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囀りの日 [短歌]

一昨日、日曜日の朝のこと。いつものように朝刊を読んでいると、
朝日俳壇の高山れおな氏の選句欄の一席に選ばれている句、

  囀りの塊木々を渡りゆく  愛川弘文

が目に留まった。ああ、良い句だな、としばしその句を
頭の中で転がしてみる。さえずりのかたまり、と読むのだろう。
「さえずりのくれ」とも読めるかもしれないのだが。ここはきっと
「かたまり」。雀のような小鳥の群れが、一斉に木々を渡っていく様子が
目に見える。作者は音のことしか言っていないのだけれど。

この句に触発されて、すぐに短歌の上の句、っぽいフレーズが
浮かんできた。こんなことはめったにないので、朝食の準備の途中で
メモに記してみる。少し手を入れてから、下の句を考え、考えながら
朝食のパンとヨーグルト、バナナを食べ終える。今日は第一日曜日。
「塔」の横浜歌会の定例日である。外はかなりの雨。

いつもなら徒歩で行くが、今日は運行時間を調べてバスを使う。
当日の詠草に目を通して、びっくり。まさに「囀り」を詠んだ
作品があったから。それも、万華鏡の中に沢山の囀りが詰まっていて・・・
と、かなりユニークな作品で、すぐに票を入れる。自由詠の15首の
中で、一首しか選べない日だったが、まっしぐらにこの歌に。

ああ、でもなんていう偶然なんだろう、囀りの句に感動し、自分でも
囀りの歌を朝食前に作る、なんて余りしたことのない行動を取り、
雨を押して出てきた歌会で、囀りの短歌に出会えるなんて。
五月七日は「囀りの日」として、登録しておきたいくらい。
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置賜の味・おかひじき [食文化]

おかひじきという野菜を知ったのは、結婚してから数年後。
その頃隣に住んでいた家の奥さんが山形県上山市の出身ということ
だったが、庭に何やら、細い緑の茎がつんつんと伸びる植物を
植えていて、「おかひじき、という故郷の野菜」であると教えてくれた。
初めて聞く名前で、その時、食べ方も教わった気がするが、おすそ分け、
ということはなかったので、味は知らないままだった。

この数年は、我が家が利用するスーパーでも見かけるようになったが、
何しろ、野菜に好き嫌いが激しい相棒と暮らしているので、容易には
手が出せない。以前、つるむらさき、という野菜に興味を惹かれ、
購入、おひたしにして食卓に出したところ、口にするなり「まずい」と一言。
残りには一切手を付けなかった、ということもあった。

米沢で、Yさんが連れて行ってくれた郷土料理店で、私は初めて
おかひじきのお浸しを味わった。辛子醤油で食べると、ほんのり辛く、
しゃきしゃきとした噛み心地もたまらなく美味!

太木光一著『食材の基礎知識』によると、おかひじきは伝統野菜の
一つで、江戸時代から東北を中心に庶民に利用される食材だった。
ところが明治に入って西洋から様々な野菜が輸入されるようになると
それらに押されて、次第に姿を消していくことになった。

昭和末期の頃から、ビタミンやミネラルの豊富な野菜として再注目され、
山形県を中心に栽培が復活してきたのだという。特に、カルシウム、
鉄分、ビタミンAが豊富な野菜として、現在では全国に広がりつつ
あるのだとか。

野菜のなかでは鮮度の落ちが少なめで、日持ちも良い、いうことなし、
なのだった。条件はそろっているのに、唯一、我が家の強い反対勢力に
抗せず・・・。まあ、一人で食べればいいだけのことなんだが。

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置賜の味・うこぎ [食文化]

今回の山形県南部を訪れた際に味わった食材について、
メモ風に綴っておくことにしたい。
最初の食材は、米沢に特有の味として、以前に日テレの人気番組、
「秘密の県民ショー」で十年くらい前に紹介されていた「うこぎ」。
うこぎにはいくつか種類があるが、米沢で利用されるのはひめうこぎ、
の類らしい。

私はこの番組を見るまで、うこぎを知らなかった。この番組は
最近は全く見ていないのでわからないが、以前は大阪と山形の
登場率が高かったような印象があった。「うこぎ」の紹介のされ方も、
垣根にする木の、若芽を食べるなんて・・・。とちょっと呆れるような
雰囲気を帯びていた気がする。大阪風の「茶化し」が山形に及んでいる、
そんな印象さえあったんだったが、さて。

米沢に行ってみると、どこの垣根にも、うこぎを見つけることができて
感動してしまった。地震時の被害を考えると、ブロック塀より
はるかに垣根が合理的。さらに食材にもなるとは、かなり便利!
そして若芽はやや苦みを帯び、さわやかでまさに早春の味がする。

