに広いと暖房効率も悪い。
睡眠時の暖房はどうしよう、とかなり迷うことになった。

エアコンによる暖房は室内が乾燥するので、加湿器を併用する必要が
ある。今は静かな良い器具があるが、当時は音が気になるものが多く、
睡眠時に使うのはためらわれた。一時、石油と電気併用の温風ヒーターを
使ってみたが、匂いも音も気になって、すぐに撤去した。

睡眠前にエアコンで部屋を暖めておき、同時に加湿器も作動させて、
切ってから寝る、ということにしたのだが、三時過ぎには室内が
冷えて来て、目が覚めてしまう、という繰り返しになった。

色々と考え、電気店なども見て回り、ようやくたどり着いたのが
オイルヒーターである、ディロンギ。
まず、空気が汚れない、音がしない、細かく時間設定ができる。
なんと15分単位で、入切を設定できるのだった。これは便利!
エアコンはつけ続けるとすぐに暑く感じ、切るとにわかに寒くなる。
でも、ディロンギは、すぐには暖かくならない代わり、じっくりと
易しい温熱で、部屋を暖めてくれるのだった。
若干、電気代がかさみそうだったが、これはまあ、仕方ない。
低めに設定しておいて、寝る前二、三時間部屋を暖めておき、
夜中にもう一度スイッチが入る設定にして、節約を図ることに。
冷え性の私は、湯たんぽも併用。


これは本当に良かった。寒い多摩地区の冬を、何とか乗り越えて
来れたのは、ディロンギのおかげだった、といっていいくらい。

そのディロンギ、一週間前ほどから作動しなくなった。
調べてみると、購入したのは2010年の暮れ。十二年以上も働いて
くれていたことになる。すでに二月も末。これからは、さほど寒い日は
続かないだろう。今年の年末に、新しいディロンギを迎えることにしたい。

ディロンギ社では、使用済みの製品を百パーセント近く、リサイクル
しているらしいので、そちらへ送って、再利用してもらうことにしよう、
と考えている。これまでのやさしい暖かさに感謝をこめて。
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茎立菜 [食文化]

朝、いつものように電子版の山形新聞を見ていたら、
「茎立(くきたち)菜」についての記事が目に留まった。
山新で紹介される食材のほとんどが初耳、の私なのだが、
この「くきたち」という言葉は記憶の中にあって、はっとした。

記事によると、「春を告げる野菜」なのだとか。秋播きして、
2,30センチほど成長した後葉を落し、雪中で育つ茎の部分が美味なので、
こう名付けられたようだ。菜の花に似た野菜で、小松菜にも近い植物らしい。

さらにネットで調べてみると、一種の伝統野菜で、万葉集にも
詠まれている、とある。廣野卓『食の万葉集』(岩波新書)を開いてみると
「間引き菜(九々多知・茎立ち)」との項目に
  上つ毛野 佐野の茎立折りはやし 吾は待たむゑ来しとし来ずも
           巻14-3406上野国歌(こうずけくにうた)

とあった。茎立を「トウが立った」つまり「盛りを過ぎた女性」に
見立てて、少々おふざけで詠んでいる、と思われるような歌である。
和歌によくあるように、「茎立」そのものを詠んでいる歌ではない。

さらに、私が食べていた「くきたち」なる野菜と同じものかな、と
言う気もしてくる。単なる「間引き菜」なら、一種の普通名詞みたいだし。

子供の頃食べていた茎立は、やはり菜の花に似た味がしたような
気もするのだが、もう忘却の彼方である。ちなみに私が育った
山形県置賜地方には、「ふすべ漬け」という茎立を使った郷土料理
もあると、ネットに載っていた。ふすべ漬け???
全く覚えがない。いつもお浸しだけで食べていたような記憶しかない。

でも、雪の下で自らの葉を落してまでも、雪解けを待つ野菜がある、
なんて、ちょっと涙ぐましくて。ついここで、紹介したくなったのでした。               
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想い出のペルー [旅]

