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Zoom歌会・塔 [短歌]

コロナが蔓延し始めて、対面歌会が次々に中止せざるを得なく
なった、三年数カ月前、私の所属する「塔短歌会」ではZoomによる
月に二度の歌会が始まった。対面歌会が復活しても、Zoom歌会は月一に
減少しながら開催され続け、今月の歌会はなんと第66回なんだそうである。

私は横浜歌会では何度も経験済みであるものの、塔主催の方のZoom歌会には
一度も参加したことがなかった。今年の四月から選者を務めることになった
ため、今月、その当番が回ってきて、初参加することに。

詠草は開催日の前々日夜に、司会担当のKさんからメールで配信された。
参加者は皆さん、とてもお若い。当然、歌歴の浅い方も多く、「塔」
入会一年未満の方が複数参加されている、ということにも少々驚く。

Zoom歌会は平日夜の8時から始まって、終了はなんと、10時(一カ月おきに
休日の昼に開催もしているが。)
このところ、10時半には寝ている私、大丈夫かな、とこの点でも
心配だった。詠草を真剣に読み、分らない言葉、あやふやな言葉は調べ、
19時45分には配信されていたZoomの接続先へ・・・。

すると「ホストの許可待ち」状態が続き、20時を数分過ぎても、
入室許可が下りない・・。何だろう、間違ってはいないはずだが。
不安になる頃、スマホに連絡が入り、なんと接続先が変更、とのことでした。

というわけで少々遅れて始まったのでしたが、みんなとても活発で
意見が次々に出て。なかなか刺激的な歌会になりました。
歌会中に眠くなることもなく・・・。楽しい二時間はあっという間に過ぎ。

来月からは、Zoom当番は選者のみならず、編集委員も加わることになったので、
私に次の当番が回ってくるのは二年近く先のことになりそう。
興味のある方は、是非、参加してみて下さい。
特に対面歌会に出席できない方、交通の不便な地に住んでおられる方や、
外国にお住まいの方など、きっと新しい発見がありますよ!
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折々の歌・「塔五月号」から [短歌]

「塔」五月号が届いた。相変わらずの大冊でとりあえずのぱらぱら読み。
その中から目に留まった作品について、触れてみる。

 寒いねと答えてくれるロボットを買おうと思うお金を貯めて
                       相原かろ
俵万智さんの「寒いねと話しかければ寒いねと答える人のいるあたたかさ」
という作品を踏まえてのもの。生きていることの寂しさに、しん、となる。
結句は少し、当たり前すぎてつまらないかも。もう少し飛べたかな、と思う。

 飛ぶことは自由と思へど群れ成して空を回ってばかりゐる鳥
                       千名民時
自由過ぎると時間を浪費するだけ、ということにも陥り易い。他者への批判、
或いは自省か、と面白く読む。以前ベトナムを訪れた時、走行するバイクの多さ、
排気ガスに辟易した。彼らも何処へも辿り着かず単に回っていただけ、だったかも。

 アスファルトに白いマスクは落ちていて四肢がほどけたようなしどけなさ
                 山川仁帆
このところよく見る光景で、私も何首か作ってみているが、これという作品は未だ。
「四肢がほどけた」という比喩に納得する。落ちているマスクの大半は、すでに
「白く」はないのだが、これにより下句が生きる。捨てマスクの、この艶めかしさ。
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囀りの日 [短歌]

一昨日、日曜日の朝のこと。いつものように朝刊を読んでいると、
朝日俳壇の高山れおな氏の選句欄の一席に選ばれている句、

  囀りの塊木々を渡りゆく  愛川弘文

が目に留まった。ああ、良い句だな、としばしその句を
頭の中で転がしてみる。さえずりのかたまり、と読むのだろう。
「さえずりのくれ」とも読めるかもしれないのだが。ここはきっと
「かたまり」。雀のような小鳥の群れが、一斉に木々を渡っていく様子が
目に見える。作者は音のことしか言っていないのだけれど。

