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ジュディ 虹の彼方に [映画]

『オズの魔法使い』は、アメリカの代表的な児童小説で、
私は小三の時に授業で紙芝居を見せてもらって、大ファンになった。
我が家では一年に一、二度、大きな書店で好きな本を一冊だけ
買ってもらえる日があった。私は自分の本はすぐに選んだが、
妹が決められないでいる間に、『オズの魔法使い』を目にしてしまい・・・。

妹に「絶対に面白いから」と押し付けるようにして買わせた
記憶がある。カタカナがまだ読めなかった妹のために、ルビを
振ってあげる約束をしたのだが、最初の二頁にだけでサボってしまい、
その証拠の本は、今も私の手元にあるのだった。

映画『虹の彼方に』を見たのは、それよりずっと後だが、制作は
1939年というから驚く。美しい映像で音楽も素晴らしく、アメリカ人
たちが熱狂したのも無理ない。主人公を演じたジュディ・ガーランドが
アメリカ人たちの、永遠のヒロインになったというのも、うなづける。

映画『ジュディ 虹の彼方に』は2019年制作。ハリウッドを代表する
女優となったジュディの晩年を描く、伝記的な作品である。
『オズの・・』で名声を勝ち取り、スターの座をまっしぐらに
駆け抜けていたようなイメージがあったが、しかし・・・。

彼女は他人が持つ自分のイメージと、自我との間で長く
苦しんできた人のようである。ショーの遅刻、無断欠勤、はては
客への暴言、などの形で露見することになり、次第に信頼を
失っていく。どんな人にも起こり得そうなことで、見ていて
辛くなるのだが・・・。

ジュディを渾身の演技で表現したのが、レニー・セルウィガーで、
彼女はこれで第92回アカデミー賞の主演女優賞を得ている。
映画の中で聞かせてくれる、歌唱も素晴らしい。
再起をかけてのロンドン公演、最後に歌われるのは、勿論、『虹の彼方に』。
ただ真直ぐ、夢に向かって歩いていくしかない、という
メッセージに胸を突かれる。

晩年を描く伝記、と前述したが、ジュディが亡くなるのは、
ロンドン公演の僅か半年後、47歳という若さだった。
『オズの魔法使い』を愛するみんなに見てほしい映画だった。
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リデンプション・デイ [映画]

WOWOWで放映されていた映画を録画して観た。
邦題は「リデンプション・デイ 償いの日」、原題は「Redemption
Day」である。redemptionとは、余り見ない単語だが、償却、兌換、
償い、などの意味の他、神学の用語で「救い」などが辞書に載っている。

映画はもと海兵隊員のブラッドが、IS掃討作戦のためにシリアへ従軍。
そこで死地をくぐる経験を場面から始まる。帰還後も、戦地での
経験の悪夢、フラッシュバックに苦しむ。
そんな彼の妻は考古学者で、遺跡の探査のためにモロッコを訪れ、
ほんのわずかに国境を越えてアルジェリアに踏み入ったために、
テロリストたちに拉致されてしまう。ブラッドは妻を救出するため、
戦地でのトラウマを振り払うように、現地に向かう。

と、これでもう展開は読めてしまう。アメリカ映画にありそうな、
まさに自分を取り戻し、救いを得るための挑戦に立ち向かう、
という映画のようなのだが・・・。

テロリストたちとの攻防は迫力があって見ごたえがある。
単に銃撃のみならず、肉弾相撃つ戦いのシーンも用意されていて、
娯楽映画としてもよくできている。そして家族愛が勝つ、という
お定まりのラストへ向かって、真直ぐに映画は進む。

ここからはややネタバレになるので、これからこの映画を
見ようと思われている方は読まないでください。

アメリカの英雄は妻の奪還に成功し、また辛い戦争体験を
ようやく克服する。それに、妻のお腹にはすでに彼らの
二世が宿っていたことも判明する。めでたし、めでたし・・。

英雄的な行動の陰に、だが、大きなたくらみが隠されていたのである。
最期の数分、知らない男が出て来て、なにやら大物らしい男に、
ねぎらいの言葉を受けている。あれ、これ、誰?
少し巻き戻してみて・・ああ、この人、考古学者の妻を
遺跡に案内した運転手だったのでは?
国際間の取引のために、うまく仕組まれた拉致劇、だったのか?

