SSブログ

漫画体験記(その2) [藝術]

「別冊太陽 子どもの昭和史」によると、手塚治虫の
「火の鳥」は、昭和31年に雑誌「少女クラブ」に掲載されて
初登場したものらしい。さすがにその本は、見ていないが、
その後は、どうだったんだろう。
現在目にできるような形に仕上がっていくまで、かなりの紆余曲折が
あったんだろう、ということは想像できる。

わたしが「火の鳥」を知るのは、なんとそれから十数年も後。
大学三年生だった1972年頃、教えてくれたのは私が家庭教師をしていた、
女子中学生のゆうこちゃん。ゆうこちゃんは、学校の成績の
方はともかく、とても好奇心豊かで利発な少女だった。

「この本、面白いですよ」と、ある日貸してくれたのは
「火の鳥」のどの篇だったのか覚えていないのだが、私は
たちまち夢中になった。その何か月か後、神田の古書店街を
歩いていて、COM名作コミックス版の『鳳凰編』『復活編』、
それによく覚えていないのだが、COMコミックスのB5判より
小さい別のシリーズのたぶん、『大和篇』をみつけて購入。
さっそくゆうこちゃんに見せたことを覚えている。

彼女は『鳳凰編』はすでに持っていて、『復活編』は
友人から借りて既に読んだ、と言うので、『大和篇』を
貸してあげた。その本は、結局帰ってこなかった。
「すみません、少し汚してしまったので、売って下さい」
と言われ、汚れていてもかまわない、と何度も言ったのに・・。
たぶん汚れ云々は口実で、彼女が自分のものにしたかったんだろう。
ま、そこまで気に入ってもらえたのなら、いいか。
と思ったのだが・・・。

『鳳凰編』と『復活編』はその後、沢山の友人の間を
巡り巡って、でもまだ私の手元に(かなりよれよれになって)
残っている。そして今も時々、手にとって開いてみる。

ストーリーはもう、何度も読んだので、頭に入っているので、
主に絵を見るために開く。特に大好きな『鳳凰編』の方を。

村人にそしられながらも、必死に生きる片腕の我王。
彼に助けられて妻になる、はかなくも美しい虫の精・速魚。
後に我王と腕を競い合うことになる、彫師の茜丸。

それぞれの性格をしっかりと描き分けながら、あくまで
描線は滑らかに美しく、動きは生き生きとして読者の心を
そらせない。ほんとに、うまい人だったんだ、と改めて思う。
手塚治虫は私にとって、唯一無二の最高の漫画家、
そして学生時代ぎりぎり、とはなってしまったが、
若いうちに「火の鳥」に出会えたことをとても有難いことに
思っている。



nice!(0)  コメント(0) 

漫画体験記 [藝術]

これまで読んできた漫画について書いてみよう、
と思い立った。ジャンルはやっぱ、芸術だよね。
日本の漫画のレベルは、そう呼んでいい域に達している、
と思っているし。でも、私が一番夢中になって読んだ
昭和半ばの頃は、漫画を一段も二段も低い、低俗なものとして
軽蔑する人たちも多かった。私の母もそのひとり。

だから、喉から手が出るほどに欲しかった漫画雑誌は
なかなか買ってもらえなかった。まだ日本全体が貧しかった
時代だったし、それも仕方のないことだったかもしれないが。


以前にも書いたことがあるが、私が初めて自分で読んだ漫画は
近所のお姉さんが貸してくれた少女雑誌「なかよし」に
連載されていた「ぺスよ尾をふれ」である。ユリという少女が
白い犬、ぺスと何度も生き別れに会う、というような内容で、
女の子の好きそうな動物が絡む「悲話」だった。

手にしたのが小学校一年生の夏ごろだったと思うが、
すぐに続きが読みたくなって、母に「なかよし」を
ねだったのだけれど買ってもらえず。

でもそれから数か月後の11月末。私は腎臓の病気に
かかってしまい、三か月近く安静を言い渡されることに。
すると、なんと母が「なかよし」を買ってくれたのだ!
ずっと、病気が治らないといいな、と思えたほど嬉しかった!

