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スーパー銭湯宿泊記 [生活]

あちこちに、レジャーランド的要素も加味した
銭湯ができ始め、スーパー銭湯として定着しているらしい。
人気はちらほら聞くし、相棒もご愛用のようだが、
私は一度も行ったことがなかった。

私は田舎育ちで、物質文化と言う点では色々と
隔離された地域で育ったが、その分、住居だけは恵まれてて、
ずっと、家に風呂がないという状態を味合わずに済んできた。
家風呂が壊れたときに一度だけ、近くのお風呂屋に出かけたことが
あるだけ。公衆浴場というところにどうしても馴染めない感覚が
あり、温泉地にいっても大浴場には入らず、部屋の風呂だけで済ませる、
ということが多かったのだ。

近くのスーパー銭湯Mは、宿泊施設もあり、各種のお風呂と共に
マッサージ施設も充実しているという。
このところずっと多忙で、どこにも行けない状況が続いていたので、
この銭湯に宿泊して、一日のんびりしようか、ということになり。
先日でかけてきたところ。
どんなだったか、皆様にご報告しようと思います(続く)。

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お相撲、再び [スポーツ]

四年ほど前に、やはりこのブログでお相撲に
触れたことがある。あまり好きなスポーツじゃないが、
相棒が大の相撲好きなので、影響を受け始めている、と。

相撲で思い出すのは、三十数年前になるが、アメリカで
暮らし始めてしばらくした頃。イスラエル出身の友人が
できた。タミーという当時二十代半ばの女性だが、彼女に
日本を紹介する写真集を見せたことがある。
そこに相撲も掲載されていた。彼女は見た途端
「Fat (太ってる)!」と叫び、その後小さな声で
「Ugly(醜い)・・・」と呟いたのが聴こえてしまった。

普通、スポーツ選手といえば、だいたいが筋肉質で
身体が引き締まり、美しい体型をしているものだ。
お勤めしていた頃、同僚に男子バレーの大ファンがいたが、
もう、ほとんど選手をアイドル視していて、
競技を観に行くというより、憧れの選手を見に行く、
と言う感じだったことが思い出される。

そう観点から見ると、相撲はちょっと異様な世界だ。
一部の力士には、筋肉質で、均整の取れた体格の人も
いないではない。ほんの例外だが、たとえば、現在なら石浦。
力士としては小さすぎ、今後伸びてくるとはあまり思えないけれど。
彼は数少ない例外。
以前のブログで、「相撲取りって、まるでフォアグラ」
と書いた記憶があるけれど、その印象は今も強くある。

それでも、相棒に付き合って二週間見続けていると、
なんとも不思議なスポーツだ、ということがわかってきて、
まあ、それなり面白い。あの小さな土俵に、まるで米俵の
ように膨らんだ人たちがぶつかり合うんだから。
滑稽にして、凄まじい。

でも私が、今場所で一番面白かったのは、
稀勢の里の解説。土俵で見る人とは別人のように、
軽快で、回転の速い人だった! この落差・・・。

あれこれと言い合っているうちに、もう今日が千秋楽。
優勝するのは、定番の強い人(つまり白鵬)、
あるいは、彼が調子悪い時に、たまたま優勝する人
というどちらか一つで、回っているような最近の相撲。
それがややマンネリ化しているように見える。
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『歌仙はすごい』 [文学]

永田和宏氏らによる『歌仙はすごい』(中公新書)を
先日購入、瞬く間に読み終わってしまったところ。
楽しい本で、もっとゆっくり読めばよかった、勿体ない
ことしちゃった、と後悔しても後の祭り・・・。

連句なら、もう三十年以上前に、友人、と言っても私より
二回りも年上のTさんに教えてもらいながら、一度挑戦した
ことはあったのだが、私も短歌を始めたばかりの頃で、
言葉を組み立てるのに慣れておらず、ほんの入り口のところで、
止めてしまったことを覚えている。

東明雅著『連句入門』という本も購入しながら、とっつきにくく
感じてほとんど読まなかった。連句は難しい、という印象を
強く持ってしまっていた。ちなみに、現在では、
連句は歌仙とほぼ同義に使われている。

永田さんが小説家の辻原登氏、俳人の長谷川櫂氏らと歌仙に
挑戦し、その経過を記したこの著は、互いがどんなふうに
創作に苦しみ、工夫し、または作り直していったのか、が
実況中継のように綴られているので、とても親しみやすい。

男性三人なので、けっこう下ネタっぽい話も出てきて、
まあ、俳諧そのものが、ユーモアを尊重する分野でもある、
ということもあるだろう、とても楽しみながら言葉と
格闘している様子が伝わってくるのである。

