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映画「RUN」 [映画]

相棒が観たい、というのでWOWOWから録画した映画。
サイコスリラーという触書だったので、ちょっとビビる。
私はこのジャンルはかなり苦手なのだ(滞米時に、成り行きから
「ヒッチャー」を観ることになってしまい、途中から耐えられなくなって
映画館から逃げ出してしまったことがある)。この映画はどうだろう。

シングルマザーのダイアンと暮らすクロエは、先天的な病気で
車椅子生活を送っている。それでも自立を目指して大学入試を受け、
その結果の通知を待つ日々。ある日、母親から渡される薬に
疑念を抱く。そして難儀の末にその薬が、人間用に処方される種類のもの
ではなく、自分の歩行を妨げている原因になっているらしい、と気がつく。

自分に深い愛情を注いでくれていると信じていた母親が、
自分の自由を、しかも「歩く」という基本的な動作の自由を奪っていた!

娘に自分の行いを知られてしまった母親の、それからの行動は
さらに狂気に満ちたものになり、物語は恐ろしい展開を見せていく。

これは極端化された「物語」なのだが、「愛情」というものは、
往々にして相手の自由を奪う方向へ向かいがちなものである。
完全に無力で、生きるすべてを母親に依存していた乳児を、すべてを擲って
育て上げる母親の立場に立ってみれば、子供の自立は、すぐには
受け入れがたい、「裏切り」のようにも感じられるのではないだろうか。

映画の題名「RUN」についてだが、このRUNは、「走る」という
意味ではなく、「逃げる、逃亡する」という意味の方だろう。そこには
本来の「(両足を使って)逃げる」という意味が当然含まれていて、
母親によって足の自由を奪われた娘が、どのように「RUN」するのか、
という映画の一番の主題が掛けられているのである。
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いとみち [映画]

日本映画「いとみち」(2021年封切)、何の情報もないまま
録画していたので見たのだが。冒頭、青森県弘前市の高校の
授業風景から始まる。教師が生徒に順番にプリントを読ませている。
(ヘタな授業運びじゃ、と突っ込みたくなるが)、主人公らしい少女
が読み始めると、教室内でかすかな失笑が起きる。訛りが強くて、
私にもとんと理解できず、私は瞬間的にこの少女は、朝鮮半島から
移住してきているのでは、と思ったくらいだった。少し後で、
これが全くの勘違いで、少女はとりわけ津軽訛が強かっただけ、と
分るのだけれど。

津軽弁には、韓国語とのかなりの共通点があるような気がする。
特に抑揚が似ているような気がするのだ。冒頭からそうだったように、
この主人公の少女、いとの話す言葉が、ほとんど理解できない。
字幕が欲しい、と思うくらいに。子供の頃に東北(新潟県上越地方の
訛の方が強い山形県南西部だが)で育っている私ですらそうなのだから、
他の地域の人たちにはほとんど理解不能なのではないのだろうか。

でもそんなことはお構いなしに映画は進む。そして主人公のこころの
なかをのぞき込むように映画を観続けていると、何を話しているのか
少しずつだが、理解できるようになっていく。不思議だが、自分でも
ちょっと感動的、と思えることである。

圧巻は津軽三味線の演奏の場面。特に結末近くに、祖母のハツヱと
いとが合奏する場面は圧巻だった。主人公を演じているのは津軽出身の
駒井蓮だが、祖母を演じているのは、津軽三味線の第一人者、
高橋竹山の一番弟子と言われた、西川洋子だから、当然といえば
当然のことではあったが。

映画を観終わると、三味線の演奏をもっともっと聞きたかった、という
喪失感に襲われた。ずっと以前、学生の頃に映画館で観た「津軽
じょんがら節」をまた見てみたい、とも思った。
題名となった「いとみち」は、少女いとの進む道、という
意味かと思っていたが、これは三味線を弾いていると、爪に
できる糸状の溝のことであるという。この種の弦楽器は、
指にとって過酷だからなあ・・・。津軽に思いがある人、三味線の
音が好きな方には必見の映画です。
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ミセス・ソルジャー [映画]

このところ、映画について書くことが少なかったが、もちろん
ほぼ一日一本ずつ見てはいた。でも、なかなか、これは、という
作品に出会えないでいた。「ミセス・ソルジャー」も、特に
感動した、良かった、というたぐいの映画ではなかったのだが。

