SSブログ

巴戦 [スポーツ]

相棒はかなりの大相撲好き。私は子供の頃からこのスポーツに
興味が薄く、関脇と大関のどちらの位が上なのか、なかなか
覚えられなかったほどである。でも、相棒にかなり感化されて、
最近はけっこうテレビ中継も観るし、それなりに面白いと感じる。

今年の九州場所は、千秋楽を迎える時点で高安が星ひとつ有利。
貴景勝と阿炎が11勝3敗で後を追うという展開だった。
これは、面白い千秋楽になりそうだ、とちょっとワクワク。
その一方で、精神的に弱いところのある高安が、これまでことごとく
優勝のチャンスを直前の連敗で潰してきていることが頭を過ぎった。

高安にはさほど興味なさそうな相棒が珍しく、今場所は高安に
優勝してほしい、と言い出すくらい。意識して堅くなる様子に
同情しているみたいであった。

千秋楽の日曜日、昨日だが、京都で私が所属する短歌会の編集会議が行われ、
編集委員である私も出席してきた。
ずっと会議の方に集中していたので、相撲のことは忘れていたんだけれど、
五時になって会議が終了するとまもなく、永田和宏さんが
「高安、優勝決定戦、ってことになったらしいね」
と、少々残念そうに言い出した。ああ、永田さんも、高安のことが
心配なんだ、と思った。塔短歌会は創始者が高安國世氏であるということから
高安を応援している人がけっこういるんだった。

京都駅でスマホを開き、高安と貴景将と阿炎の三つ巴戦が行われる、
ということを知った。そうなると、貴景将が優勢か?
本割で阿炎に負けた高安が、決定戦で巻き返す、ということは
考えにくかったからである。それにしても、巴戦とは、珍しい。
千秋楽に三人か四人が相星で残り、互いに決定戦やったら面白いのに、
とずっと思ってきたがそういうことはなかなかなく。
今回の展開で、巴戦の場合はクジで順番を決め、二人を先に倒した方が
優勝、ということだと知った。結果はご存知の通り、阿炎の初優勝だった。

夜九時過ぎに帰宅して、九時五十分からのスポーツニュースを待つ。
どんなふうに三力士が戦ったか、見たかったからである。
それなのに、サッカーのW杯のことばかり長々と続け、お相撲はずっと
後回し、だったんだよね。十時半になってからようやくお相撲に話題が
移ったが、録画で写されるの決定戦ばかり。本割の試合はほとんど登場せず。

お相撲はスポーツの中ではもう、あまり人気ないんだろうなあ。
とあらためて思う。私はサッカーのあのひたすら熱狂的なところ、
応援している人たちのナショナリズム剥き出しの所が苦手なんだけれど。
nice!(0)  コメント(0) 

female [藝術]

栗木京子さんの自選歌集『二十五時』(沖積舎)の巻末に
「お針娘志願」というエッセイが掲載されている。それによると
栗木さんは二十代前半に、いわゆる縫製教室のようなところに一年ほど
通われていたらしい。週に4日、午前十時から午後三時まで、というから
かなり本格的! なんだかイメージと違って、その落差に萌えそうに
なった私でした。私にも服作りをしていた時期(二十代~四十代)が
あったが、何処かに通ってまで、というほど熱心でもなく。ただ、
簡便な夏服くらいが縫えればいい、という程度で。

私の指南役をしてくれたのは、もっぱら本だった。特に利用したのは
「female」(ブティック社)という月刊雑誌である。

このブログの「ハローウインと変身願望」という記事で書いたことが
あるが、魔女に変装しようと志して、黒のワンピースを購入しようと
したところ、イメージ通りの品となると、高級品しか見当たらず。
それで、自分で縫ったという記憶があった。もう三十年近く前のことに
なり、詳細を忘れていたのだが、最近「female」のことを思い出し、
そして、この雑誌に毎回連載されていた「手作り自慢大集合」という頁に
応募したことを思い出し、本棚から引っ張り出してみると、
なんと作っていたのは、ワンピースではなく、袖をつけるのが面倒で、
ジャンバースカートに変更していたんだった!

