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動物図鑑・続 [読書]

アメリカで購入した北米の哺乳類だけしか載っていない
「動物図鑑」を愛用してきた私、いよいよ、新しい動物図鑑を
購入しようと決心した時はちょっと、興奮した(って大げさだが)。

まず、自分に問いかけてみる。自分が欲しいのはどんな図鑑か。
写真の素晴らしいもの。全世界の動物がある程度網羅してある
図鑑がいい。最低の情報が盛り込んであり、読み易いもの。
あまり重くてぶ厚いと、使いにくいかもしれないので、
そこそこまとまっているものでないと・・・。

あれこれと物色して、結局、子供用の図鑑を購入することにした。
子供用といえ、ばかにしたものではない。それなりにまとまっているし、
見やすい、解説が丁寧だし。それに、コスパがいい。

次にどこの出版社にするか、色々見比べた。
最後に二つの図鑑に絞ったのだが、一つは小学館の図鑑NEO。
こちらに一つ難点があるとすると、実写ではなく、絵が中心だったこと。
もう一つは学研の図鑑である。写真が多いのは断然こちら。

でもよくよく見ると、学研の写真はところどころ、不自然に
切れているのがわかる。写真の図版から動物だけを
切り抜いて表示しているので、その切り取りがやや雑なのだ。

その点、小学館の図鑑の方は、絵とはいえ、とても細密で、
不自然さが感じられない。結局、こちらを買うことにした。
知らない動物も載っている反面、家庭で飼う犬の種類なんか
まで載っていて、これはどうかな、と思える箇所もあるにはあるが。

子どもはきっとこのあたりも十分楽しむのだろう。
知っていることと知らないことの落差、みたいなものも
一冊の図鑑から感じる。子供の時に入手していたら、
どんなに楽しかっただろう。いやいや、今だからこそ、
熱中してみているのかも・・・。
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動物図鑑 [読書]

コロナ籠りの続く中、いつもよりたくさん本を購入した。
何処にも行けず、少しお小遣いにも余裕ができたこともあり。
これを機に、欲しかった本を揃えようという気にもなった。
そんな本の一つが「動物図鑑」。

初めて自分で購入した動物図鑑はなんと、三十数年前、
アメリカで暮していた時に現地で購入した『The Audubon
Society Field Guide to North American Mammals』である。
訳して『アーデュボン協会による北米哺乳類野外ガイド』。

登場する182の動物全部が、彼らが暮らす野外で
自然に撮影されたもので、いずれの写真も素晴らしく美しい。
・・・in full color showing living animals as they appear in their
native habitat・・・
と、表紙の耳に誇らかに書かれている通りなのだった。
動物の写真を野生のまま撮ることはとても難しいのに。

北米の動物に限られ、キリンや象やサルが登場しないのは
残念なのだが。あ、北米って、猿の類は生息していないんだ、
って、この本を見ながら初めて気づいたり。
珍しいアルマジロの写真に見入ったり。
やたら多いのが、ネズミとリスの類で、これらだけで全体の
三割くらいを占めている。
日本人が見るとRat もMouseも、どうちがうんだか・・。

って、種類の偏りに不満はあったものの、その写真の美しさ、
説明の細やかさに魅せられて、この哺乳類図鑑を見るだけで、
他の動物図鑑を買おうとは思わなかったのだった。
図鑑は断然「写真派」だった私は、他の図鑑が物足りなくて。
でも、もう少し、世界全体の動物がみられる図鑑を買おう、
と、このコロナ禍の日日に思ったのである(続きます)。

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野球シーズン [スポーツ]

三か月も遅れて、野球シーズンがやってきた。
もう待ちくたびれて、どんな試合でもいい、野球が観たい、
と思っていたので、開幕の19日は、野球放送のあるチャンネルを
調べ上げ、優先順位を決め、結局はあちこちを渡り歩くように
チャンネルを切り替えながら観てました。

阪神対巨人戦もアンチ巨人の私としては情けない試合では
あったが、もう勝ち負けよりも見れたことがうれしくて。
大好きなロッテは、強豪ソフトバンクと、きっちり互角に戦い、
このカードは二勝一敗と勝ち越し。さすがじゃ、と大満足。

選手の人たちは、この日のために怠りなく準備されてきたの
だろうけれど。状況によっては、また延期されるという可能性
だってあったはずだ。どんなことにも言えるのだが、
大事な時に十二分の力を発揮するには、その目標点を
見据えて、段取りを図らなければならない。
徐々に集中力を高めていく、そのペース配分も必要である。
でも、本当にやれるのか、という疑念は去らなかっただろう。
体力を維持しながら、同時に強い精神力も必要とされただろう。
なにか強いものに抗う力、ではなく、捉えどころのない、
不安という有耶無耶を払拭し続けるための力を持って。

それを思うと、今グラウンドに立ち、生き生きと
野球している人たちの動きが奇跡的にも見えてくる。
あらためて勝ち負けばかりに気を取られることなく、
一つ一つのプレーを楽しんでみていこう、と思った。
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父の俳句(その4) [文学]