邦題が良くないよね。私は最初、戦争ものかと思った。特に
米国では女性兵の採用を積極的に進めているし、その方向からの
作品かな、と思ったのだけれど、戦争映画ではなく。原題も
「Take Back」と、至って地味な題。映画の題風に訳すのは
やはり難しいが、「蘇生」くらいが適当か。(記憶などが)蘇ること、
(何か失ったものなどを)取り戻す、というような意味の言葉である。

冒頭、四十歳前後の男女が、ボクシングの打ち合いの稽古を
している場面から始まる。男性が女性を指導しているらしい。二人とも
かなり高い身体能力をもっているらしいことがわかる。観客には、
このあと、どんな迫力のあるアクションシーンが見られるか、期待を
持たせる。二人は結婚四年目の夫婦で、妻のザラは弁護士、
夫のブライアンは護身術道場の師範で、オードリーという連れ子がいる。

幸福な家庭生活を送っている三人だったが、ザラがたまたま訪れた
コーヒーショップで、女性店員が男に脅され、危害を加えられそうに
なったのを目撃、素早く体が反応して男を撃退してしまう。
この時の防犯カメラの映像が流出し、メディアから注目される
ようになったのを機に、彼女の過去にまつわる犯罪集団が彼女に
復讐を仕掛けてくる。オードリーが、人身売買組織に誘拐される
という事態がおきてしまうのだ。

アクションシーンは、確かに見ごたえがあった。護身術には、
空手や柔道も用いられていて、所々に日本語が出てきたり、
ザラの家にある、日本刀が使われたりもする。だが・・・。
ストーリーとしては不自然な点、あまりにも強引な点が多すぎる。
「アクションを楽しめたのならいいでしょう」って、確かに
それもそうかもしれないのだけれども。
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キャラクター [映画]

映画「キャラクター」を観た。ストーリーのさわりを読むと、
かなり興味をそそられるところがあって・・。
漫画家を目指す山城(菅原将暉)には、キャラを描けない、特に
悪役がそれらしく見えない、という決定的な弱点があった。
諦めかけたその日、偶然、殺人の現場を目撃してしまい、
そしてちらっとだが、犯人らしき男・両角(Fukase)を見てしまう。

山城はそれを機に、一気にキャラが描けるようになり、
「34」(三銃士が掛けてあるらしい)の作者として、
人気漫画家の仲間入りを果たすことになるのだ。

こういう展開は魅力的だし、これまでも(マンガじゃないが)あった
ような感じがする。難しいのは、ここからどう結末に持っていくか。

正直なところ、この映画の展開の仕方には、納得できない
ところが多々あった。特に、最初の殺人事件の犯人とされた男、
(やや、認知症? 自分の行動を理解しきれていない)が、
両角に操られて、警官を殺害する、あたりはとんと納得できない。
ここまでこの浮浪者のような男を、活躍(?)させる必要があったのか。
他にも、観ながら、「変だ! 私だったらこうはしない!」と
何度も叫んでしまいました。

この映画で一番魅力的に感じたのは、山城が描く漫画「34」、
そのイラストが迫力があって、素晴らしい。担当されているのは
江野スミさんだそうである(私は知らないかった)。Fukaseの、
ちょっと不気味なサイコパスもいい。でもね、こんなほっそりとした
ヤワな男の子が、真昼、成人男性と十代半ばの男子を含む四人家族を
殺害するなんて(それもご丁寧にそれぞれ縄で縛りあげて)
ちょっと、これもあり得ない、感じがする。

映画は徹底して非現実世界を描く、それでいい。でも、
その非現実感に観客を没頭させるにも、現実的な詰めが絶対必要、と思う。

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折々の俳優・西島秀俊 [映画]

「押し」をめぐる人々の心情や行動を描いた小説が
話題になったりしている昨今。私が高校に入学した頃は、いわゆる
グループサウンズの最盛期で、同級生の中には鞄の中に着替えを
用意し、放課後そのままGSのコンサートに出かける、そして
会場の出口でお気に入りの歌手が出てくるのを待つ、いわゆる
出待ちをする、という人も少なからずいた。私には、理解できない
行動だったが。

ちょっと気になった俳優なら、思い浮かぶ人が一人だけいる。
出ているとちょっと注目してみる、という程度だが。
それは、西島秀俊。1995年公開の映画『蔵』で、蔵元の娘、
烈(演じたのは一色紗英)の相手役、涼太を演じていた。当時は
二十代の前半で、すでにテレビドラマには何度か出ていたらしいが。

