SSブログ

折々の歌人・枡野浩一(続) [短歌]

このところ雑用が多くて、なかなか更新できないでいました。
愛読者の皆さん、すみません、って、そんな人いないか・・・。

枡野浩一さん、もう少し書いてみたいことがありました。
初めて「フリーライターをやめる50の方法」を、角川短歌で読んだ時、
なんだか「脱力系の人」「おふざけの人」もう少し、厳しく言うと
「短歌を(表現手段としてでなく)玩具のように思っちゃっている人」
というイメージがあったのですよね。まあ、私も(二十代とかじゃないが)
若かったし・・・・。なんでもありなんだとは、思いつつ、そちら側じゃ
やってけないな、と思ってしまっていた部分、確かにあった。

でも、今枡野さんの全短歌集を読み、さらに『かんたん短歌の作り方』
などの著作を読ませて頂くと、もう、「筋金入りの脱力系」(矛盾だ!)
みたいに思えてきた。そうだ、そういう方法を強く、まじめに考えて
いた人だったんだ、と思えたんでした。

異論は勿論沢山ある。たとえば、「比喩は恥ずかしい」とかいう
主張(感慨?)も、え、そう言っちゃっていいの? 
文学にかかわる一切が、ある意味、比喩なのになあ、と反発したくなる。

とはいえ、枡野さんは沢山の歌人の作品も読まれていて、
他の方々にも「色々読む方がいい」と勧めておられる。
ご自分も、たぶん聞いたら「え?」って思えるような歌人の
影響を受けておられるのではないだろうか。

 ギクシャクと向こうから来るひょろひょろはショーウインドーにうつった自分
     枡野浩一『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである』

この歌を読んだとき、すぐに思い出した歌。

 雪降れるガラスの中よりうごききてわが頬冠りわれにちかづく
               葛原妙子『葡萄木立』

nice!(0)  コメント(0) 

折々の歌人・枡野浩一 [短歌]

「短歌研究11月号」が「枡野浩一論」という特集を組んでいた。
25年目の全短歌集刊行に寄せた企画のようである。私はずっと
以前からこの歌人のことは知っていた。そのきっかけになったのは
角川短歌賞の候補作品になっていた「フリーライターをやめる50の方法」
だった。ずっと忘れていたのだけれど、短歌研究のこの特集で、土井礼一郎氏が
詳述されているのを読んで、思い出したのだった(第41回角川短歌賞だった)。

選考の経緯が不透明だった。選者五人のうちの四人までが票を入れたに関わらず、
また、各選者の評価も良かったにかかわらず、枡野作品は受賞を逃している。
私もこの時の角川短歌は購入しているはずなのだが、処分してしまったのか、
残念ながら探せなかったので、土井さんの文章を引用すると

 篠 「フリー・・・」は、新人の賞とはいかんな。
 岡井・・・この傾向で、例えばこの人だけを挙げても、あとこの人、
   何をお作りになるのという感じが出てくるんだ。

と言うようなやり取りがあって、受賞は他の応募者へ流れるのである。
この年の受賞者は二人で、私は特に河野美砂子さんの作品に惹かれ
何度も読み返した記憶もあるので、全体として全く納得がいかない、
と言う訳ではなかったのだけれども。彼女と二人の受賞でも良かったのでは
ないか、とも思えた。

たとえば、俵万智さんの

  大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買い物袋
                   『サラダ記念日』

が、バブル期の時代の雰囲気を色濃く写し取り、短歌と言うより
コピー、というような意匠を強くまとって、大衆的な人気を博した
作品とするなら、枡野作品は、バブル崩壊後の虚無感を色濃くにおわせた
「時代を映す歌」だったのではなかったか、と思われたからである。

  うつむいて考えごとをするたびに「とうとう」「否×」と答える陶器
    枡野浩一『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである』

この歌は、角川短歌賞ではなく、他の総合誌で新人賞候補となった作品
だった記憶があるが、「TOTO」と「伊奈(現在のINAX)」という
二大トイレブランドが掛けてあるのだった。面白い歌を詠む人だな、と
思いつつ、作品世界にそれほどのめり込んでいけなかったのは、やはり私も
短歌に強い「個の抒情」のようなものを求めていて、枡野作品では
そうした思いが満たされない、と感じていたから、だっただろう。

少し早すぎた登場、だったのかもしれない、と今にして思う。
時代は確かに、枡野氏の目指した方向へと向かいつつあるように思えるし。
nice!(0)  コメント(0) 

短歌の中の左右 [短歌]

