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 [生活]

父を見送ってのち、山のように押し寄せる雑用と
戦っている。まだまだ・・だが。今日あたりは
少し暖かく、暖房無しでも過ごせるようになったなあ、と
季節が確実に動いているのを感じる。


今年の東京は凄く寒い日もあったが、
雪はほとんど降らずに済んだ。特に私の住む多摩では
一センチくらい積もった日が一度か二度、あった程度。
一か月くらい前、雪の予報が出ていた日、たまたま
近くの美容室へ出かけた。予報に反して、雪が降る気配は
なかったからだが。

若い女性の美容師さんが「今日はタクシーで出勤したんです。
いつもはチャリで来るんだけれど、雪が降ったら乗れないから。
靴も服も、雪仕様で来たんですよ。もう、楽しみにしてたのに、
降らないみたい、ひどい!」
と、憤慨している。「若い!」と思わず叫んだのであったが。

私は豪雪地方で育っているので、雪はもう、こりごり、
なんだった。父の勤務地の関係で仕方なかったのだが、
転勤ときいたときは、ほっとしたくらい、雪には悩まされてきた。

小学校の時は、豪雪注意報が出ると、学校が休みになる。
始業後の注意報だと、「一斉下校」になる。体育館に長靴を
はいて、外套を着たまま地域ごとに集合。六年生が前と
後ろにつき、中央に一、二年生を挟む形で隊列を組む。
そうして下校するのだが、吹雪の中の下校は、本当に
はらはらするものだった。視界は閉ざされ、気を許すと、
そのまま命を落としかねない、という場面さえあった。

関西で育った相棒は、雪に対する憧れがあるらしい。
雪が降った日は、小学校は休校になったり、短縮授業に
なったりして、みんなで雪合戦したり、雪だるまをつくって
遊んだりしたそうだ。だから先の若い美容師さんのように、
雪予報が出ると、俄然はしゃぎ出す。

「子供の頃は、雪国で、授業が休みになると聞くと、
雪合戦のために休むんだな、って思ってた。羨ましくて
仕方なかったんだよ。」
ああ、なんてこった! 私がどんなに雪の恐さを
力説しても、彼には通じそうにない。
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予期はしていた、が(続) [生活]

父が亡くなり、すぐにやらなければならないことに直面した。
亡くなったのが、夜の十時をとうに回った時刻と言うのに、
病院とは非情なもので、すぐにでも葬儀屋に連絡して、
遺体を運び出すように、というのである。
葬儀屋が決まっていないのなら、こちらで提携している
ところがある、そこに連絡するが、と急き立てる。
こちらでも考えているところがあるから、と交渉し、
翌朝まで待ってもらうことに。

帰宅してすぐ、妹に連絡する。妹はすでに義父母を見送っているので、
私よりも詳しいだろうと、かねがね、葬儀屋さんを検討しておいて、
と頼んであったのだ。ところが、妹の話がはっきりしない。
結局、あまり考えたくなかった、ということだろう、もう
仕方なく、我が家から一番近い葬儀店に連絡する。
とりあえず行うことについての話し合いをし・・・。

手配を終えると、もう翌日になっていた。
やらなければならないことが頭の中をぐるぐるする。
結局あまり眠れないまま、朝になり。
親を亡くす、という初めての体験は、ごくごく
散文的な、事務的なかたちで進むことになってしまった(涙)。
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予期はしていた、が [生活]

一週間余り前の夜遅く、父が亡くなった。
亥年、一月生まれだったので、九十六歳と二週間。
三年前から施設に入り、その後、認知症は進んでいたが、
食欲は十分すぎるほど。でも、去年は何度か、病院の
お世話になり、ついに施設を退去。
点滴のみが頼りとなったのが昨年十月末。

あれからなんどか危機的な場面はありながら、持ち直していた。
すごい、なんというラストスパートだろう、と思っていたが。

この時期に逝かれるのは、ほんと、困った。
「塔」関係の雑用が沢山あって。その他にも・・・。
父は時々、酷く意固地な面があったが、
これは最後の意固地、いや、最後まで意固地・・・。
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歌集のおまけ? [短歌]

歌集を読んでいると、わからない言葉や読めない漢字が
沢山登場する。初めて買った歌集二冊、についてどこかで
書いたことがあるが、一冊は『中条ふみ子歌集』、そして
『安永蕗子歌集』。前者はすいすい読めたが、安永氏のは
初心者には難解な上、知らない言葉、読めない漢字などが多く、
苦慮したことを覚えている。それでも読み続けたのは、何か
惹かれるものがあったからだろう、実際、今は
かなり好きな歌人の一人である。


年代の異なる歌人なら、言葉が分からないのは当然と思うが、
余り年齢の違わない、つまり十歳くらいしか違わない人の
歌集でも、知らない言葉が頻出して戸惑うことがあるのだが。
私の場合、それは仏教用語に関する言葉を知らないから、と
気がついている。たとえば、最近読み返した伊藤一彦氏の
『微笑の空』のなかに、こんな歌があった。

