地方紙を読む(続) [言葉]
電子版の山形新聞を購読し始めて二カ月余り。
毎朝、楽しみに読んでいるのだが・・・。
この地に生まれ、十五年も暮してきたのに、私は山形のことを
まったく知らなかったんだなあ、と気付かされることも多くあり、
子どもだったとはいえ、いったい何をしていたんだろう、と
愕然とすることしばしば・・・。特に食文化にはかなり疎かった、
と思い知らされる。
母は山形市のすぐ近く、天童市の出身だったのに。
父が新潟県の出身だったから、父の方の好みに合わせた料理を
作ってくれていた、ってことだろうか。いや、たぶん・・・。
想像する理由の一つは、当時暮していた山形南部の町が
新潟県に隣接し、食材の多く、特に、海産物、果実、野菜などを
新潟県側に頼っていたこと、が大きかったのではないだろうか。
それは山形新聞を読んでいるとさらに感じることである。
というのも、特産物として紹介される多くの食材が、地域に限定的で、
県内に普遍的に、という存在の仕方をしていないものが多いからだ。
たとえば、2月3日の紙面で紹介されていた「雪菜」。これは、
米沢藩の藩主だった上杉鷹山が、冬場の食材として奨励したとされ、
米沢市近辺で長く作り続けられてきた野菜なのだった。雪の下で成長し、
自らの葉を養分とした「とう(花茎)」が利用されるという。
いかにも雪国らしい食材なのだが、私は一度も耳にした事はなく、
もちろん食べた記憶もないのだった。
地方の人口減少に加えてこのとても狭い地域限定性が、さらに
伝統文化の継承を難しくしているんだろうなあ、と考えてしまう。
毎朝、楽しみに読んでいるのだが・・・。
この地に生まれ、十五年も暮してきたのに、私は山形のことを
まったく知らなかったんだなあ、と気付かされることも多くあり、
子どもだったとはいえ、いったい何をしていたんだろう、と
愕然とすることしばしば・・・。特に食文化にはかなり疎かった、
と思い知らされる。
母は山形市のすぐ近く、天童市の出身だったのに。
父が新潟県の出身だったから、父の方の好みに合わせた料理を
作ってくれていた、ってことだろうか。いや、たぶん・・・。
想像する理由の一つは、当時暮していた山形南部の町が
新潟県に隣接し、食材の多く、特に、海産物、果実、野菜などを
新潟県側に頼っていたこと、が大きかったのではないだろうか。
それは山形新聞を読んでいるとさらに感じることである。
というのも、特産物として紹介される多くの食材が、地域に限定的で、
県内に普遍的に、という存在の仕方をしていないものが多いからだ。
たとえば、2月3日の紙面で紹介されていた「雪菜」。これは、
米沢藩の藩主だった上杉鷹山が、冬場の食材として奨励したとされ、
米沢市近辺で長く作り続けられてきた野菜なのだった。雪の下で成長し、
自らの葉を養分とした「とう(花茎)」が利用されるという。
いかにも雪国らしい食材なのだが、私は一度も耳にした事はなく、
もちろん食べた記憶もないのだった。
地方の人口減少に加えてこのとても狭い地域限定性が、さらに
伝統文化の継承を難しくしているんだろうなあ、と考えてしまう。