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ちりめん山椒 [食文化]

「塔」八月号では、食を大切にされていた歌人・河野裕子氏に
ちなんで、「食べ物特集」が企画された。「河野裕子に食べさせて
もらった食べ物」「京都のおすすめの食べ物」などにまつわる
エッセイが並んだ。京都の食べ物というと思いつくものは多いが、
今回はちりめん山椒について書いてみたい。

相棒の古い友人で、数歳先輩であるF氏は関東出身だが、二十代後半に
京都に職を得て転居し、亡くなるまで京都に暮した。
才気煥発、自由闊達の人で、我が家にも良く泊まっていったが
(いきなり来る。夜中でも来て泊っていく!)夫人のYさんに
お会いしたことはなかった。かなり個性的な都会的な人とは
聞いていた。ちなみに彼女も、生まれも育ちも東京だった。

F氏は五十代も後半に入ってから離婚し、一回りも年下の
Rさんと再婚した。Rさんは生まれも育ちも北関東とのこと。
私は、Yさん同様、Rさんにもお会いしたことはない。
二人が再婚すると間もなく、F氏は
重い病気にかかり、何度も入退院を繰り返すことになった。

相棒が京都に用事が出来たついでにF氏に会ってくる、
と出かけた折。Rさんからお土産に頂いたのが、ちりめん山椒だった。
綺麗な和紙に包まれていて、なんと手作り、とのことだった。
その美味しかったこと! ちりめんじゃこは噛み応えがありながら
どこかふんわりとした柔らかな食感で深みのあるあじ。対して
山椒はあくまで突き刺すような鋭い辛み。その対照的な食感が
絶妙だった。私は以来京都に出かけるたびに、あちこちで
ちりめん山椒を購入するようになったのだが、Rさんの手作りほど
美味だったちりめん山椒に、まだ出会えていないのである。

最初の奥さんのYさんは、料理が大嫌い、と言ってたそうだが。
Rさんは逆に、とても家庭的な方だったのだろう。
そして元気なF氏と過せた時間の短かったことも痛ましく
思う。F氏は十年近い闘病生活の後、亡くなられたからである。
F氏とYさんの関係は決して険悪なものではなく、お互いに笑って
別れた、とも聞いている。でもその後まもなく、Rさんを伴侶と
されたことは、F氏にとってとても幸せなことだったにちがいなく。

でもRさんにとってはどうだったのだろう。全く未知の地で
看病に明け暮れる日々を過ごすことになってしまったが・・・。
あの美味だったちりめん山椒が舌によみがえる。京都という地に
溶け込もうと努力されていたのだろうと想像できる。
Rさんにとっても挑戦の日々、充実の日々だったのではないか。
そう思いたい。
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