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霜月の京都 [旅]

今年の11月は、めちゃくちゃ忙しい月になった。
雑用も多かった、というかまだ続いている。

その一つに、11年間乗り続けた車を買い替えたことがある。
免許を返上している同級生もいるけれど、少なくとも、あと数年は乗りたい。
遠出はしないし、買い物や通院などに使うだけだし、ということで。
ギアの位置が床面からハンドル脇に移動していて、まだちょっと戸惑っているが。

さらに、私が所属する「塔短歌会」の選者会議・編集会議が行われたこと。
編集会議は六月と十一月に行われていて、六月の方はオンライン方式。
十一月の方は京都で対面方式、コロナ禍で一時こちらもオンラインに切り替えられたが、
昨年からは通常のやり方に戻っている。午前中に選者のみによる選者会議、午後からは
そこへ編集委員が加わって編集会議。
私は今年から選者になったので、選者会議は初参加、である。

十一月の京都は、紅葉シーズンで、観光客で込み合うので、あまり
行きたくないのだけれど、塔の会議は、こんな風に海外からの観光客が
殺到するようになる、ずっと以前から組まれていた年間日程の一つなのだった。

案の定、京都駅に着くと、信じられないほどの人波に、目が回りそうになる。
新幹線の出口付近も、大きな荷物を持った観光客でごった返していて。
かき分けるように地下鉄改札に進む。駅員の話す、大声の英語が聞こえてくる。
会議三十分以上前に京都に到着したのに、会場では、ほとんどのメンバーが揃っていた。
そして、なんと、予定より少し前に、会議は始まった。「塔」はいつも時間厳守!

会議終了後、有志で、小さな飲み会を行うことに。
地下鉄駅にほど近い、地下にある居酒屋。入店が五時少し過ぎだったので、
お客はほとんど入っていない。ああ、空いていてよかった、と思ったのはつかの間。
どのテーブルにも「予約」の札が置いてあり、奥の方にようやく人数分の席を確保。

しばらくすると店内はほぼ満席になった。入り口近くには二十人くらいの
西洋人の団体さんが占め、あちこちから中国語も聞こえてくる。
京都で、普通の生活をするのは大変かも、と思えてきた。
コロナで、閑散としていた京都は寂しかったが・・・。
なかなか、ほどほどって、難しいんですよね。でも、久しぶりに
仲間たちと杯を交わせたのは嬉しかった!
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みそ・しょうゆ [食文化]

我家では、朝は基本的にパン食ということもあり、夕食に必ず味噌汁を
作ることにしている。その時に使う味噌は、スーパーなどで簡単に
入手できる、ある信州みそ系に八丁味噌を一割くらい加えたもの、を使っている。
具材によって、この二つの味噌の割合を変えることはあるけれど。
あれこれ試した結果、毎日の食卓に、最も飽きない味+入手しやすい、
お値段が手ごろ、と言った理由からである。

醤油となると、こちらも毎日欠かせない調味料なのだけれど、味噌以上に
選択肢が狭まる。何しろ、我が家が日常的に利用しているスーパーでは、
K社とY社の醤油が八割を占める。いや、周囲に点在する他のスーパーでも
醤油の品ぞろえは、かなり型通りで、ほとんどの家庭がこの二つの
メーカーのものを使っているのではないだろうか。

数日前、山形新聞電子版を読んでいたら、やや小さめな見出しで
「県醤油・味噌品評会」という記事が載っていて、目を見張った。
醤油や味噌が、県内各地で作られていること。その味は製造所によって
異なっているらしいこと。品評会が行われるほど、そうした差異に対し、
県民が関心を抱いているらしいこと、に驚いたのである。