外国の映画は、登場人物の顔がよく覚えられなくて、
意味が掴めないことって多いよね。ちなみに私は学生時代、
洋画はいつも二度見ていました。当時は入れ替え制じゃなかったし・・・。
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ウエストサイド物語 [映画]

このミュージカル映画を観たのは、いったい何年前だろう。
音楽はかのバーンスタイン。幾つもの名曲が耳に蘇るが、
場面で思い出せるのはほんの二、三シーンのみ。

お正月にBSプレミアムでミュージカル映画の特集を
行っていたので、既にみていたものばかりだが、幾つか録画して
再度見ることにした。「ウエスト・・・」もその一つ。

見始めて、う~ん、やっぱ、古いなあ、という印象が・・。
車とか街並み、登場人物の髪形や服装なども。
それでも、音楽が鳴り始めると、俄然映像が輝きだすように見えて、
これはミュージカルの魔法、だよね。

一度見ている映画は、再度観ているうちに、思い出す場面も
多いのだけれど、この映画は、冒頭のシーンが懐かしかった後は、
ずっと、ずっと・・・。
フェンスのある広場で対立する二組がぶつかり合い、
互いにナイフを出す、というところまで、思い出せる場面は
全くなく・・・。

これでは、初めて鑑賞したのと変わりないようなあ、と
われながら呆れてしまった。でも、ということは・・・。
一度見た名画をもう一度見たって、まだまだ楽しめる、ということ。
新作というだけで、内容のない映画が多すぎる昨今。
古い名画の再鑑賞が、今年は増えそうである。
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ガス灯 [映画]

イングリッド・バーグマン主演の、すでに古典、といっていいような名画。
私は、彼女がなくなって間もないころに、自由が丘にあった名画座で
観た記憶がある。亡くなった名優を惜しんでの企画だったと思う。
調べてみると彼女が亡くなったのは1982年。まだ勤めていた頃。
そう、もう三十八年も前のことになるのだった!

最近、BSで放映されていたので、懐かしくなって録画して観た。
筋はほとんど覚えていなかった。ただ、バーグマン演じる若妻が、
まだ新婚と呼べそうな時期。夜、夫が仕事と称して外出するその数分後に、
必ず、室内のガス灯の灯りが細まることに、
疑念を抱き、美しい眉を顰める様子が、印象に残っていただけ。

あらためて映画を観てみると、この場面はほんの一、二度、
それもごく短く映し出されるだけだった。でも、ここが映画の
要、ともいえるわけで、特に印象深かったのは当然かもしれない。

ほとんど毎日のように映画を観てる私は、すでに観ているのに、
「見てない」と勘違いして同じ映画を観てしまうことも多い。
もちろん、この「ガス灯」のように、観ているけれど、もう一度
観たい、と思って再度見ることもある。そのたびに思うのは、
覚えている場面と、全く覚えていない場面との差、である。

どうしてこんなところを覚えていて、肝心なところを忘れているの
だろう、と我ながら笑ってしまうことが多いからである。
キアヌ・リーブス主演のサスペンス『ノック ノック』は、
家で録画してすでに見ている、と言っているのに、相棒が見てない、
と言い張るので、二人でもう一度見ることになった映画。

彼は一度見た映画だと、必ず途中で「ああ、やっぱ、観た」と
言い出すのであるが、この映画は最後まで
「見ていない」と言い、思い出すことは何もなかった。

この映画は、主役のリーブスが演じる、家庭的な男を、
セクシャルな若い美女二人が、まんまと罠にかける、というもの。
私が鮮明に覚えていたのは、リーブスの妻(彫刻などを手掛ける芸術家)の
作品を、美女二人がズタズタにする、という場面だけだった。

なんでまた、こんなところ覚えていたのかな、と考える。
「こんなものが、いったい何になるの?」と言い放った、
二人の若い女性の言葉が、強く胸に引っかかってしまっていたのかも。

