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母の言葉 [生活]

「県庁に勤めていたのは、十代の終り頃ね。
でも、仕事がつまらなくて、やめたい、やめたい、って
ずっと思っていたの。他の仕事を紹介してくれる人がいてね」

母は二十歳を過ぎてから親元を離れ、雪深い小さな町の
工場に勤める決心をしたのだそうだ。

「庶務課勤務、って言われたけれど、断ったの。
工場の方が、ずっと面白いのよ。砂みたいなものや
鉄くずみたいなものが、全く違った製品になって、
流れ出てくるんだから。見ていて飽きなかった」

その小さな町に赴任してきた父と知り合い、
私が生まれたのだ。この若い日のときのことを
語り始めたのは、九十代に入って、施設暮しを
始めてから、である。私は週に二度くらいずつ、
施設に母を訪ね、毎回二十分くらい、母のそばで過ごす。

その時、話をするのはもっぱら、母の方。そしてどの話も、
これまで聞いたことのないことばかり。
もっと、早く聞かせてくれていたらよかったのに、そうしたら、
私は母親という枠を超えて、一人の女性としての人間像を
掴めていたのではないか。そのことによって、母との関係を
もっと良好に保てたのではないか、と最近頻繁に思う。

「あら、今日は日曜日だったわね。これから歌会に行くんでしょ」
「そう、出かけるときはおしゃれしなさい。ズボンをはかず、
スカートをはきなさい」
「短歌もいいけれど、私は俳句の方が好きだったわ。
短い言葉で、すぱっと言えたときの気持ちよさは、
短歌では感じられなかったわ」
「歌会では貴女が中心になることも多いんでしょ。
言葉に気をつけなさい。人が集まってくれるって、
そうそうはないことよ。短歌の好きな人が多いんでしょうけど、
それ以上に、中心になっている人が魅力的でなくちゃ、
だめなのよ」

九十七歳になる母に、頭を垂れる日々である。
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