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明け方の夢・再び [短歌]

朝方になってみた夢だけはよく覚えている、と以前書いた。
今朝見た夢も、なんだかとてもリアルで、目覚めたとき、
本当に起きたことのように、思えてしまったくらい。
見る夢も、短歌に関することが多いのも不思議であるのだが。

「塔」の現主宰である吉川さんと、どこかで偶然会う。
彼はちょっと困ったような表情で、こう言う。
「田中さんと沢辺さんから相談事が届いていて、これから
会いに行く」
田中さんは十年以上前に、沢辺さんは今年二月に、亡くなられている。
お二人とも九十年代を中心に、「塔」で選者をされていた。
吉川さんは大学入学の時から「塔」会員だったから、お二人との
お付き合いは長いが、世代が違うし、主宰になられたとき、
田中さんはとっくに亡くなっていたし、沢辺さんも一線を
退かれていた。夢はちぐはぐなものである。

吉川さんの話によると、田中さんと沢辺さんは、ある会員の
歌を巡って、処遇に窮しておられるのだという。
「沢辺さんなんか、考え過ぎて、もう痩せてしまわれて・・」
そういう吉川さんも、げんなりした表情だ。
「いったい、何があったんですか?」
尋ねると、吉川さんが彼らからの手紙を見せてくれた。
「ある会員に作品を依頼したところ、とんでもない歌が
提出されて、どうしようと悩んでおられるのです」
その手紙には依頼に応じて出された歌の一部が載っていて・・。
それがなんと! 私の歌だったのである!

「あ、これ、私の歌・・・」
吉川さんは呆れた顔で絶句する。
その私の歌は、実際には「塔」の例月作品に出して、
六首が今年の七月号に掲載されている。題して「魔女の夜」。
「塔」は全体に生活詠的、境涯詠的な作品が多いので、
こういう歌は荒唐無稽として受容されにくい、という
意識は、ずっとあった。それがこんな夢になったのか、と
なんだか、さらに複雑な気持ちがした。

亡くなられた二人の選者には、いろいろな思い出があって、
実際の所、なつかしい気持ちしか湧いてこないのだが。
そして「魔女の歌」を投稿しても、かなり面白がってくれた、
ような気もするのである。

  魔女とゆく夜の空あまりに闇ふかく猫のまなこの黄金(きん)ひかるのみ
                        岡部史

投詠した歌のうち、この歌はボツになっていた。
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蓮根デザート [食文化]

上海で二か月ほど暮らしていた時のこと。
借りていたアパートの近くに小さな市場があり、
よく利用していたのだが、市場の客を目当てにした小さな屋台が
いくつか出ていた。その中に何やらおいしそうなお菓子らしいものを
切り分けて売っている同じような屋台が何件かあった。
屋台の前には、いずれも「藕」の文字を用いた熟語が見える。
調べてみると、藕は蓮根のことを指すのだった。

中国では蓮根はさまざまな料理に用いるが、とりわけ
デザートに仕立てられることが多い、と知って驚いた。
日本ではちょっと思いつかない。どんな味なんだろうと興味がわくが
屋台で購入することには、ちょっと度胸がいる。
少々、衛生的な面で不安もあるし・・・。

そこで上海の知人が夕食に誘ってくれた時に聞いてみた。
すると、蓮根のデザートの種類を色々教えてくれた。
甘酢あんをかけた糖醋蓮藕。蓮根の細切りを湯通しして
蒸した卵白の上にゼリー状の果汁やシロップをかけた藕絲羹など。
特に上海付近では、蓮根の穴にもち米を詰めてとろ火で煮込み、
薄切りにして砂糖をかける醋桂花糖藕が有名で、屋台で売っているのも、
そのたぐいのお菓子なのだとか。

ちょうど入ったお店にその桂花糖藕があったので、注文する。
食べてみると、とろりとした甘い餅の味と、シロップのとろみとが絶妙で、
蓮根を食べているという感覚は薄いものだった。
中国には美味なお菓子は少ない、という感覚があるのだが、
こういう料理を食べると、やはり食の国だな、と感心する。
お菓子と一般的な料理との境界があいまい、というか。
料理の豊かさの中に、お菓子が溶け込んでいる、という感じなのだ。
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二冊の写真集 [藝術]

加藤朋子『子ども大好き』(現代写真研究所刊)はお気に入りの本で、
時々手にしてはじっくりと眺めている。著者は1968年から1998年まで
東京の東久留米私立保育園に勤めていた保母さんで、ここで撮影した
写真をまとめたものらしい。なにしろ、子供の動きや表情が抜群だ。
生き生きしているし、大人には思いつかないような行動の瞬間が
実に巧みに切り取られている。

