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置賜の味・最後に [食文化]

半世紀ぶりの米沢で、初めて口にした食品は、古民家を改造した料理店の、
囲炉裏を囲んで摂った昼食、その場で最初に供された焼餅だった。
まずお餅が登場する、ということにちょっと驚いた私、東京では日々の
生活で、お餅を食べる、といことはほとんどなかったので。

日本で稲作が始まったのは、縄文期の後半頃とされていて、糯米の方が
先に登場していたようだ。弥生時代に入って粳米が栽培されるようになると、
粳米の方が常用され、糯米の方は、ハレの食べ物とされるようになったらしい。
お正月にお餅を食べ、お祝時にはお赤飯を炊くのはその名残のようである。
米沢の料理店で、真っ先に焼餅が供されたのは、客人をもてなす、という
意味があったのではないか、ハレの食べ物によって歓迎の意を表されたのでは、
と私などは考えるが、どうだろう。

また米沢やその後訪れた川西町では、道の駅や土産物店などで、沢山の山菜や
木の実などが売られている様子も目にし、東京ではなかなかお目にかかれない、
新鮮な野山の収穫物に目を見張った。周囲の山にはまだ雪の残る四月の中旬、
でも人々は待ちかねた春を迎え、自然の恵みを求めて近くの野原や丘に
繰り出している、そんな印象を持った。そしてずっと以前、私たちの祖先、
まだ農耕がさほど計画的に行われていなかった時代の人々が、
どんな食生活を営んでいたか、その一端が見えたような気がしたのである。

  春野辺に木の芽さわらび摘みおれば 縄文びとの血のたぎりくる
                我楽と我羅選「Anjamon ごきげんなうた」

「Anjamon」は、私を米沢へ誘ってくれたYさんが発刊された個人誌である。
「あんじゃも」は米沢の方言で、「なかなかやるなー」と感心したりするときに
発せられる感嘆の言葉らしい。ユーモアたっぷりで、楽しくなる。
この冊子を読んでいたら、短歌とか俳句とか、とにかく楽しめればいい、
という心意気満載で。半世紀ぶりの米沢がよけいに楽しめた。

食文化についても、続いていろいろと楽しみながら触れていきたいと
思っているけれど。とりあえず、「置賜の味」はここでいったん終了です。
お読み頂いた皆様、有難うございました。
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