父が亡くなって一年余り。
最近つくづくと、自分は父のことを知らなかった、と気がつく。
口数少ないうえ、特に自分のことや両親、兄弟について
語らない人だったから。実家は新潟県の小都市の旧家。
いかめしい明治生まれの祖父と、無口で従順な祖母。
大きな古い家は昼も薄暗く、重苦しい雰囲気が漂っていて、
一年に一、二度の父の帰省に付き合わされるのが嫌だった。

父には三、四歳年上の兄がいて、戦死しているらしい。
四歳下の弟もまた南方に送られた。戦後三年ほども帰還せず、
やはり戦死しているらしいと言われ、内輪で葬式をしようと
話し合いし始めた頃、ボロボロになって帰ってきたのだとか。

そんな話は、母や父の周辺の人から耳にしたのみ。
今思うと、父の実家の昏さは、戦争に打ちひしがれた家族が
その話題を必死に避けることでようやく持ちこたえていた、
その結果だったのかもしれない、とも思うのである。

父は理科系の学生だったため、学徒出陣を免除されていたらしい。
そして終戦直前になって召集され、立川辺りに送られた、とも聞いた。
そこで、どんな生活をしていたのか、父は一度も語らなかったが。
母が一度こう言ったことがある。
「訓練が終了して、いよいよ戦地に送られるという時、
八王子を通ったんだって。八王子の駅前から街を見ると、
立っているものは何もなかったんだって」

調べてみると、八王子は45年8月2日に米軍による空襲を
受けている。この被害は日本で五番目にあたるほどおおきな
ものだったらしい。父はまさに、空襲の直後にここを通ったのだ。
なぜこの時のことを、もっときちんと聞いておかなかったのだろう。

せめて、父の句集のなかのこの一句の背景を尋ねるべきだった。
  飛行兵たりし日々あり月見草   齋藤穆

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父の俳句(その3) [文学]

父の句集を改めて読んでみて、俳句という分野の
難しさを今更ながら思う。たった17文字、その上、季語という
縛りまである。この小さな器で個性的な表現を目指すとしたら。
と考えると何かとてつもなく大変なことに思える。

おそらくは、俳句のような(短歌だってそうなのだが)、高度な
技術と詩的なひらめきとが必要な文学は、特別な才能が必要で、
やたら凡人が足を踏み入れると、悲惨なことになるのでは、
という気がする。でもその間口の広さによって、誰もかれもが簡単に
入り込み、駄作を量産する、ということになっちまうのだ。

まあ、自分のことを棚に上げて、言いたいことを言っている、
と言われればまさにその通りなのだが、父の合同句集を読んでみて
さらにその感を強くしたわけである。

だが、短歌や俳句には、文学表現とは別の用途、というか機能が
あることは確かなのだった。そして私たちはもう、その方面の
方を重視し始めている。個人の日日の記憶を繋ぎとめるのための
日記的用途、ごく身近な人、特定の人に送る、挨拶状的用途、
事件や事故、時代の空気を庶民の側から伝え、残す記録的用途、
である。

そういう点で、最も適しているのは短歌だと思うが、俳句もまた、
その一翼を担っているのではないか。(続きます)
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父の俳句(その2) [文学]

父から「俳句を始めた」と聞いたとき、父のために喜ぶべきこと、
と思う一方で、あまり向かないかもな、とも思った。
父は四角四面の理科系の人で、そもそも文学に向いていると思えない。
また、母の方が若いころから短歌や俳句に親しんでいたから。
父は、母とは異なる方面の趣味に集中して、母と「棲み分け」た方が、
平和なのでは、とも思ったからである。

果たして、父が作る俳句に対する母の批判は手厳しかった。
「誰かが作ったような、どっかで見たような句ばかりなの」
「私が、こうしたら、とちょっと助言すると何も考えずに
そのまま直して句会に持っていくみたい」などなど・・。
でも、父は吟行で出かけることの方を楽しみにしていたようだし、
「誰に迷惑かけるんでもないから、いいじゃない」と、
母を諫めていたのだけれど。

凡そ、母の舌鋒の鋭さは、まず父に向かい、そして私に向かってくる。
それでも私は、同居しているわけではないから、実害は少ない。
私が父に同情的な発言をすると、母はさらに父に
厳しくなるようで、私はそのうち、父の俳句について
話題にすることを極力避けるようにしたくらいだった。

それでもある時、父は先生に褒められた、と上機嫌で
たまたま実家を訪れた私に、披露してくれたのだが・・・。
残念ながら、私にはさほどの優れた作品とは思えず。
つい「一句のなかに二つの固有名詞を入れるのは、どうかな」
などと発言してしまった。近くの母の耳に届いてしまい
「ほらね、お父さん、娘もそう言ってるでしょ」と、
勝ち誇ったように言われ、焦った記憶がある。(続く)
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