世界のあちこちを旅してきて、よく「どこが一番だった?」
という質問を受ける。即答する「ペルー!」と。
滞米時に英語の学校で知り合った、ペルーからの留学生ソフィア。
彼女がペルーに里帰りすると聞いて、一緒に行きたいなあ、と
何となくつぶやいたら、「じゃあ、一緒に行こう!」ってことに。

彼女はまだ十九歳。両親はすでにアメリカに移住していたが、
未成年だった彼女は、正式にアメリカの永住権を取得できてなくて、
定期的にペルーに帰る必要があった。実家はまだリマにあって、
父親の妹の一家が住んでいるという。その家に泊めてもらい、
マチュピチュやクスコを回ろう、ということになったのだ。

その旅は、かなり過酷なものになった。標高が高く、身体的に
きつかったこと。個人で行く、となるとなかなか思うにまかせない
ことも多くあり・・・・。
でも、まるで遠い古代の国を旅しているような、それは得難い
経験だった。もう三十数年前になるので、現在はかなり変わっている
に違いないのだけれど。クスコでは、すれ違う人たちが、テレビや
写真などで見た通りの、民族衣装を着ているのだが、決して観光用に
着飾っているわけではない。その実、彼らは少々、薄汚れている。
インディオの人たちは、入浴の習慣がないのだそうだ。
中には子供を包み込んだ大きな風呂敷を背負っている人も見かけた。

写真は、当時クスコで購入した壁掛けである。
麻の布に、毛糸で刺繍してあるのだが、それがとても素晴らしくて。
今も時々広げて見ている。

IMG_20220415_130207.jpg
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「げんげ」とは? [食文化]

いつも行くスーパーマーケット・Sは、大きくて品揃えも良いが、
難点は、魚の種類が少ないこと。いつ行っても、ほとんど同じ魚
ばかりが目に付く。先日、魚好きの相棒が、「Fに行こうか?」と
提案してきた。車で十分余りかかるところにあるスーパーで、
私の住む地域の中心部にあるショッピングセンターの中にある。

Fは面積としては小さいが、Sにはない食材を多く目にする。
こちらの難点は、駐車場へ、スーパーのカートを持ち込めないこと。
購入したものは、自分で運ばなければならず、沢山買ってしまった
先回は、車に運び込むのに難儀してしまったので、今回は
相棒がリュックを用意していくことになった。

でも、それだけのことがありました! このスーパーで、初めて
目にする魚が売られていたから。その名もげんげ!平仮名のそばに
「幻魚」と漢字も添えてありました。幻の魚と書いて、げんげ?
東北や北陸で水揚げされる、深海魚の一種らしい。
ちょっといかつい顔が恐ろしげ。尾びれがすうっと伸びているあたりは
うつぼのよう。うろこがないところもよく似ている。

購入して帰り、ネットで調べてみると、鍋物か煮つけに好適とか。
早速その晩は、げんげの鍋、そして一部を煮つけて、食べてみました。
身はとろとろで、一部が透き通っているほど。魚、というより
まるでゼリーのようでした。臭みも少なく、特にみりんと醤油だけで
煮つけた方が美味でした。ただ、見た目より実際の身の部分が少ない。
以外に骨太な魚なのでした。

スーパーFには、他にも珍しい魚があったので、また
挑戦してみようと思います。

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韓国の食 [食文化]

韓国は何度か訪れ、また二カ月ほど暮らしたこともあったが、
その度に食文化の豊かさを感じてきた。キムチと焼き肉が代表的だが、
もちろん、それだけではなく。特に冬の鍋料理などは絶品だった。
だけれども・・・。

私は昨年『砂糖をめぐる旅』という紀行文を刊行したが、砂糖産業を尋ねて
訪れた十数か国の中に、フィリピンも入っている。特にネグロス島が最も
製糖の盛んな島なので、観光地ではないだけに大変だったが、とくに計画して
十年ほど前に訪れている。

