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ゆかたデート [短歌]

私が所属する短歌の会「塔」の会誌は作品評の頁が充実していて、
前々月の会誌掲載の作品について、三十頁にも渡って評文が載る。
千人以上もの会員の作品を全部読むのはしんどいので、二カ月遅れの
この頁はかなり有難い。一人の筆者の目から選ばれた歌、という
限定はあるが、逆に各筆者が、どんな歌を選んで評しているのか、という
楽しみも加わる。

今月号の中では、こんな作品、作品評に目が留まった。

  そういえばゆかたデートを比較的見なくてすんだ三年だった
                 相原かろ「塔23年11月号」

採り上げられたのは、月集評担当の森永理恵さん。隅田川花火大会が
四年ぶりに開催されたことに触れ、ゆかたデートが単に姦しいからか、
あるいは、(作者に)ゆかたデートにまつわる何か、ほろ苦い思い出でも
あるのか、と書かれている。評にも、作品にもちょっと、くすっと笑える。
それはやはり「見なくてすんだ」という皮肉な口調が齎したものだろう。
それに、ゆかたデートは花火大会限定のものではない。

私が初めてこのゆかたデート風の光景を目にしたのは、十年近く前に
川越に出かけた時。宿場町の雰囲気を残す一帯を歩いていると、浴衣姿の
カップルが次々に行き交う。話している言葉は、中国語だったり、
韓国語だったり、青い目のカップルも。で、町なかの浴衣姿のカップルは
日本の着物に憧れて、千載一遇のチャンスとばかり、貸衣装を
まとっている外国人、と思っていた。

その後のコロナ禍で、外国人観光客がほとんど来日しなくなって、
見かける数は減ったものの、浴衣姿の二人連れを見かけ、
さらに日本語で話しているのを耳にして、ああ、日本人もわざわざ
この格好で歩くのか、と驚いたのだ。

旅先の異国で、特に古い町並みなどを歩くとき、その雰囲気に合った、
異国の服装を着てみたいという気持ちなら理解できる。そのために
一生にそう何度とない雰囲気に浸りたい、というのなら。

だが日本人なら、いつだってゆかたなんて着れる。それにゆかたという
衣装は、どちらかというと、着物の中では普段着っぽい。それを何でわざわざ?

二人が楽しんでいる、というより、他人に見せるために演出している、
という面が、強調されてくる気がする。これは確かにうっとうしいかも。
作者の「見なくてすんだ」という気持ちが理解できてくるのだが。

コロナ禍が終息してきて、またゆかたデートを目にする場面が増えるかも
しれない。それはみんな、異国からの観光客で・・。と思いましょう。
あまり目障りと感じなくなるかもしれませんぞ。
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つし、って何? [短歌]

昨夕、「塔1月号」が届いた。我家の地区は配達時間が遅く、
普段でも五時頃が多いが、月曜日はたぶん郵便物が多いからだろう、
六時を過ぎてから配達されることも多い。それで昨月曜日は、夕飯の
支度の真っ最中に郵便屋さんのバイクの音がし、通り過ぎて行った。

食事を終え、洗い物を済ませる。それからおもむろに届いた「塔」を
開くのだけれど。昨夜はその後、夜なべっぽい仕事、餃子作りをした。
その間、相棒がリビングでぱらぱらと「塔」を見ていた、本の数分ほどだが。

「ねえ、つし、って何?」と聞いてくる。「え、三重県の県庁所在地?」
「じゃないみたいだよ、平仮名で書いてあるし」
餃子作りを終えて「どこ、そのつしって?」と訊くと「塔」誌の前から
四分の一くらいのところに載っていた作品を指さす。

  タコを干す瀬戸の海沿ひ日は高くつしの白さが際立つ家並み
                     長谷部和子
「つし」にはわざわざ傍点が振ってあるので、誤植ではなさそうだ。
ネットで調べると、「農家などが天井や屋根の下に作るもの置き場」とある。
ああ、それなら、見たことはありそうな気がする。一種ベランダのようだが、
あれは物置部屋だったのか。それにしても「つし」とはどのあたりから来た
呼び名なんだろう。「玉虫厨子」の「厨子」(旧かなだったら、づしであるし)?

それにしても、我が相棒、意外なところから読むんだな、と少々おどろく。
今月の長谷部さんの作品は、あいうえお順の頁に載っていて、特に目立った
扱いを受けているわけではなく。私はつい、新樹集や百葉集、各選者が
佳作に選んでいる、あいうえお順の前後の作品から見ちゃうのだけれど。
短歌にはあまり興味がないようだから、何か目に付くとそこに集中するのか?