この句に触発されて、すぐに短歌の上の句、っぽいフレーズが
浮かんできた。こんなことはめったにないので、朝食の準備の途中で
メモに記してみる。少し手を入れてから、下の句を考え、考えながら
朝食のパンとヨーグルト、バナナを食べ終える。今日は第一日曜日。
「塔」の横浜歌会の定例日である。外はかなりの雨。

いつもなら徒歩で行くが、今日は運行時間を調べてバスを使う。
当日の詠草に目を通して、びっくり。まさに「囀り」を詠んだ
作品があったから。それも、万華鏡の中に沢山の囀りが詰まっていて・・・
と、かなりユニークな作品で、すぐに票を入れる。自由詠の15首の
中で、一首しか選べない日だったが、まっしぐらにこの歌に。

ああ、でもなんていう偶然なんだろう、囀りの句に感動し、自分でも
囀りの歌を朝食前に作る、なんて余りしたことのない行動を取り、
雨を押して出てきた歌会で、囀りの短歌に出会えるなんて。
五月七日は「囀りの日」として、登録しておきたいくらい。
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二つの歌会から [短歌]

一年に二度、大学の同窓会館で開かれる歌会に参加している。
同窓会の愛称を使って「桜楓歌会」と呼んでいるのだけれど、参加者は
毎回十数人。長く歌を詠んできて、歌壇ですでに名を成している人もいれば、
やや暇つぶし的にやってくる人もいる。それで作品の質にかなりの凹凸がある。
でも、批評の質は高い。歌の出来はあまりよくないと思われる人が
かなり的を射た発言をするので、驚かされることは多いのだった。

その欧風歌会、つい先日の三月の下旬に行われたのだが、冒頭、
歌会の発起人であるI・Kさんが、「せっかく集まるので、誰もが出席して
良かった」と思えるような、何か一つでも収穫があった、と思えるような
会にしましょう」と発言された。そのためには、各自が提出してくる
作品に、真摯に向き合い、適切な言葉で鑑賞・批評しなければ、と思った。
この日の「桜楓歌会」は、やはり、作品の質はやや低め、でも批評は
素晴らしく面白い会になった。両立は難しいのでした。

さて、例月の「塔」会員による横浜歌会の方は、第一日曜日なので、
ほんの三日前に行われたのだが。こちらは歌のレベルも批評のレベルも
なかなか高くて、四時間弱の歌会の時間は、気の抜けない真剣勝負になる。

詠草用紙が配られて、読んで選歌するための時間は毎回二十分弱である。
当日の参加者は十四人だったので、詠草には二十八首が並んだ。
一首につき使える時間は平均で数十秒、ということになる。これは
良く考えると、驚異的なことだ。でも、みんな文句も言わず、時間内に
選歌し、当てられれば適切に選歌した理由を述べるのだから、凄い。

恐いのは、ざっと読んだ時に、その歌の真意を摑めず、素通りして
しまうことである。特に作者が力を入れて、新しい表現に切り込もう、
としているとき、その作者の意欲をそぐような、頓珍漢な意見を
吐いてしまう、ということは往々にしてありそうだ。私も以前、
都心で行われていたある歌会に、遠路時間を取って参加しながら、
参加者の批評力があまりにも低くて、バカげた質問や批判、さらに
歌の批評と言えないようなお喋りをされてから、全く足が遠のいたことがあった。

私が参加している横浜歌会にも、途中ぷっつりと参加されなくなった
方もいて、そういう方は、私と同様の経験をされているのかもしれない、
と思うと、何やら背筋が寒くなる。
今回は、そういう点でヒヤリとさせられることがあった。

ある方の作品で、おそらく車の中で行く先を指示しているらしい
会話風の表現があったあと、やっぱり自分は帰るのだ、との
一種の心情吐露が、下の句で述べられる、というものだったが。

短歌は短いので、主語も補語もない上の句は、誰が誰に言っているのか、
どういう場面なのか、が読み取りにくい。私は上の句から下の句への流れを
うまく掴めないままで、選歌には至らなかった。当日の参加者のほとんどが
そうだったように思える。ところが、一人Mさんだけがこの歌に票を入れ、
じつに適切に歌に込められた心情を掬い上げて見せてくれたのである。

