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ナチスの愛したフェルメール [映画]

オランダの画家メーヘレンは、戦後、ナチスの国家元帥・ゲーリングに
フェルメールの作品を売却した、としてオランダ文化略奪者、ナチスの
協力者という罪で、裁判にかけられる。有罪となると長い懲役刑に
かけられることになる・・・。

実話に基づいたこの映画は、最初、競売にかけられている
フェルメールの作品をいきなり現れた男が引き裂く、という
衝撃的な場面から始まるのだが・・・。これはどうも、男の
幻想? のようである。フェルメールはただでさえ謎の多い画家だが
はたして、いったい、どういうことなのか・・・。観客は嫌が上にも
映画の世界に引き込まれてしまうのだけれど。

オランダの画家メーヘレンは、レンブラントやフェルメールら
古典作家の模倣に過ぎないと批判されたことに腹を立て、
フェルメールの贋作作りに手をかけていたのだった。
ナチスの幹部に高額で買い取らせたフェルメールは、実は
彼の描いた偽物だったのである。

メーヘレンの妻が差し出した「証拠」によって、メーヘレンは
「文化財の売却」の件では無罪になるが、多額の罰金を命じられる。
裁判官の「お前の絵と、フェルメールの絵の値段の差だ」の言に
「え、同じ絵なのに?」と問い返す場面はとりわけ印象的である。
そうなのだ、人は絵という作品に対して対価を払うのではなく、
多く、「有名料」として払うのである。

思い出されるのは松本清張の小説『真贋の森』。
純粋に絵を楽しみたい者にとって、絵の対価、とは
何なんだろう? その高すぎる対価とは。
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ギュスターヴ・モロー [藝術]

日本でよく知られている西洋の画家、たとえばマネ、
ルオー、マティス、ゴーギャン・・などなど。彼らのほとんどが
主に油絵具を使って絵を描いている。日本人の間では、西洋画、
イコール油絵、という感覚が強いのではないだろうか。

以前から絵を見るのが好きで、美術館などには結構よく
訪れる方だったけれど、自分で絵を描いてみようと思う前には、
絵を見る、ということはすなわち画家の描いた色彩や形を見る、
ということに過ぎなかった。どんな画材を使っているか、何に
描いているか、などと言うことにあまり注意を払ってこなかった。

それで改めて手元の画集を色々めくってみると、西洋画家の中にも
好んで水彩絵の具を使っていた人たちがいたことに気がついた。
その代表的な画家の一人が、ギュスターヴ・モローである。

モローの特別なところは、油彩も同時に使いながら、水彩の方に、
やや軸足をかけている点。構図も色使いもほぼ同じ絵を、油彩と
水彩の両方で描き残している。だから、モローの絵を見ると、この二つの
画材の相違点を実に明確に知ることができるのである。

例えば「オイディプスとスフィンクス」。油彩は1864年、水彩は1882年と、
制作年にかなり隔たりがあるが、その構図はほぼ同じである。油彩は
色調が重々しく、特に人間の皮膚の肌理は、リアルな感じがする。
水彩はその辺りは淡いが、画面が明るく、空や岩肌に強いリアリティが
感じられる。でも、私が手にしているのはあくまで印刷物。
印刷による限界はかなり大きいはず。実際はどうなんだろう。

実は二十年ほど前、パリに出かけたとき、私はラ・ロシュフーコーに
ある、モロー美術館にも足を運んでいるのである。四階建てのその建物は
かつて、二、三階が居住部分、四階がモローのアトリエだったという。
亡くなる直前、モローは家全体を自作の展示室に改造している。
大好きなモローの絵をたくさん見られて幸せだった記憶はあるが。

当時は油彩と水彩の違いも判らずに見ていた。
残念なことしていたなあ、と思うのである。
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絵の教科書 [藝術]

絵を描こう、と思い立った今年六月から、図書館や書店に行くと、
絵に関する本のコーナーに立ち寄るようになった。
これまでそういうことは皆無だったので、毎回色々な発見がある。

「絵の描き方」を指南する本は凡そ構成が決まっていて、
必需品(画材、筆、紙など)を紹介するあたりから始まって、
身近な小さなものの描き方から始まり、静物、人物、動物、自然や
建物の描き方を指南する、という風に展開する。
画風や指導の方法は少しずつ異なっていて、
比べながら読んでみると、その差異が実に面白く感じられる。