各製品の、味や香りや色彩などについて評価され、表彰された各製品が
紹介されているのだが、その名前もなかなか凝っている。

県知事賞を獲得した醤油は、 「味の司」(高畠町の醤油店産)
同じく味噌の部では「月山 山吹みそ」(寒河江市の製造所産)
他に、醤油技術センター知事長賞、醤油・味噌工業組合賞などが
もうけられていて、受賞作品には、「深紫」「さしみ」「山形雪っ子みそ」
などという名前の製品が並んでいた。どんな味なんだろう、想像すると
なんだか、楽しくなる。
東京は何でも効率的で、それによって得るものもあるが・・。
失っているものも多いはず。それに気づかずに生きているんだろうなあ、
とぼんやり思った。
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西部劇だが [映画]

BSプレミアムは、週末を除き、毎日午後一時から映画を
放映しているが、金曜日は西部劇であることが多い。他の曜日の
映画はほとんど見ているのに、金曜日の映画だけは見ていない、という
ことが多い私。西部劇というと、何か一つの型に嵌められている、そんな
印象が強くて、これまであまり積極的に見てこなかったからである。

「他に見たい映画ないし」と、消極的選択で録画したのが「西部無法伝」
題からして、何とも、型通りで鑑賞意欲がいよいよ減退しそうなのだが。

冒頭の原題を見て、「なんだ?」と大きな疑問が湧く。「Skin Game」とは。
見始めてから、「あれま?」と驚き、次第に引き込まれていった。
黒人のジェイソンは、白人のクインシーに奴隷として所有されている。
南北戦争直前、クインシーは南部や中西部の町を回り、競り市にジェイソンを
売りに出す。勤勉で健康な奴隷で、自分も売りたくはないが、と大げさな
芝居をした後、高値を付けた客に売り払い、その後、ジェイソンは買主から
こっそりと逃げ出す。二人はその後も合流し、同じ詐欺を繰り返すのだ。

制作年を見ると、1971年で、なるほど、西部劇が劇的に変わり始めた頃の
作品である。いや、この映画は確かに西部を舞台にはしているが、かつての
「西部劇」とは全く異なるもの、と言えるのではないだろうか。

二人の掛け合いが面白い。肌の色は異なるが、二人の間に上下関係はない。
ただ、人目があるところでは、絶えず「奴隷と主」という演技を続ける。

そんな詐欺の二人に、さらに上をいく女詐欺が加わる。西部にも奴隷制に
反対する人たちが増え始め、二人の詐欺活動はそろそろ、無理な段階に
入ってきている。特にジェイソンは自分がモノのように売買される立場に
不満を募らせるようになってきて・・・。

筋はコミカルに小気味よく進み、それでいながら、心理的は、ずっと
シリアスな流れを保って、映画は展開する。そのバランスの良さが
この映画のもっとも賞賛すべきところだろう。

昨夜、久しぶりに「風と共に去りぬ」のDVDを、少しだけ観た。
黒人はこんな風に描かれていたんだな、とちょっと衝撃的だった。
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未踏のスペイン [旅]

スペインには行ったことがない、というと相棒が強く否定してくる。
(ちなみに、相棒の方は一人でスペイン国内の複数の都市を旅している。
まだ私がお勤めしていて、長い夏休みは取れなかった頃のことだ。)
こんな単純なことが、全く正反対の見方となってしまう、その訳は。

もうだいぶ前のことになるが、モロッコを旅した折のこと。
ベルギー経由で帰国するはずが、予定していた飛行機が欠航になり、
散々待たされた後、バルセロナ経由の便を代替便として用意され、
結局バルセロナに一泊してからベルギー経由で帰国することになった。
その時に、確かにバルセロナ市内のホテルに泊った、というか泊まらされた。

バルセロナの空港に着いたのは夜の十一時近く。
更に手配してもらったホテルは、空港から車で三十分近くかかり・・・。
ホテルに落ち着いたときは、完全に翌日になっていた。ところが、
ベルギーからの日本への直行便(当時、サベナ航空が成田に乗り入れていた)に
間に合わせるためには、午前四時にはホテルを出なければならない。
というわけで、私たちがこの時、バルセロナに滞在していた時間は
ほんの数時間である。ベッドに横にはなれたが、全く眠ることはできず。

