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北の国の映画二つ [映画]

偶然にだが、続けて二本、北欧制作の映画を観た。
「ボーダー 二つの世界」(スエーデン、デンマーク 2018)と
「LAMB ラム」(アイスランド、スエーデンなど 2021)

「ボーダー」の方は、鋭敏な嗅覚を持つ国境税関職員の女性が主役の
サスペンスであると、予め情報を得ていたので、私は子供の頃に読んだ
『鼻ききマーチン』という物語を思い出して、ちょっと期待したのだった。
ちなみにこの物語は、学研の翻訳児童書シリーズで読んだ記憶があったのだが、
ネットで探しても、出てこなかった。嗅覚の良い少年が身の廻りに起きる
「不思議」を解決する、とかいう内容だった、と覚えているのだが。

主人公ティーナは、実際のモノに対しての嗅覚が発達しているという以上に、
人間の感情や嗜好をも読み取るという、何か超自然的な能力の類を持つらしい、
というあたりから、映画は妖しい展開を見せることになる。
介護施設に暮す父は、彼女の育ての親に過ぎず、何やら大きな出生の
秘密がある。そしてそれは、身体的な異形にもつながっているらしく・・・。
ちょっとグロテスクな展開に、驚く。
優れた嗅覚が、何か大きな犯罪を暴き出し・・・。というストーリーを
期待していた私は、すっかり度肝を抜かれてしまい・・。
なんとも言葉にできない、凄い、って言えば凄い映画でした。
正直なところを言うと、好みではない。

もう一方の「ラム」の方だが。これはアイスランドの人里離れた
山沿いで、羊を飼って暮らす夫婦の物語で、映像がとても美しい。
絶えずひんやりとした霧が流れているような、草地。遠くに見える、
雪に覆われた山。くりくりとした目の、何とも愛らしい羊たち。

小さな娘アダを失い、心に傷を負いながら、羊の世話に明け暮れる
夫婦は、ある日、生まれた羊の子が異形だったことに驚き・・・。
やがてその子をアダと呼んで、こよなく愛することになるのだが・・。

ネタバレしてしまうので、詳しくは書かないが、こちらもなんとも
グロテスクな結末が用意されているのだった。映画の分野としては
サスペンス、としてあるけれど、こういう展開なら、サスペンスとは
言えないのではないか。オカルトっぽくて・・・。

北欧の人たちって、こういう映画が好きなのかな、それとも、日本人が
好みそうだから、こういう映画を選んで輸入しているってことなのかな。
真夏の夜に、ちょっと冷気を感じるには良かったか・・・・。
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コロナ・ワクチン接種 [生活]

十日ほど前、親族の男性と連絡を取る機会があったのだが、
彼はこの暑い中、コロナに感染し、高熱も出て大変だったと言い出す。
喉の調子も悪そうで、電話の声がしゃがれて聞こえていた。
「五月に受けた六度目のワクチン接種のおかげで、この程度で済んだ」
と言い出す。私は今年の一月に五度目のワクチン接種をして以後、
ワクチンについて、とんと考えていなかった。五類に移行してから
なんとなく、「大丈夫」のような気がしてしまっていたから。

にわかに六度目について考えることに・・・。
引き出しの奥に仕舞いっぱなしになっていた、ワクチン接種券を
取り出し、ネットで、現在接種を行っている医療機関を探してみる。
すると、私の住む市では、市の中心部にあるセンターでしか行っておらず。
それも、週に一度くらいの頻度になっていた。

ちょうど8月25日の夕方の部に、少数の空きがあると知り、早速予約する。
センターに駐車場はないが、我が家からは電車で一駅で、駅からは近い。
四時近く、とはいえまだ暑く、外出は本当に億劫なのだが、仕方がない。
接種が済んだら、近くの居酒屋で生ビールを飲もう、と自らを鼓舞して
出掛けることに。会場と日時が限られているせいか、接種に訪れている人は
そこそこ多かった。でも、もう六度目なので、要領は分かっている。
すいすいと済み、五時前には、居酒屋の並ぶ通りへ出たのですが。

