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鮭の料理 [食文化]

日中はまだまだ暑いのだけれど、朝晩はさすがに涼しく、
秋という季節を感じられるようになった今日この頃。
秋といえば、美味しいものが沢山登場する季節でもあり。
魚売り場に秋サケが登場しているのを見て、早速
購入することに。例年に比べ、お値段は少々張りますが。

子供の頃、東北で育った私にとって、鮭はかなり一般的な、
というか、特に冬季は、かなりの頻度で登場していた魚。
ネコマタとも呼ばれておりました(「猫も跨ぐ」とか「猫も
『またか』と呆れるとか、諸説はあるが・・・)でも、
そういった先入観はぬきにすれば、なかなか美味な魚なのです。

私は、かりっとした鮭を味わうのが好きなので、粉をはたいて
フライパンでバター焼きしたものがベストだと思うのですが。

関西育ちの相棒にとっては、鮭は一種高級魚のイメージも
あるらしく。シンプルな食べ方よりも、賑やかな食べ方(って、
かなりイメージ先行のひょうげんだが)が好きらしい。

「ちゃんちゃん焼きにして」と言われたことがあり、ネットで
調べて、早速作ってみたのは数年前。そのことを思い出し、
今回もその料理にすることに。

鮭の切り身、数センチ角に切ったキャベツを中くらいの大きさの
ざる一杯(一個の四分の一くらい)、小分けしたしめじを
お茶碗一杯くらい、さらにピーマン二つ、玉ねぎ半分をそれぞれ
細切りにしたもの(人参を入れるというレシピが多いが、相棒が
それを見た途端食べなくなる恐れがあるので却下)。

鮭は両面に軽く塩胡椒して、バターを溶かしたフライパンで、身の
方から焼き付ける。裏返して焼き付けた後、野菜を載せて、
その上に、味噌大匙二杯半、酒大匙2,みりん大匙1,豆板醤を
小さじ一をよく混ぜ合わせた調味料を回し入れ、ふたをして
6~7分、中火で蒸し煮する。キャベツがしんなりした頃が
出来上がりの目安です。

豆板醤を入れないレシピが普通らしいけれど、我が家では
その他に、輪切りの赤トウガラシも少し入れます。
ピリッとした味が楽しめますので。以上、二人分の
鮭のちゃんちゃん焼きでした。お試しあれ。
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いとみち [映画]

日本映画「いとみち」(2021年封切)、何の情報もないまま
録画していたので見たのだが。冒頭、青森県弘前市の高校の
授業風景から始まる。教師が生徒に順番にプリントを読ませている。
(ヘタな授業運びじゃ、と突っ込みたくなるが)、主人公らしい少女
が読み始めると、教室内でかすかな失笑が起きる。訛りが強くて、
私にもとんと理解できず、私は瞬間的にこの少女は、朝鮮半島から
移住してきているのでは、と思ったくらいだった。少し後で、
これが全くの勘違いで、少女はとりわけ津軽訛が強かっただけ、と
分るのだけれど。

津軽弁には、韓国語とのかなりの共通点があるような気がする。
特に抑揚が似ているような気がするのだ。冒頭からそうだったように、
この主人公の少女、いとの話す言葉が、ほとんど理解できない。
字幕が欲しい、と思うくらいに。子供の頃に東北(新潟県上越地方の
訛の方が強い山形県南西部だが)で育っている私ですらそうなのだから、
他の地域の人たちにはほとんど理解不能なのではないのだろうか。

でもそんなことはお構いなしに映画は進む。そして主人公のこころの
なかをのぞき込むように映画を観続けていると、何を話しているのか
少しずつだが、理解できるようになっていく。不思議だが、自分でも
ちょっと感動的、と思えることである。

圧巻は津軽三味線の演奏の場面。特に結末近くに、祖母のハツヱと
いとが合奏する場面は圧巻だった。主人公を演じているのは津軽出身の
駒井蓮だが、祖母を演じているのは、津軽三味線の第一人者、
高橋竹山の一番弟子と言われた、西川洋子だから、当然といえば
当然のことではあったが。

映画を観終わると、三味線の演奏をもっともっと聞きたかった、という
喪失感に襲われた。ずっと以前、学生の頃に映画館で観た「津軽
じょんがら節」をまた見てみたい、とも思った。
題名となった「いとみち」は、少女いとの進む道、という
意味かと思っていたが、これは三味線を弾いていると、爪に
できる糸状の溝のことであるという。この種の弦楽器は、
指にとって過酷だからなあ・・・。津軽に思いがある人、三味線の
音が好きな方には必見の映画です。
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ちりめん山椒 [食文化]

