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文章を書いてきて(その7) [文学]

みじかい雑文ならいくらでも書ける。でも、その域を
超えた文章を、となるとなかなか容易ではなかった。
当初は、何も考えずに書ける、と過信して書き始めては
行き詰まる、ということも多くあり。何度も頭を抱えた。

私に、それとなくノウハウを与えてくれたのは、ほかならぬ
相棒だった。彼も大学院時代にあれこれと試行錯誤しながら
身に着けてきていたものらしいのだが。面白いのは、折々の
お喋りのなかに登場する、箴言、のような、警句のようなもの。
曰く

 一晩で四十枚書けないやつは、一生四十枚書けない
 文章は寝ながら書く
 慣れれば最終の頁から最初へ、逆に書くことだってできる

などなど、である。彼は関西人だから、何かということが大仰で、
言葉のままは受け取れないところがあるのだが。

私が最も納得できたことは「寝ながら書く」という一点だった。
長い文章を書くときは、書く前に十分に考えなければならない。
文章全体の設計図のようなものを作り上げる必要があるのだ。
このことが本当に理解できるまで、結構時間がかかったのだけれど。

その設計図を組み立てるには、何もPCの前で呻吟する必要はない。
それよりも、身体を動かして何か別の作業中に並行してやる、
ということの方がはるかに効率的だし、良いアイディアも湧きやすい。

寝ながら書く、というのも、あるアイディアが見つかった場合、
その展開方法をあれこれ考え、そしていったんはそこから離れて
別のことをする、あるいは考える時間を置く。そしてしばらく
経ってから、なんとなくうつらうつらと覚醒しているかどうか
危うい淵にいるような時に、ふっと全体像を思い浮かべてみる、
そういうプロセスを経た方がいい、ということのようである。

文章を書くという場面では、まだまだ、試行錯誤は続いている。
でも、苦行だったことは過去、今は楽しい迷いの場になっている。
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文章を書いてきて(その6) [文学]

村上春樹『騎士団長殺し』の主人公は画家で、「食べていく」
ために肖像画を書く仕事をしている、という設定になっている。
本来は抽象画を描きたい、という望みを持っているのだが、
とにかく、絵を描くという場面、絵について何か語る場面が
多々登場して、この分野に興味がある私には極めて楽しい書。

 「絵に描ける?」と彼女は尋ねた。
 「似顔絵のようなもの?」
 「そう。だって画家なんでしょう?」 
 私はポケットからメモ帳を取りだし、シャープペンシルを
 使ってその男の顔を素早く描いた。陰翳までつけた。・・
 男の方をちらちらと見る必要もなかった。私には人の
 顔を一目で素早く捉え、脳裏に焼き付ける能力が具わっている。
            村上春樹『騎士団長殺し』

絵を描くノウハウは、文章を書くそれと、かなり共通性があると
感じる。私も何か書こう、と志すとまもなく、文章の全体が
頭の中に浮かび上がって、かなり素早く写し取ることができる。
ただし、短い文章である。せいぜい、600字くらいまでの。

それ以上の文章はどのように書けばいいのか。たとえば、原稿用紙
20枚以上の文章。文章の種類によっても書き方は変わるだろう、
評論、書評、紀行文・・・。

自信はなかった。将来の見通しなんか、とても立たなかった。
でも、挑戦してみたい、という気持ちは十分にあった。
難しい公務員試験を受けて、安定した職業についてはいたのだが、
私は退職することにした。周囲の人の九割以上が反対した。

なにするつもり。子供もいないのに。退屈するだけでしょ。
アメリカに行くから? そんなところに行ったって、英語が
身に着くと限らないだろう。それどころか、日本語の方を
忘れちゃったりして・・・。帰国したら、夜間に職場を清掃
する仕事、紹介してやるよ・・・。

不安はいっぱいだった。でも、新しいことに挑戦する
ワクワクする気持ちの方が、ちょっとだけ勝っていた。

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