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思いがけない歌集 [短歌]

昨日、郵便受けに入っていた一冊の歌集。
とても意外な方からの歌集だったので、驚いた。
作者Yさんは、私の相棒の大学院時代の同窓生Gさんの奥さん。
十二年ほど前、中国で開かれた学会に互いに夫婦連れで同席。
その時に私はこのご夫婦とは初対面だった。

学会の後、中国南部を一週間ほどかけて一緒に旅行し、
その折、彼女が短歌を詠んでいる、ということを
夫君のGさんからお聞きしたのである。
その時、YさんはGさんに
「いやだ、人に言わないで、って言ってるでしょ。
これから続けていけるかどうか、自信ないんだから」
と、仰っていたことを覚えている。

でも帰りの飛行機の中では、ずいぶんと色々、短歌の
話をした。どんな歌集がお勧めか、と訊かれ、
答えると、丁寧にメモされていたことは覚えている。
帰国後、私は自分の歌集をお送りしたし。
「塔」の大会が東京で開かれたときに、一般参加できる
講演のチラシをお送りし、来てもらったこともあった。

茨城での大会の時にもチラシを送ったのだが、その時はなしのつぶて。
歌はやめられたのかもしれない、と思っていた。

でも、こうして十年余り(出会ったときは、歌を始められた
ばかりだったのだ)も、歌に関わり続け、一冊にまとめるほどの量を
作っておられたんだな、とちょっと感慨深いものがあった。
私のことを覚えていてくださって、歌集を送って下さったということにも。
短歌が取り持ってくれた、不思議なご縁である。
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睡眠と起床 [生活]

みんな、何時間くらい寝て、何時頃に起きているのだろう。
私の両親は夜型で、特に母親は極端に朝が苦手な人だったから、
結婚する前は遅寝、遅起きが習慣になってしまっていた。
子供の頃、早く起きると、母は極端に不機嫌になったりした。

結婚してからは、しばらく公務員をしていたこともあって、
夜更かしは減ったものの、朝起きられない、と言うことが多く。
職場にはいつも時間すれすれに飛び込んでいた。
仕事を辞めてからの方が、早く起きられるようになったのはつまり、
職場に行くのが心底嫌だったからだ、と遅れて気づいた(アホだ)。

それでも早起きの習慣は身につかないままだったが・・・。
昨秋、思うところあって、起床時間を大幅に早くし始めた。
目標は、六時十分。そして、毎日起きた時刻をカレンダーにメモ。
この目標時間を、半分は達成できている。残りは、六時半前後。
一か月に数度、七時を過ぎてしまうことはあるものの。
長いこと続いていた「朝、苦手」から脱出しつつある。

良いことは沢山ある。まず午前中の時間を有効に使えること。
明るいうちは、きっと悪いことは起きない、と信じていたりするし。
夜、寝つきが良くなること(十時半には眠くなる)。

でも、この先、ずっと続けられるかどうかは、わからない。
そもそも、家族に問題があって、その不安が、こういう
生活に結びついているから。
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ゆるしの色 [短歌]

少し遅れて、「塔」一月号が届いた。このところ、
家族の問題でバタバタしていて、集中力に欠けてるなあ、と
自己分析しているところ。「塔」を読み始めても長めの文章が頭に
入ってこない感じ。とりあえず、例月の作品をあちこち
拾い読みしている。すると、こんな歌が目に留まった。

  むらぎもの心のような聴色(ゆるしいろ)あわいピンクとメモに書きおく
                      菊井直子
ああ、許しの色って、聴色、とも書くんだな、と改めて気づかされる。
平安時代の頃、禁色と呼ばれる色があった。身分の高い人しか身に着けては
ならない、とされる色で、私が知っているのは深紫、とか赤、黄丹色とか。
禁色に対して、誰にも許されている色があり、それを許し色、と呼んだ。
赤とか紫などの淡い色である。作者の菊井さんは、「淡いピンク」と
メモしておいた、と言う歌。上の句が素敵な一首である。
「むらぎも」は、心にかかる枕詞。