「塔」八月号では、食を大切にされていた歌人・河野裕子氏に
ちなんで、「食べ物特集」が企画された。「河野裕子に食べさせて
もらった食べ物」「京都のおすすめの食べ物」などにまつわる
エッセイが並んだ。京都の食べ物というと思いつくものは多いが、
今回はちりめん山椒について書いてみたい。

相棒の古い友人で、数歳先輩であるF氏は関東出身だが、二十代後半に
京都に職を得て転居し、亡くなるまで京都に暮した。
才気煥発、自由闊達の人で、我が家にも良く泊まっていったが
(いきなり来る。夜中でも来て泊っていく!)夫人のYさんに
お会いしたことはなかった。かなり個性的な都会的な人とは
聞いていた。ちなみに彼女も、生まれも育ちも東京だった。

F氏は五十代も後半に入ってから離婚し、一回りも年下の
Rさんと再婚した。Rさんは生まれも育ちも北関東とのこと。
私は、Yさん同様、Rさんにもお会いしたことはない。
二人が再婚すると間もなく、F氏は
重い病気にかかり、何度も入退院を繰り返すことになった。

相棒が京都に用事が出来たついでにF氏に会ってくる、
と出かけた折。Rさんからお土産に頂いたのが、ちりめん山椒だった。
綺麗な和紙に包まれていて、なんと手作り、とのことだった。
その美味しかったこと! ちりめんじゃこは噛み応えがありながら
どこかふんわりとした柔らかな食感で深みのあるあじ。対して
山椒はあくまで突き刺すような鋭い辛み。その対照的な食感が
絶妙だった。私は以来京都に出かけるたびに、あちこちで
ちりめん山椒を購入するようになったのだが、Rさんの手作りほど
美味だったちりめん山椒に、まだ出会えていないのである。

最初の奥さんのYさんは、料理が大嫌い、と言ってたそうだが。
Rさんは逆に、とても家庭的な方だったのだろう。
そして元気なF氏と過せた時間の短かったことも痛ましく
思う。F氏は十年近い闘病生活の後、亡くなられたからである。
F氏とYさんの関係は決して険悪なものではなく、お互いに笑って
別れた、とも聞いている。でもその後まもなく、Rさんを伴侶と
されたことは、F氏にとってとても幸せなことだったにちがいなく。

でもRさんにとってはどうだったのだろう。全く未知の地で
看病に明け暮れる日々を過ごすことになってしまったが・・・。
あの美味だったちりめん山椒が舌によみがえる。京都という地に
溶け込もうと努力されていたのだろうと想像できる。
Rさんにとっても挑戦の日々、充実の日々だったのではないか。
そう思いたい。
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河野裕子シンポジウム [短歌]

9月10日(土)京都で河野裕子シンポジウムが開かれた。
コロナ禍に阻まれ、予定より二年遅れて。色々とご尽力下さった
塔の担当者の方々にお礼申し上げたい。当日まで、本当に
気の抜けない時間を過ごされたに違いないから。

結果的には台風の襲来もなく、不意のコロナの急伸による
自粛宣言などもなく、四百余名が集まり、粛々と行われたことを
互いに喜びたい。

当日は、永田和宏氏の講演「河野裕子と私」、花山多佳子氏の
「河野裕子の『歌の読み』」、それに澤村斉美、小林信也、
永田紅各氏による「河野裕子に再び出会う」という題の鼎談。

いずれも聞きごたえがあり、思いがけない発見もあった。
今回はその中で、特に花山さんの講演について書いてみよう。
演題だけだと、裕子さんの歌をどう読むか、という意味かとも
勘違いしそうになるが、ここは「河野裕子が他の歌人の歌を
どう読んだか」という内容だった。レジメにはいろいろと
挙げてあって、これを読むのも面白いのだけれど、彼女が
壇上で言及したのは主に、齋藤史の作品についての裕子さんの
「読み」である。

テキストに使われたのは河野裕子著『鑑賞・現代短歌三 齋藤史』
(1997年10月刊 本阿弥書店)。裕子さんは史の作品から秀歌と
思われる歌を選び、鑑賞しているのだが、その選び方はこれまで
評価の高かった史の作品からは大きく外れているものが多い、と
花山さんは指摘する。そればかりではなく、裕子さんは自分が
選んだ歌とぶつけるように、史の「名歌」を鑑賞文に引き、
批判しているのだそうだ。例として挙げられているひとつ、