その時の写真、ちょっぴり恥ずかしいけれど、掲載します(1994年7月号)。

IMG_20221124_080106.jpg

手に持っているのが、魔女に変装を促してくれた『魔女図鑑』。
私は十数冊の絵本を翻訳出版してきたけれど、現時点で絶版を
まぬかれているのは、この『魔女図鑑』と『どうぶつがいっぱい!』だけ。
どちらも図鑑的で、何か調べるのに適している、というところが支持されて
いる理由だろうか。

  ハロウィンが近づいたからま女図かんかりに二階のママ図書館へ
                         山添聡介

11月20日の朝日歌壇、馬場あき子氏と高野公彦氏との共選をうけた
小学生の作品である。高野氏の選評に「ハロウィンが近づき、魔女
図鑑で勉強する小学生」とある。勉強、というか、調べものするんだよね。
お料理、縫物、編み物、占い、ことわざ、薬草、などなど、魔女に関する
あらゆるノウハウが詰まっているこの本、翻訳はとても大変だったので、
刊行から三十年経っていても、利用されているのがとても嬉しい。
nice!(0)  コメント(0) 

Falling [映画]

2021年公開の映画「Falling」を観る。カナダとイギリスの合作。
認知症が顕著になり始めた父ウィリス(シカゴ近くに住む)を、
自分の住むカリフォルニア州の施設に入所させるため、迎えに行ったジョン。
誰彼の別なく、罵倒の言葉を吐き、息子にも悪態をつきまくる父と、
閉口しながらも、なんとか父により良い生活を送らせるため奮闘する息子。

現在の時間の流れの間に、互いにどのようなかかわりをしてきたのか、
親子の記憶のなかの時間が映像となって挟み込まれる。
銃の撃ち方を教える父。素直に従い、すぐさま鴨を射止める息子。
父と母の関係も良好で、母は妹を身籠っている。幸せな四人家族の生活が
続くはずだったのだが。

父は古い「父親像」を頑なに守ろうとし、子供中心に生活を回そうとする妻に
不満を抱くようになる。妻は耐えきれなくなって、幼い兄妹を連れて家を出る。
アメリカでは、子供の親権がどちらであるかにかかわらず、離婚後も親は
子どもとの関係を続けようとする。週末や夏季休暇などには、二人の兄妹は
父と共に過ごすことになるのだが。二人は自分の価値観を押し付けようとする
父に反発し、せっかくの親子の時間も辛いものになっていってしまう。
見ていると、この「父親像」が現在のトランプ氏を
崇拝する人達が掲げる「理想像」と重なっていってしまう。

自然の中で独立独歩の生き方を貫き、白人至上主義的で、移民の受け入れに
反対し、銃の規制、同性愛や中絶などは言語道断。だから、息子がアジア系の
同性パートナーをもち中南米系の血を引く少女を養女として迎えていることにも、
強い不満を抱いている。息子の家では、こうしたことをめぐって暴言を吐き、
好き勝手に動き回った挙句、カリフォルニアで暮すつもりはない。
自分が建てた家に戻る、と言い出すのである。

二人の関係はもう、そこで切れてしまうのではないか。観ている者には
そう思われる。たとえ認知症を患っているとはいえ、父の息子に対する
ふるまいは目に余る。そこまでして、どうして息子は父の世話を
焼こうとするのだろう。

そうこうするうち、観客にも父の苦悩が見えてくる。強い父親像を
演じようと苦闘しつつ、家族に受け入れられなかった悲哀。
自分自身が、父親に虐待的な扱いを受けていたこと。
息子は父親の言動から、父の心境を理解していく。
自分の生活を変えることはしない。そのうえで、父と
どう折り合っていけるのか。父の暴言に耐えながら苦悩する。

この数十年の間に、激変したアメリカの価値観。その変わりようは特に
男性への影響が大きかったのではないか。変わってしまった人々と、
変われなかった人々と。その差はあまりにも大きくなり過ぎた。
苦しみながら築き上げてきた「理想像」にしがみ付こうとする人々が、
「トランプ流」を熱狂的に支持している、そんなことも考えさせる映画であった。

