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「塔」編集部 [短歌]

私が所属している「塔短歌会」の編集部は、編集委員二十数名、さらに
数十名の編集スタッフがいて、毎月の塔誌が発行される仕組みになっている。
私は2005年初頭から編集委員を務めてきている。

主な仕事のひとつが一首評執筆者の選出と依頼。これは毎月八名ずつ選んで、
主として葉書で依頼を出す。断られる人、全く返事がない人なども
いて、結構大変である。特に一年半ほど前に、土曜配達がなくなり、
郵便事情が極端に低下してしまってからは、色々と選出にも苦慮した。
「塔」の発行が遅れがちな、一月号や五月号、日数の短い二月号の場合は
北海道や九州など遠方の人への依頼は控えるなどの対策もした。

もう一つの仕事は、一年に一度だが、「塔短歌会賞」の郵送受付と、
そのコピー、選者と担当者合計七名への応募作品のコピー、応募一覧の
作成などである。毎年五十通以上の応募があるので、コピーの量は
半端じゃない。およそ八百枚ほどもコピーしなければならず、主として
スーパーやコンビニのコピー機を利用するのだが、他に利用者が来て
順番を待たれると、落ち着いて取り組むことができず(ときには
「こっちは二、三枚なんだから、ちょっと代わって」と言われることも)
コピー機のある店を転々としながら作業したこともある。

幸い、近くのスーパーが二台そなえるようになったこと、その機械の
そばに狭いながらも作業台がおかれるようになったこともあって、
そこで集中的にできるようになってからは、比較的楽になった。
正直、この仕事は2011年の編集会議の議案書にわたしの名前が載っていて
もう、なんだか当然のように仕事を振られ、11年間勤めてきたけれど、
精神的にもきつかった。短歌会賞の締め切りが二年前までは二月で、
風邪などをひいてしまい、極端に体調が悪かったこともあった・・・。
父が亡くなった四年前は、葬儀社との話し合いの間に、コピー取りを
したこともあった。

一首評の仕事とこのコピー取りの仕事は、もう勘弁してもらいたいなあ、
と、一昨年頃から思い始めていた。いつも手伝ってくれていた相棒に言うと
「十分やったじゃないか。そろそろやめてもいいだろ」
と言ってくれたので、タイミングを考えていたのだけれど。

これら主な二つの仕事(他に都内の書店に「塔誌」を置く担当者との連絡
などがあるが、散発的で大した仕事ではない)を断るとなると、きっと
塔の編集部を抜けなければならなくなるだろう。でもそれは寂しい気がする。
特に、当番制でHPにブログを書くのはとても楽しいので、これだけでも
続けさせてくれないかなあ、と思っていた。でも編集部をやめると同時に
この当番からも外されることに決まっていた。これは特に未練があった。

色々考えていた昨年六月、主宰の吉川さんから電話があり、
「選者に」という依頼だったことに驚く。これは全く予期していなかったので。
塔の選者は定年制になっていて、八十歳でやめなければならない。私には
もう十年も残っていないのである。それなのに、この時点で引き受けるか!
という気持ちが先ず先に来た。でも、でも。選者ということになれば、
ブログ当番も続けられるし、コピー取りももう、しなくていい・・・。

色々考えた末、お引き受けすることにした。
「結局、ブログが書きたかった、ってことだろ」って、相棒には言われたが。

この一月末からすでに選者の仕事は始まっている。
二十数年の長きにわたって横浜歌会での総評は担当してきたけれど。
ほとんどあったこともない人達の作品を、それも丸ごと十首(ちょっと
驚いたのだが、ほとんどの人が十首ずつの詠草を作成してくる)の
手書きの詠草を読ませてもらうことになり、それも毎月六十数名分!
全国の色々な地から送られてくる。それぞれの詠草から季節が香り、
風土や慣習なども漂ってくる。とても得難い経験だ、と気がついた。

丁寧に、集中して読み、一首ずつ向き合いながら、選歌している。
自分の詠草つくりも、おろそかにはできない、と心に銘じながら。
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