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対談・鼎談・座談会 [言葉]

短歌のシンポジウムなどで、対談や鼎談、それ以上の人数の座談会など、
これまで何度も拝聴する機会があったけれど、概して対談は面白く、
成功しているな、とおもわれる例が多い割に、人数が三人以上の場合は、
「?」、あるいは完全に「残念」となる例も多い印象がある。なぜだろう。
参加者各自の興味が食い違い、なかなか一つのテーマを詰め切れない、
各自にどうしても自分の得意分野へ話を引き込もうとする力が働き、
話が拡散するというせいである場合が多いように感じる。

では、どうして三人、四人の話者による座談会が組まれるのか。
それは、二人だけだとどうしても視野が狭くなりがち、ということがあるから
ではないだろうか。ここに一人、二人が加わることで、話の内容に客観性が
生まれる、はず。でも、進行は難しそうだ・・・。

そんなことをぼんやり考えながら、用事を済ませた帰り近くの公園を通りかかったら、
中学生らしい二人の男子がバレーボールの練習をしていた。互いに投げ上げ、
相手がそれを受け、軽くかえしたり、ときどきアタックも入れて・・・。

そこへもう一人加わった。三人で平等にボールを回し合っていたが、途中から
二等辺三角形の形になり、頂点に立つ一人が、二人へ交互にボールを渡す、
という形にし始めた。頂点の一人がアタックし、受けた相手のボールが
横や後ろに逸れると、もう一人がカバーに入る。ああ、鼎談って、
こういう形になるのが理想かも、と見ていて興味深かった。

最近読んだ綾辻行人『セッション』(集英社文庫)は、かなり面白かった。
綾辻が同じサスペンスの分野の作家らと対談(時に鼎談)した内容を
纏めたもので、対談相手は宮部みゆき、篠田節子、大槻ケンヂ、法月綸太郎、
北村薫、ら、錚々たる面々が並んでいる。養老猛司とか、ちょっと毛色の
違う人も登場させていて、いずれもめっぽう面白い。

書名は『セッション』だけれど、ほとんどの場合、綾辻氏対誰か。
たまにもう一人加わって三人。「セッション」的、つまり多重的な
効果が発揮されていると思える項は少なかった。
この書全体で、セッション、て意味だったのかな。

京極夏彦氏との対談で、京極氏が次のように発言されたのが面白かった。

 ・・・私のタイトルは上半分が漢字でいうと「へん」に当たりまして、
 下に付く一文字が「つくり」になるわけです。妖怪を表わしたい、というのと、
 もう一筋ありまして、そちらはあまり公言はいたしませんが・・・
 どちらも欠けては成り立たないという部分なんですけどね。・・・どっちかで
 引っかかって頂ければ・・私は本望です。「魍魎」で引っかかっていただいても、
 「匣」で引っかかっていただいても・・・

すると、司会をしている人だろう(編集部のひとか、名前は登場せず)
 「の」に引っかかる人もいるかもしれない(笑)。

と茶々を入れている。これに対し、京極氏は

 ・・・もっともうるさい人かもしれませんね。

と応じていた。鼎談の形ではなかったが、こういう一人が加わることで、
ぐんと面白くなる。そういう参加の仕方って、あるなあ、と考えた。
それにしても、自著のタイトルを「偏」と「旁」に例えるなんて・・・。
思わず、漢字の成り立ちや意味について、考えてしまった。私は京極氏の本は
ほとんど読んでいないが。相棒は熱狂的ファンです、綾辻さんの方も。
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