私はこの時に初めてこの俳優を知った。そして記憶に留めるきっかけと
なったシーンを鮮やかに覚えている。こういう経験はほとんどないのだが。

主人公烈は造り酒屋の一人娘。舞台は新潟で、父の郷里でもあるので、
雪景色とか、祖父母が話していたそのままの越後弁とか、
なつかしくて見入ってしまったのだったが。
蔵元のところに手伝いに来ていた少年の涼太は、
次第に目が不自由になっていく烈を、列車事故から救ったことが
ある。その時は、涼太、烈ともに子役が演じていたが。

再会したとき、烈は涼太に向かってどんな大人になったのか、
興味を持つのだ。でも、もう見ることはできない。それで、おずおずと
近づきながら、「触ってもいい?」と問いかけるのである。

この時の涼太を演じる西島の表情が、素晴らしかったのである。
若い女性が近づいてきて、自分に触れようとする。照れ、戸惑い、
居心地の悪さを感じる一方、何か、自分の奥の感情をくすぐるものを
感じる。その表情から、涼太が烈にどんな思いを抱いているのか、
見ている人に感じさせる、そういう演技だった。
この俳優さん、かなりうまくなるのでは、と私はその時思った。

この十数年、凄い活躍ぶりで、ちょっと驚いているのだが。
映画「ドライブ・マイ・カー」も評判を呼んでいるらしい。
「蔵」を見てから二十五年以上経つ。もう一度見てみようか、と思う。
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ヒッチコック、再見 [映画]

先週一週間は私が所属する「塔短歌会」のブログ当番に
当たっていて、そちらのブログに集中していたので、自分の
このブログの方は、更新できないままでいました。
時間と興味のある方は、「塔短歌会」のHPも覗いてみてね。

このところのNHKのBSプレミアムでは、一週間に一度位ずつ、
ヒッチコックの映画を放映している。ヒッチコック作品はほとんど
一度は見ているのだが、何しろ随分前なので、もう一度見てみることに。

たとえば「暗くなるまで待って」とか「めまい」とか。ほんの
一場面くらいが思い出せるだけだったので、凄く新鮮だった。

「汚名」は、見ているつもりだったが、全部見終わった段階で、これは
見ていなかったのではないかと思った。一場面も思い出せる部分がなかった。

滞米時代、住んでいたアパートの近くの映画館に頻繁に
足を運んだのだが、その映画館で一度、「ヒッチコック特集」
が組まれ、なんと一気に六作品を上映、という日があった。
途中で、しっかり寝てしまったので、その時の作品だったかも(汗)。

先日放映されていた「レベッカ」は、一度見ている、と
確信していた。一緒に見た相棒も、「見たけど覚えていない」
と言っていたのだが・・・。
全部見終わった段階で、二人とも「実は、見ていなかった」という
結論に達した。そしていい映画だった、という点でも意見が一致した。

最近の映画では、感動や充実感が得られにくくなっている昨今、
古い映画をもう一度見る、或いは、観たと信じている映画を見直してみる
楽しみを与えてくれたヒッチコックに感謝! 
次はどんな映画に再会できるのか、それもとても楽しみ。
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異端の鳥 [映画]

2019年、チェコ、ウクライナ合作の映画である。
時代は第二次世界大戦下、場所はチェコ(一部ウクライナか?)。
全編モノクロ画面。
一人の少年が小動物を胸に抱え、森の中を必死に駆けている場面から
映画は始まる。やがて数人の大人たちに追いつかれる。
奪われた小動物は、その場で火をつけられる。転げまわり、
やがて黒い塊になるまでを絶望的に見つめるしかない少年・・・。
この災難は、少年にとって、ほんの序曲でしかなかった。

忍び寄るナチスから逃れるため、少年は田舎に住む高齢女性の
もとに預けられる。或る晩、その女性が亡くなっているのを知る。
驚愕の叫びをあげ、つい持っていたキャンドルを落し、
女性もろとも火に包まれる家から、必死で逃げ出す少年。

そこから過酷な運命の旅が始まる。
保護してくれるはずの大人たちはすぐに、少年をあれこれと
利用するようになり、暴力をふるい、時に凌辱する。その
残虐からようやく逃れても、さらなる残虐が少年を待ち受け・・。