「聴」と言う字は「聴す(ゆるす)」とも使うんだなと知ったのは
数年前。「人の言うことを聴かないやつ」とか、よく言うけれど、
つまりは「心を許さない」という意味が含まれるらしい。
面白いな、と思っているうちに一首浮かんだことがあった。

  半顔を夕陽に染めつつ綿雲がふいにささやく「聴してはだめ」
                        岡部史

菊井さんの上記の一首もそうだが、私のこの歌も
「許」を使っては、台無しになってしまう歌である。
許可の許では、事務的過ぎて、ここはやはり、何か人間の
湿度の高い感情がまつわりついているような、「聴」でなければ。
 
  

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絵本を読む(その4) [藝術]

今回は絵本を「読む」というより「見る」というべきか。
東逸子絵、宙野素子文『月光公園』(mikihouse 1993年刊)
雑誌Moeで知り、その絵に惹かれて、当時すぐに購入したもの。
長いこと手にとっていなかったのだが、昨年六月から絵を描き始め
ふっと思い出して、すぐ手元の書棚に移し替え、何度も見るようになった。

この本は、大人が見るための本であって、読むためのものでも、
子供のための本でもないような気がする。
超絶的なテクニックを駆使して描かれた絵!

その幻想的な、怪しいまでの美しさに私は見るたびに
金縛りにあったように、視線を動かすことができなくなる。

年開けてすぐの2週間前、無謀にも模写を試みることに。
主人公となっている少年が、月光の降り注ぐ公園の中で、
軽く飛び跳ねている場面。全32頁中の一頁を選び模写し始めた。
近くには凝った形の噴水、そして不思議な形のオブジェ。
月の光を浴びた木木。うっすらと
黄味をおびている近い空、深い青の遠い空・・・。

全体が青と緑で統一されたような画面である。でも
その青と緑が、幾種類も描き分けられて出来上がっている頁である。
少年が着ている絹状の服も、うっすらと水色を帯びた白。

一枚目は大失敗。二枚目もうまくいかず、ついに三枚も描いたが・・。
東さんの技巧の凄さを何度も発見させられるような体験になった。
色彩が描く、一篇の物語、でも長い、長い物語を今も
読んでいるような気がする。懲りずにまた、模写しよう、と思う。

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映画・スーパーエイト [映画]

年明け早々、色々なことがどっと重なって、綱渡りしている
ような日々である。一週間ほど前は風邪っぽくて、このまま
寝込んだら、大変だ、と薬を飲んで早々に寝ちまったり(寝込んだ、と同じ?)。

昼間バタバタして、ようやく夜になると、ちょっとほっとする。
映画を見るのはそんな時間なのだが、多く見過ぎている、とも言えるわけで。
題名だけだと、見てないような。短い説明を読むと、既に見た映画のような
気もして。だけど見始めると、やはり見ていないようだ・・・。
という微妙な映画を見ている、というようなことが少なからずある。

確実に見てしまった映画は、見始めると数分のうちに思い出す。
そういう場合、問題ないのだが、「う~ん、見てないよね、でもストーリーに
既視感がある」と言う映画が一番困りもんだ。最近観た
「スーパーエイト」が、まさにそれ。

同年の男の子が数人、映画をつくろうとしている。
女の子をひとり役者として引き込み、深夜の駅で、
別れの場面の撮影に入るのだが、やってきた電車が
線路上の乗用車に衝突し、脱線、大破するのである・・。
その列車には、実は重要な軍の機密が隠されていて・・・。
少年たちが設置した八ミリカメラがそれを撮影してしまっていた。

う~ん、聞いたような話だ、と思いつつ、いつしか
映画の世界にのめり込んでいた。だいたい、よくありそうなだけに
魅力的な展開だし、アメリカの子供たちならではの奔放さ、
背伸びした感、満載で、何とも楽しかったのだ。

だって、どうみても12,3歳と思える少年たちの、
ある子はメイキャップや模型作りが得意、ある子は火薬づくり、
ある子は、シナリオ作り・・・。と大人顔負けの創造性を発揮したり、
こっそり親の車を動かして(勿論無免許)、深夜の駅構内に忍び込んだり。

