SSブログ

食材の本 [食文化]

やまがたひろゆき『お菓子の話』(新潮文庫)との出会いが
偶然の重なる貴重なものだった、と先回書いて、その後、
アマゾンで調べてみたら、古本が十数冊も売りに出ていて、
ちょっとがっくり。購入したのは十三年も前で、
きっと、状況は違っていたはず、と自分に言い訳してみる。

もうひとつ、食材の本だが、やはりとても貴重な出会いだった、
という本について、書いてみようと思い、とりあえずアマゾンで調べてみた。
う~ん、やはりありましたです。古本が数冊も!
でもそれ以上に驚いたのが、刊行後二十数年も経つのに、
未だに絶版にはなっていないらしい、ということ。
その本は、太木光一著『食材の基礎知識』(オータパブリケーションズ
1991年刊)。この本を入手した時のこともよく覚えている。

2003年の秋のその日、私は軽い風邪をひいていた。元気出そう、と思って、
少し遠いところにあるカフェのランチを食べに行った。
そのカフェの前に、古本屋があるのに気がつき、食後
入ってみて、この本を見つけたのである。もとの値段は6000円+税。
古本屋では3500円+税、の値段がついていた。
出版社も著者も、当時耳にしたことのない名前である。

パラパラとめくってみると、四百数十種にわたる食材について、
歴史や起源、特性、成分、利用法、などについて書かれている。
日本の食材の本ではあまり触れられることのない種類も
多く(例えばチャイブとか、ボリジ、とか)含まれ、
ごく一般的他の食材と平等に、すべて見開き二頁で展開されている、
と言う点も、潔さを感じて、是非手元に置きたい、と思った。

でも、古本(目立って傷んでいるというところはないが)なのに、
3500円(+税)って、高くない? と思い、お店の人に
尋ねてみると、「ちょっと経営者に聞いてみないと、御値引は
できません」と言われ、バイトさんなら仕方ないな、と
言い値通りで購入したのだった。これは買って正解だった。
私にとって最初の食文化の本になった『古きよきアメリカン・スイーツ』の
原稿を書くときも、その後の『お菓子のうた』のときも、随分参考に
させてもらったからである。

現在のアマゾンでは、100円ちょっと(+郵送料)で買えちゃうらしい。
なんて便利になったんだろう。でも、苦労して手に入れた本はまた、
格別に思えるもんなんだ(負け惜しみじゃないよ)。
nice!(0)  コメント(0) 

お菓子の本 [食文化]

お菓子の歴史や文化に興味を持ち始めてから、お菓子に関する
本があれよあれよと増え始め、現在はざっと200冊くらいに。
いわゆる「お菓子作りの本」をふくめるともう少し多くなる。
だいたい、本屋さんなどで探そうにも、お菓子作りが中心に
なっているので、文化や歴史にまつわるものはごく少なく・・・。
つい「料理本」の方を買ってしまって、増えてしまった分もある。

そんななか、よくこんな本が入手できたな、と手を取るたびに
感動してしまう本もある。その一つがやまがたひろゆき著
『お菓子の話』(新潮文庫 1985年刊)。購入したのは
2005年頃、場所は我が家から一番近いところにあった
ブックオフ(今はない)。お値段はなんと、100円!(シールが
ついたままだ)。

一頁に一つずつ、つまりほんの450字ほどで、世界のお菓子を
紹介している。ヨーロッパの様々な国々から、トルコやインド、
タイ、エジプト、などあまり日本で知られていない国々のもの、
そして中国、日本をたっぷり・・・。前部で199個。

こんなお菓子、どこで調べたんだろう、と思うような
日本ではほとんど文献のないお菓子も多々登場する。
主に由来や語源を小咄的に展開していて、こういう
噂なんだけれど、どう? 面白いでしょ、的な展開。
作者自身もあまり、書いている内容の信ぴょう性に自信はなさそう。

私は、暇ができるとあちこち拾い読みして楽しんできた。
作者はどこかの料理学校の先生らしいが、あまりよくわからない。
この本を入手したのは、お菓子の文化について調べ始めて
まだ半年くらいの時だったと思う。以後、本当にいろいろな書店、
古書店などを歩き回ったが、この本を目にしたことはない。
本当に偶然が重なった出会いだった。これからも大切にしたい一冊。
nice!(0)  コメント(0) 

行李 [生活]

十年前、上海でしばらく暮らすことになった時、
中国語講座のCDを買って、少しだけ勉強したことがある。
その時、持ち物(荷物)のことを「行李(シンリー)」と
言うのだと知って、驚いた。日本の「行李(こうり)」と同じ?