おまけに私は、モロッコで食べたものが何かお腹に当たってしまったらしく。
体調不良で、フラフラだったのである。バルセロナで覚えているのは、
トイレの壁紙の模様くらい・・・。

「私、スペインには行ってないんだよね」
「勿論、行ってるじゃないか。ホテルで一泊して、トイレにも行った」
と、意見はかみ合わないままなのであった。
 

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対談・鼎談・座談会 [言葉]

短歌のシンポジウムなどで、対談や鼎談、それ以上の人数の座談会など、
これまで何度も拝聴する機会があったけれど、概して対談は面白く、
成功しているな、とおもわれる例が多い割に、人数が三人以上の場合は、
「?」、あるいは完全に「残念」となる例も多い印象がある。なぜだろう。
参加者各自の興味が食い違い、なかなか一つのテーマを詰め切れない、
各自にどうしても自分の得意分野へ話を引き込もうとする力が働き、
話が拡散するというせいである場合が多いように感じる。

では、どうして三人、四人の話者による座談会が組まれるのか。
それは、二人だけだとどうしても視野が狭くなりがち、ということがあるから
ではないだろうか。ここに一人、二人が加わることで、話の内容に客観性が
生まれる、はず。でも、進行は難しそうだ・・・。

そんなことをぼんやり考えながら、用事を済ませた帰り近くの公園を通りかかったら、
中学生らしい二人の男子がバレーボールの練習をしていた。互いに投げ上げ、
相手がそれを受け、軽くかえしたり、ときどきアタックも入れて・・・。

そこへもう一人加わった。三人で平等にボールを回し合っていたが、途中から
二等辺三角形の形になり、頂点に立つ一人が、二人へ交互にボールを渡す、
という形にし始めた。頂点の一人がアタックし、受けた相手のボールが
横や後ろに逸れると、もう一人がカバーに入る。ああ、鼎談って、
こういう形になるのが理想かも、と見ていて興味深かった。

最近読んだ綾辻行人『セッション』(集英社文庫)は、かなり面白かった。
綾辻が同じサスペンスの分野の作家らと対談(時に鼎談)した内容を
纏めたもので、対談相手は宮部みゆき、篠田節子、大槻ケンヂ、法月綸太郎、
北村薫、ら、錚々たる面々が並んでいる。養老猛司とか、ちょっと毛色の
違う人も登場させていて、いずれもめっぽう面白い。

書名は『セッション』だけれど、ほとんどの場合、綾辻氏対誰か。
たまにもう一人加わって三人。「セッション」的、つまり多重的な
効果が発揮されていると思える項は少なかった。
この書全体で、セッション、て意味だったのかな。

京極夏彦氏との対談で、京極氏が次のように発言されたのが面白かった。

 ・・・私のタイトルは上半分が漢字でいうと「へん」に当たりまして、
 下に付く一文字が「つくり」になるわけです。妖怪を表わしたい、というのと、
 もう一筋ありまして、そちらはあまり公言はいたしませんが・・・
 どちらも欠けては成り立たないという部分なんですけどね。・・・どっちかで
 引っかかって頂ければ・・私は本望です。「魍魎」で引っかかっていただいても、
 「匣」で引っかかっていただいても・・・

すると、司会をしている人だろう(編集部のひとか、名前は登場せず)
 「の」に引っかかる人もいるかもしれない(笑)。

と茶々を入れている。これに対し、京極氏は

 ・・・もっともうるさい人かもしれませんね。

と応じていた。鼎談の形ではなかったが、こういう一人が加わることで、
ぐんと面白くなる。そういう参加の仕方って、あるなあ、と考えた。
それにしても、自著のタイトルを「偏」と「旁」に例えるなんて・・・。
思わず、漢字の成り立ちや意味について、考えてしまった。私は京極氏の本は
ほとんど読んでいないが。相棒は熱狂的ファンです、綾辻さんの方も。
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熊・2023 [生活]