主体がどこかから自宅へ帰るとき、おそらくタクシーの運転手に
「その先を〇〇へ」と指示している。それが上の句。下の句では
そう告げた以上、やっぱり自分はいつものところへ帰るんだ、と
自己確認している。でも、かすかな葛藤があるんだと思う。新しい場所、
あるいはどこか遠い場所へ行けたら、行きたい、ってそういう思いもあるんだ、
って、その微妙な心の揺れが出ている、と思って選びました。

歌会の仲間に、こういう繊細な読みをしてくれる人がいて、本当に
よかった、と思えた。短い時間に選歌し、すぐに批評に入る、という
やり方の危ないところを改めて感じさせられた歌会になったのだった。
帰り道、この歌の作者と一緒になった時、
「Mさんがきちんと読んでくれてたんだよね」
というと、彼女は満面の笑みを浮かべてうなづいていた。
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「塔」編集部 [短歌]

私が所属している「塔短歌会」の編集部は、編集委員二十数名、さらに
数十名の編集スタッフがいて、毎月の塔誌が発行される仕組みになっている。
私は2005年初頭から編集委員を務めてきている。

主な仕事のひとつが一首評執筆者の選出と依頼。これは毎月八名ずつ選んで、
主として葉書で依頼を出す。断られる人、全く返事がない人なども
いて、結構大変である。特に一年半ほど前に、土曜配達がなくなり、
郵便事情が極端に低下してしまってからは、色々と選出にも苦慮した。
「塔」の発行が遅れがちな、一月号や五月号、日数の短い二月号の場合は
北海道や九州など遠方の人への依頼は控えるなどの対策もした。

もう一つの仕事は、一年に一度だが、「塔短歌会賞」の郵送受付と、
そのコピー、選者と担当者合計七名への応募作品のコピー、応募一覧の
作成などである。毎年五十通以上の応募があるので、コピーの量は
半端じゃない。およそ八百枚ほどもコピーしなければならず、主として
スーパーやコンビニのコピー機を利用するのだが、他に利用者が来て
順番を待たれると、落ち着いて取り組むことができず(ときには
「こっちは二、三枚なんだから、ちょっと代わって」と言われることも)
コピー機のある店を転々としながら作業したこともある。

幸い、近くのスーパーが二台そなえるようになったこと、その機械の
そばに狭いながらも作業台がおかれるようになったこともあって、
そこで集中的にできるようになってからは、比較的楽になった。
正直、この仕事は2011年の編集会議の議案書にわたしの名前が載っていて
もう、なんだか当然のように仕事を振られ、11年間勤めてきたけれど、
精神的にもきつかった。短歌会賞の締め切りが二年前までは二月で、
風邪などをひいてしまい、極端に体調が悪かったこともあった・・・。
父が亡くなった四年前は、葬儀社との話し合いの間に、コピー取りを
したこともあった。

一首評の仕事とこのコピー取りの仕事は、もう勘弁してもらいたいなあ、
と、一昨年頃から思い始めていた。いつも手伝ってくれていた相棒に言うと
「十分やったじゃないか。そろそろやめてもいいだろ」
と言ってくれたので、タイミングを考えていたのだけれど。

これら主な二つの仕事(他に都内の書店に「塔誌」を置く担当者との連絡
などがあるが、散発的で大した仕事ではない)を断るとなると、きっと
塔の編集部を抜けなければならなくなるだろう。でもそれは寂しい気がする。
特に、当番制でHPにブログを書くのはとても楽しいので、これだけでも
続けさせてくれないかなあ、と思っていた。でも編集部をやめると同時に
この当番からも外されることに決まっていた。これは特に未練があった。

色々考えていた昨年六月、主宰の吉川さんから電話があり、
「選者に」という依頼だったことに驚く。これは全く予期していなかったので。
塔の選者は定年制になっていて、八十歳でやめなければならない。私には
もう十年も残っていないのである。それなのに、この時点で引き受けるか!
という気持ちが先ず先に来た。でも、でも。選者ということになれば、
ブログ当番も続けられるし、コピー取りももう、しなくていい・・・。