行李といっても、多くの若い人が知らないだろう。
畳み藺草のような素材で作られた、細長い箱状の入れ物で、
戦前を舞台にした映画なんかを見ていると、長旅をするような
人たちが、これに紐をかけて背負っている場面が出てきたりする。
四隅に硬い布をはりつけて補強してある点に特徴があり、
子供の頃、我が家の押し入れの奥に眠っていた記憶もある。
ほとんど使うことなく、引っ越しの折などに捨てられてしまった
のではなかったろうか。

その行李、中国では「荷物」という意味のことばであったとは。
はてさて、それがどうして日本では、あの独特のかたちの
容器を意味したのか。あの容器がそのまま実は中国から伝わったものなのか。
容器は消え、荷物という言葉だけが、中国語に残ったのか・・・。

そんなことをぼんやり考えたことだったが。

最近ひょんなことから目についた、韓国の絵本『ノマはちいさな
はつめいか』(講談社 2010年刊)を見ていたら、最後の頁に、
日本で昔使われていた行李にほとんどそっくりのものが載っていて
驚かされた。そっくりとはいえ、大きさは違う。絵本の中では、
他のものとの対比から、せいぜい25センチ×45センチくらいの
小型の「行李」のように見える。四隅が布で補強してあるところなどは
そっくりで、懐かしい気持ちになった。ちなみに日本の行李は長さが
80センチ、幅4、50センチ、高さ2、30センチはあり、小型箪笥の
引き出しくらいの大きさだった。

『ノマは‥』という絵本は、20世紀の初頭、ソウルに生まれ、朝鮮戦争時に
越北して北朝鮮で活躍した童話作家ヒョン・ドクの作品に、1972年生まれの
画家チョウ・ミエが挿絵を担当しているもの。童話の舞台は1930年代の朝鮮半島、
というから、日本統治下の時代の様相を表していることになる。

でも登場人物の服装や、室内の調度品などは朝鮮に固有のものばかり。
あとがきで訳者はその一つ、白い陶器のおまる(当時、朝鮮ではトイレが
外にあったので、冬季の夜など室内で用を足すためのもの)を紹介している。

だが、小型の行李は、どんなふうに使われたのだろう。日本の行李と
どんな関係があったのだろう。絵本は細部が面白いものだが、
ついいつまでも、小さな行李に見とれていた私でした。
nice!(0)  コメント(0) 

岩城けい・さらに [文学]

岩城けいの第三作『Matt』は、前作『Masato』の続編に
なっている。十一歳で家族と共に渡豪した真人が、ワトソン校に
(地域の有名校らしい)にEAL(第二言語が英語、つまり外国人枠
みたいな感じ)枠ながら奨学生として入学し、まさに青春の入口へ、
というところから、物語が始まる。

ワトソンには劇(ドラマ)の授業も選択できるらしい。
真人は自分をマットとして自己紹介する。その場面がとても
ユニーク。受講生が教師の用意する小道具の中から、自分の
名前とイニシャルが同じ道具を取り上げ、音楽に合わせて
順番に自己紹介するのである。真人は、仮面(マスク)を選び、
それを顔に当てながら(そうすると何者かに変身できる、そんな
歓びも表明しながら)「自分はマット、マスクのM、マスクを持ってる
マット」と皆に呼び掛ける。ところが・・・。

ドラマのクラスに、もう一人のマット(マット・W)がいたのである。
彼はダーウィンからの転校生。ダーウィンは、太平洋戦争時、
日本が侵略して暴虐にふるまった地である。そのことを
祖父から聞いてきたマット・Wは、マットを目の敵にし、
「ジャップ! そんな顔で、何がマットだ。日本へ帰れ!」
と激しくののしり、時に乱暴を働いてくる。だが彼はその他の
同級生たちには穏やかにふるまい、またかなりのイケメンとあって、
皆の人気者になっていく。マットには、波乱万丈のワトソン生としての
始まりだった・・・。