始めて連句に試みたときは、色々と約束事が多いらしい、
と知って、そのことが煩わしく感じたことも思い出される。
あまり規則にとらわれないことが歌仙の楽しみ方の第一。
そして、最後に長谷川氏が描かれているように、己を捨て、
何かになり替わる、その軽やかな変身、転身、こそが
歌仙のだいご味らしい。短歌をやっていると、なかなか、
その辺りが難しそうだ(永田さんが苦労しておられる)。

機会があったら、私も挑戦してみたい、そんな気持ちに
させられる、さわやかな一書だった。
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ラジオ体操 [スポーツ]

少し前の当ブログで、昨秋から早起き(といっても
六時少し過ぎの起床)を始め「朝苦手」から脱却して
来ていることを書いた。その時間に起きると、Eテレの
ラジオ体操に間に合うのである(6時25分~35分)。
ちなみに、この時間に間に合わなかった場合を考え、
何種類かのラジオ体操のビデオも録画して準備してある。

始めて分かったことだが、ラジオ体操は曜日ごとに
担当の人が変わり、それによって内容も少し違うのである。
月、木が若い女性の講師、岡本さん、火、金が若い男性の
鈴木さん、水、土、日がやや年配の男性、多胡さん。

ラジオ体操第一と第二をやる日も分かれている、
第一が、月、水、金、第二が火、木、土、日曜が両方。
ラジオ体操がいずれも五分弱なので、その前に、
みんなの体操、と呼ばれる体操も取り入れられていて、
その他、講師の人がそれぞれの運動を紹介してくれる。

季節によっても少しずつ違い、毎日やっていても
飽きないような工夫がされている。
それで、今のところ、十月の上旬から五カ月余り、
一日も休まずに体操を続けている。これで
体調がよくなっているのかどうか、よくわからないのだが。

少なくとも今冬は、風を引いても悪化することなく過ぎた。
ただここにきて、花粉症は結構ひどい。これは体操とはあまり
関係ないのかも。涙目で、何もかもうるんで見える、憂鬱な春。
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オペラ・カルメン [藝術]

MET Live Viewingのカルメンを観てきた。
18-19年のシーズン、全十作は、11月初旬からほぼ月一作
ずつ、映画館で上映されるのだが、このところ忙しくて、
観たいと思っていた作品も次々に逃していた。
カルメンは是非、行きたいよね、と相棒と話していて、
ようやく実現。まだ、あの有名すぎるほどの曲の数々が、
頭の中で、ワンワン、鳴っている、感じがする。
それくらい、カルメンと言う演目は何度も観たし
(多くはDVDとか、だけど)、これからもまた、きっと、
演出が変われば、見に行きたくなるだろうと思う。

今回主役を務めたのは、クレモンテーヌ・マルゲーヌ、
今まで見たカルメンで、最も美しく、魔性の輝くような
役柄のぴったりの女性だったけれど・・・。
歌の方はどうなんだろう、今一つ、だった気も。
声が単調な感じがしたのと、すこし伸びやかさに欠ける、
という印象もあった。オペラでは、見た目も大事だし・・。
難しいところだ。

ホセを演じたのは、この役をやりなれているロベルト・アラーニャ。
さすがに安定感があった。静かな理知的な兵士が、カルメンの
妖しい魅力の前に、たちまち正気を失っていく。そんな一人の男を
見事に歌い上げていた。ちなみに、清純な言い名付け、ミカエラを
演じたA ・クルジャックとは、私生活でもご夫婦なのだそうな。
幕間のインタビューで「結局は、私がカルメンに勝つんです。彼を家に
連れて帰るんですから」という冗談に、つい笑ってしまう。

今回吃驚したのは、闘牛士を演じたアレクサンダー・ヴイノグラドフ。
色白のやさおもて。なんともすてきな美男子。でも、歌い出すと、
その声量のゆたかさ、押しの強さに度肝を抜かれる。
うっとりしているうちに、三時間余りがあっという間。
帰りの電車では、少し疲れてしまっていましたが。
またひとときの夢の時間を分けてもらいに行くことにしよう。
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横浜歌会二十周年 [短歌]

「塔短歌会」の多摩地区で歌会をしよう、と
有志が集まって、ちょうど二十年になる。
その記念に何かやりたい、と、つねづね思っていた。
でも、なかなかできないでいたのは、色々わけがある。