ホテルのロビーに着いたとき、多くの東洋人がたむろしているのに驚いた。
特に彼らが若かったこと。年齢はいろいろだが、下は五、六才(保護者が
付き添っている)から、十代後半~二十代で、六、七割は男性だった。
耳を澄ますと、韓国語が聴こえる。何を目的に大挙してこの島に?
さらに不思議だったのは、朝食時も夕食時も、レストランやカフェなどで
彼らのうちの誰とも会う事はなかったことである。廊下ですれ違うことも、
エレベータで出会うこともない。あの団体はどこで過ごしているのだろう。

その謎は翌翌日に解けた。ロビーで製糖工場へ行くためのタクシーを
手配してもらっていると、綺麗な日本語で話しかけてくる青年がいた。
「韓国人だけかと思ったら、日本人もいたんですね」
と驚いたのだったが・・・。彼によると、この若者の一団は、ホテル内で
ひらかれている英語の講習会に応募してきた人たちだという。

「僕も参加しています。別のビジネスホテルに泊まって、ここには
毎日通ってます。フィリピンは安く英語を教われる国として、今、
中国や韓国では人気なんです。ネグロスはとりわけ安いし・・」
と言いだすではないか。それで一つ目の謎は解けたのだが・・・。

「彼らはどこで食事しているんでしょう?レストランでは見かけないけど」
「料理人付きで来てるんです。特別な部屋で彼らだけで食べてるそうです」
「そうなんだ。最初の日にロビーで大勢過ごしているのを見たけれど、
あとは、廊下でも会わないし。プールとかにもいないし・・・。
どう過ごしているんだろうって、不思議だったんだけど」
「沢山課題が出ているから、みんな部屋に籠って勉強してるんですよ。
休憩時間もあるけど、韓国から持ち込んできたお菓子が出るらしいし」

韓国の人らしいなあ、とそこで大きくガテンしたのだった。

自国の素晴らしい食文化は、大いに誇るべきだ。けれど、しかし。
「郷に入っては郷に従え」ということもあるのではないか、とも思う。
ネグロス島のホテルに籠りっきりで、韓国食だけを食べ、韓国人同士だけで
過し、ほとんど島の様子を見ることも、島の人たちと触れ合うこともない。
それで異国語を学べるのかな、という気もするのだけれど。
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天才ヴァイオリニストと消えた旋律 [映画]

WOWOWで放映されていたものを録画して観た。
監督は「レッドヴァイオリン」なども手掛けたフランソワ・ジラール。
音楽にまつわる映画となると、途端に食指が伸びる私。楽しみに
見始めたのでしたが・・・。

時系列が何度も飛ぶので、当初はかなり混乱した。
天才と期待されたワルシャワ生れのユダヤ人、21歳のドヴィドル。ロンドンでの
デビューコンサートをすっぽかし失踪してしまう1951年の場面から始まる。

舞台は何の前触れもなく切り替わり、ヴァイオリンの修行のためポーランドを離れ、
ロンドンにやってきたたドヴィドルと兄弟のように育つ、寄宿先の息子、
マーチンの35年後へと飛ぶのである。彼は音楽の審査員の仕事をしていて。
ある少年の演奏を契機に、マーチンはドヴィドルを捜す旅に出る。
その旅と、マーチンが初めてドヴイドルと出会う1938年当時のエピソードや、
1950年代初頭のエピソードなども挟み込まれ、筋を追うのがかなりきつかった。

とはいえ、ヴアイオリンの演奏がところどころで披露され、
その旋律が素晴らしくて、私はこれを聴けただけでも満足した。
演奏を担当したのは、レイ・チェン。

失踪の秘密は、マーチンの「ドヴイドル探し」の旅の中で、
次第に明かされていく。ドヴィドルは、ナチスの手にかかって
行方知れずになったままだった家族を捜し続けていたが、
コンサート直前に、彼らの死を知ってしまったこと。
自分の音楽修業を全面的にサポートしてくれた両親と、まだ幼い姉妹。
彼は絶望のどん底におとされていたのだった。


