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米沢・半世紀(その6) [旅]

今回の米沢への旅の、大きなテーマのひとつが「置賜の味」。
住んでいながら、子供だったこと、また米沢では特に、下宿の
賄飯に限定されていたことから、地域の食材について知ることも、
また自分で考えることもなく過ぎてしまっていた、その失われた時間と
機会を、少しでも取り戻したい、という気持ちが強くあった。

私を米沢に誘ってくれたYさんは、私の意向をよく理解してくれて、
地域の特産物を入手できる店舗に、数多く案内してくれた。
米沢に着いてすぐ、連れて行ってくれ、ご馳走して頂いた郷土料理店では、
おかひじき、こしあぶら、うこぎ、たらのめ、などを
おひたしや天ぷら、混ぜご飯、などで頂くことができて、感激だった。

米沢市内の「愛菜館」というお店では、くきたち、あさつき、
ふきのとう、新鮮そうな葉のついた大蒜(日本では初めて見る)、
などの野菜が売られていて、興味深かった。行者にんにくにも
目を奪われた。これもまた、初めて目にする野菜である。
ずっと以前に読んだ、中国の古典『紅楼夢』で知り、名前が
ちょっと厳めしいので心に残っていた。ついに出会えた、という気持ち。
愛菜館では、そばの花と紅花入りそば茶、を購入(早速飲んでいる。
蕎麦の薫りがすばらしくて、癖になりそうな味である)。

川西町の「森のマルシェ」では、YさんもKさんも「美味しいよ!」と
勧めてくれた「むくり鮒」を購入した(これも帰宅してすぐ食べた)
こぶりの鮒のはらわたを抜いて、裏返すように畳み、じっくりと弱火で焼き、
油で二度揚げし、砂糖醤油にからめ煮し、さらに乾燥させて作るのだとか。
むくり、とは置賜地方の方言で、「ひっくり返す」という意味らしい。
ちなみにこの後、私は山形市へ足を伸ばし、山縣在住の知人に会うのだが、
そこで知人に「川西にはむくり鮒って、美味しいお魚があるでしょう?」と
言われた。「あれは、川西でしか買えないんだよね」というので、
「なんだそう聞いていたら、お土産に買ってきたのに」と告げたことだった。

食べてみると、香ばしく甘辛いお煎餅のよう。でも、そのなかに
しっかりとしたお魚の味がして、幾つもの調理の過程を経て、
この味が出来上がっている、ということを確かに想像させる味だった。

遅筆堂で井上ひさしの蔵書を色々見せてもらった後、館長のKさんが
近くの甘味喫茶店へ案内して下さった。川西町は紅小豆で町おこしを
している、とはあらかじめYさんから聞いていた。この甘味店も
紅小豆などを用いた和菓子を製造販売するお店だった。その一角で、
柏餅を頂くことになった。ふっくらとしたお餅が素晴らしく美味。
次いで、紅小豆の羊羹も味見させてもらう。すっきりとした上品な味の
羊羹だった。川西町は米沢にほど近く、列車ではいつも通っていた町
なのだけれど、本当に多くを知らずに来たなあ、とあらためて残念に思う。

この紅小豆を用いた羊羹は購入したかったが、あまりに重いので
怯んでしまった。旅の支度が不十分だったことを思う。以前は鞄の中に
小型の段ボール箱を畳んだものを偲ばせておいて、購入したものを入れ、
途中のコンビニなどから自宅宛てに配送を手配したりしていたのに。
今回は、ちょっと配慮が足りなかったなあ、と悔やんだ。

その夜は、Yさんの旦那さんから米沢牛のすき焼きをご馳走して
頂くことになった。車での移動続きで、あまり歩いていないので、
お腹が空いていないのがとても残念だったが。米沢牛はさすがに
美味だった。とろけるように柔らかく、それでいてしなやかな歯ごたえ
があり、甘い。牛肉と共に食べる野菜や豆腐の類も美味しくて、
もう少し私の胃が大きくて丈夫なら、と思わずにいられなかった。

Yさんの旦那さんは私より数歳も年下になるのだが、やはり興譲館高校の
出身ということで、色々と共通する話題もあり、楽しかった。
Yさん、Kさん、さらに遅筆堂の館長のKさんらとは、主に俳句や短歌など
文学談義が中心だったが、Yさんの旦那さんとは、置賜の災害史をたどる、
みたいな話題が多くて(昭和38年の豪雪、39年の新潟地震、42年の羽越水害
などなど)ほど近い地域圏に住み、同じ時間を共有してきたことに親しみが募った。

米沢を去る日、私は駅の売店などで、留守番の夫に頼まれたお土産、
鯉の甘煮、山菜の水煮、山形だしの素、餅菓子などを買い込み、バッグは
はちきれそうに重くなってしまった。短期間だったが思い出もたっぷり
詰めて、米沢を去ることになった。お世話頂いた多くの方々に感謝の
意を表して、この項を閉じることにしよう。 

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