ちなみに、監督と主演を兼務しているビゴ・モーテンセンの自伝的な
作品なのだそうだ。
nice!(0)  コメント(0) 

「漫画を描く」を描く [短歌]

先日「歌を詠む」を詠む、という内容の文章をこのブログに
書いたのだが、先日の朝日新聞夕刊(11月16日付)に、「漫画家
残酷物語」(永島慎二 1967年刊)についての記事を読んで驚いた。
永島慎二という漫画家の作品はほとんど読んだことがなかったので
知らなかった、ということもあるが、世に「漫画を描く」ことを
テーマにした漫画があったとは、初めて知った。

永島の「漫画家・・」は、「漫画なんか嫌いだ、食べるために仕方なく
描いているだけだ」と言っていた漫画家が連載を打ち切られたのを機に
自分の右腕に保険をかけ、わざとけがをする計画を立てる。最後に
長編を仕上げてから、と思い売るつもりもなく描き始めたら、楽しくて
保険解約を決意するが、その直後、不幸にも交通事故で右腕を失う・・・。
という内容なのだそうだ。

漫画家という仕事がいかに過酷か、ひとたび成功すれば、巨万の富が
舞い込むが、そうなれるのはほんの一握り。初老になっても独り立ち
できずに苦しんでいる、それでも漫画が好きで諦めきれない、という
ような話を、これまで沢山見聞きしてきてはいたが・・・。

そんな漫画をめぐる、社会的、経済的な状況が「『漫画を描く』を描く」
という分野を開拓させ、読者をひきつけるに至ったのだろうか。
「漫画家残酷物語」は、好きなものに引き付けられ、跳ねのけられ、
それでも離れられないという感情を自虐的に表現していて、そのあたり、
「短歌を詠む」を詠む時の姿勢とも多少の共通性があるように思える。

同時に、このジャンルの漫画が、漫画家を目指す人々にとっての
バイブルのようにも扱われているらしい状況を考えると、「短歌を詠む」
ことを詠んだ歌、が体系的にまとめられ、一つのジャンルのように確立して
読まれるようなものが登場したら面白いかも、と思ったことだった。
nice!(0)  コメント(0) 

素人と短歌を読む・続 [短歌]

ここでの「素人」とは、歌を詠まず、ほぼ読まない我が相棒の
ことである。彼と「塔」の百様集を読み始めて二カ月ほど。
一度新聞歌壇を読み合ったのだが、また百葉集を読んでみよう、と話し合い。

今度は、かなり以前の「塔」の、百葉集、つまり吉川宏志氏が
主宰になる以前、河野裕子氏と永田和宏氏が選んでいた頃の
「塔」百葉集を読んでみることにしたのである。本棚から
無作為に引き出したのは、2004年2月号、河野・永田両氏が
交互に百葉集を選んでいた頃の、河野さん担当の号だった。

 無精卵の男女(めを)住む町に囲はれてしづかにしづかに滅んで
 ゆきたい                 黒田英雄
(「男女」と書いて、「めを」のルビは変だと思ったが、選歌欄の作品は
「女男」となっているので、単純な校正漏れのようである)

なんだか不気味な歌だ。作中主体を含む、人類そのものが滅んでいく
ような絶望感・無力感が漂う。詠われたのは今から18年も前だが、その後も
日本の出生率は減り続け(世界人口は80億を突破したが)、少子化に
留まる気配はない。時代を映した、凄い歌だね、と嘆息する相棒。

 一指二指三指はわれの第三子靴紐締めて行きたり逝きぬ 安田幸子

「これ、どういうこと? 一指、二指、三指って・・・」
「う~ん、数え歌風に始めてるんだろうね。子供の頃、一かけ、
二かけて 三かけて~、四かけて、五かけて橋をかけ~、とか
唄っていた。ここでは、第三子を引き出すための序詞みたいなものだと思う。
三番目の子供さんは、靴紐締めて、つまり通勤服みたいなきちんと
した装いで家を出て、そのまま帰らなかった、ってことだよね。
交通事故かな、あるいは・・・。わからないけれど。
こんな風に歌にできるまで、かなり時間は経っている気がする」
「そうか~。なるほどねえ・・・・。」
と、しみじみしているらしい、相棒。ほうら、短歌ってけっこう
いいでしょ、と内心ほくそ笑む私。

