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『夕暮れに夜明けの歌を』 [文学]

奈倉有里著『夕暮れに夜明けの歌を』(イーストプレス 2021)は、
昨夏、大学時代からの友人Pが紹介してくれた本であるが、9月から
母が危篤状態に陥り、12月下旬に亡くなり、と落ち着かない日々が続き
さらに色々と手続きなどがあり、ようやくこのほど入手して読み終えた。

良い本だった。読み終ってしまうのが惜しかったくらいに。友人のPは
異国に心を遊ばせながら、美しい日本語で遠い地への憧れや、様々な
出会いを綴った書をこよなく愛している。だから彼女が勧めてくれた
本は、忙しくても、時間がかかっても手にとることにしているのだが。
この本はとりわけ良かった。

奈倉さんはロシア語の翻訳者としてお若い頃から活躍しておられ、
名前だけは知っていたけれど、この書ではそのいわば「ロシア語修業」の
過程をつぶさに語っておられて、特に文学への瑞々しい思いに溢れていて
感動する。7~8ページずつから成る小題つきの文章、三十章が一冊に
収められたもので、特に感動的なのは、ロシアの小さな村から進学した
勤勉な少女マーシャと寄宿舎の部屋を共有し、甘酸っぱい青春の時間を
共に過ごす話や、さらに興味深いのが、アントーノフという教授から
受ける「文学研究入門」という授業への熱の高さである。

この教授は独身でいつも酒瓶を手にしている奇人としてまず登場するが
教壇に立った途端、まるで別人のように「文学への愛」を迸らせ、
世界廿浦浦の文学に通暁し、その炯眼、博識、まるで独り舞台を演じる
役者のような弁舌に、作者はたちまち陶酔してしまう。
一語も漏らさずに聞き取りたい彼女は、これを機に速記をマスターして
しまう、というから凄い!

私はこの書を読みながら、同時に芥川龍之介を読み直し、トルストイも
読み直した。最後には、ロシアとウクライナの関係、特に日本人には
分りにくい、両国間の微妙な距離、心理をうまく掬い上げながら、今日的、
まさに、今起きているロシアのウクライナ侵攻前夜の雰囲気を描き
だしていて、驚かされる。危惧されていたことが、最悪な形で
現実化してしまったことに・・。

残念なのは、所々に引用してあるロシア語の詩に、さほどの
感動を覚えないこと。著者も記しているが、詩のリズムやロシア語の
発音の美しさに支えられた作品が多く、翻訳してしまうと、なんだか
ありふれた言辞が並んでいるだけ、としか見えないのである。

中国で暮していた時、中国人の友人が中国の詩を朗読してくれた
ことを思い出した。素晴らしく音楽的で、意味は分からないのに
とても感動したことだった。ロシア語でこの詩を聞きたい、と
切に思ったことである。
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