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文章を書いてきて [文学]

私は文字を覚えたのはかなり遅い方だった。
自分の名前を平仮名で書けるようになったのは
小学校入学直前の頃だったし、五十音が読めるようになったのも
入学直前に「平仮名の積み木」を買ってもらってからだった。

三月になるといつも、母の実家に泊りにいっていたが、
入学間際なのに、五十音がほとんど読めない、と知った祖母が
近くの玩具店に連れて行ってくれて、「平仮名の積み木」を
買ってくれたのだった。これは五センチ四方、厚さ一センチくらいの
板状のもので、積み木、と呼んでいたが、積んで遊んだ記憶が
ないし、積み木というには、薄すぎたような記憶がある。
文字を覚えるための、教育玩具の一つだろう。

板は五十個あって、表面に一つずつ絵が描いてある。
たとえば、犬の絵が描いてある板は、裏返すと大きく一文字、
「い」と書いてある。これが私のお気に入りになり、
私はすぐに平仮名を覚えて、なんとか入学に間に合った。

文章を書くのも好きになった。一年生の時の担任の先生は、
若い女の先生だったが、みんなに自由に文章を書かせてくれ、
いつも赤いペンでコメントを書いてくれた。先生は字も、絵も
素晴らしく上手で、時々、綺麗な花丸もつけてくれた。
これが嬉しくて、私は、好き勝手に文章を書いては見せに行ったりしていた。

二年生になると間もなくの頃、先生が
「史さんは、児童文学を読んだり書いたりする仕事が
向いていると思うわ」と仰ったのだ。
具体的にどういうことをするのかよくわからずに、
うなずいたことを覚えている。(この項、続けます)

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ある暴言 [言葉]

某牛丼店をチェーン展開している企業の企画本部長の
ある大学の社会人向け講座での発言が、ニュースで流れたのは
今年の四月のことだった。私は先に「SNSで大炎上している」と
耳にし、次いでNHKニュースでその内容に触れることになったのだが。

その時は、「え?」と少々疑問だった。するとそばで聞いていた相棒が
「NHKだから、放送倫理上、使えない言葉があるんだ、
こんな生易しい表現じゃなかった。あれは、絶対に許されない!」
と強い口調で言う。その後、スマホで、実際の発言内容を知った。
耳を疑い、深く落胆し、やがて、憤怒の感情が湧いてきた。

「田舎出の生娘を、東も西もわからないうちに、シャブ漬けにする」
とは、いったい・・。これが、世界に展開する大手企業のリーダーが、
少なくとも数十人は出席していたであろう、大学の講座で、
マーケティング論の一部として発言するとは・・・。

件のチェーン店は、我が家の徒歩圏内にもあり、私は一度だけだが、
利用したことがある。相棒の方は、私が歌会などで留守になる折、
たぶん、一か月に一度位だが、利用していたみたいである。
この店舗に直接責任はないとはいえ、イメージが悪すぎる、もう
絶対に行くもんか、と心に誓った。相棒もその後は行ってないようだ。

あれから三か月余り経って、少し冷静に考えて見る気持ちになった。
この発言者にいささかの同情できる余地があるとしたら・・・。

第一に、一部の人が出席していた講座内で、つまり閉鎖空間での
発言だったこと。場を盛り上げるため、ちょっとした冗談として
軽い気持ちで発してしまったのかも。でも今は、どんな場面で
あったとしても、SNSで拡散される可能性がある。認識が甘すぎる。

第二に、外資系(米国)の企業に就いていて、国外での暮らしが
長かったらしいこと。英語には「mainline」という言葉があり、
普通は幹線とか、主線、という意味だが、米語の俗語として
「静脈に(麻薬を)注射する」というような意味でも使われる。
そして、ビジネスの世界では結構頻繁に、「消費者をある商品に
心酔させる(戦略)」というような、比喩として使われているようだ。
この発言者は当然このことを知っていて、ついそのまま和訳して
つかってしまったのではないだろうか。

でも、日本では言葉の感覚が全く異なってくる。あまりにも反社会的で
たとえ比喩だとしても、決して受容される言葉ではない。
長い国外生活で、マヒしてしまっていたのか。