なんと、この早い時間に、居酒屋で飲んでいる人の多いこと多いこと!
ガラス戸越しに覗きながら、お目当てのお店まで歩いていったのですが、
途中のお店では、だいたい七、八割お客が入っていました。私が入った店も、
やはり、七割くらい席が埋まっていて。みんな暑いから、仕事そこそこで
呑んでいるのかな。こんな酷暑の下では、勤務能率も上がらないだろうなあ。
と思いながら、私もほんの一杯だけ、生ビールを頂きました。
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不思議な偶然 [映画]

もう十六、七年程も前のことになる。短歌の会「塔」の横浜支部歌会に、
初めて参加された男性がいた。二十代後半、とおぼしきNさん。
詠草も二首提出されていて、今後も短歌を続けていかれるのか、と思ったのだが。

歌会を終えると、近くのファミレスで二次会をする、というのが当時の流れだった。
Nさんも参加され、その時に、自分は今、大林宜彦監督のもとに映画の作成現場で
働いている。と自己紹介を始めた。その映画はかつて大ヒットした「22才の別れ」
というポピュラーソングを下敷きにしたものであるという。

主人公が高校生の時、恋する相手が文芸部に所属して短歌を作っている、という
設定で、歌を短冊に毛筆で書いて登場させる場面があるので、短歌について
知りたくて、この歌会に出席した、ということだった。ちなみに彼の家は
我家から歩いて行けそうなくらいに近い地域にあった・・・。

短歌を詠む人が、毛筆で短冊に作品を書く、というのは、一般的なイメージ
なんだろうか、とみんなで驚いたのだけれども。Nさんは、この歌会の会員の
人に、何首か恋の歌を詠み、それを毛筆で書いてほしい、また、映画で重要な
役割を果たしている一首も、一緒に書いてほしい、と言い出す。その歌は

  路の辺の壱師の花のいちしろく人皆知りぬわが恋妻は
                  万葉集巻十一

なんだそうだ。皆いささか呆れて、「毛筆なんて、無理」と言い出す。
我が家が彼の家に近いことや、私の母が書道をたしなんでいることもあり、
いたしかたなく、私が引き受けることになった(勿論、ボランティア)。

映画のあらすじは、その時に教えてもらったが、若い頃に好きだった女性と
結婚できなかった男が、二十数年後、その女性の娘と偶然出会い、恋に落ちる、
とかいう話で、なんだか男に都合のいい展開だな、と呆れたのだった。
とにかく母に頼み込んで、この万葉集の歌の他に、牧水の恋の歌など、
合わせて八枚くらいの短冊を仕上げてもらって、Nさん宛に送った。

その後は、特に何の連絡もなく(ちょっと、失礼だと思う)。
大林監督のこの映画は「22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語」という題で
2007年に完成されたと、ネットで知った(全国の映画館上映、はなかったようだ)。
私はその後、レンタルビデオでこの映画を観た。確かに毛筆書きの短歌の短冊が
登場する場面があったが、それは母の手によるものではなかった。たぶん、字の
イメージが違うと判断されて、誰かほかの人に依頼されたのだろう。
エンドロールに目を凝らして、映画のスタッフにNさんが登場するのを
確認しようとしたのだが、出てこなかった。たぶん、途中で降りたのだろう。

それから数年後、私は近くを散歩していた時、Nさんと一度だけすれ違った
ことがある。ああ、今何しているんだろ、と思った。ところが・・・。

先日、阿部寛主演の「とんび」を観て、エンドロールが流れているのを
何となく見ていたら、なんとNさんの名前が(なんの役割をしていたか、
視忘れてしまったが)。ああ、まだ映画作りに携わっているんだな、と
ちょっと嬉しくなった。無礼なやつだったが、頑張れ。



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宇治拾遺物語 [文学]

高校生の頃は、古文は苦手な方だった。源氏物語、更級日記、
土佐日記、平家物語・・・。冒頭の数十行を読んでみて、素晴らしい!
と感動することは確かにあったが、いずれも読了した記憶はない。
古語の言い回しが理解できず、まどろっこしく感じ、興味が持続しなかった。
分らなくなったら、現代語訳を読んで、内容を理解してから原文に戻る、
というやり方をしておけばよかったのだった。後悔すれど、時すでに遅し。