横浜歌会は参加者が横浜地区のみならず、多摩地区、
都内、川崎や湘南、静岡県などに広く拡散していて、
場所の選択がとても難しかったことが一番にある。
吟行の後には、当然、歌会もやりたいし、そのための
会議室が近くに確保できて、さらに雨天でもそれなりに
見て回れるところがあって、また歌会後の食事も・・・。
となると、場所がとても限定され・・・。

町田市内の芹が谷公園とそこに付属する国際版画館とで
吟行すれば、近くに比較的確保しやすい会議室があり、
また、飲食店も沢山ある・・ということで、
安直ながら、そこで吟行することにしたのだが。

三、四日前から、当日の雨の予報が出ていて、
案の定、朝から結構雨脚の強い雨が降り続いた。
さらに、気温も上がらず、震えながらの吟行となった(涙)。

近くのホテル内にある、けっこう雰囲気の良いレストランを
予約していたのだが。先月の横浜歌会では18名が参加を
宣言されていたのに、欠席者も増えて、結局、吟行には
12名、宴会は一人増えての13名、というやや寂しいものに。

でも、なんとか、二十年やってこられた、そして節目の
会もかっこつくくらいには、やれた、という達成感がある。
今度は誰かほかの方が、世話役をやって下さるのなら、
またどこかで、吟行会はやってみたい。

とにかく、次は25周年記念会を開こう、ということで
みんなの意見は一致した。当日参加の皆さん、
お疲れ様、そして有難うございました。

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父と写真(続) [生活]

私が子供の頃、父が最も熱中していた趣味は写真だった。
私が物心ついた頃、つまり、一般家庭にカメラが普及していなかった頃、
父は二眼レフ、あの箱型の、のぞき込んで写すタイプのカメラを
持っていて、よく家族を写してくれていた。さらに焼き増しする
ための道具を買いそろえ、夜には台所を一時暗室に変えて、
遅くまで、作業していたこともよく覚えている。

私は格好の撮影対象だったようで、私にあれこれと
ポーズを取らせながら、何枚も写ししてくれた。
子供だから、最初は単純に喜んで言われるままになっていたが・・。
すぐに飽きてくる。するとそれが表情や態度に現れてしまうので、
父のダメ出しも増えてくる。するとさらに撮影時間が長引き・・・
という悪循環に陥ってしまうことも多かった。

よく覚えているのは、五歳くらいの時。父の郷里に近い
新潟の海での出来事。真夏だったと思うが、海岸に人は少なく、
父は海を背景に私を撮影し始めた。母も妹もそばには
いなかったので、当時父と二人で帰郷した時のことだろう。

最初は機嫌よく写されていた私だが、だんだん、疲れてきた。
こっちを向いて、あっちを向いて、笑って、笑顔が不自然だよ、
と父の要求も多く、もう、限界、と思うのに、父は私を放免して
くれない。その、少しずつ私が不機嫌になる様子が、コマ落としの
ように、当時の数枚の写真にありありと残っている。
そして、最後に列車の中で、窓に横顔を押し付け、涙を
こらえているらしい、私のしかめっ面まで写っているのだ。

当時父は、趣味の写真クラブのようなところに、作品を
出していたこともあったらしい。仲間内から評価されることも
あって、ついのめりこんでしまった、ということらしいが。

そのうち、父がカメラを持ちだしただけで、ぞっとするように
なってしまった。父もあきらめて、自然撮影の方に移って
いったようである。夢中になるとのめりすぎ、周りが見えなくなる、
という性格は、私がしっかりと受け継いでいるところがある。
時々、父と同じことをやっているのでは、ときづいて、
愕然とすることがある。

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父と写真 [生活]

父が亡くなったとき、葬儀屋さんに「遺影用の写真を」
との申し入れがあった。頭の片隅でずっと、用意しなくちゃ、と
思いながら過ごしていたのに、いつの間にか忘れていた。
家の中の写真を色々思い浮かべても、父だけを単独で写した
写真は、あったのかどうか、思い浮かばない。
妹に聞くと、「こっちで何とかする」と言ってくれた。

葬儀屋さんはさらに「お通夜には、ご尊父様の生前の写真などを
用意して、皆さんでお偲びください」と提案してくれた。
それで、たくさんたまっているアルバムを片っ端から
開いてみたのだが・・・。何と、父の写っている写真の
少ないこと、少ないこと・・・。なんのことはない、
母や妹や妹の子や私を撮ってくれていたのは父で、
私達は写されることが当然、とばかり、撮影を
代わってあげようとはしなかったのだ。
ああ・・。と急にここにきて、少しばかり涙がこぼれた・・・。


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