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折々の歌人・寺山修司 [短歌]

古い「角川短歌」をぱらぱら見ていたら、歌に出会った頃の
一冊として、穂村弘さんが「文庫本の歌集は珍しくて、
これを持ち歩いて読んでいた。・・・ぼろぼろだ。」と書かれ
ているのが目に留まった。
『寺山修司青春歌集』(昭和47年刊 角川文庫)だそうだ。

ああ、私もそうだった、と思い出す。短歌を作り始めた頃、
一番熱心に読んでいたのは確かに寺山修司! まずは
(短歌に目覚めるずっと前から持っていた)アンソロジーの中の
寺山の項を何度も読み。そして入手したのが『寺山修司全歌集』
(昭和57年刊 沖積舎)である。一番に惹かれたのが中ほどに
収録された初期歌篇の章。寺山が高校生時代に詠んだ歌の数々である。

 森駆けてきてほてりたるわが頬にうずめんとするに紫陽花くらし
 わが通る果樹園の小屋いつも暗く父と呼びたき番人が棲む
 海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり
 そら豆の殻一せいに鳴る夕母につながるわれのソネット
 蛮声をあげて九月の森に入れりハイネのために学をあざむき
 
これ等の作品は今もほとんど暗誦できる。自分の作品にも
かなり影響を受けた、というか、やはり歌のリズムが体感と
なるまでに模倣が必要だったわけで、有難い存在だった。

 知恵のみがもたらせる詩を書きためて暖かきかな林檎の空き箱
             寺山修司「初期歌篇」

 夢いつもかぐわしき香に満ちし日々林檎の箱を書棚となして
             岡部史『コットンドリーム』

こんな感じでした、はい。素朴過ぎて今は恥ずかしいですね。

寺山は、才気煥発の人。短歌の世界は物足りなかったのだろう、
早いうちに見切りをつけて、演劇の世界の方へ飛び出していった。
その遺産は大きくて、今もまぶしい。

 村境の春や錆びたる捨て車輪ふるさとまとめて花いちもんめ
 売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき
 父の遺産のなかに数えん夕焼はさむざむとどの畔よりも見ゆ
 マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
                    『寺山修司全歌集』
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