たとえば、食事の途中で眠ってしまっている一歳児とか
(口にも額にも、体中、そして食卓にもご飯がボロボロにこぼして)
たらいのお湯の中で、プールの後の暖を取る男児二人。
狭い容器に「卍」型に入り込んでいるところがユニーク!
他にも、ガラス越しに、表情で会話し合う女の子とか、
ベンチに寝そべる、疲れた昼休みのサラリーマン、みたいな男児とか・・・。

最近、図書館でウエィン・ミラー『子どもの瞬間』(福音館書店)
という写真集を見つけた。作者には四人の子供がいて、撮影対象は
主にこの子供たちだというが、子供の友人や学校仲間も沢山映っている。
原書は1958年にアメリカで出版されていて、作者は当時シカゴ在住。
なるほど、子供たちのファッションがいかにも50年代風である。

『子ども大好き』と比較すると、一番大きな違いは、このファッションに
あるように感じられる。アメリカの子供たちの着ている服が、いかにも
あか抜けていて、高級そうなのである。ジャングルジムで遊んでいる子が
ふわふわのワンピースに白い靴下、しゃれたカーデガンを着ているなんて!

拳銃遊びに興じる男の子たちはさすがにカジュアルな服装であるものの、
シャツもジーンズも、ぱりっとしていて、生地がしっかりしている感じ。
日本の子供の服がみんなよれよれで、安物っぽいのとは対照的である。
アメリカの比較的上流階級の子たちなんだろうな、とは思うものの・・・。
なかには、素晴らしく美しいドレスを母親らしい女性に着せてもらっている
七、八歳の女の子も映っていて、「いいなあ」とちょっと溜息(笑)。

『子ども大好き』に登場する子たちは、かなり庶民的である。
保育園も、ごみが散らかっているところまで、写っているし、
子どもたちもおへそ出しながら、シャツの裾で涙ぬぐっていたり。
ズボンのジッパーが満開のまま、指しゃぶりしていたり・・。

でも全体として、日本の子供の方が、ずっと遊び方に意外性と独創性が
あるように感じられた。撮影者がそういう場面を撮ろう、と努力したんだ、
と思うのだけれども。いずれ、何度見ても飽きない二冊ではある。
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ハトの災難 [生活]

用事があって出かけた帰り、家の近くの公園
(けっこう広い。ケヤキ、桜、百日紅、銀杏、などの樹木
も多く、野鳥も多い。以前にこの公園で子供たちが尾長の子を
捕獲していたことについても書いたことがある)を抜けて、
自宅のある住宅地の道路に入ったところで、
ハトが折れた枝の上にうずくまっているのに気がついた。

大きめのアオバトで、羽根がつやつやと光っている。
丸い目をキロキロと動かし、私が近づくと羽ばたこうとした。
だが、飛び立てない。ハトがうずくまっているのは、直径二センチ、
長さ一メートルくらいの葉のない枝で、どうやら、
足が引っかかってしまったらしい。さらに近づくと
匍匐前進の姿勢で、道の中央の方に逃れようとする。
飛び立ちたくても、枝の重さはこのハトの力量を越えるものらしい。
住宅地なので、通行量は少ないが、このままでは轢かれてしまうだろう。

そっと後ろに回って、ハトを驚かさないようにしながら、
足の様子を見ることにする。尾羽を持ち上げると、また
ばたばたと羽根を動かすが・・・。足はやはり枝に
引っかかっていたのだが、なんと、ハトの足には細い糸が
幾重にも絡んでいて、その糸が枝の突起した部分にかかっているのだ。
指で引きちぎろうとしたが、ものすごく強靭である。
こちらの指を痛めてしまいそうなほどに。これはいったい・・・。

と思っていると背後で男性の声がした。
「助けられそうですか?」
道路のそばの家の人が、心配そうにこちらを見ている。
「あ、たぶん・・。鋏、鋏があれば。お借りできますか?」
すると、さっと用意してきてくれた。

ハトの足指を切らないように、糸を切る位置を確かめる。
ハトはさらにバタバタと動く。そっと背中を抑えると、
驚くほど熱かった。もう、心臓がバクバクしているのだろう。

足に掛かっていそうな糸を全部まとめて一直線にし、
鋏を入れると、とたんに、ばっと、飛び立った。
直ぐ近くの屋根に下り立ち、首をかしげながらこちらを窺っている。
ハトには、何が起きたのかわからず、頭の中を整理しているみたいだ。
とりあえず、ほっとして、鋏を貸してくれた人にお礼を言う。