「ぺスよ尾を振れ」の作者は、山田えいじという漫画家らしい。
ネット社会になって、簡単に調べられてちょっとびっくり。
そしてこの漫画が復刻版として購入することもできる、と知り
こちらにも驚く。もう、買ってまで読みたいとは思わないが。
 漫画本買えるときには、読む気力なし・・・。
ちょっと寂しい。(漫画体験記、続けます)



nice!(0)  コメント(0) 

折々の作家・松本清張 [文学]

松本清張の作品を初めて手にしたのは、中学生の時らしい。
「らしい」というのは、私自身よく覚えていず、ただ母が
「中学生のときには、清張の本を読んでいたわね」と、
少々揶揄するような、呆れるような口調で言うからである。

大学生になってから、手あたり次第読むようになったが、
この頃は、長編が多かった。短編小説は、子供の頃から、
なんとなく物足りないような気がして、魅力に思えなかった。
短編小説の方を中心に読むようになったのは、相棒の影響である。
彼はずっと「清張なら、短編」と言い続けていた。

この夏、少しずつ清張の作品に手を伸ばしている。
もう二、三度読んでいるものから、初めてのものまで。
そして、いずれも短編である。読みながら、やっぱり、
文章うまいなあ、さすがだな、と嘆息しながら。
たとえば、元警察官で共産党にスパイとして潜入
したこともある男の住む家を訪れようとしている場面。

 小さい町はすぐ切れて、田と畑ばかりの道となった。向こうに
 松林が横に並んでいた。木の間からは青い海が見えた。ここまで
 来ると寒い風が吹いてくる。空に日光を遮った雲がみなぎっていて
 その下の松林の端に、屋根だけが一群れに見える部落があった。
                  松本清張『点』

この後、歪んだ誇りと孤独のために、赤貧にまみれている一人の男が
描き出されるのだが、そこに至るまでの叙景描写のすばらしさに、
しばし、陶然としてしまった。そして何より、忘れかけている
昭和の香りが節々から匂ってきて、ちょっとうるうるしてしまう。 



nice!(1)  コメント(0) 

再びの絵本・The color box [藝術]

カナダで出版された絵本だが、作者のアン・ドッズ、
イラスト担当のギルズ・ラロッシュ、ともに在米の人。
イラストといっても、こちらは切り絵をコラージュした
簡単な仕掛け絵本である。

くりくりとした目の、いかにも好奇心の強そうなサルが主人公。
おサルは、大きな箱をみつけ、中に入り込んでみると・・・
薄暗い箱の一角に穴があり、黄色の鮮やかな色が漏れているのを発見。
頁の一部が丸く切り取ってあり、次の頁が少し見えている、
という仕掛けになっているのだった。そして次を開くと、
一面、美しい黄色の世界。切り紙の蜂や、花に埋め尽くされ、
上部にはまあるい穴があいていて、太陽が輝く。
次の頁は、そのオレンジが照り返す、真夏の砂浜。
だが、一角には青い水が張っていて・・・。

という風に、頁の一部が切り取られていて、次の世界へと
誘っていく、という仕組みになっている。色彩と切り紙が
素晴らしく美しくて、どこかで出版してもらえたら、
と張り切って、翻訳してみたのだが・・・。

この本もうまくはいかなかった。編集の人たちが異口同音に
次のように指摘してきた。後頁の内容を暗示するその「窓」の部分が、
次の頁では生かされていない、と。なんとも意味のない
「開口部」になってしまっている、というのである。

それも確かにそうかもしれないが・・・。
全く違った世界で、前の世界の色彩や登場するアイテムを
利用しようとなると、これはかなりの難題である。
カナダの出版社はそこは目をつむったのだろう。

結局この本は、私だけの絵本になってしまったのだが。
切り紙の美しさ、造形の巧みさに惹かれて、時々開いては
楽しんでいる。


nice!(0)  コメント(0) 

再びの絵本・ゆきのふるよる [藝術]

この絵本には、思い出がぎっしり詰まっていて、
見るたびに懐かしくなる。1992年11月金の星社刊。
作者はニック・バタワース。訳者は、はやしまみ。
ここでは省略するが、ちょっとした経緯があって、
この本は訳者本人から直接手渡されたもの。彼女の
私宛の短いメッセージとサインが記されている。

手元に置いていて長い。最近、思い立ってもう一度
じっくりと見てみることに。表紙の絵が、素晴らしくきれいだ、
とあらためて感心する。アナグマ、アヒル、ハリネズミ、ネズミ、
たちが、一軒の家のドアの前に、寒そうに立っている場面。
彼らの頭上には大きなぼたん雪が降り、開いているドアから
漏れる黄色い光が、彼らの横顔を照らし出している。

この家の持ち主のことを紹介するところから絵本は
始まっているのだが、その最初の3,4頁の絵がまた、すてきだ。
持ち主は、ちょっと冴えない、中年の男性。
でも、穏やかで人のよさそうな笑顔がなかなかいいのである。

