九月の歌会 [短歌]
毎月第一日曜、「塔」の仲間たちと歌会を行っている。
八月だけお休みなので、九月初旬の歌会は二学期の始めの日、
みたいな感じで、新鮮である。みんなの集まりもいつもより早い。
季節柄やはり、「厳しい夏、そのようやくの終わり」が
詠まれている作品も多く、そのあたりも楽しみな九月の歌会。
十四名はいつもよりやや少ないが、二十八首、個性的な歌が多かった。
三首を選ぶ中に、私は、一首、夏の終わりの季節感たっぷりの
作品を選んだ。発表前の作品なので、そのまま紹介はできないが、
夕暮れの訪れが早まった日々、庭の草木を刈ったり切ったりしながら、
夏の庭をしまう、という歌である。
選んだ人が先ずコメントすることになっているが、この歌を選んだのは私だけ。
「夏の、庭をしまう」という言い回しに惹かれて選んだ、と話すと、
疑問を呈する人たちが相次いだ。
「夏の庭をしまうなんて、そんなにいい表現とは思わない」と言う人から
「大切にどこかに仕舞っておく、と言う意味ならいいと思うけど」
という意見も。言葉の流れから、ここは当然ながら「終わりにしてしまう」
「始末する」という意味合いの強い「しまう」になっている。
「しまう、なんて庭を簡単に終わりにはできない、唐突過ぎる」
という意見も出た。選んだものとしては、もっと弁護したかったところ。
一首だけに時間をかけるのは公平を欠く。焦りがよけい散漫な意見に
繋がってしまう。
だが、「しまう」という日本語の持つ、独特のニュアンスに
言及したかった、しておくべきだった、と後から思った。
このあたり、歌会は初見の歌から選び、すぐさま歌評に入るので、
難しいところなのだが。(この話題、次へ続けます)
八月だけお休みなので、九月初旬の歌会は二学期の始めの日、
みたいな感じで、新鮮である。みんなの集まりもいつもより早い。
季節柄やはり、「厳しい夏、そのようやくの終わり」が
詠まれている作品も多く、そのあたりも楽しみな九月の歌会。
十四名はいつもよりやや少ないが、二十八首、個性的な歌が多かった。
三首を選ぶ中に、私は、一首、夏の終わりの季節感たっぷりの
作品を選んだ。発表前の作品なので、そのまま紹介はできないが、
夕暮れの訪れが早まった日々、庭の草木を刈ったり切ったりしながら、
夏の庭をしまう、という歌である。
選んだ人が先ずコメントすることになっているが、この歌を選んだのは私だけ。
「夏の、庭をしまう」という言い回しに惹かれて選んだ、と話すと、
疑問を呈する人たちが相次いだ。
「夏の庭をしまうなんて、そんなにいい表現とは思わない」と言う人から
「大切にどこかに仕舞っておく、と言う意味ならいいと思うけど」
という意見も。言葉の流れから、ここは当然ながら「終わりにしてしまう」
「始末する」という意味合いの強い「しまう」になっている。
「しまう、なんて庭を簡単に終わりにはできない、唐突過ぎる」
という意見も出た。選んだものとしては、もっと弁護したかったところ。
一首だけに時間をかけるのは公平を欠く。焦りがよけい散漫な意見に
繋がってしまう。
だが、「しまう」という日本語の持つ、独特のニュアンスに
言及したかった、しておくべきだった、と後から思った。
このあたり、歌会は初見の歌から選び、すぐさま歌評に入るので、
難しいところなのだが。(この話題、次へ続けます)