自分は日本人。でも、戦時下に蛮行を働いた日本人とはちがう。
日本人である前に、一人の人間なのに・・・。そしてこの
オーストラリアで、英語を使って生きていこうとしているのに・・。

前作の『Masato』は、いじめは受けていてもどこか子犬がじゃれ合う
ような、のどかさがあった。児童文学的な優しい文章がそうした
雰囲気を醸し出してもいた。だが『Matt』は、同じ一人称ながら、
いかにも高校生が話していそうな、激しく、猥雑な言葉が
登場人物たちから噴出。青春の猛々しさが炸裂する、といった
筆致になっている。

日本はこれから、ますます多くの異国の人たちが流入してくるだろう。
それは否応なく・・・。マットと同じような経験をする人たちが
今もあちこちにいるに違いない。『Matt』は、日本に住む多くの異国の
人たちの心情を考える時の、一つのヒントを与えてくれそうな気がする。
nice!(0)  コメント(0) 

岩城けい・続の続 [文学]

岩城けいの実質的第二作『Masato』は、前作と打って変わって、
十一歳の男の子の一人称による物語。場所は同じくオーストラリア、
彼は会社勤めで転勤を命じられた父に従い、母と十五歳の姉と
柴犬チロと共に、移住してきた。その一か月後、転校生のお別れ
パーティのお知らせプリントの指示通り、「お皿を一枚」
携えて登校する場面から始まる。母親が言う。
「面白いわね、こちらの学校は。パーティにお皿を持ってこいなんて」
ああ、だれも教えてあげなかったのだろうか。実は教えていたのに、彼に
理解できなかっただけなのだろうか。これは、「何か料理を一品」という
意味なのに・・・。

早速、いじめの標的になり、苦痛を味わる真人(まさと)。読者は
岩城けいの作りだす世界へ、一気に引きずり込まれていく。
まさに波乱含みの展開なのだが、読者は彼が、苦難を味わいながらも、
オーストラリアで生きていくだろう、と推測している。それはこの本の
題名による。どのように乗り越えていくのか。

作者は読者の期待を裏切らず、真人に様々な苦難と困難を負わせる。
同時にオーストラリアという広大な地の
魅力をたっぷり伝えながら、かれを成長させていくのである。

前作の『さようなら、オレンジ』は太宰治賞、大江健三郎賞を受賞、
だが本作は坪田譲治文学賞を受賞している。一種の児童書とも読める。
そうした読みやすさ、わかりやすさを備えながら、文章は密度濃く、
スピード感にも溢れていて、私個人としては前作よりはるかに面白く読めた。

大人と子供の違い、11歳と15歳の違い、父親と母親の違い、いずれもが
きわやかに描かれる。誰かが間違っているのではなく、
それぞれの違いの幅が、異常に増幅されるのが、異文化社会なのである。
あまりにも身近な存在であるがゆえに、言葉も共通するがために、
互いの意思疎通ができない、と言うことも起こりうる。
そういうところまで、きっちり描かれていて読み応えがあった。
次回は、最新作『Matt』について触れることにする。
nice!(0)  コメント(0) 

岩城けい・続 [文学]

岩城けい『さようなら、オレンジ』は、紛争下のアフリカ
から、二人の男児と夫と共に豪州に逃れてきたサリマが
当座の主人公として登場する。母国でほとんど教育も受けていず、
英語も話せない彼女は食肉工場で家畜の解体をしながら、
英語の学校に通い出す。そこで一人の日本女性サユリと知り合う。
髪の毛が黒くつんつんしている彼女を、サリマはこっそりハリネズミと
名付けている。サリマから見た、サユリの特徴が、つまり
異国で日本人がどう見えるか、がかなりきっちりと描かれる。

その展開の途中、ところどころに活字の字体も異なる、
「ジョーンズ先生」という結構長い書簡が挟み込まれている。
そしてこれは、サユリが英語の恩師宛に書いている手紙らしい、
ということ、サユリはこの恩師の勧めで、小説を書こうとしている
らしい、ということが分かってくる。

小学校さえ通っていないサリマ、大学まで出ているサユリ。
だが二人とも、この広大な、異文化圏のなかで無力感にさいなまれ、
たびたび、生きる気力を失いそうになるのである。
他にも二人の周りには、異国から来ている様々な女性たちが登場し、
それぞれの生き方が二人の視線から描き出されるのである。

