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家ついていって・・ [生活]

テレビ東京の番組に「家ついていっていいですか」とか
いう、ちょっと変わった番組があると知ったのは二、三年
くらい前のことだったと思う。こういうバラエティ
番組ってほとんど見ないので、多分相棒の帰りが遅い日、
(あまりそういうことってないのだが)時間潰しを兼ねて
つけていたテレビから流れて来て、そのまま見ちゃったんだ。

終電が過ぎた後の駅頭で、途方に暮れているような人を
捕まえて「タクシー代払いますから、お宅についていって
いいですか?」と尋ね、了解した人の家の中を見せてもらう、
という。なんかハチャメチャな番組だな、と思いながら・・・。

つい引き込まれて見てしまったのは、台所とかおトイレまで
撮影しながら、部屋の主の個人的な事情にさりげなく踏み込み、
その人の半生をうまく聞き取って、一つの物語に
仕立て上げている、その番組づくりの巧みさだった。

こんなすごいドラマを抱えている人って、取材を依頼する時点で
わかってたんだろうか、と思うくらい、登場する一人一人が
個性的。その辺にいくらでもいそうな市井の人が、
実はこんな人生を歩いてきていたなんて・・と驚かされた。
やらせ、っていうか事前調査してあるんじゃないの、って
疑うんだけれど、まあ、それでも騙されて損なことはない、
って思えてくるほど。

感心しながらも、続けてみていたわけではなく。だいたい、
テレビの放映時間に合わせて、自分の時間をやりくりするのは
とても苦手だし、録画しておくほどの番組、とも思えなくて。
だから、その後も、ほんの3,4回程見ただけなんだけれど。

先日、たまたまテレビをつけたらこの番組に当たって、
途中からだが、見てしまった。今度はお寿司屋さんでカメラが
回っていて、「そのお寿司代、払いますから・・・」とやっていた。
お寿司を食べていたのは、小さな子供連れの夫婦。

旦那さんはなぜか、数千円のお寿司代は自前で払い、
コンビニの菓子パン代だけをテレビのスタッフにお願いしている。
最初から訳ありそうな展開である。

奥さんは最近、少女期に生き別れた父親の居場所がわかったのだが
なんと末期がんに冒されていて、余命僅か、とか。
自宅に引き取り、看取る覚悟をしたのだった。
家族だけでお寿司を食べるということも、今後少なくなるだろうから、
という。いわば大事な夜。支払いは他人任せにできなかったのだ。

なんだか、うまくいきすぎているんじゃないの、なんて
思いながら、数十年ぶりに一緒に暮らす父娘の様子に、
なんだかジンとしてしまったりして・・。

それにしても、どうしてこんなにドラマを持った家族を
取材できちゃうのかな。とまた、そこを考えてしまう
素直じゃない私・・・。
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ヤモリ騒動 [生活]

数年前、我が家の玄関と台所を繋ぐ廊下付近に、ほんの五センチほどの
ヤモリがいるのを発見。こんな間近、それも家の中で、ヤモリを
見るなんて思いもしなかったので、かなりパニクった。だが、まもなく、
彼(彼女?)は、玄関からそっと出て行ってくれたらしい。
心底、ほっとしたことだったが。

半月ほど前、相棒が「ぎゃっと、驚いたらアカンよ」と前置きして
「二階のトイレの床にヤモリがいるんだ」と打ち明けてきた。
アカン、と言われてもぎゃっつ、となってしまった私。
ほんと、爬虫類は苦手なんだ。夜に目にすることが多い、と
相棒が言うので、夜は二階へ行かないようにしていた。
二階はほとんど相棒の領分だから、その点あまり不便はない。

ところが昨朝、一階にある私の部屋の掃き出し窓を開けようとした
ところ、窓の敷居のこちら側になんと、ヤモリがいるではないか!
一瞬ざわっとして、悲鳴が出そうになったのだが・・・。

それは一瞬のこと。なぜかすぐに冷静になれた。我ながら不思議だが、
たぶん、ヤモリがじっとしていて動かなかったからだろう。
じっくりと見る余裕もできた。大きさは尻尾の先までいれて
7,8センチくらい。ほっそりとしていて、色は地味な茶褐色。
日本ヤモリである。まあ、ここにトッケイヤモリが出てくるわけないが。

箒の先で、そっと押し出すようにして外へ誘導した。
だが、そのあとも依然、身動きもしない。窓の下のテラス脇の
コンクリートの土台のあたりに落ちたまま・・・。

思いついて、カメラを持ち出して、撮影しておくことにした。
向きを変えて数枚写したが、その間、黒い眼は開いていた・・・。
三十分ほど後、もう一度窓を開けてみると、姿はなかったが。