そして、ちょっとしみじみという。
「こういう全国から集まっている組織だと、各地に会員がいて、
地域ごとの文化を反映した作品を出してくるんだよね、面白いね」
「そう、調べながら読むことって多いよ。今はスマホがあるから簡単に
調べがつくし。以前は、こういう歌を作るの、冒険だったかも」
そう答えながら、歌を読む楽しみをあらためて思う。
今度、どこか地方を旅した時、屋根の下のつし、を探してみようと思う。
白く塗っている地方もあるのだろうか、記憶では皆目立たない色だった
ような印象をもっているのだけれど。
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大根は夜の電柱に [短歌]

近くのクリーニング店に頼んでいた衣料を取りに行ってきた。
帰り道、住宅街を歩いていると、高さ六十センチくらいの塀の上に
葱が一本、横たえてあった。真っ白い葱の肌がまだ瑞々しく、
誰かが買い物帰りに落としていったものを、気づいた人が
塀の上に載せてあげたのだろう。ちょっと、可笑しい。
たちまち、あの一首が脳裏に浮かんだ。

 大根を探しにゆけば大根は夜の電柱に立てかけてあり
               花山多佳子『木香薔薇』

もう花山さんの代表歌の一首になってしまった。くちずさむたびに、
ふっと笑ってしまうし、最近はこの歌を思い出す場面が増えた気がする。

車で数分のところにあるスーパーを普段利用しているが、ここの
駐車場は広く、三階と屋上と、屋外の平面駐車場とがあり、全部で
百台くらいは停められそうなのだが、数年前までは、特に週末は、
駐車スペースを探さなければならないほど、混みあっていた。

ところが、この三、四年、たぶんコロナが契機にはなったと思うが、
いついっても、駐車場は、スカスカである。買い物客は減ってはいるが、
それでもレジ待ちしなければならないくらいの客はいる。たぶん、
老齢化などによって、車を手放すひとが増えたのだろう。

そうしたこともきっと影響していると思うが、ちょっとした用事で、
街を歩くと落とし物が、結構目につくようになったのだ。
買い物カートを引いて帰る途中に、つい落としていってしまうらしい。
先述した葱は、きっとばら売りで買った葱を一本だけ落としてしまった
のだろうが。

先日は、歩道に厚揚げらしきビニールに入った食品が落ちていた。
「二割引き」の赤いシールが貼ってあって、ちょっと身につまされた。
帰宅してから、気が付くんだろうけれど、食事の支度に大きく影響
しないように祈る。

スーパーから我が家の方向への道は、坂道になっていて、途中は
歩いて見るとかなり勾配があってきつい。その途中に、胡瓜が
一本だけ落ちているのを見たことがある。河童が落としたのかな、
なんて、想像してしまった。

一番不思議だったのは、やや大きめの箱入りの、亀のえさ。
これくらいの大きさだと、落ちたときにわかりそうなもんだが。
その線で行くと、大根もそうだ。落ちたときに気がつかないって、
いったいどういう状況だったんだろう、と考えてしまう。
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最近の街角での歌 [短歌]

先日こちらのブログで書いた、爆走三日間の中日に行われた横浜歌会。
なかなか自分の歌がまとめられず、苦慮の末に出したのだったが、その二首の
うちの一首

 朝(あした)には「あったか~い」を真昼間は「つめた~い」を押す初冬 街にて
                             岡部史

この作品は、結句に不満があり、いろいろと考えていたんだけれど、今一つ
思いつけないまま、詠草取りまとめのSさん宛に送っていたところだった。
Sさんが当日は欠席することになり、歌会の前日に、参加者の詠草データを
私の方に送ってくれた。その時点で、もう少しましな結句が思い浮かんだのだが。
訂正するのを忘れ、そのままコピーしてしまったので、「ま、いいか。Sさんが
出席してくれたのなら、このままのはずだったんだし・・・」と思い直す。

歌会では、やはり、私が気になっていたところをズバリ指摘された。
「初冬 街にて。 これじゃあ、ダメでしょ」みたいな(ダメ、っていう
直接的な言葉ではなかったようだが、そういう気配ムンムンで。そう、
たいてい、迷ったところが鋭く批判されるものなんだ。)

「まあ、『押す』という一言で、自販機の歌だって、わかるところが
面白いともいえるけれど」とも指摘して頂けてうれしかったけれど。
私の隣の席に座っていた、私よりやや年長のかたが、「自販機」という
言葉に、「あ、そういうことか~」と小さく呟いておられた。
確かに、自販機を使わない人には伝わらない歌になってしまっている。
このあたり、説明がなく極端に短い詩形は、難しいところなんだった。

