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砂の家 [文学]

山形新聞には「気炎」という八百字足らずの小さなコラムが
あって、数人の筆者が回り持ちで書いている。昨日のこの欄は
「『砂の女』の家」と題して、安部公房の『砂の女』が一枚の写真から
着想を得て書かれた小説であることを紹介している。
その写真とは、日本海に面した庄内砂丘の、飛砂被害の激しい地区に
建てられた家が撮影されたもので、砂の間から屋根だけが出ている
モノクロ写真、というから、何ともシュールなのだが・・・。

筆者の森山海人氏は、その写真の撮影された酒田市浜中の出身で、
昭和四十年代半ばに建て替えられる前までは、まさに小説に登場するような、
「砂底の家」で生活していた、とあって、驚かされた。
家全体が路面から1,5mほど下の低地に立てられていて、路肩から土の
階段を降りて、小さな庭を通って家に入る、とある。

私が『砂の女』を読んだのは三十代の終りころ、と思い出し、書庫を
探って件の書を引っ張り出してみると、昭和五十六年発刊の新潮文庫の
平成元年に刊行された第二十七刷版だった。ちなみにこの書の書き下ろしが
発刊されたのは、昭和三十七年、1962年のことである。

初めて読んだ時、まるでホラーだ、と心底恐ろしくなったことを覚えている。
勿論、純文学として高い評価を得て、刊行間もない1964年には英訳され、
さらにチェコ語やフィンランド語など、二十数か国語へ訳されて、世界的な
評価を得たことはよく知られている。でも、私にはほとんどホラー小説として
強く印象に残っていた。

昨日、山新の「気炎」を読んで、その砂の家の実在を具体的に知ってから、
私がなぜこの書が心底恐ろしかったのかが、ようやく腑に落ちた。あの砂の家は、
子供の頃に暮した豪雪地で暮した家に酷似するからだと・・・。
掻き出しても掻き出しても降り積もってくる雪。降り続け、すべてを
覆い尽くそうとする雪に、窒息しそうになったあの日々が、『砂の女』の家で
展開される日々と相似する、と感じたのだ。

森山氏の文章は
 彫られた土地に鎮座する幾つもの家の佇まいは、自分たちは気が
 つかなかったが、とても珍しい風景だったかもしれない。

と結ばれている。その景色から、あの一編の小説を構想した、
作家の力量を思うのである。
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