右か、左か。気になった、そのきっかけは「角川短歌」2010年11月号
掲載の第56回角川短歌賞選考座談会中、選者の永田和宏氏が
この年の受賞者大森静佳さんの作品中の
「レシートに冬の日付は記されて左から陽の射していた道」
という歌を評して
「この『左から』には意味がないんだけれども、とてもいいんだな。
それ自身には意味はないんだけれど、その言葉が配されることによって
感性にある種の重みがついてくる」と、話されていたことである。
私は以来、心に小さな?を抱え込むことになった。

さらに第58回同賞の座談会ではこの年の受賞者薮内亮輔さんの
作品中の「右がはの後ろの脚がとれてゐる蜘蛛が硝子の空をわたるよ」
を評して
「‥『右がはの』はいい。右でも左でもいいんだけれど、「右がはの」
と言う。前でも後ろでもいいんだけれど、「後ろの」と言う。
その描写の余裕。・・・」と述べられている。ここでまた「?」が
心に点った。はて、この左右についての限定・・・。どちらでも
良くて、ただ、限定して見せることに意味があるのか。

何年か前に人に借りて、途中まで読んだ小池光『現代歌まくら』(五柳書院)
が、なかなか面白くて、返した後に自分でも購入してしまったのだが。
買ったら安心して、書棚に仕舞い忘れていて、最近読み直した。
小池氏が現代の歌枕と選ぶ言葉があいうえお順に並び、その言葉の
詠まれた歌について評文を書かれているのだが、なんと「左」も
歌枕のひとつに挙げられていて、小池氏はこんな風に展開する。

 わがめがねひだりの玉の抜け落ちてしづくのごときは垂れしとおもふ
                        葛原妙子
 春ふけむ五月一日しら雪は沢のひだりに消えのこりたる
                        斎藤茂吉

こういう事実を事実のままに歌ったような作品でも「ひだり」が
喚起するイメージは小さくない。もしそれが右の玉であり、右手の
残雪だったなら、歌人はありのままに歌っただろうか? ・・・

左という言葉に意味を置き過ぎではないか、とも思える項目である。
確かに小池氏がこの項の冒頭に述べておられるように、左巻き、
左前、左遷、など、「左」という言葉には、正当からはずれたこと、
異端や敗北に傾く、悲哀のようなものも含まれる気もするのだが。

それなら、枕詞として「右」も登場させ、論説してもらいたかった。
「右」にはおそらく「右」ならではの過激さと孤高、そして老獪なども
潜んでいるのではあるまいか。
『現代歌まくら』に「右」は登場せず、「み」の項は、
岬、水、みずうみ、みちのく、と何かしら、はかなく遠い、失われた地、
を指すかのように、美しい文字列が配されているのみなのである。
nice!(0)  コメント(0) 

素人と歌を読む・さらに [短歌]

素人とは、以前このブログで書いたように、自分では歌を詠まず、
読むことも滅多にない我が相棒である。「塔」の百葉集を何度か
一緒に読み、新聞歌壇を一度読んだところで、この「会」(?)は
しばらく中断していた。二週間ほど前になるが、久しぶりに相棒が
「今度は、全く違う人の歌を読んでみよう」と提案してきたので
(いやいやつき合わせている感じ、がひしひししていた私、すぐに
乗りました)、河野裕子さんの歌を読もう、と思った。

河野さんの追悼号(「塔2011年8月号」)掲載の中から、
「オノマトペの歌」(山下洋選)を選んで、二人で読むことに。
河野さんの作品で一番すごい領域、と私は常々思っているから。

 たとへば君、ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
                     『森のやうに獣のやうに』
 土鳩はどどつぽどどつぽ茨咲く野はねむたくてどどつぽどどつぽ
                      『ひるがほ』
初期の作品から。相棒はすぐに
「ああ、知ってる。有名な歌だよね。土鳩の歌はいいなあ。でも
たとへば君、ってどうなの? 本当にいい歌なの? 有名だけど
どこがいいのか、よくわからない。リズムも良くない感じがする」
と言い出し、ちょっとたじたじする。
「初句が斬新だと思う。この思い切りの良さが良いと思うし、女性から男性へ、
迫っているような感じも、当時は新しかったんじゃないかな」

彼は納得している風ではなかったが・・・。

 夜はわたし鯉のやうだよ胴がぬーと温いよぬーと沼のやうだよ
                       『体力』

この歌には、絶句していた。
「凄いなあ、こんな歌・・・。これ、初期の歌?」
「えーと、中盤に当たる頃の歌かな。病気がみつかる少し前だと思う。
確かにこの歌、私なんかとても作れない。下句で、ぬくい、ぬーと
ぬま、とぬの音を四回も繰り返しているところなんか、すごく上手いし。
体感が生きていて、音と一体化しているよね~」