映画の中で少年は一度も笑うことがない。ほとんど口もきかない。
恐怖の眼を見開き、啜り泣き、時に大声で泣き叫ぶ。
やがて、大人たちの様子を慎重に伺い、すきを見て逃げ出し、
時に旅人を襲って、持ち物を奪う。自分を傷つけた人に復讐する。
目と身振りだけで、これだけ観る人を引き付ける少年の
演技に驚きながら、三時間近い映画を長く感じずに見終えてしまった。

ナチスを扱う映画に、佳作が多いことにあらためて感動してしまう。

そして、欧州においてかくまでユダヤ人が迫害されてきたこと、
ナチスの超効率的殺人システムが機能したことに驚愕するのである。

もう三十数年前になってしまったが、滞米時、最も親しく付き合った
人の中にユダヤ人の若いカップルがいた。私は彼らと旅行もしたし、
3日と開けずに会い、たどたどしい英語ながら、様々なことについて
話し合ったものである。彼らは全てのことに一家言を持っていて、
感覚が鋭く、個性的で優秀だった。

ナチスの残虐について話題が及んだ時、それとなく理由を聞くと
彼女の方が、おどけた口調で「ユダヤ人は、嫌われていたのよ、
優秀過ぎたから」と言っていた。

英語のクラスにトルコ人の女性がいて、彼女は
「ユダヤ人は周りに結構いたし、差別もされていなかったけれど。
彼らはたいてい批評好きだった。いつもいつも誰かを、何かを
批評して、批判していたわ」
その口調が好意的ではなかったことを覚えている。

でも、だが。ナチスの暴虐はなお、私にとって、
不思議な霧の中。多分、多くの人にとっても同様なのだろうが。
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リトル・ジョー [映画]

2019年アメリカ制作の映画で、「ホラー」に分類されている。
密閉されたガラスの部屋で、沢山の赤い花が栽培されている。
その匂いを嗅ぐと誰もが幸せな気分になれる、という新種の花。
開発しているのは、10歳くらいの男の子を育てるシングルマザー。

その花の色は毒々しく、まるで意志があるかのように開いたり、
閉じたり。そして花粉を浴びた人には神経を犯すような
作用もあるのでは・・・。というように話は展開していく。
研究室で次々に異様な事故も起こり、いよいよ、赤い花の
危険性が現実化していくように見えるのだが・・・。

結末は、やや月並みな感じがしたのだが、この映画を観ながら
私が注目したのは、じつは映画音楽の方である。
私は普通、映画を観ているとき、さほど音楽に気が向かない方である。
ラジオなどで〇〇映画のサウンドトラックなどが流れて、
「ああ、そういえば、こんな曲が流れていたな」と後から気づいたり。
映画の筋を追いかけたり、主人公に感情移入していたりすると、
つい、音楽は抜け落ちている、ということが多いのである。

でもこの「リトル・ジョー」では、絶えず、流れる音楽の方に
気を取られた。なぜなら、その音楽がとても東洋風だったからである。
最初は、インドネシアのガムラン?と思ったのだが、すぐさま、
いや、日本の音楽だ、と気がついた。得体のしれない恐怖が
空を漂うような、横笛の響き。人の焦りをあおるような低い
太鼓の音。狂気が渦巻くような早い琴の音・・・。

映画を観終わってから、ずっとクレジットに目を凝らした。
こういうことは、普段はほとんどやらない。こんなときに限って、
映画のクレジットがひどく見にくくできていた。黒の画面を赤い
小さな文字で書かれていて、読みにくいことこの上なく・・・。

でも最後の方で、見つけた! 音楽を担当していた人の名を!
Teiji Ito とある。ああ、やっぱり、日本の音楽家だったんだ。

ネットで調べてみると、伊藤貞司、という作曲家がみつかった。
6歳で両親とNYに移住。とある。NYバレエ団の作品、Water Mill の
スコアを担当しており、この映画の中で流れていたのは主に
その中から選ばれたものだったのである。

伊藤は1935年東京生まれだが、82年に心臓麻痺で急死している。
あの音楽を聞くために、もう一度「リトル・ジョー」
を見るのも良いかな、と思われた。

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サウンド・オブ・ミュージック・ライブ! [映画]