それにしても、その細い強靭な白糸は何だったんだろう。
自然界のあちこちに、こんな糸が落ちているとしたら・・。
ちょっとぞっとする。
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駐車場 [生活]

昨日の新聞に、駐車場に今後展開されそうな、自動運転システム
についての記事が載っていた。運転者は駐車場の前で車を降りる。
車は駐車場へ自動運転システムで空きスペースを見つけて、自動入庫。
駐車場内はひとの出入りを禁止する。場内でドアの開閉をする必要が
なくなるため、一台当りのスペースを小さくできるメリットもあるんだとか。

最後のところで、いかにも日本的な、狭い国土に住むための知恵、
を感じて、ちょっと笑ってしまった。ほんと、今だって、駐車したあと、
降りづらいほど一台当たりのスペースの小さい駐車場は多いから。
せっかく車で出かけても、駐車場が満杯でうろうろしてしまうことも・・。
東京は公共交通が発達しているから、電車などが使えるのなら、それに
頼るのが一番なのだが・・・。

先月、メジャーリーグの試合を見ていた時、ロスアンジェルスにある
ドジャーズのスタジアムを空撮した映像が映し出されているのを見て、
溜息が出た。スタジアムは勿論大きいが、それを取り巻く、
駐車場の広さに、圧倒される気がしたからである。
これじゃ、車を降りてからさらに自転車があったら便利、
と思ってしまうくらいだろう。よほどスタジアムの近くに
駐車できないと、入り口まで、一キロ位は優に歩かされそうだ。

アメリカで暮していた時、週に一度は郊外にある大きなショッピング
センターに買い物に出かけていた。まだ住み始めの頃、大きくて
何でも揃うアメリカの商業施設に圧倒され、大事なことを
忘れてしまっていて、冷や汗をかいたことがあるのだ。

買い物して、いざ自分の車に戻ろうとして、どこに停めたのか、
すぐに思い出せなかったことがあったのだ。とにかく広いので
その商業施設では駐車場を数十台分ずつ区分して、大きなアルファベット
の塔を立てていた。利用者は自分の駐車した場所をたとえば、
H-36、と言う風に、塔のアルファベットと、スペースに記されている
番号で覚えるのである。その番号をメモするのを忘れたのである。

その日は、真夏の暑さ。買い物した生鮮品がすぐに傷みそうな日だった。
汗かきながら、しばらくぼうーぜん、としたことを思い出す。
センターの中に一度戻り、どの入り口から入ったかを確かめ、
その入口から見て、どのあたりに駐車したかを思い出して、ようやく
自分の車にたどり着けたときは、本当にほっとした。


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母の句 [文学]

私の母は二十代の頃は少しだけ短歌をやっていたらしい。
(新聞歌壇に掲載された歌を一度、見せてもらったことがある)
その後、俳句に転じたらしいが、特にどこかの結社の属する、
ということはなく、一人で細々と作っていたようだ。

相棒の母親も俳句をやっていて、関西の小さな結社に入っていたので、
母にも、どこかに入って、継続的にやったら、と勧めたことがある。
その頃の母は六十代だったと思うが、きっぱりと
「人間関係が煩わしくなるにきまっているわ」と跳ねのけられた。

そう言いながら、誰かの勧めで急に結社に入会し、
かなりの密度で作句し始めたのは、七十代に入ってから、
今から二十年位前のことである。それからは、月一度の句会のほか
誰誰さんの出版記念会だとか、批評会だとか、吟行だとか、
頻繁に出かけ、句作に力をいれるようになった。

父母が施設に移ってから、私は徒歩二分ほどのところにある
実家に通って、ぽつぽつと後片付けを続けている。
父の残したものが膨大にある一方、母のものがほとんど
何もないことに驚きながら。あれだけ句作していたのに、
結社誌さえ残っていなかった。母は自分のものは本当に
潔く、捨てていたのだな、と胸を突かれる。

父の書棚の奥から、ほんの数冊だけ、母の作品の載った
雑誌が出てきた。父がこっそり残しておいたのだろう。
その中には、明らかに私が海外に旅行した折に父母に送った
絵葉書を題材にしたらしい作品もあった。

  長き文プラハの遅き春を乗せ
  絵葉書は濃霧の湿りかオスロより

施設に母を見舞い、こう声をかけてみる。
「ねえ、また俳句作ったら。たっぷり時間あるでしょ」
でも母は、遠いところを見るような目でこう言うばかり。
「時間はあるけどねえ・・。湧いてくるものがないのよ・・・」
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絵本を読む [読書]