 冬ちかき光を溜めてゐる草生石は古りつつなほ土ならず
             斎藤史「修那羅峠」『ひたくれなゐ』
 ・・・・「修那羅峠」といえば、多くの人が
  山坂を髪乱れつつ来しからにわれも信濃の願人の姥
 をあげるが、私は少しもいいとは思わない。意図が見えすぎて
 おどろおどろし過ぎるのだ。・・・
             
願人のうたは、私もよく知っているし、秀歌だと思ってきたけれど。

花山さんは、佐伯裕子さんの『斎藤史の歌』(1997年11月刊
 雁書館)と比較もされている。
たった一か月違いで刊行されたこの二冊は、史作品の読みを
180度違えるものとして、当時は歌壇でも話題になったのだとか。

花山さんの話は、なかなか聞きごたえがあり、面白い内容だった。
また、淡々とした話し方に、さりげない話術もあった。冒頭、
河野さんからよく電話をもらったこと、その時の口調を真似ながら
「はア↑」って、声が上がるのよね、それがまた怖いんです・・
と仰って、聴衆を笑わせていた。ああ、花山さんも恐かったんだ、
とほっとした(私も河野さんからの電話は、死ぬほど怖かった)。
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ミセス・ソルジャー [映画]

このところ、映画について書くことが少なかったが、もちろん
ほぼ一日一本ずつ見てはいた。でも、なかなか、これは、という
作品に出会えないでいた。「ミセス・ソルジャー」も、特に
感動した、良かった、というたぐいの映画ではなかったのだが。

邦題が良くないよね。私は最初、戦争ものかと思った。特に
米国では女性兵の採用を積極的に進めているし、その方向からの
作品かな、と思ったのだけれど、戦争映画ではなく。原題も
「Take Back」と、至って地味な題。映画の題風に訳すのは
やはり難しいが、「蘇生」くらいが適当か。(記憶などが)蘇ること、
(何か失ったものなどを)取り戻す、というような意味の言葉である。

冒頭、四十歳前後の男女が、ボクシングの打ち合いの稽古を
している場面から始まる。男性が女性を指導しているらしい。二人とも
かなり高い身体能力をもっているらしいことがわかる。観客には、
このあと、どんな迫力のあるアクションシーンが見られるか、期待を
持たせる。二人は結婚四年目の夫婦で、妻のザラは弁護士、
夫のブライアンは護身術道場の師範で、オードリーという連れ子がいる。

幸福な家庭生活を送っている三人だったが、ザラがたまたま訪れた
コーヒーショップで、女性店員が男に脅され、危害を加えられそうに
なったのを目撃、素早く体が反応して男を撃退してしまう。
この時の防犯カメラの映像が流出し、メディアから注目される
ようになったのを機に、彼女の過去にまつわる犯罪集団が彼女に
復讐を仕掛けてくる。オードリーが、人身売買組織に誘拐される
という事態がおきてしまうのだ。

アクションシーンは、確かに見ごたえがあった。護身術には、
空手や柔道も用いられていて、所々に日本語が出てきたり、
ザラの家にある、日本刀が使われたりもする。だが・・・。
ストーリーとしては不自然な点、あまりにも強引な点が多すぎる。
「アクションを楽しめたのならいいでしょう」って、確かに
それもそうかもしれないのだけれども。
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『麒麟騎手』 [読書]

先日の当ブログで、歌人・寺山修司を取り上げたが、その
きっかけとなったのは「角川短歌」2017年11月号をたまたま
再読していて出会った、穂村弘さんの「短歌とはこういうものだと
刷り込まれた五冊」という見開き二頁分のエッセイだった。
この五冊には『寺山修司青春歌集』と共に塚本邦雄『麒麟騎手』
も含まれていたのである。

そういえばこの本、私、持っていたかも。と思い出し、本棚を
探ると出てきました(笑)。穂村さんは2003年刊の沖積舎版も
持っているそうだけど、私のは1974年新書館刊。しかも
神田の古本屋のラベルがついている! 所々に赤線が引いてあるのに
値段が定価と同じ1200円だ(高いぢゃないか)。ま、いいか。

穂村さんはこの書を「塚本が寺山に送った書簡集」と書いているが、
そして確かに全体の四分の三はそうなのだが、冒頭の四分の一は
塚本による寺山修司論になっていて、こちらの方が断然面白い、
と私は思ったし、今も思っている。穂村さんのこのエッセイを読んで
書簡集の方を再読し始めたが、たちまち飽きてしまった。他人への
手紙をわざわざ大量にまとめて活字化する、ということが、しかも
当時はまだ寺山は存命だったことを考えると、その感覚にわたしは
ついて行けない感じがする。それはともかく・・・。