連日、熊に関するニュースがメディアに登場している今年の秋。
例年にはない頻度で、熊が人間の生活圏に入り込んで来ているからのよう。
山形新聞電子版を読んでいても、出没のニュースは毎日のこと。時には
被害も報告されていて、普段の生活が脅かされている様子が伝わる。

理由は、今年の夏の異常な暑さでドングリなど山の実りが少ない、
海水温の上昇に伴って鮭などの川や海の食べ物が減っている、
熊の個体数が増えている、人間の活動圏が熊の生息地に食い込んでいる、
などなどが考えられるようだ。理由は一つに絞られるものではないだろう。

人間の生活を一番に考えるべきところなので、ある程度の駆除は
やむを得ないと思われる。昨日、熊の駆除に当たっている人が
ニュースに登場、「里に出てくる熊は、山にいる熊とは異なる生き物。
粛々と駆除し、自然からの贈り物として、余すところなく活用する」
と発言しておられた。熊に対するこの姿勢は評価したいところだ。
ただ、子熊を連れた母熊が頻繁に出没していて、彼らが痩せているところを
見ると、心が締め付けられそうになる。何とか、共存できないものか。
橡や栢など、ドングリの成る木を多く植えて、熊のえさが確保できるような、
そういった森づくりも、一つの対策にはなるのでは、と思われる。これは
一朝一夕にはいかないことだけれども。

熊の出没が伝えられている山形新聞だが、毎日一句ずつ掲載の「四季の杜」には
こんな俳句が紹介されているのが目に留まった。

  喰ひ急ぎたる熊棚か落ちさうに 中坪達哉

熊棚ということばを知らなかった私。添えられている解説には
「木登りの得意なツキノワグマは、樹の上で枝を折り、採食すると
その枝を自分の尻の下に敷き、座りを安定させながら、さらに別の
枝を折って採食、立ち去ると、樹上に鳥の巣状の『ざぶとん』が
できあがる」それを「熊棚」と呼ぶそうな。秋の季語だという。

採食の途中に何か起き、その木をあきらめ、慌てて去ったようだ、
熊棚が落ちそうになったままにしてある、と言う句。なるほど・・・。
俳句の語彙の豊かさは、そのまま、日本の自然の豊かさなのだった。
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砂の家 [文学]

山形新聞には「気炎」という八百字足らずの小さなコラムが
あって、数人の筆者が回り持ちで書いている。昨日のこの欄は
「『砂の女』の家」と題して、安部公房の『砂の女』が一枚の写真から
着想を得て書かれた小説であることを紹介している。
その写真とは、日本海に面した庄内砂丘の、飛砂被害の激しい地区に
建てられた家が撮影されたもので、砂の間から屋根だけが出ている
モノクロ写真、というから、何ともシュールなのだが・・・。

筆者の森山海人氏は、その写真の撮影された酒田市浜中の出身で、
昭和四十年代半ばに建て替えられる前までは、まさに小説に登場するような、
「砂底の家」で生活していた、とあって、驚かされた。
家全体が路面から1,5mほど下の低地に立てられていて、路肩から土の
階段を降りて、小さな庭を通って家に入る、とある。

私が『砂の女』を読んだのは三十代の終りころ、と思い出し、書庫を
探って件の書を引っ張り出してみると、昭和五十六年発刊の新潮文庫の
平成元年に刊行された第二十七刷版だった。ちなみにこの書の書き下ろしが
発刊されたのは、昭和三十七年、1962年のことである。

初めて読んだ時、まるでホラーだ、と心底恐ろしくなったことを覚えている。
勿論、純文学として高い評価を得て、刊行間もない1964年には英訳され、
さらにチェコ語やフィンランド語など、二十数か国語へ訳されて、世界的な
評価を得たことはよく知られている。でも、私にはほとんどホラー小説として
強く印象に残っていた。