  草の上(へ)に足拍子とるをさなごの白き拈華に目をみはりけり
                   伊藤一彦『微笑の空』

拈は「ひね(る)」と読むので、ここは「華をひねる」ということに
なるのだが、はたして・・・。辞書を引くとやはり仏教に関係する
言葉として「拈華微笑」という熟語が出てくる。ちなみに「拈華」
だけの熟語は、漢和中辞典や日本国語大辞典にも出てこない。

「拈華微笑」は、釈迦が蓮の華を取って弟子に示したところ、迦葉
だけがその意味を汲んで笑った。そこで釈迦は彼にだけ仏教の
心理を授けた、という故事から、生まれているらしい。
心から心へ直接伝わる、
つまり以心伝心、みたいな意味らしい。となると、
伊藤一彦さんの上記の歌は、子供の足拍子から何か、とても
貴重な真理を得た、ということになるだろうか。
短歌の難しさは、こう言うところにも潜んでいて、だけど、
難しい歌ほど、長く心に留まることも確かなのだった・・・。
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題詠 心の鬼 [短歌]

昨日の横浜歌会、題詠の月で、出題されていた題が「心の鬼」。
節分の日だったので、そこに掛けての題だっただろうけれど。
なかなか難題だった。私は最後まで歌が詠めず、締切ぎりぎりに
提出。参加者も減るのでは、と危惧したのだが何と!
二十名を超える盛況で、みんな扱い易い「心の鬼」を
飼っておられるのかなあ、と苦笑・・・。

想像していた通り、色々な形で詠まれていて、
ずばり、自分の心情に見られる「鬼」的な部分を詠まれた歌、
(嫉妬や嫌悪、憎悪、侮蔑など)の他に、視覚的「鬼」の登場
する歌、とか、心情を炎に仮託したのか、「火」の歌だったり
・・・とそれこそいろいろ。

最高得点を取ったのが、自分の心の鬼、と思って見つめたものが、
じつは「ココロノオニ」と発音の近い、ある昆虫だった、というもの。
語呂合わせのような、面白い作品だったこと、また、その昆虫が、
かなり身近によく見られる、つまり視覚的再現性が高かった、という
ことが人気の理由だったようだ。視覚に訴える作品はいつも人気が高い。

でも、もっと直球勝負の歌が読みたかったかな、と言う気がした。
自分の歌も、心の鬼を見つめきれないでいる歌になってしまった。
鬼は確かにいるんだけれど。なかなかピントを合わせて、言葉にする、
というのが難しい。

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ちひろ伝 [藝術]

いわさきちひろという画家に興味を持ちだしてから、
彼女が手掛けた絵本を何冊か手にとってみた。
ちひろ美術館が都内にあることも知っているが、
こちらにはまだ、足を運べていない。

最近図書館で『いわさきちひろ』(講談社+α文庫)という
本をみつけて、読んでみることに。著者は黒柳徹子と飯沢匡。
黒柳がちひろにゆかりのある人々と対談した内容が、
飯沢が取材して書いた伝記の間に挟まれる、という構成になっている。

ちひろが描いた絵がところどころに掲載され、特にプロデビューする
前の、戦後まもなく描かれた市井の人々の姿を捉えたデッサンなどが
多く含まれている点。また、ちひろは書道にも打ち込んでいた時期があって、
書道の持つ、一気性や余白を生かすという特徴などが、その後の画業に
生かされている、などの点を知ったことなどは大きな収穫だった。

彼女が多く、赤松俊子(のちの丸木俊子)から大きな影響を受けた、
ということも、私は知らなかったが、色彩や筆致に伺えることで、
腑が落ちた。小さな文庫ながら、内容の濃い一冊だったと思う。

ただ、飯沢匡、と言う人の文章には最後まで馴染めなかった。
劇作家として放送台本などに手を染めておられたことは、
良く知っている。子供の頃、テレビで名前をよく見かけ、
「匡」って、どう読むんだろう、と思った記憶も残っている。

だが、文章はどうなんだろう、たとえば

  ・・私は「ちひろ」の評伝を描こうと、俊子画伯を十年ほど前に
  訪れたときに、そこらあたりのことを聞かされたが・・・・・・。
   私にいわせれば、夫婦で原爆図の屏風を描き、それを持って
  世界中を回り展覧し、核廃絶運動を展開しているのに、十分な
  自信と満足を持っていると断じた。


このあたり、どういうことを言おうとしているのか、よくわからない。
 また、

  たとえば私は、あまり深く触れることをしなかった「男民」と
  綽名された「岡村民」という女性の幼稚園長の存在にしても、
  私には一つの大きな犠牲というほかないのである。

というあたり。意味はだいたいわかるが、何とも歯切れ悪い。
こういう読みにくい文章が、飯沢の担当部分に頻出するのである。
ちひろ本人は亡くなっているものの、一人息子の猛氏を始め、周囲の人々は
まだ健在である。彼らに気を遣っているうちに、筆が鈍ってしまった、
ということなのだろうか。
ちひろの絵の技術的な面は、この書によってよく見えてきたものの、
絵の本質的なものは、よけいにこんとんとしてしまったような気がする。
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