前半の寺山論は抜群に面白い。特に私は野球が好きなので、
寺山の未刊詩集に収められている「九人の唖の物語」に関する
言及は、もう、おなかを抱えて笑ってしまった(笑った後で、少々
さびしくなるが)

 衆人環視の中なればこそなほさら二人の唖の目と目で交す
 愛の対話は物悲しく、時には性的な恍惚すら帯びていた。
 しかも投げ手と受手は同格ではない・・。受手が投げ返す 
 行為の中には、優雅な兼譲と躊躇さへこめられてゐるかのやうに・・
      塚本邦雄『麒麟騎手』

塚本は寺山のこの詩を読んでから、これまで微塵だに興味のなかった
野球に目覚めたのだとか。ゲームそのものには興味がなく、ただ、
九人の物言わぬつわもの達が繰り広げる、心の交感を想像し、
楽しむだけのために。このあたりを表現する塚本の筆はぎらぎらに
ノッテいて、抜群に面白いのだった。もう、たらたらと相手の心を
忖度しながら書いている書簡など、比べものにならないくらいに。
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折々の歌人・永井陽子 [短歌]

永井陽子さんについては、短歌を始めたばかりの頃に入手した
『樟の木のうた』(1983年短歌新聞社刊)で知った。

 春あはき教室に子が置き忘れたる湖(うみ)のあをさの三角定規
 天空をながるるさくら春十五夜世界はいまなんと大きな時計
 べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊
                  永井陽子『樟の木のうた』

などにすっかり魅了された私は、『樟の木のうた』が、永井さんの
三番目の歌集、と知り、是非先行の二冊を読んでみたい、と思った。
ところが、どこを探してもみつけることができない。少部数を
自主出版したものらしい、と知り、思い切って、ご本人に
電話をかけたのだった。1980年代の後半頃だったろう。
私も若く、思い立つとけっこうそのまま行動していたみたいだ。

お会いすることは最後までなかったが、細く美しい声の人だった
ように記憶する。いきなり電話してきた私に、申し訳なさそうに
「手元にもう残っていないのです」と仰った。

それから二、三年後の1991年、第二歌集『なよたけ拾遺』の抄録版
『なよたけ抄』(沖積舎)が出版されると、贈呈してくださり、
感激したことを覚えている。

 まだうすきくちびるあはせ明けの野にたんぽぽの酒飲めばかなしも
 みづながれふるさとながれ虹ながれさながら天へ消えゆくひとり
 あめつちのかひなに抱かれしんしんとたれをかなしむ野のゆきうさぎ
              永井陽子『なよたけ抄』

永井さんの作品は、絵本のようであり、唱歌のようでもある。
柔らかい午後の光を浴びながら、草の匂いを嗅いでいる、
そんな時間を与えられるような感じもする。

永井さんは、二十一世紀を迎えることなく、遠いところへ旅立って
いってしまわれた。でも、活字は残っていて、いつでも何度でも
くりかえし永井さんの作り上げた言葉の世界へ招かれることに
有難い気持ちがしている。うたで自分を語らない人だったけれど、
どの歌にも必ず彼女が棲んでいることに驚かされるのだ。

 ふいに来て身も智も朝のしづくごと攫ひてゆけよ空のブランコ
                 永井陽子『樟の木のうた』
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折々の歌人・寺山修司 [短歌]

古い「角川短歌」をぱらぱら見ていたら、歌に出会った頃の
一冊として、穂村弘さんが「文庫本の歌集は珍しくて、
これを持ち歩いて読んでいた。・・・ぼろぼろだ。」と書かれ
ているのが目に留まった。
『寺山修司青春歌集』(昭和47年刊 角川文庫)だそうだ。

ああ、私もそうだった、と思い出す。短歌を作り始めた頃、
一番熱心に読んでいたのは確かに寺山修司! まずは
(短歌に目覚めるずっと前から持っていた)アンソロジーの中の
寺山の項を何度も読み。そして入手したのが『寺山修司全歌集』
(昭和57年刊 沖積舎)である。一番に惹かれたのが中ほどに
収録された初期歌篇の章。寺山が高校生時代に詠んだ歌の数々である。