その後会った友人に早速話すと、「ええ?変わったわね」
と驚かれた。「よく見ておくと、短歌にできるかもしれないし、
写真に残しておくと、絵を描きたい時に便利だし・・。」
というと、さらにびっくりされた。うん、好きは、嫌いを越える。 

ヤモリは害虫を食べてくれる有益な動物だが、特に家内では
ゴキブリの子供が好物らしいのだ。ゴキブリは最近あまり
家の中で見ないのだけれど、もっときっちりと対策して
おかないと、またヤモリを招来することになりそうだ。
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英語の詞(その9) [言葉]

十代の頃に聞いた英語の歌について書いてきたこの項、
とあれば、ビートルズは外せない。彼らがビートルズ、として
活躍していた時期は、私の中学・高校時代とほぼ重なるのだから。

初めて耳にしたのは中学に入学して数か月後くらい、では
なかったろうか。まだ山形の田舎にいた頃で、異国語の歌、
も結構耳にはしていたが、シルビー・バルタンとか、
フランス・ギャルとか、フランスやイタリアの歌手のものの方が
多かった記憶がある。ビートルズは耳にした途端、
「なんて、うるさい音楽なんだろう」と思ったことだった。

初期にヒットした she loves you、 I want to hold your hand
A hard day's night、などなど、曲のテンポが速く、その間に
同じフレーズが何度も繰り返される、という歌が多くて、
何でこんな歌にみんなが熱狂するんだろう、と不思議だった。

それが、Yesterday を知って、途端に印象が変わった。
何としみじみと、心に通ってくる歌なんだろう、と。

Yesterday all my troubles seemed so far away
Now it looks as though they're here to stay
Oh I blieve in yesterday

 昨日、僕のすべてのもめごとが遠ざかったように見えた
 なのに今は、まだ近くにとどまっているかのようだ
 ああ、僕は、昨日の方を信じたい

十代の頃は身辺に絶えずごたごた、が持ち上がって、
翻弄されていた。振り返ってみれば、いずれも
些細なことでしかなかったのだが。
「ああ、昨日の方を信じたい」という切実な気持ち。
この歌を聞くたびに、あの甘酸っぱい、十代の日日が
蘇ってくる気がする。

私にとってのビートルズは、極端に好きな曲と嫌いな曲が
混在しているグループで、あの頃は、おんなじ人たちが
やってるのかなあ、と不思議になるほどだった。
彼らは嵐のようにやってきて、毅然と立ち去ったが・・。

私はその後、何年もかけてようやくビートルズという人たちが
あの時代に刻んだ大きな足跡をたどり、言葉に耳を傾け音楽に浸り、
その深層に近づいてきた、ような気もするのだ。
やはり、時代が生んだ音楽だった、とも思うのである。

他にも夢中になって聞いた英語圏のポップスは沢山あるのだが、
今回はこれでひとまず、筆を擱くことにしよう。
お読みくださった皆様、有難うございました。


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英語の詞(その8 ) [言葉]

高校生の時、一番よく聞いた英語の歌は何といっても、
ビージーズが歌って大ヒットした「マサチューセッツ」。
高1の暮に10日間アルバイトして初めてまとまったお金を手にした私は、
レコード店に飛んで行って、このシングル盤を購入した。
B面は「ホリディ」だった。その後、何と繰り返し聞いたことか。

Feel I'm going back to Massachusetts
something is telling me I must go home
and the lights all went down in Massachusetts
the day I left her standing on her own

 マサチューセッツに帰ろうか
 何かが帰らなくてはいけない、と私に告げている
マサチューセッツのすべての灯りが消えてしまった
 彼女をひとり、残してきてしまった日に

この歌を歌っていたら、相棒がその歌って
「あのふるさとへ、帰ろかな」みたいな、
郷愁の歌だよね? と言い出した。

う~ん、近いような、遠いような。
だって、本人は西海岸、サンフランシスコにいるんだもの。
(二番の歌詞に出てくる)。60年代後半だし、彼は
ヒッチハイクで来た、とか言っているから、ヒッピー、
みたいな存在だったと考えられる。

よれよれの暮らしに疲れて、あの伝統を重んじる、
古きよきアメリカに帰りたくなったんじゃないのか。
マサチューセッツって、そういう、ややスノッブな
感じの漂う街だから。東京に出てきた人が、岩手や
山形に帰りたい、っていうのとはかなり違うよな。

60年代の雰囲気たっぷり。今も聞いていると、
ちょっと涙が出てくる。相棒はこの歌を教えてあげるまで
知らなかった、という。下宿して学生生活を始めた頃で、
ラジオさえない生活だったから、だそうだ。

銭湯とかパチンコ屋でかかるような曲じゃないもんな、と言う。
彼は彼なりのよれよれの生活をしてたみたいだ。
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英語の詞(その7) [言葉]

