想い出のペルー [旅]
世界のあちこちを旅してきて、よく「どこが一番だった?」
という質問を受ける。即答する「ペルー!」と。
滞米時に英語の学校で知り合った、ペルーからの留学生ソフィア。
彼女がペルーに里帰りすると聞いて、一緒に行きたいなあ、と
何となくつぶやいたら、「じゃあ、一緒に行こう!」ってことに。
彼女はまだ十九歳。両親はすでにアメリカに移住していたが、
未成年だった彼女は、正式にアメリカの永住権を取得できてなくて、
定期的にペルーに帰る必要があった。実家はまだリマにあって、
父親の妹の一家が住んでいるという。その家に泊めてもらい、
マチュピチュやクスコを回ろう、ということになったのだ。
その旅は、かなり過酷なものになった。標高が高く、身体的に
きつかったこと。個人で行く、となるとなかなか思うにまかせない
ことも多くあり・・・・。
でも、まるで遠い古代の国を旅しているような、それは得難い
経験だった。もう三十数年前になるので、現在はかなり変わっている
に違いないのだけれど。クスコでは、すれ違う人たちが、テレビや
写真などで見た通りの、民族衣装を着ているのだが、決して観光用に
着飾っているわけではない。その実、彼らは少々、薄汚れている。
インディオの人たちは、入浴の習慣がないのだそうだ。
中には子供を包み込んだ大きな風呂敷を背負っている人も見かけた。
写真は、当時クスコで購入した壁掛けである。
麻の布に、毛糸で刺繍してあるのだが、それがとても素晴らしくて。
今も時々広げて見ている。
という質問を受ける。即答する「ペルー!」と。
滞米時に英語の学校で知り合った、ペルーからの留学生ソフィア。
彼女がペルーに里帰りすると聞いて、一緒に行きたいなあ、と
何となくつぶやいたら、「じゃあ、一緒に行こう!」ってことに。
彼女はまだ十九歳。両親はすでにアメリカに移住していたが、
未成年だった彼女は、正式にアメリカの永住権を取得できてなくて、
定期的にペルーに帰る必要があった。実家はまだリマにあって、
父親の妹の一家が住んでいるという。その家に泊めてもらい、
マチュピチュやクスコを回ろう、ということになったのだ。
その旅は、かなり過酷なものになった。標高が高く、身体的に
きつかったこと。個人で行く、となるとなかなか思うにまかせない
ことも多くあり・・・・。
でも、まるで遠い古代の国を旅しているような、それは得難い
経験だった。もう三十数年前になるので、現在はかなり変わっている
に違いないのだけれど。クスコでは、すれ違う人たちが、テレビや
写真などで見た通りの、民族衣装を着ているのだが、決して観光用に
着飾っているわけではない。その実、彼らは少々、薄汚れている。
インディオの人たちは、入浴の習慣がないのだそうだ。
中には子供を包み込んだ大きな風呂敷を背負っている人も見かけた。
写真は、当時クスコで購入した壁掛けである。
麻の布に、毛糸で刺繍してあるのだが、それがとても素晴らしくて。
今も時々広げて見ている。
2023-02-21 10:06
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