色々考えた末、お引き受けすることにした。
「結局、ブログが書きたかった、ってことだろ」って、相棒には言われたが。

この一月末からすでに選者の仕事は始まっている。
二十数年の長きにわたって横浜歌会での総評は担当してきたけれど。
ほとんどあったこともない人達の作品を、それも丸ごと十首(ちょっと
驚いたのだが、ほとんどの人が十首ずつの詠草を作成してくる)の
手書きの詠草を読ませてもらうことになり、それも毎月六十数名分!
全国の色々な地から送られてくる。それぞれの詠草から季節が香り、
風土や慣習なども漂ってくる。とても得難い経験だ、と気がついた。

丁寧に、集中して読み、一首ずつ向き合いながら、選歌している。
自分の詠草つくりも、おろそかにはできない、と心に銘じながら。
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塔・横浜歌会25年 [短歌]

先日もこの横浜歌会を話題にしたが、今年で結成25年になる。
三月に始めたので、25周年を迎えた、というべきだろうか。
会場は、私が住む自治体(東京西部の中都市)の公的施設を
利用しているのだが、ここは登録制度が敷かれていて、
利用者の住所・氏名、特に責任者は身分証明書を提示して
登録しておかなければならず、三年間の期限も設けられていて、
その都度、更新する必要もある。

先月で更新時期が切れていたことを指摘され、昨日、慌てて
市民センターに赴いて、手続きをした。書類はいろいろあり、
結構面倒である。さらに許可証が出るまで、二十分ほど待たされた。

その間、この歌会に参加されていた方々のことが、次々に脳裏に
浮かんできた。25年前からの参加は、私以外には先回記したKさんのみ。
二十年以上続けて参加されている人は、数人はいる。

二十二、三年前、良く続けて参加されていた方にIさんという女性が
いたことがふっと思い出された。私より三才年上。やや遅く子供を
もうけた、とのことで、ひとり娘さんはまだ小学生とのことだった。

一年近く、ほとんど休みなく歌会にも出席し、時々、私に
電話もかけてきたりしていた。私の歌集を購入してくれる、と
いうので、娘さん宛に、私が翻訳した児童書を贈呈したりもした。

ところが、ふっとやめてしまわれた。横浜歌会はもとより、そもそも
歌を詠むことをやめたのだそうだ。
「歌を詠む人とは、根本的に合わない、ということがわかった」
と綴った手紙が届いて、驚いたのだけれど・・。

一緒に歌を詠み合っていた時は、それなりに充実した時間を
過せていた気がしたのだけれど。まあ、色々な人がいて、
同じ時間を共有しながら、次々に去っていく。「わかれうた」の
歌詞じゃないが、去っていく人の方がかっこよく見えたりもするが。
短歌をしていなければ、出会わなかった人が沢山いたのだから、
私は歌を詠み続けてきたことに、何の後悔もないのだけれど。
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題詠「註」 [短歌]

先日の日曜日は私が所属する「塔短歌会」横浜支部の歌会の日。
今月は題詠の月で、出されていたお題がなんと、「註」!
「注」ではありませぬ。先々月の歌会の時、出題担当のKさん
(男性)がこのお題をホワイトボードに書かれたときは悲鳴が
あがりました。そうだよね、もう動かしようのない「註」。

それでもみんな、とても努力された跡があり、なかなか面白い
歌会になりました。全体としては比喩として詠んだ方が多かったかな。

私は30年ほども前に、舗道の花壇を「都市の傍注」と、詠んだ
記憶があり、もう比喩の「註」は読みたくないな、と思って
しまっていました。やはり、直球勝負すべきか、とも思うけれど
なんだか意欲がわかなくて、今回はかなり困った。これまでに
作った歌と同じような作品になってしまう恐れが大だったので。