日本の子供たちに、こんな羽目を外せる余裕はないだろうなあ、
とつくづく羨ましくなってしまうのである。

映画のストーリーはやはりありきたりな感じがするが
(だから既視感がぬぐえないのだろう)、生き生きとした子供たちの
演技と、大人たちの既成観念に抗して、自分たちの価値観を主張して
いるところが素晴らしかった。
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映画・羊の木 [映画]

お正月、WOWOWで録画しておいた映画の一本。
ヒューマンサスペンスという分野にくくられる作品のようだが。
原作は、山上たつひこのコミックスらしい。
北陸の魚深という町に、仮釈放された受刑者が住居と仕事付きで
受け入れられることになる。極秘の国家プロジェクトとして。
なんと六人も、そして彼らは全員殺人犯なのだった!
あり得ない、あり得ない、と思いながら見始める。

若い男性市職員の月末が担当者となり、六人を一人ずつ、迎えに行く。
若い男二人と若い女、中年の男と女、初老の男・・・。
それぞれ、立場も違うし、同じ殺人とはいえ、その罪の程度も
かなり異なる。でも、殺人犯だったことには違いなく・・・。

六人も一度に受容されたから、それぞれの立場の違い、というのが
わかり、ひとくくりにはできない、とはわかるのだけれど。

その分、展開が散漫で、サスペンスとしての緊迫感が薄れてしまっていた。
「ヒューマン」という部分より、サスペンスに重きを置いた方が良かった
のではないか、と私は思う。
つまり、元受刑者は松田龍平を中心に、二人か、せめて三人に絞り、
小さな町での人々とのふれあいと葛藤とを丁寧に描くべき
だったのではないか、と思われた。

「羊の木」は題名としては魅力的な感じがするが、なぜ
なのか、今ひとつわかりにくい。元受刑者の一人の女が、
槌の中から掘り出した絵皿のようなものに描かれていた絵が、
「羊の実っている木」で、彼女はそれを大切そうに部屋に飾っているのだが。

羊のなる木というと、マルコポーロが『東方見聞録』のなかで、
初めて綿の木を目にし「まるで羊のなる木」と驚いた、という
エピソードを思い出してしまう。当時西洋に綿がなかったからで、
私はこの本を読んで、こんな歌を作ったこともある。

 むくつけきマルコ・ポーロが「東洋の羊の成る木」と畏みて記す
           岡部史『コットン・ドリーム』

でも、もちろん、これとは全く関係ないみたいだ。
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素敵なご縁 [生活]

昨年末、親族だけの結婚披露宴が都内であった。
結婚したのは相棒の血族の女性。彼女は三年ほど前から
イギリスの大学に留学。留学中に出会った現地の男性と恋に落ち、
一年半ほど前に結婚したのである。
今回が、彼にとっては初の来日、彼女も結婚後は初めての帰国
(もう、来日というべきか)。

異国の人と結婚する、と連絡があった時、彼女の両親は
かなり葛藤があったようだった(詳しくは聴いていないが)。
何しろ、彼女は才色兼備で、自慢の娘さんだったから、
もう異国に奪われてしまうような喪失感に悩んだのでは、
と想像する。私なら、きっと、気が狂うほどの苦しみだったかも。

でも、両親は彼女の意思を受け入れ、(受け入れるしかなかったの
だろうけれど)、イギリスの彼の親族との顔合わせに出かけ、
そしてこの度は、日本の親族である私達との顔合わせ、となった。

彼女の選んだ人はどんな人なんだろう、とちょっとドキドキしたが。

彼は聡明で機転が利き、好奇心の豊かな、すてきな男性だった。
とても話が面白くて、つい会話も弾んでしまった。
アメリカ英語には慣れていても、イギリスの英語はちょっと
出だしの音がくぐもって聞こえることが多いので、うまく
会話できるか心配だったけれど、杞憂だった。
彼が、明瞭に発音するよう配慮してくれたのかもしれないが。

異国の人とまったく異文化の中で互いを理解し合って
生活していくことは本当に大変だと思うけれど。
上手くやって行けたら、その成果は何倍も自分を成長させて
くれるに違いない。そう思うと、すてきなご縁に恵まれたんだな、
と、心から祝福したい気持ちになっていた。

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