相棒はしばらく何も言えず・・・。
オノマトペの歌は、それから十首あまり続きがあったのですが、
この一首に打ちのめされているようで、後の歌は、おまけ、のように
なってしまったくらいでした、はい。

今年も残すところ十数時間となってしまいました。
拙ブログをお読みいただいた皆様、有難うございました。
来年も楽しく、続けていきたく思っています。良いお年を!


nice!(0)  コメント(0) 

ひかりへ [短歌]

一昨日、母が亡くなった。101歳一か月。
あと、もって二、三週間です、と医師に告げられてから
二カ月半も、この世に留まり続けて、自らの誕生日を迎えてから
静かに息を引き取った。

この二、三日とても寒い。
雪国で暮していた頃のことが思い出されてしまう。
東京の空はか~んと晴れ渡っているけれど、この寒さに
息詰まるようにしんしんと雪を降らせていた、遠い日の
昏さが思い出される。

母のために、一首作って、柩に入れることにした。
母は喜んでくれるだろうか。

 記憶には昏く降りつぐ雪道の母よ ひかりへ歩みゆきませ
                     岡部史                  
nice!(0)  コメント(0) 

1979年の短歌ブーム [短歌]

「短歌研究8月号」をぱらぱらと読んでいたら(もうだいぶ
前のバックナンバーだよね。月ぎめで購入していると、なかなか
読みこなせないままに次の新刊が届く、という状況。もう、自分の
ペースで読んでいくしかなくて)、「短歌ブーム」という特集が
組まれていて、山田航氏が「1979年謎の短歌ブームを追う」という
紙面四ページ分の文章を寄稿されているのが目に留まった。

雑誌記事に索引検索サービスを利用して調べると、七十年代から
現代までの間、「短歌」というテーマでの検索ヒット数が
突出して多い年があり、それが1979年であるという。この理由を
山田氏は、①『札幌の短歌』という郷土史シリーズの一巻がこの年、
札幌市から刊行されていること ②前年に『明石海人全歌集』が
刊行されたことを契機に、ハンセン病についての関心が高まり、
「愛生」「多磨」「青松」など、患者たちによって編纂されていた
短歌雑誌が注目を浴びたこと を上げ、その後、②の当時の状況に
ついて詳しく展開しておられるのだった。

その文章をざっと読みながら、それだけだったのだろうか?と
多少の疑念が湧いてきたのだった。というのも、この1979年という
年は、私が現代短歌に興味を持ち始めた年でもあり、そのきっかけに
なったことが、山田氏の文章に登場しないことが不思議に思えたのだ。

講談社『昭和万葉集』全20巻は、1979年2月8日に巻6「太平洋戦争の記録」
を発行。一、二カ月おきに「山河慟哭 焦土と民衆」「二、二六事件」・・・
と、翌80年までに全巻刊行されているのである。

私はこの昭和万葉集刊行の広告を、二月上旬の夕刊で知ったことを
覚えている。おそらく、2月7日のものだったのだろう。そこに何首か
引用されていた作品の中に栗木京子さんの観覧車の歌を読み、
現代短歌にめざめることになったのだから。

昭和万葉集は巷でもかなり話題になり、図書館などにも導入されて
当初は借りて読んでいた記憶もある(最終的には全巻購入したのだけれど)。
そのことについて、山田氏は一切触れておられないが、多少の影響は
なかったのかな、と思う。とりあえず、79年の短歌ブームは、単なる
マイブーム、というわけではなかったんだな、と面白く思った。

その後の短歌についてのヒット数は、最新の2021年に至るまで、
減増傾向であるという・・・。ってことは、最近の短歌ブームとは?





nice!(0)  コメント(0) 

「漫画を描く」を描く [短歌]

先日「歌を詠む」を詠む、という内容の文章をこのブログに
書いたのだが、先日の朝日新聞夕刊(11月16日付)に、「漫画家
残酷物語」(永島慎二 1967年刊)についての記事を読んで驚いた。
永島慎二という漫画家の作品はほとんど読んだことがなかったので
知らなかった、ということもあるが、世に「漫画を描く」ことを
テーマにした漫画があったとは、初めて知った。

