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英語の詞(その2) [言葉]

英語の先生が教えてくれた「Sound of Silence」をきっかけに
英語の歌を覚えて、うたえるようになりたいと思い始めた私は、
楽譜を書きとるために五線譜のノートを買った。
高校では美術を専攻したので、音楽の授業を受けることは
なくなっていたのだけれども。

ギターを趣味でやっている同級生から楽譜を借りて、
写しておこうと思ったのである。フォークソングブームもあり、
ギターを弾く子は沢山いた。昼休みに借りて、速攻で
写したりした。あの頃、コピー機なんて夢の世界の機械だった・・・。
その音楽ノートは今も保管しているが、最初のページに
鉛筆書きしてあるのが、サイモンとガーファンクルの
「Scarborough Fair」である。

地図で調べてスカボローという町がヨークシャー地方の
海沿いにあると知り、たぶんそこで大きな交易市が
開かれるのではないか、売っているのはハーブ類なんだろう、
などと勝手に思い込んで歌っていた。歌詞は

 Are you going to Scarborogh Fair
 Parsely Sage rosemary and thyme
 Remember me to one who lives there
 She once was a true love of mine


 スカボローフェアに でかけるのかい
 パセリ セージ ローズマリー タイム
 その地に住むある人に、私のことを伝えて
 昔、本当に愛していた女性なんだ

後で、この歌詞はイギリスの古い民謡であること、
途中に挟まれる四種類のハーブは、魔除けの占いの
言葉らしい、と知った。謎めいた歌と知って、よけいに
好きになり、レコード、そしてCⅮも買って聞き継いできた。
イギリスにはマザーグースを始め、不思議な詞、詩が多い。
その謎の多さもまた、英語の詞の魅力のひとつには違いない。

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英語の詞 [言葉]

高校に入学したころ、サイモンとガーファンクルという
男性デュオが人気を博していて、ラジオでは絶えず彼らの
歌声が流れていた。私にとっては、男性のデュオも、
けっこういいもんだな、と思うきっかけになった歌い手だったが。

当時高校で英語の文法を担当してくれていた教師が、
当時出産し、産休から復帰後の若い女性(すごく魅力的な人だった)
の先生だったが、
「この曲を流すと、子供の御機嫌がいいのよ」と言いながら
かれらの「Sound of Silence」について説明してくれた
ことをはっきりと覚えている。歌に登場する

 People talking without speaking
 People hearing without listenig

について、「人々はただまんぜんとおしゃべりし、
論理だてて話すことはない、人々はただ漫然と聞き、
耳を澄まして聴き入ることはない」と訳し、

同じ「聞く」と「話す」と訳してはいけない、
英語の動詞にはこういう違いを持つものが沢山あるから
気をつけなくちゃね、と話してくれたのだった。

その時、ああ、言葉って面白いな、と
心のどこかに、違うスイッチが入ったような、
小さな衝撃を受けたような記憶があるのだ。
(英語の歌の、歌詞について、少し続けます)

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アマリリス [生活]

二月の下旬、ふっと気がついて郵便局に入った。
今まで一度も利用したことのない、我が家からかなり
離れている局で、用事をこなす途中に見つけたから。
小為替を購入して出ようとすると、壁際に
「ご自由にお持ちください」と張り紙があり、その下に、
大きな球根が十個ほど、紙函に入れておいてあった。
アマリリスの球根であるという。

正直、園芸は得意ではない。父も母も庭仕事が大好きで、
妹も野菜作りなどが好きなのに、私だけ、我が家では
異端だった。庭仕事は草むしりを(いやいや)やるだけ。

でも、アマリリスという言葉に惹かれた。子供の頃、
音楽の授業で教わった、あの「ラリラリラリラ~」という
歌詞が蘇ってきたのだ。一つだけ頂いてきて
庭の日当たりの良いところに埋めた。

しばらくすると、芽が出てあれよあれよという間に、
幅二センチ半くらいの太さの茎が、垂直に伸び始めた。
高さが四十センチくらいになったところで、先端が割れ、
薄いベージュ色に染まった花芽らしきものが見え・・・。

そして五月の中旬、そのベージュ色の花芽が八方に
割れるようにして、開いたのである。つまりアマリリスの
花が咲いた、と言うことだが、ふ~む。

何とも色彩が冴えない。ちょっとくすんだベージュ色に
これまたくすんだ赤色の線が入っている。
汚れたような色なのだった。

相棒が「ええ、これがあの、アマリリスなの?」と驚く。
ネットで検索してみても、こういう色のアマリリスは
どこにも出てこないのだが。

それでも直径十二、三センチはありそうな花は
存在感がある。百合のように放射線状に五個の花芽を
持ち、次々に開き始めた。茎がしっかりしているから、
五個の花も、支えられるのだろう、と思っていたら。