『ノック・ノック』は特にいい映画、とも思えなかったが、
一度見た映画をもう一度見るのは、また何かしら発見があるものだ、
とあらためて感じるきっかけとなった。自分が映画から受けとるものは、
意外に映画の大筋とはそれている場合も多いのかも、とも思うのである。
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評決のとき [映画]

1996年制作のアメリカ映画。最近WOWOWで放映された。
法廷ものは大好きなので、既にみていたかも、と思いながらも
録画を見始める。まだ見ていなかった! 得した気分。

原作は「ファーム」などの映画の原作者としても名高い
ジョン・グリシャムである。彼はミシシッピ大学のロースクールで
学び、その後法律事務所を開いていた経験があり、この作品も
当時の経験が下地になっているのだろう。

ミシシッピの架空の町が舞台。10歳の黒人少女が白人の
青年二人に強姦され暴行される。少女は命はとりとめたが、
以後、妊娠は不可能な体になってしまう。悲嘆する家族。

被害少女の父親は激怒し、逮捕されて連行される加害者二人を
ライフル銃で射殺してしまうのである。警官も流れ弾にあたり
重傷を負う。この事件の弁護を任されるのは、父親の旧友でもある
一人の白人青年弁護士。かれの弁護活動に反対する彼の家族や友人。

殺された白人青年の弟もまた激怒し、鳴りを潜めていたKKKを
再組織して、過激な行動を繰り返すようになる・・。

それぞれの立場の人たちの感情が絡み合い、それに従って
さまざまな暴行事件や小競り合いが起き、小さな町を二分する
状況に発展していってしまう。
そして、やはり法廷の場面に見ごたえがあった。陪審員は全員が白人。
青年弁護士は絶望的な戦いをしているように見えたのだが・・・。

少女に対する暴行は確かに痛ましいものであり、家族には限りなく
同情する。長い差別の風習が生んだ事件であることを合わせて、
被害者感情が高まるのはよくわかる。自分がこの父親の立場なら、きっと
同じ行動をとりたい、という気持ちをおさえきれなかっただろう。

でも、殺人となると、どうか。二人を殺害し、無関係の公務員
ひとり重傷を負わせているのだ。それなのに・・・。
日本人にはなんとも、納得はいかない結果になるのである。
こういうことでは、人種間の溝は深まるばかりなのではないか。
この映画ができて四半世紀、ほとんど変わっていないアメリカの状況が
それを裏付けているようにも思えてしまうのである。
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ウオーデン 消えた死刑囚 [映画]

WOWOW で放映されていた映画。録画しておいて、
先日見た。大好きなイラン映画、そして意外にも分野は
サスペンス、とある。はて、どんな作品なのか。期待は高まる。

1950年代、ある刑務所が舞台。建物が取り壊されることになり、
所長は作業に追われている。すべての囚人を大型バスに分乗させ、
移設先へ送る。その移送作業が滞りなく済んだ、と思われる頃、
組織の上役が現れ、所長に転任の話があることを打ち明ける。
それはかなりの栄転であるらしい。所長は驚きの表情だけを
見せるが、周囲に人がいなくなると、小躍りする。その辺りから
大抜擢らしいことがわかる。のだが・・・。

刑務所の移転先から連絡が入る。なんと囚人が一人足りないと。
移送のごたごたの間に逃げ出した囚人がいたのである、それも
三週間後に死刑が決まっている三十代の男!所長は焦る。
ここでチョンボしてしまえば、栄転はナシになってしまうだろう。

囚人服が脱ぎ捨ててあるのが見つかる。さらに大量の黒い靴墨も
また。空っぽの靴墨の容器がみつかって・・。男は裸体に靴墨を
塗って、逃走したのか・・。そこへ福祉士の女性が所長に
こう告げる。逃げた囚人は、実は無実なのだと。

女児を連れた女も現れる。建物を壊さないで、夫がまだ、
どこかに潜んでいるから、と。所長は刑務官を集めて、
所内をくまなく調べるように、と指示する。

所長の慌てぶりが滑稽に描き出される。小さな子供にまで
疑いの目を向け、周囲のひんしゅくを買う。そして、
逃げた囚人がどんな男だったのかが、少しずつ見えてくる。
ちなみに、本人は最後まで、映像に登場しない。いや、ちらっと、
その黒い影が一瞬遠望されるだけなのである。