最近とても興味を引かれたのが、トニー・コーチという画家の
『基礎からの水彩 風景を描く①』(岩田瑞穂訳 MPC発行)という本。
十枚の絵を課題として提示し、それぞれの絵の描き方を指導しながら、
水彩画の基礎を学んでいく、と言う形になっているところは、
よくあるパターンだが、興味を引かれたのは風景画(この本は「風景編」なので)
の課題に取り上げられている題材である。

一般に取り上げられるものとはかなり、違ったものが混じっているのだ。
西洋の画家のこうした教科書はもちろん、日本人のものでも、
題材として頻繁に取り上げられるのは、重厚な西洋的な建物や、
西洋風の庭、観光地が圧倒的に多い。
いずれも壮麗、あるいは華麗な風景や建造物ばかりである。

ところがこのコーチという人の絵には、そうした題材が
一切出てこないのである。課題の第一が枯れた樹木、
次が葉のある樹木までは、普通だが、第三に「羽目板」とあって、驚いた。
不細工で貧しげな、どこかの掘立小屋の板壁が題材に
なっているのである。ついで「納屋!」
ああ、これはアメリカの画家、それも地方出身の画家なんだろうと思った。

この本には作者についての紹介が一切記されていなかったが、
この「納屋」の課題の頁に、作者自身の絵として「バーモントの田舎」
と題された絵が掲げてあるので、たぶん間違いないだろう。さらには
「納屋は水彩画で好んで取り上げられるモチーフです」と紹介されている
のには、笑ってしまう。日本人はたぶん、描きません。

でも、提示されている絵を見ていたら、しみじみとアメリカで
暮していた日々が思い出されて、懐かしくなった。どの絵にも、
アメリカらしい光と影、乾いた空気感が漂っていて、素朴で純粋で
美しい。この本の課題から、幾つか選んで模写してみた。
納屋は。。。今のところまだ取り組んでいない。
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兎に角 [文学]

中学に入学した年、父が文学全集を購入しよう、と
言い出した。私はわっと賛成した。「世界文学全集」がいい!
読みたい作品の名前が次々に浮かぶ。『紅はこべ』とか、
『三銃士』とか、『赤毛のアン』とか(はたして、こうした
作品が、普通の文学全集に入っていただろうか?)

父は、「いや、翻訳物は訳に左右され過ぎる。やはり
日本語のきちんとしたものがいい」と言い張り、結局
購入が決まったのは河出書房版の「日本文学全集」だった。
かなり落胆した・・・。

それでも、長い夏休みなどは読むものに飢えて、
渋々ながらこの全集も、ぽつぽつと引っ張り出しては
読んでいた記憶がある。川端康成、三島由紀夫、
谷崎潤一郎・・。理解できない部分もあったが、それなりに
面白く読めた。続いて、山本有三、丹羽文雄、徳田秋声・・・。
このあたりは、中学生にはまったく面白くない。
今になっても、かなり面白くない。ほとんど、とん挫した。

井上靖は『城砦』と『猟銃』が収められている。中学生の時は
長編の方が好きだったので、『城砦』から読み始め、これも
途中でやめたのではなかったか、と思う(内容を覚えていない)。
『猟銃』から読み始めたら、この作家の印象も変わっていただろうな、
と今になっては思うのだが。

内容は覚えていないのに、ときどき突然登場する「兎に角」、
あるいは「兎も角」という言葉だけは鮮やかに記憶している。
私はずっとこれを「ウサギにつの」「ウサギもつの」と
読んでいて、いったいどういう意味だろうと、気になっていた。

鬼に金棒、みたいな意味? いや、豚に真珠? だろうか。
突然登場するので、文脈と合わない、と
焦りまくり、それでも手塚治虫の漫画に突如現れる、
たこぼうず(?)みたいに面白がっていた・・・。
次にどこ出てくるのかな、とか(ほんと、アホだ)。

関野裕之さんの歌集にこんな歌があって、ああ、みんな
同じなんだな、と少しほっとした。ガリバー・・の
訳者は誰だったんだろう。

  兎に角をうさぎにつのと読んでいた『ガリヴァー旅行記』父の書棚に
               関野裕之『柘榴を食らえ』
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