満開だったこの火曜日、首都圏は季節外れの嵐に襲われ、
一輪だけだが、あえなく首から落ちてしまっていた。
他の花も花びらがだいぶ傷んでしまった。でも、残る四輪は
今日現在、まだ頑張って、茎にしがみついている。そんな感じ。

長い間、歌でしか知らなかったアマリリスが目前で芽を出し、
花開いていく様を見られただけでも良かった、と思う。
実態はあまり美しくはなかったが、名前が綺麗だ。
なんて言ったって、「調べは、アマリリス~」だもんね。

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男性の立ち位置 [生活]

もう、何年か前のことになる。
いつも利用しているJRの駅での出来事。
ICカードにチャージしようとして、自動券売機のところへ
歩み寄ると、六歳くらいの少女が、まさに切符を買おうと
しているところだった。硬貨を二枚入れ、しばらく
あちこちを探るようにみているが、払い戻し釦を押す。

あれ、間違えたのかな、と思うとまた同じ動作を繰り返す。
一歩くらい離れた左後ろに若い男性が立っていた。
父親にしては若すぎるし、家族という雰囲気はないが。
それとなく少女の様子をうかがっている感じ。

私は隣の券売機が空いたので、そこで用事を済ませたのだが、
少女は同じ動作を繰り返し、男性はその場を動かない。
他にも空いている券売機はある。男性は少女のことが
気になっているのだろう。ではなぜ、黙って立っているのか。

私は少女のそばに近づいて、声をかけた。
「どこに行きたいの?」
少女はすかさず、「〇〇」と隣の駅名を告げる。
「それなら、140円だよ。このボタンを押すの」
「あのね、帰りの切符もいっぺんに買いたいの」
「ああ、往復切符?、だとすると280円だよ」
少女は掌を開いて、握っている硬貨を見せてくれた。
「150円? あ、それじゃ足りない・・・」
と呟いたところで、脇に立っていた男性が、低いけれど
しっかりとした声でこう言った。
「こどもりょうきん」
子供料金か、忘れてた。子供料金なら半額だから、
140円で買えるんだった。券売機には子供用の往復切符を
買えるボタンはなかったので、片道ずつ買うように、と
少女に告げた。よかった、子供料金を指摘してもらえて。

お礼を言おうと思って振り返ると、男性はもう
その場を立ち去ってしまっていた。

その男性が少女から少し距離をとったまま
立ち続けていたのか、後から理由がわかってきた。切符が買えなくて
戸惑っている少女のことが気になりながら、近づいて声をかけるのが
躊躇われたのだろう。親切そうに振舞いながら、実は邪な下心が
ある男に見られたら、と怖れたのではないだろうか。

女である私は、少女に近づきやすい。そういう人が
声をかけてくれるのを待っていたのかもしれない。
男性も生きにくい社会を生きているんだなあ、と
ちらっと思われる一事ではあった。
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オペラ「ワルキューレ」 [藝術]

メトのオペラ作品を映画館で鑑賞するシリーズ、
2018-19の9番目の作品、「ワルキューレ」を先日
観に行ってきた。リングの中の第二作である「ワルキューレ」、
リングそのものは勿論長いが、ワルキューレも長い。
映画の場合、間に、出演者のインタビュー、そして休憩も
二度挟んでいるので、それらを含めた上演時間は何と五時間!

それで、「ワルキューレ」は見に行こうかどうか、直前まで
悩んだ。あまり体調が良くなかったこともあり、また、
ワグナー作品は、おおよそ映像映えしない、と知っていたこともあり。
きっと、途中で寝てしまうだろうな、と自分でもわかっていて。
相棒が行きたがっていたのは重々気づいていたのだが・・・。

三日前になって「やはり、行こう」と決意する。
先回見た「連隊の娘」がとてもよかったことや、その際に
流れた「ワルキューレ」の予告編に登場した、「騎行」の
場面がなかなか迫力があったからである。何か近未来的な
舞台装置で、そしてやはり、あの「ホヨトーヨォ」(?)の
歌声(奇声?)が、物凄く魅力的だから。