うこぎについて、帰宅してから調べてみたら、なんと、中国では、
有名な薬用酒にも使われていることが分かって驚く。その名も
五加皮(ウージャーピー)酒。数年前まで相棒が中国で仕事をしていたので、
時々、お土産に買ってきてくれていた。中国には五糧液(ウーリャンイエ)
というお酒もあり、こちらは紅高粱、糯米、粳米、玉蜀黍、小麦を材料と
していて、まさに五つの穀類から成るので、五糧液、というのだった。

五加皮もまた、五種類の薬用食材が使われているのでは、と
何となく思っていたのだったが、何と、中国語でうこぎのことを
「五加」というのだ、と初めて知った。五加の根皮を用いて作るので
五加皮酒というらしいが、他に当帰や丁香なども加えるらしい。
古くから作られている薬酒で、『本草綱目』にも記載されているという。

米沢のうこぎは、災害時の被害軽減、早春時の野菜確保、さらに
薬効も期待されての利用だったんだ! とあらためて驚く。
『中国食物事典』(柴田書店)によると、筋骨を丈夫にし、皮膚の疾患
などに効能を発揮するのだとか。

うこぎの味を五加皮酒で味わってみたくなった。近くの中華料理店
(少し中国酒も置いている)や、やや遠くの大きなスーパーを回って見たが、
五加皮酒は見つからなかった。近く、横浜の中華街に会食も兼ねて探しに行くつもり。
              (この項、続けます)
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米沢・半世紀(その6) [旅]

今回の米沢への旅の、大きなテーマのひとつが「置賜の味」。
住んでいながら、子供だったこと、また米沢では特に、下宿の
賄飯に限定されていたことから、地域の食材について知ることも、
また自分で考えることもなく過ぎてしまっていた、その失われた時間と
機会を、少しでも取り戻したい、という気持ちが強くあった。

私を米沢に誘ってくれたYさんは、私の意向をよく理解してくれて、
地域の特産物を入手できる店舗に、数多く案内してくれた。
米沢に着いてすぐ、連れて行ってくれ、ご馳走して頂いた郷土料理店では、
おかひじき、こしあぶら、うこぎ、たらのめ、などを
おひたしや天ぷら、混ぜご飯、などで頂くことができて、感激だった。

米沢市内の「愛菜館」というお店では、くきたち、あさつき、
ふきのとう、新鮮そうな葉のついた大蒜(日本では初めて見る)、
などの野菜が売られていて、興味深かった。行者にんにくにも
目を奪われた。これもまた、初めて目にする野菜である。
ずっと以前に読んだ、中国の古典『紅楼夢』で知り、名前が
ちょっと厳めしいので心に残っていた。ついに出会えた、という気持ち。
愛菜館では、そばの花と紅花入りそば茶、を購入(早速飲んでいる。
蕎麦の薫りがすばらしくて、癖になりそうな味である)。

川西町の「森のマルシェ」では、YさんもKさんも「美味しいよ!」と
勧めてくれた「むくり鮒」を購入した(これも帰宅してすぐ食べた)
こぶりの鮒のはらわたを抜いて、裏返すように畳み、じっくりと弱火で焼き、
油で二度揚げし、砂糖醤油にからめ煮し、さらに乾燥させて作るのだとか。
むくり、とは置賜地方の方言で、「ひっくり返す」という意味らしい。
ちなみにこの後、私は山形市へ足を伸ばし、山縣在住の知人に会うのだが、
そこで知人に「川西にはむくり鮒って、美味しいお魚があるでしょう?」と
言われた。「あれは、川西でしか買えないんだよね」というので、
「なんだそう聞いていたら、お土産に買ってきたのに」と告げたことだった。

食べてみると、香ばしく甘辛いお煎餅のよう。でも、そのなかに
しっかりとしたお魚の味がして、幾つもの調理の過程を経て、
この味が出来上がっている、ということを確かに想像させる味だった。

遅筆堂で井上ひさしの蔵書を色々見せてもらった後、館長のKさんが
近くの甘味喫茶店へ案内して下さった。川西町は紅小豆で町おこしを
している、とはあらかじめYさんから聞いていた。この甘味店も
紅小豆などを用いた和菓子を製造販売するお店だった。その一角で、
柏餅を頂くことになった。ふっくらとしたお餅が素晴らしく美味。
次いで、紅小豆の羊羹も味見させてもらう。すっきりとした上品な味の
羊羹だった。川西町は米沢にほど近く、列車ではいつも通っていた町
なのだけれど、本当に多くを知らずに来たなあ、とあらためて残念に思う。