発言者の側に立って、そう推測しようとしても、「田舎出の生娘」
という部分は決定的だ。この言葉が、決して、国外生活で言語感覚が
麻痺していた、とは言わせない。日本社会に根強い女性軽視・蔑視の
感覚を鮮明に吐露しているからである。長い、欧米での生活で、
いったい、何を学んだのだろう。
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羽越水害 [生活]

一昨日(8月3日)から昨日に掛けて、東北南部と
北陸一帯に記録的な大雨が降り、河川の氾濫などによる
甚大な被害が発生したことが、ニュースで流れた。

私が子供の頃に暮していた山形県南部に、特に大きな
被害にあったらしいので、注視していたのだが。
被害は南東部寄りで、私が育った小国町は、国道が土砂などで
通行不能になり、孤立状態に陥った区域はあったようだが、
直接的被害は報告されなかった。水害のもっとも大きな
原因になったのは、県内を流れる最上川だったから。

ニュース番組で山形県を中心とした大きな地図が用意され、
危険区域を表す地図に、最上川がくろぐろと塗られて表示
されているのを見て、はっとした。中学生まで暮していたのに、
私は、最上川の正確な流路を知らなかったのだ。

一時暮していた米沢市、引っ越した友人宅に招かれて
宿泊したこともある長井市もまたその流域にあったことさえも。
山形県とは、この最上川流域を取り囲むようにして生まれた
県だった、ということをあらためて思ったのである。

その一方で、私が暮らしていた小国町だけが、最上川とは
異なる流域にあるのだった。町を横断していたのは、荒川の
支流である横川で、荒川は今回大きな被害が発生した
新潟県関川村などを通って、日本海に流れ出るのである。

小国町は山形県に属してはいるが、そういう意味では、新潟県を
向いている地域である、といえるだろう。子供の頃、テレビは
山形放送は入らず、新潟放送だったことを思い出す。

新潟県北部と山形県南部は、やはり一度大きな水害に襲われている。
1967年8月下旬に起きた羽越水害で、我が家はこの年の春に
東京に引っ越している。小国町から長井市や米沢市の高校に列車通学
していた友人が沢山いて、帰宅途中に足止めされ、大変な目に
あったらしい。家を丸ごと流されてしまった人も少なからずいる。

その体験が今回の水害に生かされた、という記事が今朝の新聞に
載っていた。あの頃、線状降水帯なんていう言葉はなかっただろうが。
友人に連絡してみようか、と思いながら、控えた。
電話が通じにくくなっている、という報道もあったから。
55年前のあの時、「史ちゃんはうまく逃げたね」と言ってきた
友人の声が、また聞こえたような気もした。
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朝散歩 [スポーツ]

六月の下旬のある朝、思い立って散歩することに。
日中は暑くて、クーラーをつけっぱなしにしてゴロゴロ
しているので、朝の涼しいうちに体を動かすことにしたのだ。

家のまわりは住宅地で、車もあまり通らない道が
沢山ある。まして朝となると人通りも少なく、散歩には
かなり恵まれた環境だったんだ、とあらためて気がつく。
犬を飼っていた頃は、毎朝散歩させていたんだけれど、
犬がなくなってから、朝の散歩の雰囲気をすっかり忘れていた。

ということで、散歩の習慣は五週間ほども続いている、
よほどひどい雨の日(一日のみ)、とんでもなく寝坊した日(これまで
二日あった)を除いて。七時を過ぎるとかなり陽ざしが強くなる
ので、起床時間も俄然早まった。朝食を済ませ、
eテレのテレビ体操を済ませるとまもなく、家を出ることにしている。

散歩する時間は、おおよそ20~25分、と短い。十分で歩く歩数は
私の場合、千歩くらい。ということは、一回の散歩であるくのは
たった二千数百歩、ということに! 一万歩も歩く人が、巨人に見える。

歩きながら、短歌を作るってのは、どうかな、と思い始めた。
そういえば、たぶん、町を歩きながら目についたものを歌にして
角川短歌賞を受賞した人って、いたなあ、と思い出す。
帰宅してから、角川短歌のバックナンバーを当たってみた。