さらに、私の作品にコメント下さった方は、鋭い突っ込みをされていた。
「朝から真昼まで、街に居たってことかな。そういうことも不自然な感じ」
と。ああ、そういわれるとそうかもね、と思う。私がこの作品を詠んだのは、
旅行中だったからで、実際、街なかのホテルに泊まっていたから、生まれた
歌だったんだ。そういう背景を知らないと、不自然な歌に思えるんだ、と
気が付いたのである。

短歌を詠むっていうことの怖さ、面白さをあらためて思った。
読み手は、あらゆる経験と勘を駆使し、たった31文字から、作者の
詠まんとするところを鋭く探ってくる、ベテランの刑事のような存在で。
詠み手は、簡単には読み解かれたくない(見つけられたくない)。
でも、時間はかかっても、きちんと見つけてほしい(理解してほしい)。
まるで、かくれんぼをしているようなものなんだった。
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短歌ブーム、かな [短歌]

私の住む、東京都の郊外にあるM市。我家は中心部から南に逸れていて、
商業地区には、車か、一駅だけだが、電車を利用する。そこには、大型の
商店が揃っていて、都心に出かけなくても大抵のものは揃う。だが、
歌集、となると別だった。短歌の総合誌も、そこでは買えなかった。
澁谷か新宿へ出かけた折には、必ず書店に寄って、できるだけ購入する
ということを心掛けていたのだけれども。

数年前から、少しずつ、事情が変わってきた。M市中心部にある
デパートの中に出店しているK書店では、かなりの歌集を置いているし、
短歌総合誌も、目ぼしいものは置いてある。時々お目当ての雑誌を
買いに行くが、発売日をかなりすぎると、もう売り切れていることもある。

先日、用事を済ませた帰りに、いつものようにK書店に立ち寄ると、
歌集の棚(といっても、上段は詩集、下段は句集で、歌集の棚はその
間の三、四段くらいなのだが)の前に、小柄な女子高生が立っていて、
歌集を熱心に選んでいる様子だった。ええ、こんな光景を見ることが
できるなんて・・・。と、しばし感動しながら、さりげなく近くに立つ。

あまり近寄ると変質者と間違われそうなので、そこは節度が必要なのだが。
どんな本を選ぶのか、気になってしょうがない。女子高生は、地味な紺色の
制服を着ている。私はごく近くの都立高の制服しか知らないのだが、
スカートの柄が違っている。どこの高校生なんだろう(って、周囲から
見る人がいたら、かなり危なく映ったかも)。

女子高生は、なんと三冊の歌集を選び、そのままレジへと立ち去った。
残念、どの歌集を選んだのか、最後までわからなかった。でも、三冊も!
ちょっと、ウルウルしそうになる。彼女にとって、どうか有益な買い物と
なりますように。ちなみに、自分の高校時代を思い返すと、あまりにもボンビーで、
文庫本一冊買うのも、清水の舞台、だったけれどなあ・・・。
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塔短歌会・九州大会(さらに) [短歌]

九州行きのために予約していた飛行便が、台風襲来にぶち当たり、
空港で数時間待たされ、くたびれ切ってようやくたどり着いた福岡だったが。
実は、こんな不運を一気に吹き飛ばしてくれるような幸運が起きた。

九日(土)に始まった大会は、歌合せの後、文語と口語をテーマとする
対談、鼎談と盛り沢山のプログラムを終えた後、会場を移して親睦会へ。
参加者は百数十名に上るので、広いフロアには、9名くらいずつ座る円卓が
びっしりと置かれ、参加者は各自に振り分けられたアルファベットに従い
指定された卓へ。選者の私だけは指定の席に座り、他の人たちは随意に。

その時、私の右隣に座ったのが初対面のYさんで、御名前に聞き覚えがあり、
私は彼女が遠い南西の島に住んでおられることを覚えていた。その辺りから
話が始まったのだけれども、何と、彼女が山形県出身と聞いて驚き、さらに
さらに、高校は米沢市内、と聞いて驚き「東高? じゃないの。だと、興譲館?」

私は山形県南西部の町で育ち、中学卒業時に父が東京へ転勤。都立の試験に
間に合わなかったため、米沢市の高校へ一学期だけ、一人下宿して通ったの
だけれど、何と、Yさんはその高校の卒業生(私より数歳下)だった!
その高校はもと男子校で、女子は一、二割くらいしか在籍していなかったのに。

それから、限りなく話が弾み、こちらからお願いしてメアドまで交換し、
帰京してからも、色々とお喋りを続けている。あの日、親睦会の円卓が
同じでなかったら、いや、たとえ同じでも一つでも離れた席だったら・・・。
お互いの出自を話し合うような機会は持てなかっただろう、何という偶然!