思い切って、遊ぶことにしました。その歌は

   司会の方へ:上の句は番号だけをお読みください
①韶ぐ②浣ぐ③沃ぐ④紹ぐ⑤雪ぐ⑥註ぐ⑦纘ぐ そそ(ぐ)と読める漢字を挙げよ

まあ、何の意味もない、お遊びのうたでありましたが、遊べる、と
思ったのは作者だけだったようで。
「どれが、そそ(ぐ)と読めるか、調べなかったけど」
という方も多く。まあ、面倒くさい、と言うだけのうたになっちまった
ようでした(汗)。「これで、何か得られるものってある?」という総評も。
私は知らない漢字や、読みのわからない漢字がみつかると
萌える、ほうなのだけれど、そういうのって、やっぱ変わり者?

一方で。
「註」という存在を利用して、日本社会の歪みや遅れている部分を指摘
している作品が複数出て来ていて、ああ、凄いなあ、と嘆息する。
題詠の扱い方、その多様性に気づかされ・・・。
横浜歌会のレベルの高さををあらためて思い知らされた1日になりました。
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折々の歌人・枡野浩一(続) [短歌]

このところ雑用が多くて、なかなか更新できないでいました。
愛読者の皆さん、すみません、って、そんな人いないか・・・。

枡野浩一さん、もう少し書いてみたいことがありました。
初めて「フリーライターをやめる50の方法」を、角川短歌で読んだ時、
なんだか「脱力系の人」「おふざけの人」もう少し、厳しく言うと
「短歌を(表現手段としてでなく)玩具のように思っちゃっている人」
というイメージがあったのですよね。まあ、私も(二十代とかじゃないが)
若かったし・・・・。なんでもありなんだとは、思いつつ、そちら側じゃ
やってけないな、と思ってしまっていた部分、確かにあった。

でも、今枡野さんの全短歌集を読み、さらに『かんたん短歌の作り方』
などの著作を読ませて頂くと、もう、「筋金入りの脱力系」(矛盾だ!)
みたいに思えてきた。そうだ、そういう方法を強く、まじめに考えて
いた人だったんだ、と思えたんでした。

異論は勿論沢山ある。たとえば、「比喩は恥ずかしい」とかいう
主張(感慨?)も、え、そう言っちゃっていいの? 
文学にかかわる一切が、ある意味、比喩なのになあ、と反発したくなる。

とはいえ、枡野さんは沢山の歌人の作品も読まれていて、
他の方々にも「色々読む方がいい」と勧めておられる。
ご自分も、たぶん聞いたら「え?」って思えるような歌人の
影響を受けておられるのではないだろうか。

 ギクシャクと向こうから来るひょろひょろはショーウインドーにうつった自分
     枡野浩一『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである』

この歌を読んだとき、すぐに思い出した歌。

 雪降れるガラスの中よりうごききてわが頬冠りわれにちかづく
               葛原妙子『葡萄木立』

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折々の歌人・枡野浩一 [短歌]

「短歌研究11月号」が「枡野浩一論」という特集を組んでいた。
25年目の全短歌集刊行に寄せた企画のようである。私はずっと
以前からこの歌人のことは知っていた。そのきっかけになったのは
角川短歌賞の候補作品になっていた「フリーライターをやめる50の方法」
だった。ずっと忘れていたのだけれど、短歌研究のこの特集で、土井礼一郎氏が
詳述されているのを読んで、思い出したのだった(第41回角川短歌賞だった)。

選考の経緯が不透明だった。選者五人のうちの四人までが票を入れたに関わらず、
また、各選者の評価も良かったにかかわらず、枡野作品は受賞を逃している。
私もこの時の角川短歌は購入しているはずなのだが、処分してしまったのか、
残念ながら探せなかったので、土井さんの文章を引用すると

 篠 「フリー・・・」は、新人の賞とはいかんな。
 岡井・・・この傾向で、例えばこの人だけを挙げても、あとこの人、
   何をお作りになるのという感じが出てくるんだ。

と言うようなやり取りがあって、受賞は他の応募者へ流れるのである。
この年の受賞者は二人で、私は特に河野美砂子さんの作品に惹かれ
何度も読み返した記憶もあるので、全体として全く納得がいかない、
と言う訳ではなかったのだけれども。彼女と二人の受賞でも良かったのでは
ないか、とも思えた。