この暑い夏、もうゾンビ状態になってしまって、頭が動かない。
図書館に出かけるのさえ億劫になってしまい、自分の書棚を漁って、
積読のままになっている本や、中学生の頃に読んでいた本を読み返している。
谷崎潤一郎と芥川龍之介を拾い読みしたところで、彼らの作品に
元ネタを提供したらしい、『宇治拾遺物語』にも目を通すことにした。

すると、これがなかなか面白い。私が持っているのは、短歌を始めた頃に
購入した中島悦次校註の角川文庫版で、現代語訳はついていない。

高校生の時はほとんど理解できなかったと思うのだが、今読んでみると
結構わかる! まあ、短歌を四十年もやっているのだから、それとなく
文語的な言い回しに慣れてきている、ということはあると思われるが・・・。

分らないところはざっと飛ばし読みして、あとからネットで調べることにした。
現代語訳が読めるサイトあるんだよね。ほんと、便利な世の中になったんだ。

宇治拾遺は民話風な説話も多いのだが、下世話な内容に驚かされることしばしば。
汚らしかったり、いやらしかったり、こんなアホな話をわざわざ、と呆れたり。
当時の「三文週刊誌」的な存在だったのかなあ、なんて想像しながら読んでいる。
その間は、ちょっぴり、暑さを忘れられるし。
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Zoom歌会・塔 [短歌]

コロナが蔓延し始めて、対面歌会が次々に中止せざるを得なく
なった、三年数カ月前、私の所属する「塔短歌会」ではZoomによる
月に二度の歌会が始まった。対面歌会が復活しても、Zoom歌会は月一に
減少しながら開催され続け、今月の歌会はなんと第66回なんだそうである。

私は横浜歌会では何度も経験済みであるものの、塔主催の方のZoom歌会には
一度も参加したことがなかった。今年の四月から選者を務めることになった
ため、今月、その当番が回ってきて、初参加することに。

詠草は開催日の前々日夜に、司会担当のKさんからメールで配信された。
参加者は皆さん、とてもお若い。当然、歌歴の浅い方も多く、「塔」
入会一年未満の方が複数参加されている、ということにも少々驚く。

Zoom歌会は平日夜の8時から始まって、終了はなんと、10時(一カ月おきに
休日の昼に開催もしているが。)
このところ、10時半には寝ている私、大丈夫かな、とこの点でも
心配だった。詠草を真剣に読み、分らない言葉、あやふやな言葉は調べ、
19時45分には配信されていたZoomの接続先へ・・・。

すると「ホストの許可待ち」状態が続き、20時を数分過ぎても、
入室許可が下りない・・。何だろう、間違ってはいないはずだが。
不安になる頃、スマホに連絡が入り、なんと接続先が変更、とのことでした。

というわけで少々遅れて始まったのでしたが、みんなとても活発で
意見が次々に出て。なかなか刺激的な歌会になりました。
歌会中に眠くなることもなく・・・。楽しい二時間はあっという間に過ぎ。

来月からは、Zoom当番は選者のみならず、編集委員も加わることになったので、
私に次の当番が回ってくるのは二年近く先のことになりそう。
興味のある方は、是非、参加してみて下さい。
特に対面歌会に出席できない方、交通の不便な地に住んでおられる方や、
外国にお住まいの方など、きっと新しい発見がありますよ!
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ああ、京都 [言葉]

山形新聞に、月に二度、黒木あるじ氏のエッセイ「真夜中のたわごと」
が掲載されている。黒木氏は山形市在住の作家さんである。
本日は「ありがとう関西」という題で、関西圏での経験について。

普段はおしゃべりで鳴らしている黒木氏が、数年前京都を訪れた際、
「ずいぶんおとなしい方どすなあ」と言われ、京都の人はアクティブ
なんだろうなあ、と思いかけたところ・・・。実際は
「うるさいやつだ、少しは黙ってろ」という意味だったと知って衝撃を
受けた、という思い出話から始まる。