サスペンス、と呼ぶには少々、無理があるような気がする。
登場する人々がものすごく人間臭くて、その個性の
ぶつかり合い、と見た方が楽しいからである。子役の演技も
ごくごく自然で、イラン映画ではいつも感心させられるのだが、
この映画でも、刑務所という場違いの空間で、ほとんど演技なんか
していないような子供の動きや表情が新鮮だった。

さて、結末は・・・。やはりここでは触れないでおこう。
久しぶりに名画を堪能した、その充実感だけを記しておこう。
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ダンスウイズミー [映画]

「ウオーターボーイズ」で頭角を現した、矢口史靖監督の
作品。日本で製作されるミュージカルは少ないので、少々
期待を持って、でも期待しすぎないように心して、観た。

このところのコロナ禍で、家籠りの日日。ひたすら家事を
こなす。とにかく家事家事家事、の合間に本を読み、
少し運動し、絵を描き、そして、家事家事・・・の日日。

こう言う状態でこの映画を観た、ということが良かったのかも。
内容はほんと、しょうもない感じ。でもそのアホらしさが、
今の私には嬉しかった。音楽を聞くと、踊り出さずには
いられない、なんて。そう、暇があったら、踊っていれば
運動不足も解消されるし、余分な心配事もしなくて済む。

でもこの映画、途中からロードムービーっぽくなって、
つまりあのエセ催眠術師を追いかけ始めるところから、
音楽が聞こえた途端に、弾ける様に踊り出す、楽しい
場面ががぜん少なく、さらに地味になってしまうのは、
ちょっと残念な気がした。

踊りも歌もそんなにうまくはなくて、その素人っぽいところが
逆に日本人には好ましく思えるのかもなあ、とも。
フレッドアステアみたいにうまかったら、嘘っぽいもんね。

ああ、ミュージカル、オペラ、観たいなあ。
NYで観た、「オペラ座の怪人」が素晴らしかったこと、
映画館で今年は「ポギーとベス」が、さらに
「さまよえるオランダ人」が観られるはずだったのに!
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映画「運び屋」 [映画]

テレビのおせち番組は見ず、録画していた映画を観る。
「運び屋」は、クリント・イーストウッドが監督兼主演。
中南米系の作業員を雇って、小規模の花卉農園を営む
アールは90歳。農園の経営も行き詰まり、差し押さえの
連絡まで来ている。でもまだまだ元気な彼は、農園の
再興を期している。

すでに離婚していていて、一人娘とは絶縁状態。
これまで一人勝手に生きてきたら、自業自得だが、
好きな農園の仕事を失い、素寒貧となれば、孤独地獄に陥ってしまう。

その彼が、ある場所からある場所へ、車を運転だけしていれば
収入を得られる、という仕事を引き受ける。しかも高額の・・・。
とあれば、何を運ぶのか、薄々察しがつくというものだが。

彼はその収入によって、農園を買い戻し、昔の友達に
大盤振る舞いをして、交友関係を取り戻し・・・。
まさにバラ色の90代を生きようとするのだが・・・。

イーストウッドが、すごくいい。傲慢で頑迷で、
男なら、こうしか生きられない、というぎりぎりのところを、
あの渋い表情で演じきっていて。

そこへ、麻薬カルテルの絶滅を期する警察の手が迫ってくる。
でも、彼らの「運び屋」のイメージには、こんな「高齢者」は含まれない。
それが隠れ蓑になって、暴走していくアール。痛快である。
高齢化社会の映画の可能性の高さを端的に示してくれた映画。
年を取るのも、まんざらではありませぬ。いや、犯罪を賛美
しているわけではありませんが。
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映画「寝ても覚めても」 [映画]

WOWOWで放映されていた映画を録画して観た。
18年日本制作のWOWOW初登場、監督は濱口竜介。
東出昌大が一人二役を演じて話題を呼んだ、とか。
ヒロイン役は、新人の唐田えりか。ちょっと期待して観た。

