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羽越水害 [生活]

一昨日(8月3日)から昨日に掛けて、東北南部と
北陸一帯に記録的な大雨が降り、河川の氾濫などによる
甚大な被害が発生したことが、ニュースで流れた。

私が子供の頃に暮していた山形県南部に、特に大きな
被害にあったらしいので、注視していたのだが。
被害は南東部寄りで、私が育った小国町は、国道が土砂などで
通行不能になり、孤立状態に陥った区域はあったようだが、
直接的被害は報告されなかった。水害のもっとも大きな
原因になったのは、県内を流れる最上川だったから。

ニュース番組で山形県を中心とした大きな地図が用意され、
危険区域を表す地図に、最上川がくろぐろと塗られて表示
されているのを見て、はっとした。中学生まで暮していたのに、
私は、最上川の正確な流路を知らなかったのだ。

一時暮していた米沢市、引っ越した友人宅に招かれて
宿泊したこともある長井市もまたその流域にあったことさえも。
山形県とは、この最上川流域を取り囲むようにして生まれた
県だった、ということをあらためて思ったのである。

その一方で、私が暮らしていた小国町だけが、最上川とは
異なる流域にあるのだった。町を横断していたのは、荒川の
支流である横川で、荒川は今回大きな被害が発生した
新潟県関川村などを通って、日本海に流れ出るのである。

小国町は山形県に属してはいるが、そういう意味では、新潟県を
向いている地域である、といえるだろう。子供の頃、テレビは
山形放送は入らず、新潟放送だったことを思い出す。

新潟県北部と山形県南部は、やはり一度大きな水害に襲われている。
1967年8月下旬に起きた羽越水害で、我が家はこの年の春に
東京に引っ越している。小国町から長井市や米沢市の高校に列車通学
していた友人が沢山いて、帰宅途中に足止めされ、大変な目に
あったらしい。家を丸ごと流されてしまった人も少なからずいる。

その体験が今回の水害に生かされた、という記事が今朝の新聞に
載っていた。あの頃、線状降水帯なんていう言葉はなかっただろうが。
友人に連絡してみようか、と思いながら、控えた。
電話が通じにくくなっている、という報道もあったから。
55年前のあの時、「史ちゃんはうまく逃げたね」と言ってきた
友人の声が、また聞こえたような気もした。
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