先回触れたように、朝日新聞の「折々のことば」に、鷲田清一氏が
小説の中の一節を二度、紹介されており、そのことばからも、
この小説の雰囲気はつかめると思う。
救いは、二人ともこのオーストラリアという巨大な地に
しっかりと根を下ろして生きようとしていること、その意思的な
姿が大地を染める太陽の光の中に映し出されていること。

日本にもここ二十年くらいの間に、急速に異国からの定住者が
増えてきている、と感じる。でも、日本は彼らに対してどう
向き合えばいいのか、国としての態度があまりに曖昧ではないか。
とりあえずは、無償、あるいは格安で日本語を学ぶ場を用意する
ことが必要なのでは・・・。
岩城けいの小説を読んで、さらにその思いが強まった。

nice!(0)  コメント(0) 

岩城けい [文学]

岩城けい『Matt』(集英社)を読み始めたのは、全くの偶然。
図書館に行った時、入り口のそばにこちら向きに立てかけてあって、
何気なく手にとり、主人公が異文化に悩む、と言う内容らしい、と、
にわかに興味を惹かれて借りてきたのだった。それまで、
岩城けいなる作家をまるで知らなかった。
少し読み始めるとたちまち、のめりこむ様に読んでいた。
文章のテンポが抜群にいい。比喩もうまい。そして現代日本の
若者言葉も、うまく場を選んで散りばめてある・・・。

翌日の十月十三日、朝日新聞の「折々のことば」で鷲田清一氏が
岩城けいの小説からの一節を引いておられて、またまたの
偶然に驚く。氏が引用されていたのは次の一節。

  「それで、だれがあんたを見送ってくれるんだい」
   ・・・・/「お月さま、霧」/「そうかい。ひとりじゃ
  ないんだね。よかった」
               岩城けい『さようなら、オレンジ』

さらに翌日の十四日の「折々のことば」も、同じ著書からだった。

  「あなたは、違う。だから、いいいんだ」
           岩城けい『さようなら、オレンジ』

ちなみに私が借りた『Matt』は今月刊行されたばかり、『さようなら~』
の方は、2013年刊。作者はオーストリア在住25年、と知り、驚く。
英語圏で暮しながら、この日本語力!(この項、少し続けます)
nice!(0)  コメント(0) 

定期から普通へ [生活]

施設に入所して三年目に入った母は、九十代半ばになっている。
やや認知症気味ではあるが、記憶力は良くて、足腰もしっかり。
小さな歩行器を押しながら、自分の足でどこへでも行く。

施設の費用は母の預金口座から落としていたが、入ってくるお金
(年金)より出ていくお金の方がはるかに多く、母はそのことを
とても気にしてて、このところ会うたびに「郵便局の定額口座を
おろして、介護費用にあててちょうだい」と口にするようになった。

それであらためて尋ねると、定額にしてから十年以上、手をつけていない、
という。十年以上だと、下しにくくなるのでは、とにわかに不安になる。
それで思い切って、母の定額を全部解約して普通口座に移すことに。

予め郵便局に電話して尋ねると、本人が来れない場合は自筆の委任状、
が必要。また普通預金口座を開設していれば比較的簡単だが、もし
ない場合は、新たな開設はできないので、金額によっては二、三日前に
連絡してもらってからでないと用意できない。さらに・・・。
と、何やら面倒そうなことを沢山言われた。要するに、母が自分で出向け、
普通口座があれば比較的簡単と分り、思い切って、決行することに。

って、大げさのようだが、実に大変なのである。母がいる施設から一番
近い郵便局まで、歩いて四百メートルくらいある。でもその位なら、
と、お天気の良い日、印鑑(可能性のありそうなもの全部)と、普通預金
の通帳(開設されていてほっとしたのだが、随分古い。最後の出入金は
25年も前で、残高は数千円である!)と、定額通帳(案の定、十年以上、
放ってあった)と、施設から借りだした母の保険証とをまとめて持って、
郵便局へ向かう。母は最初は元気よく歩きだしたのだが、途中で
「え、お昼を食べに行くんじゃないの?」
「定額を普通預金にするため、って言ってあったでしょ」
途端に、歩かなくなってしまった。バス停近くまでなんとか連れて行き、
ベンチに腰掛けさせて、私は施設の駐車場から車を回すことに。