このブログを書きながら、古びた記憶の扉を叩いていると、
意外な思い出が飛び出してきて、ちょっと驚いたりしている。
私が英語の歌を聞き始めたのは、小学校六年生から、だった
ということも。ラジオの基礎英語(当時は一つだけだった)で、
ちょっとした講義の後、「今月の歌」として簡単な英語の歌が
流れる。それが楽しかったからである。
月初めには、文法的な解説もついてくるのだが。

その時に聞いた「Pussy cat pussy cat・・・」とか
「This is the way wash way・・・」とか、子供向けの歌は、
今でもよく覚えていて、歌うこともできる。
日本語とは全く異なる英語の音の感触が、単純に楽しかった。

中学に入学して間もなくの英語の授業で、同級生のN君が教師に
「君は発音が抜群にいいね」と褒められ、彼はすぐにESSに
入った。「なんか、調子いいな」と思ったのだけれど、
ESSでは、英語の歌をみんなで歌う時間があるんだ、
とかいって、歌っている歌を教えてくれたことがあった。

その詞にはちょっと驚いた。

  row row row your boat
gently down the stream
merrily merrily merrily merrily
life is just a dream

よく知られている歌、子供が良く歌う歌である。
その最後一節が

  人生は、夢でしかない

なんて、教えちゃっていいの?、とどきん、としたのだ。
日本の大人だったら、決して、特に表向きには、
けっして子供に言わない一言ではないだろうか。
英語を使う人々って、潔くて、かっこいいかも、
と感じた記憶がある。

ラジオ講座「基礎英語」は中学に入ってからも聞き続けた。
子供の歌を習いながら、
ほら、ここでこんな風に現在進行形が、とか
過去分詞が使われている、この構文を覚えておくと、
何かと便利。歌は特に、メロディがあるから覚えやすい、
などと話す先生の言葉にうなづきながら、そんなもんじゃない、
と、生意気な田舎の中学生は、心の片隅で、思っていたのだ。
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英語の詞(その6) [言葉]

 Twenty ten is three and forty years away
We will still be walking together?
We will still have something to say?

こんな歌詞で始まる英語の歌が盛んにラジオから
流れていたのは私が高校二年生だったころ。
わかりやすい曲(バッハのフーガのアレンジ)で、英語も聞き取りやすく、
すぐに覚えて歌っていたはずなんだが、この後の歌詞がまったく
思い出せない。それでユーチューブで調べようと思ったのだが、
肝心な題名を思い出せない。歌い手は「1910フルーツガム
カンパニー」とかいうふざけた名前のグループだと思ってたが・・。

このアーティストから調べようとしても出て来ず・・・。
歌詞から調べると、なんとフェアリーダストとかいう
イギリスのグループが歌っていたもので、日本でしか流行らず、
この一曲で消えてしまった人たちらしい・・・・。
題名は邦題が「誓いのフーガ」、原題は「Twenty ten」。

  2010年は43年後。
  私たちはまだ一緒に歩いているだろうか。
  お互いに話すことがまだあるだろうか。

2010年という数字から始まるので、「1910フルーツ・・」
というアーティスト名と混同してしまっていたみたいだ。
20歳くらいで「人生を共にしたい」という人に出会ったら、
43年一緒にいるとしても、63歳なんだから、そういう将来、
果たして、どういう関係になっているんだろう、と、ちらっと、
まさにほんのちらっと、思った記憶はある。でも当時の私には
そんな人はいなかったし、進路をなんとかしなければ、という
必死の気持ちの方が、ずっと強かった・・・。

大学に進学しようと心に決めていたけれど、家族の事情で
やむを得ず補欠入学した都立高校は、女子がほとんど
就職する、という高校で・・・。孤独だった。

そして一組のカップルのことも思い出す。
同級生で、在高時から付き合っていて、彼女は就職、
彼は進学しながら、その後ゴールイン、今も幸せそうな二人を
知っているからである。凄いなあ、偉いなあと思う。
彼らがこの歌を覚えていたら、特別な感慨があるだろう。
私の方は苦い思い出いっぱいの高校時代が蘇ってくる曲なのだが。
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英語の詞(その5) [言葉]

高校二年生くらいの時、ラジオから聞こえてきた
ある英語の歌に、耳が止まった。そのメロディは確かに
聞き覚えがあったからである。
小学校低学年の頃、ちょっとばかり不良っぽいオニイサンが
歌っていた曲と同じで、日本語であったのだが・・。
そうか、原曲はこっちだったのか、と気づいた私は
耳を澄まして、なんとか英語で書きとろうとしたのだが。

凄い早口の英語で、なかなか難しい。
友達に話すと、なんと週刊誌の付録だったらしい
流行歌楽譜集、みたいな小冊子を貸してくれたのだ。
この歌はリバイバルソングとしてヒット中だとかで、
たまたまその本に掲載されていたのである。