偶然は実は、さらに続いて起きた。私が今春、五十年ぶりに米沢を訪れる
きっかけを作ってくれた、米沢市在住のK・Yさんについては、このブログでも
書いているが、帰郷してから、この偶然の出会いをメールで知らせたら、
なんと、なんと、彼女の旦那さんが、Yさんと同じ高校で同級だったこと、
そして、彼女のことを良く知っていたことが分かったのである!

このことをYさんに知らせると、彼女の方は、彼を知らないらしかった。
それは男子の方が圧倒的に多かったので、無理ないのだけれど。
なんだかんだいいながら、世の中狭いのか。いや、たぶん、詩歌に
関わる人が少ないから起きる現象ではないだろうか。Yさんの今は亡き
ご主人は詩人だったそうで、その辺りから、K ・Yさんが興味を持たれ・・、
という流れがあったのかもしれず。

ひとときは、とても近い、同じ雪国に生活していた同世代の仲間が、今は
遠い南の島に暮し、趣味を同じくし、毎月の歌誌を通して互いの
心を通わせ合うことができるなんて、何と幸せなことだろう。
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塔短歌会・九州大会(続) [短歌]

三年ぶりに塔短歌会の大会が福岡で行われることになり、私は大事をとって
前日の昼に福岡入りできるように午前11時羽田発のJAL便を予約していた。
ところが、まるで狙い撃ちされたように、その8日の朝、台風13号が、東海地方へ
近づいていて、関東はまるで不透明硝子に囲まれたような、激しい雨、雨。
私は早めに家を出て、出発一時間半ほど前に、空港についていた。
搭乗案内を待っていた、午前11時過ぎ。突然のアナウンスで「使用予定の機体が、
この豪雨に対応できないことがわかり、欠航いたします・・・」

フロアがざあっとざわめいた。私も愕然とする。どうすればいいのか。
これまで、遅延は何度も経験しているが、欠航は初めて。周囲の人たちは、
競うように、出口方向へ歩き出す。私もその流れに従っていくと・・・。
人の波は、一階にある搭乗手続き窓口そばのカウンターへ。そこで
チケットの変更や払い戻し手続きを受け付けていたのだった。

でも、なんとものすごい数の人たちが並び、さらに後から続々と・・・。
私は列の三分の一ほどのところ。四十分ほど待つと、順番が来て、
午後三時五分発の福岡行きに振り替えてもらうことができた。とはいえ、
切符を渡しながら、担当の女性は「まだ、時間通り飛ぶかどうか、
わかりません」とのたまう。

待っている間、すぐに新幹線に切り替えた方がいいのかどうか、考え、
列の前後の人たちともいろいろと話をしてみていた。
「発ちさえすれば早いよね」「新幹線だって、うごくかどうかわからない」
「今からだと、列車に切り替えた人も多くて坐れないかも」

それで、三時の便に運命を託すことに。
とりあえず、ゆっくりと昼食を摂ることにし、その後、書店で
読み易そうな本を選ぶ。その時点で、まだ一時だったので、空港内の
マッサージ店に入るのはどうか、と考えたのだが、お店は二時から、
という張り紙がしてあった。

三時が過ぎたところで、使用する便の到着が遅れている、とアナウンスが
はいる。出発は四時に変更される。搭乗口も変更になり、疲労はピーク。
結局、搭乗案内が出たのは四時を二十分ほども過ぎてからだった。
他の便が次々に発っているので、外はまた篠突く雨だが、風はさほどでなく、
飛ぶことは飛ぶらしい。もうそこに賭けるしかなかった。

福岡に降り立ったとき、六時半をすぎていた。もうくたくたである。
大会は、こういう台風シーズンを、今後は絶対に避けてほしい。
と思いながら、ホテルに向かった。翌日、大会会場で、羽田から
前日の飛行機で来た、という人と複数話をしたが、いずれも一時間程度の
遅れで、福岡入りした、という人ばかり。空港で六時間も待たされたのは、
私の便だけが欠航したからだ、ということがわかった(涙)。
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塔短歌会・九州大会 [短歌]

