万葉翡翠(その3) [旅]
翡翠峡への道は、現在は一応舗装はしてあるのだが、細く
曲がりくねっていて、運転は大変そうだった。でも運転のプロである
兄の奥さんは、楽しそうに鼻歌交じりに谷を下っていく。見た目は
とても華奢で、街角のブティックの店員さん、みたいな雰囲気なのに、
大型のトラックの運転手さんとは! ギャップ萌えしそうである。
そうして、ようやく翡翠峡に辿り着く。その清流の美しさに息を呑んだ。
翡翠の原石があるところまで、さらに下って行って、写真を撮る。
誰もが自由に河原の石を持ち出せたという時代もあった。
当時はこの河原に辿り着くまでが難行苦行で、持ち帰れる石の大きさも
限られていただろう。車道が整備されている現在は、持ち出しを厳しく
禁止されているのは、当然なのだが。
写真に写っている大きな岩の幾つかは翡翠の原石なのだが、そうではない
石も混じっている。そして素人目には、どれが原石で、どれがそうではないのか、
よくわからない。先回触れた、四十年前に松本清張がこの翡翠峡を訪れた折に
ついての記事にも、清張が、河原の石を拾い上げては、
「これが翡翠ではないか」
と、付き添いの市職員に尋ね、
「いや、違います」
という会話を七、八回も繰り返したそうだ。そこで諦めたらしいのだけれど。
私は翡翠そのものより、その翡翠のそばを流れる清流の
美しさの方に目を奪われてしまった。子供の頃に住んでいた町のはずれにあった
荒川峡という峡谷には、よく連れて行ってもらったし(徒歩で一時間強かかった)
そこでお昼を食べたり、冷たい流れに足を浸して遊んだりしたことが
とても懐かしく蘇ってきたのである。(続きます)
曲がりくねっていて、運転は大変そうだった。でも運転のプロである
兄の奥さんは、楽しそうに鼻歌交じりに谷を下っていく。見た目は
とても華奢で、街角のブティックの店員さん、みたいな雰囲気なのに、
大型のトラックの運転手さんとは! ギャップ萌えしそうである。
そうして、ようやく翡翠峡に辿り着く。その清流の美しさに息を呑んだ。
翡翠の原石があるところまで、さらに下って行って、写真を撮る。
誰もが自由に河原の石を持ち出せたという時代もあった。
当時はこの河原に辿り着くまでが難行苦行で、持ち帰れる石の大きさも
限られていただろう。車道が整備されている現在は、持ち出しを厳しく
禁止されているのは、当然なのだが。
写真に写っている大きな岩の幾つかは翡翠の原石なのだが、そうではない
石も混じっている。そして素人目には、どれが原石で、どれがそうではないのか、
よくわからない。先回触れた、四十年前に松本清張がこの翡翠峡を訪れた折に
ついての記事にも、清張が、河原の石を拾い上げては、
「これが翡翠ではないか」
と、付き添いの市職員に尋ね、
「いや、違います」
という会話を七、八回も繰り返したそうだ。そこで諦めたらしいのだけれど。
私は翡翠そのものより、その翡翠のそばを流れる清流の
美しさの方に目を奪われてしまった。子供の頃に住んでいた町のはずれにあった
荒川峡という峡谷には、よく連れて行ってもらったし(徒歩で一時間強かかった)
そこでお昼を食べたり、冷たい流れに足を浸して遊んだりしたことが
とても懐かしく蘇ってきたのである。(続きます)