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万葉翡翠(その2) [旅]

半世紀ぶりに糸魚川を訪れるきっかけを作ってくれたのは、私の兄。
私はこの兄のことにまったく触れずにきたが、理由は簡単、ほとんど一緒に暮して
こなかったからである。私にはよくわからない部分が多く、歌に詠んだこともない。

四年前に父、昨年には母、と相次いで亡くなり、長く疎遠にしてきた兄と
話合わなければならない場面が多くあり、そうして互いの間が急速に縮まり・・・。
父が祖父から相続していた糸魚川の地所を、さらに相続した兄が、定年後その地に
住むことになった。

「糸魚川を訪ねてみないか」と声を掛けてくれたのは半年ほど前だった。
清張の『万葉翡翠』の話をすると、「その本なら自分も読んだ」という。
「ちょうど四十年前、清張自身が姫川の支流の、翡翠の原石がある小瀧川峡谷に
来ているよ。そこへ一緒に行こう」と話が進んだのだった。

昨年十二月の新潟日報に三度にわたって「清張と糸魚川」という記事が掲載された
そうで、その掲載紙も送ってくれた。一面の大半を占める大きな扱いで、清張が
峡谷の清流に足を浸しながら、同行した当時の市の職員らと、何か話し合っている
様子を写した写真も掲載されている。清張は片足は裸足だが、左足だけ黒い靴下を
履いたまま。大作家の素顔が見て取れて、ちょっと可笑しい。

翡翠峡への道は、当時は全く整備されておらず、肝を冷やす場面も多かった、とか。
今はかなり状態が良いとはいうものの、悪天候なら中止しようと話合った。
私はかなり「雨女」っぽいが、この度の予定は兄の方からの提案によるから・・・。
案の定、私が糸魚川を訪れた日は、どんよりと曇っていて、今にも降りそうな
空だったが、翌日にはからり、と晴れて暑いくらいの陽気。

運転してくれたのは、兄の二番目の奥さんで、まだ五十代半ば。
ほっそりとした色白の美人だが、なんと大型車の免許を持つ、現役のトラック
運転手さんである。愛車のレクサスは、峡谷の道には大きすぎる、と言い
スズキのeveryで、出発することになった。私の人生に、こんな日が来るなんて、
とちょっと感無量。そんな感傷は置き去りに、美しい新緑の谷をこの小型車は
ひたすら、降りていくのだった。翡翠の原石の転がる清流めがけて。(続きます)
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