この紅小豆を用いた羊羹は購入したかったが、あまりに重いので
怯んでしまった。旅の支度が不十分だったことを思う。以前は鞄の中に
小型の段ボール箱を畳んだものを偲ばせておいて、購入したものを入れ、
途中のコンビニなどから自宅宛てに配送を手配したりしていたのに。
今回は、ちょっと配慮が足りなかったなあ、と悔やんだ。

その夜は、Yさんの旦那さんから米沢牛のすき焼きをご馳走して
頂くことになった。車での移動続きで、あまり歩いていないので、
お腹が空いていないのがとても残念だったが。米沢牛はさすがに
美味だった。とろけるように柔らかく、それでいてしなやかな歯ごたえ
があり、甘い。牛肉と共に食べる野菜や豆腐の類も美味しくて、
もう少し私の胃が大きくて丈夫なら、と思わずにいられなかった。

Yさんの旦那さんは私より数歳も年下になるのだが、やはり興譲館高校の
出身ということで、色々と共通する話題もあり、楽しかった。
Yさん、Kさん、さらに遅筆堂の館長のKさんらとは、主に俳句や短歌など
文学談義が中心だったが、Yさんの旦那さんとは、置賜の災害史をたどる、
みたいな話題が多くて(昭和38年の豪雪、39年の新潟地震、42年の羽越水害
などなど)ほど近い地域圏に住み、同じ時間を共有してきたことに親しみが募った。

米沢を去る日、私は駅の売店などで、留守番の夫に頼まれたお土産、
鯉の甘煮、山菜の水煮、山形だしの素、餅菓子などを買い込み、バッグは
はちきれそうに重くなってしまった。短期間だったが思い出もたっぷり
詰めて、米沢を去ることになった。お世話頂いた多くの方々に感謝の
意を表して、この項を閉じることにしよう。 

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米沢・半世紀(その5) [旅]

山形県は一人当りのラーメン消費量が日本一、米沢もまた、ラーメンの
おいしい町。それで米沢での二日目の昼食は、ラーメンにしようと
話合っていた。Yさんの友人Kさんも一緒に、地元で評判のラーメン店へ。
スープは鶏ガラ+かつおだし。定番の焼き豚のかわり、
こちらは煮豚、メンマのかわり、ゆでタケノコが添えられている。
想像していたよりあっさりとした味で、なかなか美味だった。
半世紀前、米沢を発つ日に私が食べたのも、駅の食堂でのラーメンだった。
気がつくと、思い出も一緒に食べている・・・。

午後は、Yさんの出身地川西町に出かける予定を立てていた。川西町といえば、
劇作家、井上ひさしの出身地で、その縁から「遅筆堂」という施設が
あるということは知っていた。Yさんの友人のK氏がここの館長さんとのこと。
私が『魔女図鑑』の訳者であると知って、来館を楽しみにしてくれている、
と聞いて、私もとても楽しみだったのだが・・・。

井上ひさし・・・・実はあまり読んでない。
古い読書ノートを捲ると『私家版 日本語文法』についてのメモが残っていた。
「日本語を語りながら、日本民族の特徴を探る優れ技」とか、書いてある。
もう四十年近くも前のことだった。この後、『吉里吉里人』を読みかけて・・・。
う~ん、長すぎて読了できないままだった記憶がある。

「遅筆堂」は素晴らしい場所だった。とにかく井上ひさしの寄贈図書が凄い。
およそ七万冊。それが何か所かに分けて保存してある。入り口近くに備えられた
「本の樹」という高い書棚にも圧倒される。これは図書館利用者が自分の読了した
井上ひさしの著作の寄贈書が収められている。一定の展示を経て、その後は
学校図書館などで利用されるのだそうだ。

井上ひさしからの寄贈書は、図書室に収まりきらず、大型の可動書棚を
収めた倉庫にびっしりと収納されていた。「樋口一葉」「シェークスピア」
などなど、井上氏が取り組んだテーマに沿って、綺麗に分類されていて
ひとつの仕事に取り組むためにいかに大量の資料にあたったのかが、
一目瞭然だった。各書にはびっしりと長めのポストイットが挟み込まれ、
それぞれに、彼らしい独特の丸文字で書き込みがしてある。
頁のところどころに赤線も引いてあり、彼の興味を引いた部分が、
これまた明瞭にうかがえる、一冊一冊が井上ひさし、の足跡と
なっていたのだった。倉庫の中まで案内してくださり、丁寧に説明して
くださったEさんに、感謝したい。
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