マーチンに捜し当てられ、身勝手な失踪を厳しく非難されたドヴィドルは

命じられるまま、35年前に予定されていた通りのコンサートで演奏することを
渋々ながら受諾する。さて、弾けるのかどうか。マーチンは懐疑的にならざるを
得ないのだが。

ドヴィドルの演奏の腕は衰えていなかった。彼はたったの二週間の復習で
コンサートに間に合わせ、35年前のプログラムと同じ
ブルッフのヴァイオリン協奏曲一番を見事に演奏して喝采を浴びる。
同じく35年前に二曲目に予定されていたのは、バッハだったが。
彼はここで、全く異なる曲を披露するのである。

それは、ユダヤ教会で、自分の家族が殺害されていたと知る、
その場面で聞いた旋律である。ユダヤの人々は、ナチスに殺害された
人々の名前を旋律にして伝承していたからだった。この旋律がまた、
物悲しくて、すばらしく弦楽器に合う響きだった。

この映画の原題は「The song of names」である。
邦題はいったい・・・。

最後のドヴィドルの台詞が印象的である。

 「個」を捨てた私は、アーティストではない。
 コミュニテイの一員として、信仰、歴史、価値観、記憶を
 共有する生き方を選んだんだから。

ナチスにまつわる映画は、これからも作り続けられるのだろう。
戦後七十七年半を経て。もう、映画のネタの宝庫のようにも思えてしまう。
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題詠「註」 [短歌]

先日の日曜日は私が所属する「塔短歌会」横浜支部の歌会の日。
今月は題詠の月で、出されていたお題がなんと、「註」!
「注」ではありませぬ。先々月の歌会の時、出題担当のKさん
(男性)がこのお題をホワイトボードに書かれたときは悲鳴が
あがりました。そうだよね、もう動かしようのない「註」。

それでもみんな、とても努力された跡があり、なかなか面白い
歌会になりました。全体としては比喩として詠んだ方が多かったかな。

私は30年ほども前に、舗道の花壇を「都市の傍注」と、詠んだ
記憶があり、もう比喩の「註」は読みたくないな、と思って
しまっていました。やはり、直球勝負すべきか、とも思うけれど
なんだか意欲がわかなくて、今回はかなり困った。これまでに
作った歌と同じような作品になってしまう恐れが大だったので。

思い切って、遊ぶことにしました。その歌は

   司会の方へ:上の句は番号だけをお読みください
①韶ぐ②浣ぐ③沃ぐ④紹ぐ⑤雪ぐ⑥註ぐ⑦纘ぐ そそ(ぐ)と読める漢字を挙げよ

まあ、何の意味もない、お遊びのうたでありましたが、遊べる、と
思ったのは作者だけだったようで。
「どれが、そそ(ぐ)と読めるか、調べなかったけど」
という方も多く。まあ、面倒くさい、と言うだけのうたになっちまった
ようでした(汗)。「これで、何か得られるものってある?」という総評も。
私は知らない漢字や、読みのわからない漢字がみつかると
萌える、ほうなのだけれど、そういうのって、やっぱ変わり者?