毎年行われてきた「塔短歌会」の大会。九州大会は、2020年の
はずだったが・・・。コロナ禍に見舞われ、大会は中止に次ぐ中止。
ようやく今年の9月9日~10日に、博多の国際会議場で開催されることに。

台風シーズンで、心配だったけれど、私は選者としてのルーキーイヤーに
当たり、どうしても行きたい、行かざるを得ない、というところ。
ホテルは初春の頃に予約、飛行機にするか新幹線にするか、最後まで
迷った末、六月になって、飛行機と決めて、予約を済ませた、のだが。

なんと、出発の日は、台風13号とばっちりかち合ってしまったのである!
遠くから出かけるということで、一日前の午前11時の羽田発博多行きを
予約していたのだが、とにかく朝から、物凄い雨、雨、雨!
千葉県ではかなりの浸水、土砂崩れ、河川の氾濫があったらしいので、
それに比べれば、飛行機が飛びぶかどうかなど、些事、なのだが。
この時点では何としても博多に辿り着かなければ、と、それだけ思っていた私。
無事、電車も止まらず、羽田につき、搭乗手続きも済ませ、
搭乗口前で、アナウンスを待つだけになったときは、心底、
ホッとしたのでしたが・・・。(この項、続けます)
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Zoom歌会・塔 [短歌]

コロナが蔓延し始めて、対面歌会が次々に中止せざるを得なく
なった、三年数カ月前、私の所属する「塔短歌会」ではZoomによる
月に二度の歌会が始まった。対面歌会が復活しても、Zoom歌会は月一に
減少しながら開催され続け、今月の歌会はなんと第66回なんだそうである。

私は横浜歌会では何度も経験済みであるものの、塔主催の方のZoom歌会には
一度も参加したことがなかった。今年の四月から選者を務めることになった
ため、今月、その当番が回ってきて、初参加することに。

詠草は開催日の前々日夜に、司会担当のKさんからメールで配信された。
参加者は皆さん、とてもお若い。当然、歌歴の浅い方も多く、「塔」
入会一年未満の方が複数参加されている、ということにも少々驚く。

Zoom歌会は平日夜の8時から始まって、終了はなんと、10時(一カ月おきに
休日の昼に開催もしているが。)
このところ、10時半には寝ている私、大丈夫かな、とこの点でも
心配だった。詠草を真剣に読み、分らない言葉、あやふやな言葉は調べ、
19時45分には配信されていたZoomの接続先へ・・・。

すると「ホストの許可待ち」状態が続き、20時を数分過ぎても、
入室許可が下りない・・。何だろう、間違ってはいないはずだが。
不安になる頃、スマホに連絡が入り、なんと接続先が変更、とのことでした。

というわけで少々遅れて始まったのでしたが、みんなとても活発で
意見が次々に出て。なかなか刺激的な歌会になりました。
歌会中に眠くなることもなく・・・。楽しい二時間はあっという間に過ぎ。

来月からは、Zoom当番は選者のみならず、編集委員も加わることになったので、
私に次の当番が回ってくるのは二年近く先のことになりそう。
興味のある方は、是非、参加してみて下さい。
特に対面歌会に出席できない方、交通の不便な地に住んでおられる方や、
外国にお住まいの方など、きっと新しい発見がありますよ!
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折々の歌・「塔五月号」から [短歌]

「塔」五月号が届いた。相変わらずの大冊でとりあえずのぱらぱら読み。
その中から目に留まった作品について、触れてみる。

 寒いねと答えてくれるロボットを買おうと思うお金を貯めて
                       相原かろ
俵万智さんの「寒いねと話しかければ寒いねと答える人のいるあたたかさ」
という作品を踏まえてのもの。生きていることの寂しさに、しん、となる。
結句は少し、当たり前すぎてつまらないかも。もう少し飛べたかな、と思う。

 飛ぶことは自由と思へど群れ成して空を回ってばかりゐる鳥
                       千名民時
自由過ぎると時間を浪費するだけ、ということにも陥り易い。他者への批判、
或いは自省か、と面白く読む。以前ベトナムを訪れた時、走行するバイクの多さ、
排気ガスに辟易した。彼らも何処へも辿り着かず単に回っていただけ、だったかも。

 アスファルトに白いマスクは落ちていて四肢がほどけたようなしどけなさ
                 山川仁帆
このところよく見る光景で、私も何首か作ってみているが、これという作品は未だ。
「四肢がほどけた」という比喩に納得する。落ちているマスクの大半は、すでに
「白く」はないのだが、これにより下句が生きる。捨てマスクの、この艶めかしさ。
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