ここで私は、大阪育ちの相棒に
「京都で、『もう一杯お茶如何?』
って訊かれたとき、ホイホイと応じていたらあかんよ。
それは、『さっさと帰ったらどうだ』って意味なんだから」
と注意されたことを思い出した。まあ、各地それぞれだから、一概には
言えないが、京都の人って、ちょっとコワイ、と感じたことだった。

黒木氏は、先回の経験を踏まえ、関西を訪れる際に、また
勘違いしないように気をつけよう、としたのだそうだが・・・。

関西の人たちがお店でサービスを受けて立ち去る際、
ほとんどの人が「ありがとう」というのに気がついたのだそうだ。
ああ、そういえば、そうだ、と私も思い当たる。こちらは客なのに、
お金を払って「ありがとう」って、どうしてなの?
って思った記憶が蘇ってきたのだった。

黒木氏はこの習慣に心動かされ、自分も関西弁のアクセントで
「ありがとう」と返すことにした。店の人たちの表情も好意的で
調子に乗っていると、ある店で「東北からのお客?」と、見破られ、
やはり、自分の舌には山形訛が染みついている、とあらためて感じる。
もう、関西弁を真似するのはやめ、山形県人らしく
「ありがどさま」ということにしたのだとか。

山形へ帰郷するため空港でお土産の八つ橋を購入した際、これまでどおり
「ありがどさま」と声を掛けると
「キレイな言葉を使わらはりますなあ」
と返された。
はて、それは? というところでエッセイは結んである。そりゃ、もちろん・・・。

三重県出身で、京都の大学に進学、卒業後、しばらく京都市内で
お勤めしていた友人がいる。私よりかなり若い人なのだが、
「京都の人って、いじわるなんだ。もう、いやになる」
と、たびたびぼやいていたことを覚えている。
それもまた文化なんだろうなあ、古都の歴史が紡いできた文化・・・。
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アルプスの少女ハイジ [文学]

『アルプスの少女ハイジ』は、小学生の頃に読んだ記憶がある。
その頃は、女の子の名前に関心が高かったころで、この書の一番の記憶も、
「クララは可愛いけど、肝心の主人公の名は可愛くない」だった(苦笑)。
ストーリーも特に惹かれるところがなく。当時は山沿いの盆地に住んでいたので、
アルプスなんか、全くあこがれの対象でもなんでもなく。近くにいると
ありがたみって、薄いもんなんですよね。

アメリカで暮らし始めた三十余年前、まずは図書館で子供の本を
読み始めたのだが、ちょっと変わった題名の本だな、と手にとったのが
『Heidi 』。ヘイディ? ぱらぱらとめくってみて、これが
『アルプスの少女ハイジ』のことだった、と気付くまで少々間があった。
ハイジって、こう綴るんだったのか!? と驚いたのである。

舞台はスイスのドイツ語圏に属するデルフリ村、原書はドイツ語で書かれ、
私が手にしたのは、英語への翻訳版だった。ちなみに日本での初登場版は
英語からの重訳だったらしい。

2005年にイギリスで映画化された実写版の「アルプス・・」が、
先日テレビで放映されていたので、録画して観た。内容はほとんど
忘れていたので、新鮮な気持ちで見れた。ハイジが足の悪いクララの
世話をしていたのは、こういう事情からだったのか、と改めて気づいたりして。

そしてストーリーの流れが、先日見た「ザリガニの鳴くところ」と似ている、
と感じた。自然のなかに棲み、世捨て人のような暮らしをし、学校へ行かず
文字も読めない子供。あることをきっかけに、文字に触れるすばらしさを知り、
自分の住まいのある地の特殊性を生かして、生きていこうと決意する。

「ザリガニ・・・」とは異なり、「アルプス・・」の方の少女は、
「作家になりたい」と希望を公言することで、将来を暗示するにとどまるが。
はたから見て、大きな障害に見えることを逆転させて生きる、ということが
主題になっているように思われたのである。きちんと、「読みどころ」を
捉えていなかったんだ、と残念に思うと同時に。