昨日、山新の「気炎」を読んで、その砂の家の実在を具体的に知ってから、
私がなぜこの書が心底恐ろしかったのかが、ようやく腑に落ちた。あの砂の家は、
子供の頃に暮した豪雪地で暮した家に酷似するからだと・・・。
掻き出しても掻き出しても降り積もってくる雪。降り続け、すべてを
覆い尽くそうとする雪に、窒息しそうになったあの日々が、『砂の女』の家で
展開される日々と相似する、と感じたのだ。

森山氏の文章は
 彫られた土地に鎮座する幾つもの家の佇まいは、自分たちは気が
 つかなかったが、とても珍しい風景だったかもしれない。

と結ばれている。その景色から、あの一編の小説を構想した、
作家の力量を思うのである。
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折々の作家・フィッツジェラルド [文学]

フィッツジェラルドの『華麗なるギャッツビー』は、先ず
映画を観てから小説を手にしたような記憶がある。映画製作は1974年。
日本公開後まもなく見に行った当時の同僚が「良かった!」と感動して
いたのを覚えている。私はそれから十年近く後、たぶん、レンタルビデオで
見たのではなかっただろうか。それから野崎孝訳の新潮文庫版を購入した。
奥付を見ると、初版は1974年、つまり映画公開に合わせて発刊されたようだ。
私の手にした本は1984年刊の第二十五刷版で、かなり売れたことがわかる。

でも読み始めて、すぐに躓いたことを覚えている。なんだか意味不明の
部分がかなりあるのだ。訳文はだいたい読みにくいが、この本も例外でなく。
そのまま書棚に放り込みっぱなしにしてあったが。あれから二十年余り後。
村上春樹が新訳を出版した。それを読みたいと思いつつ、だいぶ日が経って
しまったのだが。先ごろ、ふっと思い出して、村上訳と野崎訳、そして
アメリカで購入していた原書の三冊を並べて、読み比べてみた。

ちなみに、原書も購入した当時読みかけた記憶があるのだが、
かなり含みのある、読み取りにくい文章で、たちまち挫折したのだった。

たとえば、冒頭近くのこの文章、

 ひとつには、読むべきものがたくさんあり、それに溢れるばかりの健康は、
 無理にも引き止めなければ、若々しくもかぐわしい外気の中に飛び出して
 行こうとする。僕は、銀行業務や・・・に関する本をいっぱい買い込んだが、
 ・・・・・・結局のところ人生は、一つの窓から眺めた方が、はるかによく
 見えるのである。        野崎訳


このあたり、おおまかにはわかるものの、うまく気持ちの流れが掴めない
文章である。読書に集中したいのか、それとも? 原文の方は、

 There was so much to read, for one thing,and so much fine health to be
pulled down out of the young breath-giving air. I bought a dozen volumes
on banking ・・・・ life is more successfully looked at from a single window,
after all.

村上訳の方は、

 まずだいいちに、僕には読むべき書物がやまほどあったし、溌溂とした
 若々しい空気から、はちきれんばかりの健康をもぎとらなくてはならな
 かった。銀行業と・・・・ 人生というものは詰まるところ、単一の窓から
 眺めた時の方が、遥かにすっきりして見えるものなのだ。  
                  村上春樹訳(中央公論新社)

村上の訳文の方が、登場人物の気持ちの流れに沿っている、といえるだろうか。
でも、「若々しい空気から、はちきれんばかりの健康をもぎとる」という言い回しも、
日本語としてこなれている、とは言えない気がする。

 読むべき本がたくさんあり、さらに、初夏の若々しい空気から健やかな気力も
 得ることができた。

あたりが、矛盾なく収まるのではないだろうか。ちなみに「初夏」は、その前段の
内容から季節が分るので、加えてみたのだが、どうだろう・・。

翻訳は難しい。でも逐語訳的に、正確を期そうとすると、流れを見失う。
読者は、話者(作者)の気持ちに寄り添い、話者に成り代わって、書物の
世界を追体験するものなのだ。そんな読者のための翻訳こそが求められる
ものではないだろうか。ちょっと、偉そうになってしまいました(苦笑)。
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