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ちひろ伝 [藝術]

いわさきちひろという画家に興味を持ちだしてから、
彼女が手掛けた絵本を何冊か手にとってみた。
ちひろ美術館が都内にあることも知っているが、
こちらにはまだ、足を運べていない。

最近図書館で『いわさきちひろ』(講談社+α文庫)という
本をみつけて、読んでみることに。著者は黒柳徹子と飯沢匡。
黒柳がちひろにゆかりのある人々と対談した内容が、
飯沢が取材して書いた伝記の間に挟まれる、という構成になっている。

ちひろが描いた絵がところどころに掲載され、特にプロデビューする
前の、戦後まもなく描かれた市井の人々の姿を捉えたデッサンなどが
多く含まれている点。また、ちひろは書道にも打ち込んでいた時期があって、
書道の持つ、一気性や余白を生かすという特徴などが、その後の画業に
生かされている、などの点を知ったことなどは大きな収穫だった。

彼女が多く、赤松俊子(のちの丸木俊子)から大きな影響を受けた、
ということも、私は知らなかったが、色彩や筆致に伺えることで、
腑が落ちた。小さな文庫ながら、内容の濃い一冊だったと思う。

ただ、飯沢匡、と言う人の文章には最後まで馴染めなかった。
劇作家として放送台本などに手を染めておられたことは、
良く知っている。子供の頃、テレビで名前をよく見かけ、
「匡」って、どう読むんだろう、と思った記憶も残っている。

だが、文章はどうなんだろう、たとえば

  ・・私は「ちひろ」の評伝を描こうと、俊子画伯を十年ほど前に
  訪れたときに、そこらあたりのことを聞かされたが・・・・・・。
   私にいわせれば、夫婦で原爆図の屏風を描き、それを持って
  世界中を回り展覧し、核廃絶運動を展開しているのに、十分な
  自信と満足を持っていると断じた。


このあたり、どういうことを言おうとしているのか、よくわからない。
 また、

  たとえば私は、あまり深く触れることをしなかった「男民」と
  綽名された「岡村民」という女性の幼稚園長の存在にしても、
  私には一つの大きな犠牲というほかないのである。

というあたり。意味はだいたいわかるが、何とも歯切れ悪い。
こういう読みにくい文章が、飯沢の担当部分に頻出するのである。
ちひろ本人は亡くなっているものの、一人息子の猛氏を始め、周囲の人々は
まだ健在である。彼らに気を遣っているうちに、筆が鈍ってしまった、
ということなのだろうか。
ちひろの絵の技術的な面は、この書によってよく見えてきたものの、
絵の本質的なものは、よけいにこんとんとしてしまったような気がする。
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