子供の頃を振り返ると、主人公の名前が、もう少し愛らしかったら、
もっと気合入れて読んでいたかも、なんて考えたりしたのでした。
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山形の味・だし [食文化]

十年くらい前からだろうか、スーパーで「山形名物・だし」なる
食品を見かけるようになった。私は山形県南西部で中学生まで
暮していたけれど、「だし」という料理は全く知らなかった。
母は山形市近くで生まれ育ったのに、我が家で話題になったこともない。
母も偏食家だったから、嫌いで避けていたのかも。

スーパーのパック入りの「だし」は、細かく刻んだ野菜を調味料に
漬け込んだもののようで、見かけはどうもぱっとしない。特に食指も
動かないまま、ずっと購入するに至らなかった。まして作り方を調べて
自分で作ってみようなどと思うこともなかったのだけれども。

四月に米沢に行った時、散歩中に立ち寄ったスーパーで「だしの素」なるものを
みつけ、その時の気分で購入してしまった。こちらのスーパーで見る
パック入りのものより、この「だしの素」の袋に印刷されている
写真の「だし」が、実においしそうだったこともある。

それでも米沢から帰京して三か月余り、仕舞いこんだまま忘れていた。
この暑さの中、パントリーの中を整理していて見つけ、「あ、暑い時には
だし、は食欲を促進するかも」と思ったのだった。ずっと以前、住んでいた
家の隣の奥さんは山形県上山市の出身で、「夏は、だしを掛けたご飯が
いちばんおいしい。うんと暑い時は、それくらいしか食べられない」
と言っていたことを思い出したのである。

それで作ってみました。って、「だしの素」には、あらかじめ、乾燥させた
オクラ、みょうが、あおじそ、だだちゃ豆、昆布などがはいっているので、
ぬるま湯で戻した後、胡瓜のみじん切りと混ぜ合わせるだけなのだったが。

兄が庭で採れた茗荷をたくさん送ってくれていたので、そのみじん切りも
混ぜ合わせて出来上がり。冷やすとよけいに美味、とあったので、
冷蔵庫にしばらく寝かせた後、夕飯の時に食べてみた。
なるほど、昆布から滲みだす柔らかい塩味が野菜をほんのりと包んでいて
ご飯にかけると、知らぬ間に食が進んでいるのだった。

米沢のYさんから頂いた『おきたま伝承料理集』にも「だし」の
作り方が載っていて、こちらは昆布や豆は入らず、長茄子のみじん切りが
使われているものでした。次は「おきたま方式」で作ってみることにしよう。

岡山出身、関西在住の短歌の仲間が、「スーパーにあると買ってくる」と
言っていたので、山形の「だし」、今では全国区なんですね。
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折々の絵本・かがくいひろし [藝術]

先日のEテレ「日曜美術館」で、絵本作家のかがくいひろしを
特集していた。私も大好きな作家。最初は半分しか見る時間を取れず、
再放送まで見てしまった。五十歳で教員を退職、絵本作家として活動し始めて
わずか四年程で、癌で急逝されてしまった。その間に刊行された絵本、十数冊、
いずれも再版を続けている、ということも凄い。

何といってもだるまさんシリーズが有名で、小さな子供たちが、たちまち
とりこになる様子が、テレビでも繰り返し流されていた。その魅力は、
どんなところにあるんだろう。なんとなくわかる。でも、言語化して
しっかりと認識しているような状態ではなく。日曜美術館を見て、一か月ほど、
頭のどこかにぼんやりと、かがくい作品が残ったままだったのだが。

昨日、余りの暑さに何もできず『谷崎潤一郎犯罪小説集』をぱらぱらと
読んでいたのだが。集中の「柳湯の事件」という作品で、はっとした。
この事件の主人公は、あまり売れていない画家。彼が通りがかりに入った銭湯、
「柳湯」で、混雑した湯船の下に、なにやらぬらぬらした、うなぎのような、
蛙の死骸のような、海の藻のようなものが存在することに気がつき、
足の裏でなんども確かめ、踏みつけ、両手で引き揚げようとまでする。
その奇怪な悪戦苦闘の様子が、微に入り細に入り描写されるのである。
(ちなみに、これは主人公の幻覚、らしい)