永島の「漫画家・・」は、「漫画なんか嫌いだ、食べるために仕方なく
描いているだけだ」と言っていた漫画家が連載を打ち切られたのを機に
自分の右腕に保険をかけ、わざとけがをする計画を立てる。最後に
長編を仕上げてから、と思い売るつもりもなく描き始めたら、楽しくて
保険解約を決意するが、その直後、不幸にも交通事故で右腕を失う・・・。
という内容なのだそうだ。

漫画家という仕事がいかに過酷か、ひとたび成功すれば、巨万の富が
舞い込むが、そうなれるのはほんの一握り。初老になっても独り立ち
できずに苦しんでいる、それでも漫画が好きで諦めきれない、という
ような話を、これまで沢山見聞きしてきてはいたが・・・。

そんな漫画をめぐる、社会的、経済的な状況が「『漫画を描く』を描く」
という分野を開拓させ、読者をひきつけるに至ったのだろうか。
「漫画家残酷物語」は、好きなものに引き付けられ、跳ねのけられ、
それでも離れられないという感情を自虐的に表現していて、そのあたり、
「短歌を詠む」を詠む時の姿勢とも多少の共通性があるように思える。

同時に、このジャンルの漫画が、漫画家を目指す人々にとっての
バイブルのようにも扱われているらしい状況を考えると、「短歌を詠む」
ことを詠んだ歌、が体系的にまとめられ、一つのジャンルのように確立して
読まれるようなものが登場したら面白いかも、と思ったことだった。
nice!(0)  コメント(0) 

素人と短歌を読む・続 [短歌]

ここでの「素人」とは、歌を詠まず、ほぼ読まない我が相棒の
ことである。彼と「塔」の百様集を読み始めて二カ月ほど。
一度新聞歌壇を読み合ったのだが、また百葉集を読んでみよう、と話し合い。

今度は、かなり以前の「塔」の、百葉集、つまり吉川宏志氏が
主宰になる以前、河野裕子氏と永田和宏氏が選んでいた頃の
「塔」百葉集を読んでみることにしたのである。本棚から
無作為に引き出したのは、2004年2月号、河野・永田両氏が
交互に百葉集を選んでいた頃の、河野さん担当の号だった。

 無精卵の男女(めを)住む町に囲はれてしづかにしづかに滅んで
 ゆきたい                 黒田英雄
(「男女」と書いて、「めを」のルビは変だと思ったが、選歌欄の作品は
「女男」となっているので、単純な校正漏れのようである)

なんだか不気味な歌だ。作中主体を含む、人類そのものが滅んでいく
ような絶望感・無力感が漂う。詠われたのは今から18年も前だが、その後も
日本の出生率は減り続け(世界人口は80億を突破したが)、少子化に
留まる気配はない。時代を映した、凄い歌だね、と嘆息する相棒。

 一指二指三指はわれの第三子靴紐締めて行きたり逝きぬ 安田幸子

「これ、どういうこと? 一指、二指、三指って・・・」
「う~ん、数え歌風に始めてるんだろうね。子供の頃、一かけ、
二かけて 三かけて~、四かけて、五かけて橋をかけ~、とか
唄っていた。ここでは、第三子を引き出すための序詞みたいなものだと思う。
三番目の子供さんは、靴紐締めて、つまり通勤服みたいなきちんと
した装いで家を出て、そのまま帰らなかった、ってことだよね。
交通事故かな、あるいは・・・。わからないけれど。
こんな風に歌にできるまで、かなり時間は経っている気がする」
「そうか~。なるほどねえ・・・・。」
と、しみじみしているらしい、相棒。ほうら、短歌ってけっこう
いいでしょ、と内心ほくそ笑む私。

それからしばらく、河野さん選の百葉集を読み合う。

「河野さんの選の方が、面白い気がする」
と、相棒が言い出した。
「吉川さんはお若いから、かな。感覚が違うのかも」
相棒は、河野裕子さんとはほぼ同じ年齢。一方、吉川さんとは親子くらいに
歳が離れている。
「時代もあるのかな。この頃の作風の方があなたには合ってる、とか」
「今の歌、わからんの多いからなあ。でも塔の会員が増えすぎて、
選ぶの大変になっている、ってことは、ない?
今は吉川さん一人で、毎月えらんでいるんだろ? こんなに分厚い中から!
過酷だよなあ~」
と、相棒はしばし嘆息しきりでした。
nice!(0)  コメント(0) 

素人と短歌を読む [短歌]

短歌を詠むことはなく、読むことも滅多にない我が相棒と
「塔」の百葉集を共に読み合う時間を取ったことを、このブログで
書いているが。数回続けたところで、
「なんだか、あまり面白くないなあ」
と言い出されてしまった。案じてはいたのだけれど。

