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ゴジラとGODZILLA [短歌]

私が所属する「塔短歌会」の会誌4月号。今月は「塔」創刊70周年記念号と
あり、大冊(約360頁)である。半端ない読み応えで、例月作品の方は、
あちこち拾い読みにとどまっているのだけれど(まあ、毎月そうなのだが)。

  ゴジラでもふいに浮上しくるような海面は薄き雲の色して
                    永久保英敏

なみの亜子さんの選歌欄の最初の方の頁に見つけた歌。どんよりとした
空に広がる、鈍色の雲のような海面を見ていて、なにやら得体のしれない
生きものが浮き上がってくるのでは、という幻想に捉われたのだろう。
ゴジラ、といえばちょうど最新作がアカデミー賞の視覚効果賞を受賞して
話題にもなっているし、あの迫力ある怪獣を幻視してしまう、そんな
怪しい色の海だったのかも、と思わされ、なかなか面白い作品だな、
と思ったのだが。初句の「ゴジラでも」の「でも」は惜しいな、と思った。

「でも」は、沢山選択肢があるうちの、任意の一つ、という感覚がある。
「パンでも、ごはんでもいい」とか「先生にでもなるか」とか。
消極的選択の意味が強く出てしまう気がするのである。「ゴジラ」こそが
出てきそうな海、と、断定した方が、映像性も強まるのではないか。

ここに「でも」を挿入したのは、音を五音に合わせたかったからだろうか。
他に理由は考えられない。となると・・・。そこで思い出したのが、
1984年制作の映画「ゴジラ」だった。私は85年から86年にかけて
アメリカで生活していて、この映画は86年の春頃、現地のTVで
放映されていたのを観たのだった。がっかりするような駄作だった。

放映されていた映画は吹き替えだった記憶がある。それであらためて
きがついたのだが、ゴジラは、日本風には発音されていないということ。
英語版のゴジラは「GODZILLA」と表記され、発音は「がっずぃーら」と
聞こえる。「ず」の音にアクセントがあり、なかなか迫力のある固有名詞で、
日本語で聞くゴジラより、はるかに巨大な怪獣を思わせる発音になっているのだ。

その迫力の理由をさらに細かく考えてみると、最初の音の「がっ」がまず
何かをまさに「がっ」と掴むような激しい音であること、さらに「ずぃー」の音が、
現在の日本語ではほとんど発音されない「Z音」を含んでいることである。
「Z」は、いわゆる東北の「ずーずー弁」という言葉の理由になった音。
奥歯をかみ合わせ、そこでできた口腔内の空間で舌を跳ねらす音だ。
東北弁が絶滅危惧種化している現在、ほとんど国内では耳にすることが
なくなったのだが、英語にはあって、たとえば郵便番号でもある「Zip code」
とか、零の意の「zero」などなど、日本風にゼロ、ジップコードなどと
発音しては通じない。英語のg音、z音の力強さが、ゴジラという
生きものをさらに凶暴にしているといえそうだ。

永久保さんの先述の歌も初句が「GODZILLA(ガッズィーラ)が」だったらなあ、
と考えてしまった。
続けて、英語という言葉の持つ、発音の激しさ、というかエネルギッシュな
部分にも思いが及んだ。日本語の発音の凹凸のなさとは対照的な。
日本人は、何かを語りたくて、語っているだろうか。語りたくなくて、
それでもやむを得ず語っている、という場面が多すぎやしないだろうか。
そんなことまで、思いが及んでしまった。
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