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文章を書いてきて(その5) [文学]

大学時代は、このブログでも書いたことがあるが、
社会科学系のサークルに所属していて、ある地域を取り上げ、
町の生い立ちの歴史を調べたり、地域振興政策などについて
検討したりする活動をしていた。一年に一度、報告書を書いて
みんなで討論する、という場もあり。ここでだいぶ
「客観的な」文章を書く訓練はしたはずなのだけれど。

毎回、四苦八苦したことを覚えている。でもおかげで、
地方自治体の職員採用試験には合格できたのだから、
(試験には、提示された複数の課題から一つテーマを選んで
論述する、項目が含まれていた)多少は成果があったといえる。

配属先は、広報課、あるいは市史編纂室のある教育委員会などを
希望したのだが。国民健康保険とか戸籍とかを扱う市民課系だった。
四年後には配転希望を出せたのだが、なんと
第五希望(こんなの希望、って言わないよね)としてやむを得ず
書いた市民税課に回されてしまった!

毎日、泣きたいほど憂鬱な日々だったが、
同期の友人の友人が福利厚生課にいて、その関係から、
「職員報に何か書いて」と頼まれたのが、一つの契機になった。

ちょうど短歌に興味を持ち始めたときだったので、与謝野晶子と
山川登美子について書いた。原稿用紙二枚程度の分量だった。
その文章を読んでくれた広報課の人から、「市民グラフ」に
書いてほしい、と依頼がきたのである。正式には「市民グラフ
ヨコハマ」という季刊誌で、「横浜市内を走る電車(列車)特集」
という企画を立てている、私には「横浜線」を担当して
ほしい、とのことだった。分量は八枚。これまで、書いたことの
ない長さで、ちょっと武者震い(大げさだね)したのを覚えている。

広報課の依頼は、あくまで、本来の職務外、とみなされるものだった
ので、取材や調査は休日を使って、交通費は自腹。でも、自分の
書いた文章が、商業誌(市民グラフは、市内の書店で200円くらい
で販売されていた)に載る、ということはそれだけでワクワクする
ことだった。しかも、写真がふんだんに入る。

発刊されたグラフを見ると、東海道線や東急東横線をおしのけ、
当時はボロいローカル線だった横浜線が、冒頭に置かれていた。
美しいカラー写真付きで。嬉しかった。私はやっぱ、何かモノを
書く人になりたい。と、強く思った瞬間だった。
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