それからしばらく、河野さん選の百葉集を読み合う。

「河野さんの選の方が、面白い気がする」
と、相棒が言い出した。
「吉川さんはお若いから、かな。感覚が違うのかも」
相棒は、河野裕子さんとはほぼ同じ年齢。一方、吉川さんとは親子くらいに
歳が離れている。
「時代もあるのかな。この頃の作風の方があなたには合ってる、とか」
「今の歌、わからんの多いからなあ。でも塔の会員が増えすぎて、
選ぶの大変になっている、ってことは、ない?
今は吉川さん一人で、毎月えらんでいるんだろ? こんなに分厚い中から!
過酷だよなあ~」
と、相棒はしばし嘆息しきりでした。
nice!(0)  コメント(0) 

秋のお惣菜 [食文化]

このところ、どこにも行けず、外食も最低限に抑えている。
ということはつまり、おさんどんに追われている、ということだが。

当然ながら、同じような料理を繰り返し食卓に並べる、ということも増える。
何かしら新しい情報を仕入れて、マンネリ化している食卓にカツを
入れたいところだけれど。料理本や、料理番組を見ても、あまり参考に
ならないことが多い。相棒に好き嫌いが多いことが一番の理由だが。

先日、時間が中途半端に余ったので、Eテレの料理番組をぼんやり
見ていたのだが。我家でも利用できそうな料理が紹介されているのに
気がつき、慌ててメモを取り出した。その時は三種類くらいの
料理が登場していたのだが、私が興味を抱いたのは、鶏肉と茸、薩摩芋を
材料とした主菜である。早速一度作ってみた。まずはそのレシピ通りに。

鶏の腿肉200gは一口大に切り、ほぐしたしめじはお茶碗に一杯分くらい。
小ぶりの薩摩芋一本は1,5センチ幅位に切り、二分電子レンジにかけておく。

鶏肉は大匙一杯の塩麹をまぶして5分ほど置き、熱したフライパンに
油を引いてから、炒める。薩摩芋も一緒に炒めた後、カップ半分ほどの
水を加え、ふたをして七分ほど蒸し煮する。しめじを加え、オイスター
ソースを大匙半分加える。蓋を外して2,3分煮た後、下ろし際に
醤油大匙半分を加え、よく混ぜ合わせると出来上がり。

食べてみて、薩摩芋はこの料理には合わない、と感じた。
甘味があるし、それなりのヴォリュームもあるので、主菜には
向かないように思えるのだ。私はサツマイモをじゃが芋に替える
ことに。七分の蒸し煮時間内に柔らかくなるように、やや細めの
櫛型に切り、レンジにはかけないことにした。また、
色どりを考えて、ピーマンを一個、八等分にしたものを
加えることにした。蒸すときの水をほんの少しだけ多めにして、
最後に水溶き片栗粉を加えて、スープを閉じ込めることに。

我家流に手を加えて食卓にだすことにしたのです。
自分でもなかなか美味な一品に仕上がった、と思いました。
お試しくださいませ。なお、分量はおよそ二人前です。
nice!(0)  コメント(0) 

素人と短歌を読む [短歌]

短歌を詠むことはなく、読むことも滅多にない我が相棒と
「塔」の百葉集を共に読み合う時間を取ったことを、このブログで
書いているが。数回続けたところで、
「なんだか、あまり面白くないなあ」
と言い出されてしまった。案じてはいたのだけれど。

短歌はこまごまとした日常報告的な内容が多いし、
どちらかというと、相手のことを知った上で読む方が面白い、
という傾向もある。また、短歌は細かい言い回しとか、小さな気づきとか
日常の切り取り方の意外性などに面白さが潜んでいることが多いが、
それは慣れないとなかなか「面白さ」と感じにくいのではないか。

