SSブログ

『麒麟騎手』 [読書]

先日の当ブログで、歌人・寺山修司を取り上げたが、その
きっかけとなったのは「角川短歌」2017年11月号をたまたま
再読していて出会った、穂村弘さんの「短歌とはこういうものだと
刷り込まれた五冊」という見開き二頁分のエッセイだった。
この五冊には『寺山修司青春歌集』と共に塚本邦雄『麒麟騎手』
も含まれていたのである。

そういえばこの本、私、持っていたかも。と思い出し、本棚を
探ると出てきました(笑)。穂村さんは2003年刊の沖積舎版も
持っているそうだけど、私のは1974年新書館刊。しかも
神田の古本屋のラベルがついている! 所々に赤線が引いてあるのに
値段が定価と同じ1200円だ(高いぢゃないか)。ま、いいか。

穂村さんはこの書を「塚本が寺山に送った書簡集」と書いているが、
そして確かに全体の四分の三はそうなのだが、冒頭の四分の一は
塚本による寺山修司論になっていて、こちらの方が断然面白い、
と私は思ったし、今も思っている。穂村さんのこのエッセイを読んで
書簡集の方を再読し始めたが、たちまち飽きてしまった。他人への
手紙をわざわざ大量にまとめて活字化する、ということが、しかも
当時はまだ寺山は存命だったことを考えると、その感覚にわたしは
ついて行けない感じがする。それはともかく・・・。

前半の寺山論は抜群に面白い。特に私は野球が好きなので、
寺山の未刊詩集に収められている「九人の唖の物語」に関する
言及は、もう、おなかを抱えて笑ってしまった(笑った後で、少々
さびしくなるが)

 衆人環視の中なればこそなほさら二人の唖の目と目で交す
 愛の対話は物悲しく、時には性的な恍惚すら帯びていた。
 しかも投げ手と受手は同格ではない・・。受手が投げ返す 
 行為の中には、優雅な兼譲と躊躇さへこめられてゐるかのやうに・・
      塚本邦雄『麒麟騎手』

塚本は寺山のこの詩を読んでから、これまで微塵だに興味のなかった
野球に目覚めたのだとか。ゲームそのものには興味がなく、ただ、
九人の物言わぬつわもの達が繰り広げる、心の交感を想像し、
楽しむだけのために。このあたりを表現する塚本の筆はぎらぎらに
ノッテいて、抜群に面白いのだった。もう、たらたらと相手の心を
忖度しながら書いている書簡など、比べものにならないくらいに。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0