見ていて飽きない絵本だな、と今も思う。特に何、ということも
ないような場面に用いられている色彩が素晴らしい。
ぼたん雪の向こうの、深い夜空の色。
冬の朝の、うっすらと霧がかかった中に浮かぶ木木の色。
木造の家の板壁や外に続く階段の、風雪にさらされた
その褪めたような傷み具合・・・。

アトリエの先生も「色がすばらしくシックですね」と
驚嘆されておられた。
はやしさんには、もう20年以上お会いしていない。
この本ももう絶版になっているらしい。いいなあ、と思う絵本は、
長く大切に持っていないと、再入手は難しく、後悔することに
なるなあ、と改めて思う。
nice!(0)  コメント(0) 

暑い日のガーパオ [食文化]

連日のうだるような暑さ。日常生活にもいろいろと支障が
生じている昨今。とにかく、きちんと食べて、寝ることが
基本中の基本。それでも食事の支度も億劫になりそうな日々。

こういう時は、スパイシーな料理で、乗り切ろう、と
ガーパオに挑戦することに。これまではタイ料理店でよく食べていた。
最近では、喫茶店の昼のメニューにあったり、普通のラーメン店でも
「ガパオ麺」等というメニューを置いているらしい。日本でもかなり
定着してきている感がある。相棒に訊いてみると
「なんか、外で食べるガーパオライスって、甘たるい、感じ。
目玉焼きとか、えびせんべいみたいなのが載っているのも、やだ」

もう三十年以上前に購入した『東南アジア料理』の本を開いて
みると、タイ料理のページにみつけた。その名は「ガーパオ・ヌア」
卵も煎餅も載っていない。ご飯の上にかかっているわけでもない。
ふーん、こっちの方が美味しそう。ただ、本格的な作り方に
なっていて、日本では入手しにくい、レモングラス、クミンや
コリアンダーの粒状のものなども使われている。軽く炒ってから
すりつぶして「カレーの素」なるものを作るんだとか。

それで、思い切り、簡略化した方法を取ることに。
使ったのは、市販のカレーパウダー、粉末状のコリアンダーと
クミン、シャンツアイ。

にんにくのみじん切りを熱した油でいため、刻んだ赤唐辛子も
加え、さらに牛ひき肉、ざく切りしたしし唐、シャンツアイの茎の
みじん切りも入れて炒め、上記のスパイスを適宜加える。

仕上げにニョクマム、シャンツアイの葉の部分を入れ、
出来上がり、である。

家ではご飯の上に載せて食べました。結構いけます。
暑い日のスパイシーな料理、お勧めです。
nice!(0)  コメント(0) 

再びの絵本・It's my birthday [藝術]

作者はヘレン・オクセンベリー。イギリスの絵本作家である。
この絵本、90年代にイギリスを訪れた折に購入したもの。
訳してみて、内容も可愛く、日本の子供たちにも受け入れられそう、
と感じて、自分の訳で出版出来たらいいな、と思ったのだが。

よくあることなのですが、やはり、翻訳権が抑えられていて、
まもなく、「ケーキがやけたらね」という題で出版された。
「きょうがおたんじょうび」とかのほうがよかったのに。とか。
人様の訳には、いろいろ、おもうところもでてくるのだが。

改めて絵を見てみる。
四歳くらいの子が、犬、猫、猿、熊、鶏、豚、
等の動物たちの助けを得て、自分で自分のお誕生日の
ケーキを焼く、というお話。動物たちの仕草が、
とても生き生きしていて、楽しい本である。

一つだけ、残念だな、と思えたのは猫が自分の家の
冷蔵庫から、ミルクを取り出している場面。
冷蔵庫の扉が、開口部よりずっと小さく描かれていて、これでは、
冷蔵の役目を果たせないんではないか、と思える。
編集者も気がつかなかったんだろうか。

あと一つは、翻訳の方のこと。
この絵本の主人公は、男の子とも見え、女の子とも見える。
日本語訳では、明らかに「女の子」として訳してあるのだが。
どちらでも自然、という訳は日本語では、確かに難しい。
どうしたら可能だったんだろう、と考え続けている。

nice!(0)  コメント(0) 

再びの絵本・よるくま [藝術]

現在は、個性的なタッチと色彩で、独特の世界を展開している
絵本作家の酒井駒子。彼女の第二作目の作品『よるくま』。
この絵を見ていると、現在の酒井駒子とは、かなり違うな、
と思いながら、でも実は、彼女の作品の中では一番好き。
絵は、たぶん今の方が数段に上手だとは思うのだけれども。