相棒はそこで、朝日歌壇の歌を読もう、と提案してきた。
直近の10月22日の朝日歌壇を一緒に読むことになった。この週は
佐佐木幸綱選者による作品から始まる。
 
 地球儀の陸地を区分する線に人の争ふ来し方が見ゆ 堀川弘
 食鉄(たべてつ)の人気ランチは零余子飯ほくほく線は野趣も味はふ
                          武村岳男

冒頭の二首である。相棒は、「良い歌だよね。新聞短歌らしい時事詠
の、力のある歌が並んでいる」と、面白そうだったが・・。
永田和宏選の冒頭の
 風合瀬(かそせ)とふ美しき名の駅にあり海に没る日の最後の光
                         嶋田恵一

という歌には、こういう歌もいいよね。地名をうまく詠み込んでいるし、
新聞短歌だからって、時事詠ばかりだと、物足りないよね。

というような話もし合ったのだが。

このMっていう人、よく選ばれているよね。え、家族で歌詠んでいるの?
どこがいいの。ちょっと、選ばれ過ぎじゃない。

今の時事を詠んでいる、という理由だけで、あんまり
いい歌でなくても選ばれている気がする。

こんなこと、わざわざ31文字にする意味あるの?
どこが良いと思う? アンタ、四十年も歌詠んでいるんでしょ、
端的に説明してよ~。 

と、次々にダメ出しし始め、新聞短歌を読む会(?)は、一度で
ポシャることになりました。う~ん、私はもっと続けたかったのだが。
nice!(0)  コメント(0) 

世界の都市を詠む [短歌]

横浜歌会では一年に四度、題詠を行う月を設けていて、
11月はその月に当たる。会員のMさんが出題を引き受けてくれて、
お題はナンと「世界の都市を詠む」(国名ではだめ、とのこと)。

私は、これまで訪れた都市を思い出しながら、何首か作った。
大連、北京、ソウルなどのほか、オスロ、パリ、ロンドン・・・。

ガハマルカ、とか、住んでいたことのあるアメリカのローリー、
韓国の水原(スーウォン)なども考えたのだけれど、結局
上手く作れなかった。やはり、読者を意識してしまって・・・。
あまり知られていない場を詠んでも、理解されないのではないか、
と気になったのである。みんな、どこの町を詠うのだろう。

歌会当日、ワクワクしながら配られた詠草を見ると・・・。
なんと、これまで聞いたことのないような、未知の町の名前が多数あった。
たとえば、タクロバン。これはフィリピンのレイテ島にある
町の名らしい。アルゴンキンはカナダ、スフバートルはモンゴル。

知らない町でも、すぐにスマホで検索できる状況にあるので、
何処のどんな町なのか、おおよそのイメージをすぐに組み立てる
ことができる。いや、もしスマホがなくても、都市名の語感や
作者が選んだ言葉から、想像することは可能だったことに驚いた。

その点、自分が訪れたことのある町、あるいは
テレビなどで報道される頻度が高く、日常的になじみのある町より、
全く知らなかった町を詠んだ歌の方が、なにか不思議な魅力が生れ、
引き付けられる歌が多かったことに驚いた。

きっと、ほかの参加者もそうだったのではないだろうか。
最大得票を得たのは、スフバートルを詠んだ歌だったし、
一票しか入らなかったが、タクロバンを詠んだ歌は、
後から思い返すに、かなりの秀歌だったと思うのである。

スフバートルは、ロシアとの国境の町で、作者はキリル文字が綴られた
平たい駅舎を詠まれていたのだが、国境の町であること、もとは
他国の文字だったキリル文字が使われるに至った歴史的経緯なども
感じさせ、少ない情報の中にしみじみとした哀感が漂ってくる歌だった。

タクロバンの歌は、口中を赤く染める飴をなめながらバスに乗り合せている、
という歌で、現地の交通事情の悪さや、着色料たっぷりの少し懐かしい
お菓子の感覚が詰まった作品だった。異国の町の旅に、日本のかつての
町の雰囲気を感じさせるような、作者の手腕に脱帽した。

歌会が終わった後、「みんなが知らない町は詠えない」と思い込んでいた
自分の浅はかな考えを反省した。
nice!(0)  コメント(0) 