  僕の画いた静物を見ればお分かりになるだろうと思いますが、何でも
  溝泥のようにどろどろした物体や、飴のようにぬらぬらした物体を
  画くことだけが上手で、そのために友達からヌラヌラ派という名称さえ
  もらっているくらいなんです。
              谷崎潤一郎『柳湯の事件』

ここを読んだ時、かがくいひろし作品のだるまさんシリーズの絵が、
ぱっと浮かんだ。あのだるまさんの曲線。だら~りと垂れたり、
ぬらーりと地面に伏したりするポーズが、思い出されたのである。

かがくい作品のあの曲線はとても魅力的だ。子供は、ごつごつしたものは
基本的に受け付けない。あのゆったり、だらーり、ほどよい湿度も感じられる
柔らかい線にまず引き付けられる。もちろん、かがくい作品にはほかにも
多くの魅力がある。でも、基本はあの、ゆるやかな曲線なのではないか。

『柳湯の事件』で、谷崎は、これでもか、これでもか、とばかりに、
わけのわからないぬらぬらとした感触を描き出す。きっと彼も、ただひたすら、
曲線の感触が好きだったんだろうなあ、と思われてくる。この短編に、犯罪の
匂いはしない。ただ作者がこだわった、不定形の物体の表現、その筆致に
圧倒されるのみである。

そしてかがくい作品に思いが及ぶ。まだまだ、絵本を作り続けたかったことだろう。
ぬらぬら、どろーり、くねくね、もくもく、には不思議な生命力が詰まっているから。  
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折々の作家・江戸川乱歩 [文学]

乱歩に一番夢中になっていたのは、小学校六年生の時。
父の会社に併設されている図書室は、六才くらいから利用していたのだが、
六年生になる頃、ここに乱歩全集(光文社、或いはポプラ社)が入ったのである。
子どもたちの間で、大人気になり、棚はたちまち空っぽになる騒ぎ。
返却コーナーに張りついている子も多く(私もその一人)、奪い合うように借りていた。

『緑衣の鬼』『幽霊塔』「黒蜥蜴』などを読んだ記憶があるのだが・・・。
両親はあまりよく思っていなかったようで、何しろ表紙からして、かなり
おどろおどろしい絵だったような・・。母が特に不機嫌になるので、
図書館で借りるとすぐに、その場で読んでいたような記憶もある。
凄く怖い内容だと、夜うなされたりして、ばれちゃうのだけれど。

乱歩の長編を数冊読んだところで、近所に住む少し年上の男の子が
「これの方が、ずっと面白いよ」
と、借りてきた本をまた貸ししてくれたことがあった。
また貸しはいけない、と聞いていたのでためらったのだけれど
「長編じゃなくて、後ろについている短い方。すぐに読めるよ」
というので、立ち読みしたことだった。乱歩の『心理試験』である。

乱歩って、こういう小説も書いていたんだ、とちょっと驚いたのだった。
そして、これを勧めてくれた男の子をちょっぴり尊敬したことだった。
何しろ、私が夢中になっていたいわゆる「通俗長編」(この言葉は
当時は知らなかったが)とは一線を画し、『心理試験』には、何か
とても奥の深い、知的なものを感じたからである。
凄いな、と思いながらも、やはり長編を多く読んでいた私だったが。

本棚を整理していたら、大学卒業頃に購入した『江戸川乱歩傑作選』が出てきた。
『心理試験』の他に、『二銭銅貨』『D坂の殺人事件』『人間椅子』
『赤い部屋』などが収録されている。

大人になってからは、私は乱歩の長編は、ほとんど読んでいない。
でも、この『・・・傑作選』は何度か、繰り返し読んだ。
そして昨日もまた、久しぶりにいくつか拾い読みしてしまった。
今では想像もつかないような、設備や道具仕組み、建物の構造などを
知らないと、理解できないであろう部分も多々あり。
大正期の薄暗い都市の襞のようなものに、分け入っていくような感じが、
さらに怪奇さを増幅するような気がする。
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