一方で。
「註」という存在を利用して、日本社会の歪みや遅れている部分を指摘
している作品が複数出て来ていて、ああ、凄いなあ、と嘆息する。
題詠の扱い方、その多様性に気づかされ・・・。
横浜歌会のレベルの高さををあらためて思い知らされた1日になりました。
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地方紙を読む(続) [言葉]

電子版の山形新聞を購読し始めて二カ月余り。
毎朝、楽しみに読んでいるのだが・・・。

この地に生まれ、十五年も暮してきたのに、私は山形のことを
まったく知らなかったんだなあ、と気付かされることも多くあり、
子どもだったとはいえ、いったい何をしていたんだろう、と
愕然とすることしばしば・・・。特に食文化にはかなり疎かった、
と思い知らされる。

母は山形市のすぐ近く、天童市の出身だったのに。
父が新潟県の出身だったから、父の方の好みに合わせた料理を
作ってくれていた、ってことだろうか。いや、たぶん・・・。
想像する理由の一つは、当時暮していた山形南部の町が
新潟県に隣接し、食材の多く、特に、海産物、果実、野菜などを
新潟県側に頼っていたこと、が大きかったのではないだろうか。

それは山形新聞を読んでいるとさらに感じることである。
というのも、特産物として紹介される多くの食材が、地域に限定的で、
県内に普遍的に、という存在の仕方をしていないものが多いからだ。

たとえば、2月3日の紙面で紹介されていた「雪菜」。これは、
米沢藩の藩主だった上杉鷹山が、冬場の食材として奨励したとされ、
米沢市近辺で長く作り続けられてきた野菜なのだった。雪の下で成長し、
自らの葉を養分とした「とう(花茎)」が利用されるという。
いかにも雪国らしい食材なのだが、私は一度も耳にした事はなく、
もちろん食べた記憶もないのだった。

地方の人口減少に加えてこのとても狭い地域限定性が、さらに
伝統文化の継承を難しくしているんだろうなあ、と考えてしまう。
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地方紙を読む [言葉]

昨年は、山形新聞に大変お世話になってしまった。

昨年一月に歌集を発刊し、その中に山形で暮していた日々を
詠んだ作品を入れたので、山形新聞社にも寄贈したところ、
幸い、記者さんの目に留まり、Zoomでインタビューを受け、
私の物書きについての仕事内容などをかなり大きく紹介して頂けたのである。
続いて刊行した『砂糖をめぐる旅』という紀行文についても、書評を
載せて頂いたり・・・。それを目にした旧友から連絡があったり・・・。

ご縁に感謝し、昨年12月から山形新聞の電子版を購読することにした。
結構簡単に手続き出来て、毎朝、PCを開くのが楽しみなほどの
愛読者になりました。ちなみに電子版は月ぎめだと一か月2千円くらい。

一番面白く読んでいるのは、山形県ゆかりの人物を紹介する「やまがた再発見」
と題された記事で、毎週日曜日に掲載されている。
先月は何度かに渡って、佐藤寛次氏が取り上げられていて楽しかった。
戦前に活躍した農業経済学者で、私が一時席を置いていた米沢市の高校の
卒業生であり、また相棒の職場にも関係する人だったから
なおさら、身近に感じた記事だった。
先々週からは、比較文学者の芳賀徹氏が取り上げられている。幼少時を
山形で暮し、その後の活動にかの地で暮した経験が生きていた方だったようだ。

次に楽しみなのは、俳壇や歌壇。
特に俳句は、山形ならではの風土性が生きていて、こういう短い定型詩は、
小さな共同体でこそ深く鑑賞されるものなのではないか、との思いを
新たにする。たとえば

  雪囲い到来物の夕餉かな 國井寧

雪の季節が来る前、どの家でも雪囲いに追われる。ガラス戸などが
雪の圧力で割れたりする被害から守るため、板などを打ちつけて囲う。
かなりの大仕事で、その日は、食事の支度の余裕がなく、たぶん、
ご近所からの差し入れで済ませたのだろう。雪国ならではの
生活習慣と助け合いが感じられる。雪のない国では二句以下への
展開が理解できないのではないだろうか。

 除雪車の村を揺るがす夜明け前  高橋真喜子

雪が大量に降った朝、早くから活躍してくれる除雪車。
その音は、村全体を揺るがすほどで、有難いが、なかなか
安眠を妨げるものでもあるようだ。こちらも雪国の生活の厳しさを
端的に描いている。

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