故里の町の取組み [生活]

今朝の朝日新聞の生活欄に、私が子供の頃に過ごした
山形県南部の町の、ある取組みについての記事が掲載されている。
見出しは大きく「移住先の仕事 ひとつじゃない」とあるのに、
目はその横の「豪雪の山あい 小国町」の方に引き付けられて。
内容は、過疎化の進む豪雪の町で、移住者を呼び込み、あるいは
人口流出を抑えるための取組みとして、昨年「おぐにマルチワーク
事業組合(おぐマル)」という組織を創設したこと。

仕事を希望する人は、まずおぐマルに登録すると、おぐマルの組合員である
町内の14の事業者のなかの、複数個所に派遣されることになるという。

複数の仕事を組み合わせて働くことになるので、マルチワーク、
というわけである。年間を通じた仕事がないことや、雇用が安定
しづらい、という地域の状況に合わせた雇用形態、といえるだろう。

色々問題もあるだろうけれど、現在は国や自治体からの財政援助が
あることも大きいようだ。うまく続いていくことを願いたい。

雪だけはどっさりあったなあ、と遠い日々のことを思い出す。
とりあえず、今も小国町で暮す幼友達のI君に、今朝の記事のことを
メールでお知らせしておいた。ちなみに、記事に登場する「荒川興業」
は、私の小学校の同級生の鈴木君が営んでいた会社。記事に登場する
専務は、彼のご子息なのではないかな・・。なつかしい。
nice!(0)  コメント(0) 

通販体験 [生活]

通販はこれまで何度も利用しているが。
あまり成功していない。イメージと違う品だったり、
サイズがやや大きいとか、色目が違うな、とか。
一番大きかったのは、サイズをしっかり測って、購入したバッグ。
上部の両端に大きなカーブが入っていて、ファスナーが短くなって
いて、現在使っている財布の出し入れがしづらい品だったこと。

交換は面倒なので、いずれも何となく我慢しながら使っている。
あれから、日常に使うものは、できるだけ通販を避けようと
思ってきたのに。このコロナ禍で、遠出がしにくくなったことや、
近くのスーパーからホームセンター部門が撤退してしまったこともあり。

ベッドの敷パッドを新調したい、と思っていた目に、
通販カタログのある品物が飛び込んできてしまったのだ!
その名もリカバリースリープ敷パッド。これを敷いて眠ると、
体が温まり、疲労回復効果もあるんだとか。ほんとか?!

眉唾だなあ、とは思いつつ、そしてやはり、ちょっと値段も
普通のベッドパッドよりお高いし。かといって飛び切り高い、
というわけでもなく(シングルサイズのみで、一万二千円ほど。送料別)

説明を読むと、中綿に練り込まれた天然鉱石が体温を蓄熱し、蓄えた熱を
背中に輻射することで、温熱効果を生み…云々、とある。ふ~む。
なかなか、魅力的なパッドらしい。ここは騙されたつもりで・・・。

購入しました! 我が家に届いたのは一週間前。
早速その晩から利用し始めたのだけれど。
その夜は夜中の三時近くに、なんだか体が火照るようで、
目が覚めた。このパッドのせいだろうか。ちょっと熱い。
すでに厚手の毛布を掛けていたのだが、これを薄手のものに変える。
それでもなんとなく蒸し暑い感じ・・・。

ベッドのマットレスを包み込むようにして使うパッドなので、
簡単には剥がせない。電気の敷毛布ならスイッチを切ればいいが、
そう言う訳にもいかない。ああ、また失敗したか、と暗澹とした
気持ちになった。

翌日の夜、もう一晩、試してみて、ダメなら、ベッドから外して
真冬になってから使うことにしようと思った。のだが・・・。
その晩は、安眠できたのである。程よい暖かさにくるまれるようで
なかなか良い眠りを体験できたのだった。最初の晩が、この季節としては
暖かい夜だったせいだろうか。理由はよくわからないのだが、以来、
安眠できる夜が続いている。通販、とりあえずこれは大失敗、という
わけではなさそうだな、と思う、思いたい。
nice!(0)  コメント(0)