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松村正直歌集『紫のひと』 [短歌]

私が所属する塔短歌会の編集長・松村正直氏の第五歌集。
彼の短歌の一ファンである私、だが、この歌集はその中の
ある章をもって、特別なものとなってしまっている。

ある章の題は「おとうと」。松村さんが二年前に総合誌「短歌研究」
に作品連載されていた時の一連がそのまま収録されているもので、
私は雑誌掲載時にこの一連を読んで、やはりぞっとしたのだった。

松村さんには弟はいないはずなので、作品の中の「おとうと」は、
フイクショナルな存在である。詠まれている状況も、何か他の状況を
組み合わせるか、創造的に展開したものだろう。それなのに、
私がなぜぞっとしたかというと、私は五年前に「塔」の作品連載を
任されたことがあり、その折に「いもうと」を読んだ一連を
投稿したことがあったのだ(「あぢさゐ宮」と題して)。

その一連は、かなり脚色はしたものの、事実に基づいている。
短歌では行方不明になった妹を捜索に行く、というような
形で進めた。

  妹をさがしゆく夕 どの貌も妹に似てあぢさゐなりき
  昏い水面(みなも)にさらにかぐろき平面がうき上がりくる 小動物なり
            岡部史「あぢさゐ宮」(「塔」2014年9月号)
             
こんな歌を混ぜている。でも、この一連で詠みたかったのは、
「妹を失ったかもしれない」激しい恐怖感である。
実際には妹は、遊んでいた池の縁で足を滑らせて落ちたのだ。
妹は三才、私は六才だった。一緒にいた友達がすぐに私に
「早く、おばさん(私の母)を呼びに行こう」
と、提案してくれなかったら、私はどうしていただろう。
なんとかしなくちゃ、私がなんとかしなくちゃ、と
焦っていたことを覚えているからである。
(きっと、大変なことになっていただろう。
それを思うと、今も慄然とする)。

家から飛び出してきた母は、泳げないのに、一瞬の躊躇なく飛び込み、
騒ぎを聞きつけて、物干竿を持って駆け付けてくれた友人の母に
引き揚げられた。六十年を経ても、昨日のことのように思い出す。

恐ろしいことに、松村さんの創作的な「おとうと」は、
私のその日の記憶に、もう一つ、新たな記憶を付け加えようとする。
つまり、かなりの確率で起きたかもしれない状況を、
なまなまと想像させるのである。私は事実をフィクションとしたのに、
彼の完全なフィクションが、記憶を越え、リアルに私を突くのである。

  ため池の水面に浮かびうつぶせのまま動かないこどものからだ
  両腕をだらんと垂らし、両腕はだらんと垂れて、ひどくしたたる
                松村正直『紫のひと』

松村さんは私の「あぢさゐ宮」を覚えていてくれて、あるいは記憶のどこかに
無意識にでも覚えていて、この一連を創作されたんでは、
と思ってしまう。おこがましく、不遜なことではあるが。
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