私は嬉々としてノートに写し取った。以前にこのコーナーで書いた、
五線譜のノートに。今開いてみると、自分でも驚くほど
綺麗に音符を写し、その下に、歌詞を細かに書き込んである。
日本語の歌は、だいたいが一音に一語で歌うようになっているが、
英語の歌詞は、そうではない。結構早口で発音しないと、
歌詞が音に追いついていかない。どの音でどれだけ発音するかを
厳密に書いておかないと、正確に歌えなくなるのである。
聞いただけで歌える人もいるだろうけれど、私は残念ながら
耳が良くないのだった。

日本の不良っぽいオニイサンが歌っていた時、その歌の名前は
「恋の片道切符」だった。原題は「One way ticket」。
つまりあっさりと「片道切符」である。

  Choo choo choo choo train a chuggin down the track
  Gotta travel on never comin' back woo oo oo
Gotta one way ticket to the blues

写した歌詞を読んでみても、なんだかよくわからない詞だった。
それでも原語で歌えるようになったことが嬉しくて、
一人でこっそり口づさみながら、楽しんでいたことが蘇る。

原詞がわかると、日本語訳の歌なんか、とても聞いていられない、
という気持ちになった。訳されてヒットした歌が他にもあることを知り、
調べてみて、自分で訳しながら歌ってみようとしたのだけれど。
なかなか楽譜が入手できず、断念せざるを得なかった。
市販のポップスの楽譜は高価で、当時いつも金欠に
悩んでいた私は、とても手が出なかったのである。
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英語の詞(その4) [言葉]

「英語の詞」の連載を始めたら、高校生の頃に
夢中で聞いていた異国のポップスが結構沢山あったことを
思い出して、しばらく回顧的な気分に浸っている。
今、欧米でどんな曲が流行っているのか、ほとんど
聞く事はなくなっているし・・・。

高校に入学したてのころに、ラジオで耳にして、
そのややけだるいような女性の声に魅了され、
何とか歌詞を英語で書きとろうとしたことがあった。
ナンシー・シナトラの「サマーワイン」である。

 Strawberries cherries and angel's kiss in spring
 My summer wine is realy made from all these things

 苺、さくらんぼ、そして春の天使の口づけ、
 私のサマーワインは、本当にそんなものからできているの

と、始まるこの歌詞は、その後、男性を酔わせて、
お金の入った銀の財布をだまし取る、という展開だった
ように記憶している。短いメロディがたゆたうように
繰り返され、それに乗って物語を聞いているような雰囲気の
歌だった。

今回、ユーチューブで探して聞いてみて、この歌は、
リー・ヘイゼルウッドという男性歌手とのデュエットだった
ことをようやく思い出した。記憶から、男性の声が
すっかり消えてしまっていて、ちょっと焦った・・・。
とにかく、その頃はナンシーの声が好きだったんだろう。

 My summer wine is

というところで、「ワイン イズ」ではなく「ワイニス」と
聞こえるところも、かっこいいなあ、とおもったことは
しっかり覚えている。少々恥ずかしいが、ともかく・・・
十代のうちに、英語の歌をいっぱい聞いておいたことは、
その後の私にとって、大きな肥やしになったことは確かである。
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英語の詞(その3) [言葉]

サイモンとガーファンクルの次によく聞いたのが、
ジョーン・バエズ。ベトナム戦争が泥沼化するなかで、
反戦ソングの旗手のように遇されていたようだが・・・。
私が中学生の頃から、ラジオでその美しい歌声が
流れていたように記憶する。我が家にも
「ドンナ・ドンナ」のレコードがあった。
四歳上の従兄が置いていったものだったろうか。

 On a wagon bound for market 
 There’s a calf with a mournful eye
 High above him there's a swallow
 winging swiftly through the sky
 How the winds are laughing
They laugh with all their might
Laugh and laugh the all day through
And half the summer's night

 市場へいく馬車に載せられた
 一頭の子牛 その目は悲しそうに沈んでいる
 頭上では燕が、素早く空を横切っていく
 ・・・・

こんな風に始まるこの歌は、反戦の歌というには
とても抒情的で、中学生だった私は、戦場に
送られる兵士の姿を思い浮かべることはできず、
ただただ、売られていく子牛の愛らしさだけを
思い浮かべながら、聞いていた気がするのである。

高校生になって辞書を使いながら意味を調べ
歌詞の内容が詳しく分かっても印象は変わらなかった。

ああ、こういう歌こそが深いところで心に届き、
本当の「反戦のうた」になっていくのだ、と
気がつくのはずっと後のことになる。
とにかく、歌詞が美しい。見事に
韻を踏んでいるところも、英詞ならではのもの。
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