大阪で暮し、奔放な青年・麦と愛し合うようになる朝子。
だが、まもなく麦は姿を消す。東京に引っ越した朝子は
カフェで働くようになるが。近くのオフィスで働く青年、
亮平が麦にそっくりであることに驚き、やがて、亮平と
愛し合うようになる・・・。

この手のストーリーとなると、少々、展開が見えてくる。
そっくりさんは、顔は同じようでも、性格は違う。それも、
かなり異なる、という設定になる。見かけが同じだから、
と心を許し、近づいて行っても、それは別人。理屈では
分っていても、なかなか、感情的には切り替えができない。

モデルとして世に出るようになった麦が、朝子を迎えに来る、
というあたりから、展開が不自然になる。五年も放っておきながら、
いったいどういうことなのか。有名人になっているはずなのに、
いきなり朝子を「北海道に行こう」なんて、車で誘い出すなんて。

女の子には、麦のような奔放で華やかな性格にあこがれる、という
傾向は確かにある、と思える。思い切りの良さ、強い個性と、
自分だけにささげられる、ささやかだが確かな愛情との間で、
揺れる、ということはある。

でもこの映画の場合、朝子の心の揺れが十分に描けていない、
という気がした。北海道への逃避行の途中、急に亮平のもとへ
戻ろうとする、その契機も弱い気がする。ここでなら、一人に
されても、近くに知った人がいて、助けてくれる、そういう
打算が働いたのか(彼女は震災後の東北でボランティアをしていた)。
随分陳腐な展開に見えてしまう。

映画の最後の、亮平を演じる東出の表情は良かった。
帰ってきた朝子を最終的に受け入れながら、
「もう、二度と、君を信用することはない」と言い切る表情が。
それにしても「寝ても覚めても」って、題はナンなんだ、と思う。
もう少し、マシな題にしてよ、と突っ込みたくなる。


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トゥモロー・ワールド [映画]

「もう、見る映画なくなっちゃったよ!」と、やや
投げやりに相棒が言い出したのは一昨日。WOWOWの
番組案内を見ながら、録画すべき作品がないのだそう。

何か一つくらい、まだ見ていない逸品があるかも・・。
と、探し出して録画しておいたのが昨日早朝に放映されていた
「トゥモロー・ワールド」監督はアルフォンソ・キュアロンだし、
もしかして・・・。と少しばかり期待していたのだが、これが
やっぱり、未鑑賞の逸品だった。

時は2027年、制作された2006年から見ると、「近未来」かも
しれないが、現在からはもう、つい明日のこと、だ。
人間は生殖能力を失い、もう18年も子供が生まれておらず。
世界で最も若い少年は、近づいた人に唾を吐いて殺されてしまい
(よほど、ちやほやされてたんだろう)、いよいよ、子供が一人も
いない世界になってしまう。場所はイギリス。
駅のフォームでは、不法移民を詰め込んだ大きな檻が
林立し、街中は生きることに絶望した人々に溢れかえっている。

治安の悪さに、軍と警察とが異様なほどの統制を敷き、
さらに人々の自暴自棄をあおるような状況。

そんななか、一人の若い女性が妊娠していることがわかり。
一筋の希望を見出した、エネルギー省の若い官僚が、彼女を
守るべく奔走する、といった展開なのだが。

筋にはいろいろ無理はあるかも知れないが、このところの
中東や中南米の政治不安や、それによって生まれる大量の移民、
移民による社会不安によって加速する自国主義、貿易摩擦、
そして先進国の出生率の大幅低下、高齢化問題などなど。

このトゥモローワールドは、もう明日というより、今に迫った
問題をそのまま映像化しているような迫力を持っていた。
とにかく、荒廃した街並み、そこで繰り広げられる、
軍や警察と、市民、移民たちとの攻防はすばらしく
リアルで、ときどき、息苦しくなりそうなほど。

原題は「Children of Men」、「人類の子供」である。
こっちの方が色々と含みが多くて魅力的なはずなのだが。
特に最後の場面、無事子供を産み終え、その子を守り切った女性が、
軍の銃撃を受けて、ボロボロに荒廃した建物から
降りてくる場面・・。赤子の泣き声が響き、銃声がやみ、
いかつい兵士たちが、ふっと頬を緩めながら女性に
通路を開けてやる場面が印象的だから。

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