2018年受賞の山川築氏の「オン・ザ・ロード」だった。

 石垣のひとつひとつの石にあるくぼみに指を添はせてをりぬ
 ぶらんこは錆ぶ 鎖されし保育所にふたつまとめてねぢり上げられ
 歩行者用押しボタン式信号の装置の上に置かれたる鍵
 頭上より袋を探る音はせり整形外科の横を過ぐるとき
               山川築「角川短歌 2018年11月号」

こんな風に、歩きながら目についたものをどんどん詠んでいく、という
形がとられている。一読したときは、あまり面白くない印象だった
ことを覚えている。今読み返してみても、特に感動少なく・・・。

選考座談会を読み始めたら、勿論、四年前に読んでいるはずだが。
選考委員の伊藤一彦氏と東直子氏の選評を、物凄く面白く感じた。
作品よりも面白いかも。きっと、もう一人の選者、
永田和宏氏もそうだったんだろう。当初は票を入れていなかったのに、
両氏の評を聞いた後、俄然積極的支持派にまわって、結局
山川氏の作品が逆転受賞しているんだから。

お散歩効果、私にも落ちてこないかな、と思いつつ今朝も歩いた。
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犬の熱中症 [生活]

今年は六月下旬に早々の梅雨明け、そして驚異的な暑さに
襲われたが、この数日の熱波はそれに勝るとも劣らない
暑さ。とにかく涼しいうちにあれこれやっておこうと、
六時前に起床するようにしている。

夏になり、熱中症が話題になると、亡くなった愛犬のことを思い出す。
亡くなる前年の七月、その時はすでに十五歳を過ぎていたのだが、
まだまだ元気そうで、お散歩が大好きだった。その日はあまり
暑くはなかったが、梅雨明け前の蒸し蒸しする日だった。
午後三時過ぎ、夕刊を取りに出て、裏庭にいた愛犬を見ると、
どうも様子がおかしい。私を見て、立ち上がろうとするのだが、
四つ足に力が入っていないようで、ふらふらしている。

私は玄関の三和土に犬を誘導して、水を飲ませようとしたが。
口をつけようともせず、視点の定まらない目でこちらを見るばかり。
蒸し暑いから元気ないんだな、と思い、水の代わりに大好きな
鶏のスープなら飲むのでは、とスープを作って出したのだが、
それも飲まないのである! 嫌な予感がした。

すると、そこへ相棒が帰ってきた。その日はいつもより
仕事が早く終わる日だったのだ。犬の様子を見て、相棒は
すぐに言った「あ、これは熱中症だ!」

ええ! そんなに暑くないのに。どうして? 
私は混乱したのだが・・・。
相棒は鞄を玄関に放り出したまま、犬を裏庭に連れ出し、
ホースで全身に水をかけたのである。私はびっくり。
だって、我が愛犬は、水が大嫌いなのだ。まだ幼犬だったころ、
お風呂に入れようとして、激しく暴れられ・・・。
それ以来、一度も入浴はしていない。ペットクリニックで
相談すると、「麻酔をして入浴させましょう」と言われ、それは
余りにもかわいそう、と思い、以来、ブラッシングだけで、
辛うじて清潔(ともいえないが)を保ってきた。
こんなに調子悪そうなのに、よりにもよって水をかけるなんて、
と私は、相棒の「暴挙」にあきれ返ったのだが。

水をたっぷりと浴びせられると、それまでぐったりしていた犬が、
急に、元気よくブルブルブルっと、身体を震わせて水を払いのけ
すぐに、差し出した水を音を立てて飲み始めるではないか!

その劇的な変化に、本当に驚かされた。愛犬はすっかり
いつものやんちゃな犬に戻って、スープを飲み、散歩にも行き。

相棒がたまたま早く帰宅できる日で、本当に良かった。
私には、水をかける、という発想は全くなかったから。

あれからちょうど一年後、十六歳と三か月で、愛犬は
亡くなったが、それも熱中症がきっかけだったようである。
やはりさほど暑くはないが、風がなく蒸す日の夕方。

全身に水をかけたが、足を踏んばって立つ力がなくなっていて、
水をうまく飲めなくなっていたのが致命的だった。
近くのクリニックへ入院し、四日後に亡くなった。

でも一年は、相棒の機転で、寿命が延びたんだ。
よかったね、と時々遺影に声をかけている。
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