 森駆けてきてほてりたるわが頬にうずめんとするに紫陽花くらし
 わが通る果樹園の小屋いつも暗く父と呼びたき番人が棲む
 海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
 そら豆の殻一せいに鳴る夕母につながるわれのソネット
 蛮声をあげて九月の森に入れりハイネのために学をあざむき
 
これ等の作品は今もほとんど暗誦できる。自分の作品にも
かなり影響を受けた、というか、やはり歌のリズムが体感と
なるまでに模倣が必要だったわけで、有難い存在だった。

 知恵のみがもたらせる詩を書きためて暖かきかな林檎の空き箱
             寺山修司「初期歌篇」

 夢いつもかぐわしき香に満ちし日々林檎の箱を書棚となして
             岡部史『コットンドリーム』

こんな感じでした、はい。素朴過ぎて今は恥ずかしいですね。

寺山は、才気煥発の人。短歌の世界は物足りなかったのだろう、
早いうちに見切りをつけて、演劇の世界の方へ飛び出していった。
その遺産は大きくて、今もまぶしい。

 村境の春や錆びたる捨て車輪ふるさとまとめて花いちもんめ
 売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき
 父の遺産のなかに数えん夕焼はさむざむとどの畔よりも見ゆ
 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
                    『寺山修司全歌集』
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アクアパッツア [食文化]

去年の暮、さるところから「能登半島の魚」の詰め合わせを
頂いた。すごく美味しくて、これに味をしめ、ネットで北陸の
お魚を注文することに。今度は福井県にある専門店から
購入することに。ハタハタとか、のどぐろとか、我が家の近辺では
見かけないお魚も入っていて、良かったのだけれど、味の方は
能登の方が、若干上だったかな・・・。福井産の方で良かったのは、
レシピが入っていたこと。その中のアクアパッツアに目がいく。

イタリアンレストランで食べたことはあるけれど、自分で作ろう、
とは思えないでいたが、レシピを見ると意外に簡単そうなのだ。
調べてみると、アクアパッツアとはイタリア語で「狂った水」
とかいう意味で、もともとは漁師たちが、余った魚で作る、
一種のまかない料理だったらしい。船上で、海水を沸かし、
魚を放り込んだだけ、が最も原始的なそれらしいのだが。

それに関して思い出すのは、静岡県の須崎半島近辺に
伝わる郷土料理の、「いけんだにみそ」。こちらも、余った
魚を煮て味噌で味付けしただけの汁ものだけれど、いかにも
おいしそうな、潮の香りが匂い立つような料理だ。

以来、アクアパッツアも我家のメニューの一つに収まることに。
特にこのコロナ禍で、買い物は週二度体制にしているなか、
干物をうまく利用できるのが有難い。作り方は以下(二人分)

⒈フライパンにオリーブオイルを温め、大蒜のみじん切りを炒める
2.塩胡椒を振った干し鰈二匹の両面を焼き付ける
3.塩抜きしたあさりと白ワイン(80CCくらい)を入れる
4.刻んだタイム、半切りのプチトマトとマッシュルームを入れる
5.水300CCくらいをいれ、ふたをして数分煮る

水が多いですよね。この料理はお魚を食べる、というより、
スープを味わうための一皿。干物には塩が効いている場合が多いので
塩胡椒する場合、加減してください。
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投函ご注意 [生活]

短歌の仲間の〇〇さん、メールで歌を読み合うグループを
つくっておられ、そこで私の古い歌集を読んでくださるという。
家に残っているので、三冊ほどさしあげることに。
郵便局のレターパック(青い方)にこの三冊と、さらに
もう一冊別の本を入れて、ポストに投函しに行った。

少し重くて大きくなってしまい(重量と厚さ制限は守っているのだが)
ポストの口になかなか入らない。左手で、えいっと押し込むと・・・。
どさっと音がして、レターパックはポストの奥に消えた。
ほっとしたのもつかのま、なんと我が左手が、ポストから
抜けなくなってしまったのだ。左手にはめていた腕時計が
ひっかかってしまって・・・。むむむ・・・。焦る。

右手でそっと腕時計の留め金をはずし(ポスト側に落ちないよう
気を遣った)、時計を少しずつ腕の側に滑り落として、ようやく
左手が抜けた。押し込む時に右手を使えばよかったのだ。

でも、私はもともと左利き気味のところがあって、
無意識に何かするとき、左手が先に出ているときがある。
いや、問題はこっちだな、つまり、おっちょこちょい?
帰りがけ、沢田英史さんの作品を思い出していた。

  うかうかと自分を差し出してしまひさうなポストの口が
  ゆふぐれに開く        沢田英史『異客』
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