小さな男の子が、もうとっくに寝ているはずの時間。
ママに声をかける。「昨日の夜、かわいい子がきたの」
まだ起きていたことに驚きながら、この子のママはでも、
「おしゃべりしないで、早く寝なさい! 何時だと思っているの!」
(私はよく言われた)なんて、言わないのである。
「あら、ママ知らなかった。男の子、それとも女の子?」
と、子供の話に乗ってくるのである。「ううん、クマの子」
ごく自然に、男の子のお話に添って、絵が登場する。

そうして、ドア開けて入ってくるときのクマの子の顔。

アトリエの先生とは、この絵本も一緒に見てみた。
先生はいつものように絵だけ見ている。あらすじは
私がそばで教えてあげる。ちなみに私が自分のこの絵本を
アトリエに持ち込むまで、先生はこの絵本を知らなかった。

そして、クマの子が登場する場面にいたく感動した様子。
「う~ん、ここ、よく描けてますね。クマの子の性格が
立っている感じ・・・」

実はこの絵本を購入し、何度も読んでしまった後、雑誌のなかの
記事か何かで、酒井さんがこのクマの子の登場場面を、
絵本の校正刷りが出たあとになって、描き替えた、ということを
暴露しておられた。そうか、それだけ執着していたから、
こんな良い表情のクマの子が描けたんだなあ、と思った。

クマの子はお母さんがいなくなった、と探しに来たのである。
「まま、よるくまってね、よるみたいにまっくろいんだ。
でも、むねのお月さまはひかっている。こんなかわいい
よるくまをおいて、おかあさん、どこにいったの」

絵は、ちょっとゆるいかな、と思える。
でも、文章がすごくいい。クマの子の不安に寄り添う男の子。
その子の気持ちをくみ上げながら、あれこれと質問して、
男の子のお話を引き出してあげるママ。

先生は、いつものように、絵を厳しく見てる。
ところどころのページを指して、
「コラージュっぽく見えますね。良く描けたところを切り抜いて、
背景を描いた上に貼ったんじゃないかな」
う~、そういうこともやっていたのか。最初から意図したのか、
それとも苦肉の策だったのか。

最後から二つ目の見開きへの批判はさらに厳しい。
「ここは色彩的にも、絵柄としてもごちゃごちゃしていて、
頂けないですね。もっとセンス良く仕上げられたはずなのに」

絵本一冊を仕上げるのは、大変なことだ。そして、まだ駆け出しの
作者の迷いや工夫も随所に見られることもまた、私が『よるくま』を
愛してやまない理由のひとつである。
nice!(0)  コメント(0) 

再びの絵本・いわむらかずお [藝術]

私が時々絵を描きに行っているアトリエ・A。
Aの先生が最も心服している絵本作家はなんといっても、
いわむらかずお、「14ひきのねずみシリーズ」の作者である。
通い始めて間もなく、絵本の話題になったとき、すぐに
このシリーズの一冊を持ち出してきた。そして
「ずっと、憧れていて、でもどうしたって辿り着けない
ような気がして、手元に置くのさえ嫌で。ようやく
最近になって、購入する気になったのよ」

先生の本には、購入日がサインペンで記入してあり、
その本には「2015年〇月」となっていた。
ふ~ん、なるほど。そうかあ・・・。

いわむらかずおの14匹シリーズは、よく図書館で
ぱらぱらとめくってみていたけれど、そして
なかなか好ましい絵ではあると思ったけれど、
やや漫画っぽいかな、軽いかなという気がしていた。
特に大好き、というほどの絵本ではなかったのである。

先生が魅入られているのは、14匹の鼠たちのイラスト、
より以上に、背景の処理や、登場する自然の描写の巧みさ、
のほうにあるらしい。そういわれてみて、ようやく、
登場する鼠たち以外に、目が行くようになった。

木木の間を抜けて、地上に差す、光の濃淡。
鼠たちの使う木の家具の、細やかな描写。
もう日本人が使わなくなったかまどや、竹籠、桶、
背負子、ふいごや、十能などの、家庭用品の数々。
一頁の中にぎっしり詰まっている情報の豊かさに、
いつまでも見ていたくなる。

それで私もまた、シリーズの一冊を購入しました。
「14ひきのあさごはん」。時々、開いては楽しんでいるこの頃。
nice!(0)  コメント(0)