たとえば、俵万智さんの

  大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買い物袋
                   『サラダ記念日』

が、バブル期の時代の雰囲気を色濃く写し取り、短歌と言うより
コピー、というような意匠を強くまとって、大衆的な人気を博した
作品とするなら、枡野作品は、バブル崩壊後の虚無感を色濃くにおわせた
「時代を映す歌」だったのではなかったか、と思われたからである。

  うつむいて考えごとをするたびに「とうとう」「否×」と答える陶器
    枡野浩一『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである』

この歌は、角川短歌賞ではなく、他の総合誌で新人賞候補となった作品
だった記憶があるが、「TOTO」と「伊奈(現在のINAX)」という
二大トイレブランドが掛けてあるのだった。面白い歌を詠む人だな、と
思いつつ、作品世界にそれほどのめり込んでいけなかったのは、やはり私も
短歌に強い「個の抒情」のようなものを求めていて、枡野作品では
そうした思いが満たされない、と感じていたから、だっただろう。

少し早すぎた登場、だったのかもしれない、と今にして思う。
時代は確かに、枡野氏の目指した方向へと向かいつつあるように思えるし。
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短歌の中の左右 [短歌]

右か、左か。気になった、そのきっかけは「角川短歌」2010年11月号
掲載の第56回角川短歌賞選考座談会中、選者の永田和宏氏が
この年の受賞者大森静佳さんの作品中の
「レシートに冬の日付は記されて左から陽の射していた道」
という歌を評して
「この『左から』には意味がないんだけれども、とてもいいんだな。
それ自身には意味はないんだけれど、その言葉が配されることによって
感性にある種の重みがついてくる」と、話されていたことである。
私は以来、心に小さな?を抱え込むことになった。

さらに第58回同賞の座談会ではこの年の受賞者薮内亮輔さんの
作品中の「右がはの後ろの脚がとれてゐる蜘蛛が硝子の空をわたるよ」
を評して
「‥『右がはの』はいい。右でも左でもいいんだけれど、「右がはの」
と言う。前でも後ろでもいいんだけれど、「後ろの」と言う。
その描写の余裕。・・・」と述べられている。ここでまた「?」が
心に点った。はて、この左右についての限定・・・。どちらでも
良くて、ただ、限定して見せることに意味があるのか。

何年か前に人に借りて、途中まで読んだ小池光『現代歌まくら』(五柳書院)
が、なかなか面白くて、返した後に自分でも購入してしまったのだが。
買ったら安心して、書棚に仕舞い忘れていて、最近読み直した。
小池氏が現代の歌枕と選ぶ言葉があいうえお順に並び、その言葉の
詠まれた歌について評文を書かれているのだが、なんと「左」も
歌枕のひとつに挙げられていて、小池氏はこんな風に展開する。

 わがめがねひだりの玉の抜け落ちてしづくのごときは垂れしとおもふ
                        葛原妙子
 春ふけむ五月一日しら雪は沢のひだりに消えのこりたる
                        斎藤茂吉

こういう事実を事実のままに歌ったような作品でも「ひだり」が
喚起するイメージは小さくない。もしそれが右の玉であり、右手の
残雪だったなら、歌人はありのままに歌っただろうか? ・・・

左という言葉に意味を置き過ぎではないか、とも思える項目である。
確かに小池氏がこの項の冒頭に述べておられるように、左巻き、
左前、左遷、など、「左」という言葉には、正当からはずれたこと、
異端や敗北に傾く、悲哀のようなものも含まれる気もするのだが。

それなら、枕詞として「右」も登場させ、論説してもらいたかった。
「右」にはおそらく「右」ならではの過激さと孤高、そして老獪なども
潜んでいるのではあるまいか。
『現代歌まくら』に「右」は登場せず、「み」の項は、
岬、水、みずうみ、みちのく、と何かしら、はかなく遠い、失われた地、
を指すかのように、美しい文字列が配されているのみなのである。
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