クマのプーさん(その4) [文学]
詩作が得意だった作者のミルンは、子供向けの本であっても、
子供に全てわかるように、という執筆姿勢は取らず、自分の
好きな言葉遊びを多用している。
「クマのプーさん」シリーズを英語で読んでみると、
言葉のリズムや響きが尊重され、掛詞的やもじり、縁語といった
遊びがあちこちに散りばめられている。物語、というよりも
詩の本なのだった。
翻訳は不能、というか日本語に移すこと自体、無意味なのでは、
と思える部分が多い。そして英語圏の人々にとっては、
小さい子供は、分らなくても何となく楽しい、
少し成長すると、わかるところができてもっと楽しい、
そして、大人も十分に楽しめる、という書になったのである。
文章があまりよくわからない子供を
強く魅惑したもう一つの理由は、シェパードによる
挿絵のすばらしさだろうと思う。
挿絵の位置も、文章の中に溶け込むように配置されていて、
文の流れと一体化している点もみごとである。
さりげなく線描きされたプーさんやコブタやイーヨーが、
それぞれ、表情を持ち、物語の世界にしっかりと
呼吸している様子が素晴らしい(続く)。
子供に全てわかるように、という執筆姿勢は取らず、自分の
好きな言葉遊びを多用している。
「クマのプーさん」シリーズを英語で読んでみると、
言葉のリズムや響きが尊重され、掛詞的やもじり、縁語といった
遊びがあちこちに散りばめられている。物語、というよりも
詩の本なのだった。
翻訳は不能、というか日本語に移すこと自体、無意味なのでは、
と思える部分が多い。そして英語圏の人々にとっては、
小さい子供は、分らなくても何となく楽しい、
少し成長すると、わかるところができてもっと楽しい、
そして、大人も十分に楽しめる、という書になったのである。
文章があまりよくわからない子供を
強く魅惑したもう一つの理由は、シェパードによる
挿絵のすばらしさだろうと思う。
挿絵の位置も、文章の中に溶け込むように配置されていて、
文の流れと一体化している点もみごとである。
さりげなく線描きされたプーさんやコブタやイーヨーが、
それぞれ、表情を持ち、物語の世界にしっかりと
呼吸している様子が素晴らしい(続く)。