先回魔女の本について書いたけれど、私の持っている魔女本の
多くが絵本である。絵本は言葉と絵と同時に楽しめるので、
海外に行くたびに購入してきているので、かなりの数になっているはず。
日本の絵本もよく読む方で、好きな作家は何人かいるが。

著名な絵本画家である林明子さんの作品は、書店などで
パラっと見たり。図書館で目を通したりはしてきたが・・。
特に興味を惹かれる、と言うことなく過ごしてきた。
『はじめてのおつかい』にしろ、『いもうとのにゅういん』にしろ、
なんとなく日常をなぞってあるだけ、という印象があって、
本の世界に、非日常的な意外性や夢を求めたい私には、
ちょっと物足りない感じがしていたのである。

六月下旬から絵を習いに行きはじめたことは、ここにも書いたが、
その先生が、かなりの絵本好き、そして林明子ファンであると知り。
もう少しじっくり読んでみようと、代表作とされる
『こんとあき』を手にしてみた。う~ん、これは日常を装った、
不思議な非日常で、もう、すっかり魅了されてしまいました!

こんは、あきという女の子に祖母から送られた狐のぬいぐるみ。
とうぜんながら、女の子は成長し、こんは古びていく、のだが。
五、六歳になったあきを祖母の住む砂丘の街へと案内する
こんは、さながらお姫様を守る騎士の風情・・・。

でも、列車のドアにしっぽをはさまれて、その部分だけ、
大きく凹んだりして。それを車掌さんが包帯を巻いて、
治療してくれたり・・・。砂丘で大きな犬に会い、
いきなり咥えて持ち運ばれ、砂の中に埋められて、
息も絶え絶えになりながら、掘り出してくれたあきに、
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と言い続け・・・。

もう、途中からは泣き笑いしながら読んでしまった私。
この絵本は、まぎれもなく、傑作です。
『はじめてのおつかい』『いもうとのにゅういん』などは
林さんは挿絵を担当しただけ。でも『こんとあき』は、
文章もオリジナルなのでした。うん、おすすめです。

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魔女の本 [読書]

ハロウィン人気が高じて、10月下旬の一週間は、渋谷近辺が
かなり騒々しいことになってしまっている。渋谷は良くいく街だが、
この一週間は意識して避けることに。

ハロウィン人気の根っこには、人々が潜在的に持つ、変身願望、
仮装願望があるようで。日常の自分から自由になれることがとにかく
楽しいんだろうな、とその心理は理解できる気はするが・・。

ニュースでパッと見た限りでは、おどろおどろしい仮装をしている
人も多くて。魔女に扮した人も少なからずいたみたいだ。
私も実は魔女には少なからぬ興味があって(仮装願望は今のところないが、
あ、仮装しなくても、魔女に見えているかも・・・)
特に『魔女図鑑』を翻訳した後は、意識的に魔女に関する本を
収集してきた。特に外国の魔女の本を多く持っている。
子供向けのものが多いし、そうなると英語が結構易しいし、
原文で読みたい、気持ちも出てくる。ついでに面白かったら、
日本で翻訳書が出せるかも、という野心も湧いてくる。

でも、これまで面白い、と思い、編集者の人たちに見てもらっても、
出版にこぎつけるまでには至らなかった。本来、魔女とは、
妖術を扱うとして、普段は敬遠されていたり(病気とか、
困ったことがあると頼りにはするが)少し頭のおかしい
(認知症か?)おばあさんだったり、社会のはみ出し者、って
感じの人が「魔女」とみなされていた歴史があるので、
だいたい、汚くて、偏屈な人が多いのだ。

西洋の本にはそういうことが反映されて、子供向きの本でも、
けっして愛らしくは描かれていない(『魔女の宅急便』は原作の
挿絵も宮崎駿のアニメも随分と愛らしかった。「魔法使いサリー」然り。

西洋の魔女は、日本人が描く魔女のイメージと合わないことが多いのだ。
『魔女図鑑』は発刊から二十数年経ても、まだ少しずつながら
売れ続けているのは、料理や手芸などを含めた「実用本」に
なっているからだろう。イラストはかなり不気味で、はっきり
言って汚らしい(こんなに支持されるとは思わなかった)。
とにかく、私はちょっと偏屈な魔女が好きで、ハロウィンが
近づくと、不気味な魔女本を取り出してはこっそり楽しんでいるのだけれど。
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