短歌はこまごまとした日常報告的な内容が多いし、
どちらかというと、相手のことを知った上で読む方が面白い、
という傾向もある。また、短歌は細かい言い回しとか、小さな気づきとか
日常の切り取り方の意外性などに面白さが潜んでいることが多いが、
それは慣れないとなかなか「面白さ」と感じにくいのではないか。

相棒はそこで、朝日歌壇の歌を読もう、と提案してきた。
直近の10月22日の朝日歌壇を一緒に読むことになった。この週は
佐佐木幸綱選者による作品から始まる。
 
 地球儀の陸地を区分する線に人の争ふ来し方が見ゆ 堀川弘
 食鉄(たべてつ)の人気ランチは零余子飯ほくほく線は野趣も味はふ
                          武村岳男

冒頭の二首である。相棒は、「良い歌だよね。新聞短歌らしい時事詠
の、力のある歌が並んでいる」と、面白そうだったが・・。
永田和宏選の冒頭の
 風合瀬(かそせ)とふ美しき名の駅にあり海に没る日の最後の光
                         嶋田恵一

という歌には、こういう歌もいいよね。地名をうまく詠み込んでいるし、
新聞短歌だからって、時事詠ばかりだと、物足りないよね。

というような話もし合ったのだが。

このMっていう人、よく選ばれているよね。え、家族で歌詠んでいるの?
どこがいいの。ちょっと、選ばれ過ぎじゃない。

今の時事を詠んでいる、という理由だけで、あんまり
いい歌でなくても選ばれている気がする。

こんなこと、わざわざ31文字にする意味あるの?
どこが良いと思う? アンタ、四十年も歌詠んでいるんでしょ、
端的に説明してよ~。 

と、次々にダメ出しし始め、新聞短歌を読む会(?)は、一度で
ポシャることになりました。う~ん、私はもっと続けたかったのだが。
nice!(0)  コメント(0) 

世界の都市を詠む [短歌]

横浜歌会では一年に四度、題詠を行う月を設けていて、
11月はその月に当たる。会員のMさんが出題を引き受けてくれて、
お題はナンと「世界の都市を詠む」(国名ではだめ、とのこと)。

私は、これまで訪れた都市を思い出しながら、何首か作った。
大連、北京、ソウルなどのほか、オスロ、パリ、ロンドン・・・。

ガハマルカ、とか、住んでいたことのあるアメリカのローリー、
韓国の水原(スーウォン)なども考えたのだけれど、結局
上手く作れなかった。やはり、読者を意識してしまって・・・。
あまり知られていない場を詠んでも、理解されないのではないか、
と気になったのである。みんな、どこの町を詠うのだろう。

歌会当日、ワクワクしながら配られた詠草を見ると・・・。
なんと、これまで聞いたことのないような、未知の町の名前が多数あった。
たとえば、タクロバン。これはフィリピンのレイテ島にある
町の名らしい。アルゴンキンはカナダ、スフバートルはモンゴル。

知らない町でも、すぐにスマホで検索できる状況にあるので、
何処のどんな町なのか、おおよそのイメージをすぐに組み立てる
ことができる。いや、もしスマホがなくても、都市名の語感や
作者が選んだ言葉から、想像することは可能だったことに驚いた。

その点、自分が訪れたことのある町、あるいは
テレビなどで報道される頻度が高く、日常的になじみのある町より、
全く知らなかった町を詠んだ歌の方が、なにか不思議な魅力が生れ、
引き付けられる歌が多かったことに驚いた。

きっと、ほかの参加者もそうだったのではないだろうか。
最大得票を得たのは、スフバートルを詠んだ歌だったし、
一票しか入らなかったが、タクロバンを詠んだ歌は、
後から思い返すに、かなりの秀歌だったと思うのである。

スフバートルは、ロシアとの国境の町で、作者はキリル文字が綴られた
平たい駅舎を詠まれていたのだが、国境の町であること、もとは
他国の文字だったキリル文字が使われるに至った歴史的経緯なども
感じさせ、少ない情報の中にしみじみとした哀感が漂ってくる歌だった。

タクロバンの歌は、口中を赤く染める飴をなめながらバスに乗り合せている、
という歌で、現地の交通事情の悪さや、着色料たっぷりの少し懐かしい
お菓子の感覚が詰まった作品だった。異国の町の旅に、日本のかつての
町の雰囲気を感じさせるような、作者の手腕に脱帽した。

歌会が終わった後、「みんなが知らない町は詠えない」と思い込んでいた
自分の浅はかな考えを反省した。
nice!(0)  コメント(0)