少し遠くでも、駐車場のある郵便局へ連れていくことにしたのである。
この点、全国に支店のある郵便局はとても便利、ほっとする。

だが、母の普通預金が休眠口座になっていたことなどなどで、
手続きに一時間以上もかかってしまった。
「もう、お昼でしょ」と、繰り返す母をなだめ、なだめ・・・。
ようやく手続きを終えても、まだその後の処理すべきことは多々あり。
でも、疲れてはいられない。母はもっと疲れているはずだから。

車の入る和食レストランへ連れて行き、一緒に食事をする。
温かい天ぷらに舌鼓を打っている母をみて、
何だか、涙が出そうになった。


nice!(1)  コメント(0) 

美味しいみかん [食文化]

北国育ちの私は、長いこと、みかんという果実に対し、
強いあこがれを持ち続けてきた。就職して初めての冬、
その時はもう結婚していたのだけれど、自分の稼いだお金で
思う存分蜜柑を味わえる幸せに浸り続け、相棒があきれるほど、
みかんを食べまくっていた。

それなのにここ何年も、蜜柑をほとんど口にしなくなっていた。
いつからだろう、蜜柑を食べておいしい、と言うことがなくなって
しまっていたから。ただべったりと甘く、みずみずしさに欠け
ほのかな酸っぱさに欠け、深い味わいに欠け・・・。

「塔」九月号を読んでいたら「私の休日」というコラムを担当している
池田行謙さんが「美味しい温州みかんとは」と言う題で
みかんの選び方を指南されていた。池田さんはかんきつ類の農学的
専門家でおられるらしい。池田さんの推薦によると(美味しさの基準は
人それぞれであるし、品種による例外もある、としたうえで)
規格がS以下の小玉、油泡(果皮の粒粒)が細かく多く、果経は
より扁平、果梗(枝の切断痕)が小さく、ヘタは緑で瑞々しく、
時期的に12月までの果実、が美味しいらしい。

私が普段利用するスーパーで、近いものを探してみた。
直径5センチほどのSSサイズのものがみつかる。ヘタはやや乾いていて、
緑色のみずみずしさはないが、果経は小さく、扁平に近いかたち。
時期的にも、まだ十月中旬!油泡は、ネットに入っていてよくわからない。

とりあえず、買って帰って食べてみて、う~ん、と唸った。
美味しいのである。これはもう三十年ぶりくらいに口にする、
美味な蜜柑だった。いったい、産地はどこなんだろう。
ネットの中に小さな紙が入っていて、「鹿児島県産極早生みかん」
と表記されておりました。
nice!(0)  コメント(0) 

若白髪 [生活]

時々行く美容室。他の用事でその美容室の前を通ると、
土曜日だというのに、そしていつも週末は混雑している
店なのに、ガラス越しに見る限り、お客は二、三人。
ふらっと入ってしまった。

担当してくれた三十歳前後と思われる男性は、
やや寡黙で、あれこれ話しかけられるのは好きでない私は、
あ、ラッキー、と思ったのだけれど。
もうそろそろ、カットが終わる段階になって、
「失礼ですが、御年の割に白髪、少ないですよね」
と、言われた。まあ、前髪あたりは、かなりあり、
少しずつ、ヘアマニュキアをしている。が、年齢の割には
そうかもしれない。

「僕は小学生の頃から、白髪だったんです」
ええ!? と驚く。鏡越しに改めて彼の髪を見ると、
黒髪のところどころに、茶を配している。
「染めているんです。小学生の時は、鏡見ながら、
抜きまくっていました。ほんと、いけないんですけど」
明るそうに、笑うけれど、小学生から、それって・・・。

「ええ、ヒサンでしたよ。子供は残酷でしょう?
中学の頃には、もう目立ちまくってましたら、
かなりのイジメにあいました。高校生で黒く染め始めて、
やっと、人並みに・・」
そうだったのか。でも、そういう経験が、美容師になる
きっかけになったのかもな、と思った。

「でもね、禿げるより、ましでしょ?」
と言うと、おおきくうなずく。
「そりゃ、もう! 白髪って、結局髪の量が多いしるし
でもあるんです。そう気づいたら、返って、
嬉しくなってきて。そこまでには時間、かかりましたが」
これからも、頑張って! と心の中で
エールを送りながら、美容室を後にした。
nice!(0)  コメント(0)