サウンド・オブ・ミュージックという映画について
知ったのは、中学三年になる時の春休みだった、と
記憶する。当時の担任(女性)が春休みに家でパーティを
開くから、と女子だけを招いてくれた。担任は体育の教師。
その時に、サウンド・オブ・ミュージックの映画のサウンド
トラック盤を聞かせてくれたのだった。その中のドレミの歌、
の歌詞についても、説明してくれた。

私はこの映画にとても心惹かれるところがあったのだが。
実際に映画館で観る機会は訪れず(当時はまだ東北の
小さな田舎町に住んでいた)。二十年余りも後、我が家で
ビデオ用のデッキを購入して、レンタルビデオで見ることが
出来るようになってから、のことになる。期待通り、
素晴らしかった! どの曲も、本当に傑作ばかりで。

そしてさらに三十年余りも経った、先日。
今度はWOWOWで放映された「サウンド・オブ・ミュージック
ライブ!」を観ることができた! ああ、なんて幸せなこと!
この映画は、2013年、ニューヨークで上演されたミュージカルを
収録したもの。1959年に初演されたミュージカルに忠実に再演
されたものだそうだ。確かに記憶している映画のそれとは、
かなり異なった作品だった。でも、こちらの方が、音楽をより
重んじている、という印象があった。もちろん、先の映画で
主演したジュリー・アンドリュースは、ほんと、魅力的で
彼女なしでは、あの映画は成功しなかったのでは、とも
思えるほどだったけれど。そして、今回の「・・・ライブ!」
の方の主演、キャリー・アンダーウッドは、ジュリーほどに
弾けていないなあ、とは思うけれど。

総合的に見て、この「・・・ライブ!」の方の魅力も
捨てがたい。いや、聞く楽しさ、と言う点ではジュリー版を
上回っているような感じさえする。

聞いていて、涙が出そうだった。映画館で観たい、と強く
願いながら、かなえられなかった中学生時代を思い出し・・・。
早速、DVDに録画ダビングしました!
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バニシング [映画]

「バニシング」、原題は「Keepers」。2018年イギリス制作の映画。
冒頭近くに「Inspired by a true story」とある。
1900年にスコットランド沖にあるフラナン諸島で起きた
事件(事故?)がもとになっているのだった。

フラナン諸島を地図で見てみると、イギリス本島のかなり
北西側。ほとんど大西洋の外洋に面する島群である。
この中の灯台だけがある小島から、トマス、ジェイムズ、ドナルドの
三人の灯台守(Keepers)が、忽然と消えてしまう。色々と調査されるが、
真相は謎のまま。百年余りを経て、この謎に挑む形で映画化
されることになったわけである。

トマスは若い時に妻子を亡くしていて、影のある初老の男。
ジェイムズは力もあり知恵もある中年の男で、もう一人
若いドナルドは、思慮にも教養にも欠けた、はすっぱな感じの青年。
灯台以外に何もない、小さな島に常勤するとなると、
やはり、どこか世捨て人の雰囲気をまとうのも当然だろうか。

イギリス映画は、あまり美男美女は登場しない、という印象がある。
だが、多くの俳優が個性的で、演技のうまい人が多い、とも思う。
灯台守を演ずる三人も、どなたも美男ではないが(失礼!)
それぞれ個性的で、たちまち映画の世界に引き込まれてしまう。

三人だけの島に、ある日、ボートが流れ着き、側には一人の
男が横たわっている。救助に向かったドナルドは彼が死んでいる、と思い込み、
側にある木箱を先に引き上げようとするのだが。突然、男に
襲われ、殺されそうになる。ドナルドは反撃し、男を殺してしまう。
引き揚げた木箱の中には、金塊が収められていた。

やがて、一艘の船がやってくる。二人の人相の悪い男を乗せて。
彼らは、ボートの男の消息と、木箱について質してくる。
とっさに嘘をつくトマス。そして、この小さな孤島は
血で血を洗う、争いの地となってしまう。

実際のフラナン諸島では、争いの跡はなかったらしいので、
映画はフィクショナルに展開されたもの。
でも、登場する俳優たちの迫真の演技で、実際にあったかの
ように錯覚してしまう。

ほとんど期待せずに見たのが良かったのかもしれない。
でも「バニシング」という邦題はやはり、変だと思う。
実際のフラナン諸島の謎は、まさにバニシング、消失、
だったが、映画の展開とその結果は、消失ということではない。
「灯台守」では、観客を動員できないんだろうなあ、と思う。
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