思った通り、三幕冒頭のワルキューレの騎行の場面は、
素晴らしかった。大きなシーソーのような板が
舞台上にほぼ垂直に何本も吊り下げられ、その上端にワルキューレの
娘たちが、またがって登場するというもの。
後ろに控えている屈強の男性たちが、前後に動かしている、
ということも、幕間のインタビューの場で紹介されていた。

後は・・・。
舞台装置はほとんど何もない。映像として冴えない、ということは
否めない。音楽は素晴らしいが、ワグナーらしく、暗く重々しく、
たとえば、モーツアルトのような明朗な楽しさ、様々な出演者の
キャラクターの違いを楽しむ、というような鑑賞の仕方がしにくい。
それで、私はやはり、かなりの時間、うとうとしていました。いや、
音楽を聴きながら、違う夢の世界を彷徨っていた気が
するのだけれど。まあ、何とでも言えますね。
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題詠「踏」 [短歌]

毎月第一日曜恒例の横浜歌会では、三か月に一度ずつ、
題詠を一首、自由詠一首による歌会を行っている。

五月は題詠の月で、お題に出されていたのは「踏」
普通に何かを「踏む」と言う作品が多かったが、他に
舞踏病、影踏み、踏切などが登場した。私もこのお題で
七、八首作ったので、そのなかに影踏みや踏切も
詠んでいたのだが・・。うまくいかず。

今回題詠作品としては、「韻を踏む」で作った歌を
提出した。

  七色の縫い取りのある布沓かN音やわき韻を踏めるは
                      岡部史

指摘してくれた方もおられたが、N音の頭韻を踏んだつもりの
言葉遊び的な歌のつもりだった。ナ行の音のことばを1句から
3句まで頭に入れたので、すぐにわかる、と思ったのだけれど。
詠草になってから気づいたのは、「踏む」から連想して
「沓」を引き出したけれど、頭韻ではちょっとイメージが
結びつきにくかったかな、ということ。でも自分では
ちょっと冒険したつもりだった(Sさんだけ票を入れてくれた)。

自由詠の方にも「踏」と言うお題について詠んだ歌を提出した。
こちらこそ抽象的な作品で分かりにくいのでは、と思ったのだが、
割合に好評だったので、ちょっとびっくり。

  おびえ、おそれ、長くためらい そののちは味わうようにゆっくりと踏む
                             岡部史

遠藤周作の『沈黙』を思い出しながら詠んだ踏み絵の歌だが、
具体は何も詠んでいないので、どう読まれてもいいや、と
思って提出した歌。素敵な批評も頂いて、幸せな歌になった。

先ほど届いた「塔5月号」の百葉集に次の歌をみつけて驚く。

  影踏みの鬼にとある日影踏まれ友は体に閉ぢこめられぬ
                   竹下文子

恐い歌で、読んで震えた。こちらは閉じ込められたんだな、と。
横浜歌会に提出されていた影踏みの歌は、踏まれたのち、
「身から何かが抜けた」というような意味の歌だった。
子供の日の遊びからは、不思議な体感を長く刻み付けられる
ことが、案外多い、ということか。踏む、踏む、踏む・・・・。
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二つの「true story」 [映画]

最近、見た映画「オンリー ザ ブレイブ」と
「マイナス21℃」。いずれもアメリカの制作。
そして、どちらも実際に起きた事故をもとに
構想されて制作された映画であるという。

前者は、森林火災の消火にあたる精鋭消防部隊が、
2013年にアリゾナで起きた大規模火災で、活躍、
最後には多数の犠牲者を生んでしまう、という
事実を下敷きにした作品だった。

こうした危険な任務に就いていることへの誇りと、
葛藤、家族との軋轢なども丁寧に描かれていて、
やや、「アメリカ的英雄礼賛」が臭うけれど、
最後まで集中して鑑賞できた。

後者は、雪山で実際に遭難した元アイスホッケー選手の
実話に基づいた映画。スノーボードのコースを外れて
吹雪の中で孤立した主人公が、生還するまでを
描いているらしいが・・。

らしい、と言ったのは最後まで見なかったからである。
自分からコースを外れ、また冬山を甘く見て、全く
防寒装備もせず、食料も持たず迷い込んでしまった男が、
ただ、あちこちを彷徨う場面が長々と続き、
まったく面白くなかったからである。

ちなみに前者の映画は「based on a true story 」
後者は「Thes is a true story」と画面で紹介されていた。
後者はほとんど、演出はせず、事実そのままを映像化した、
ということか。

映画として鑑賞に堪えるようにするためにはどんなことが
必要か、改めて考えるきっかけになった。これはどんな
作品についても共通して言えることのように思う。
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豚肉の生姜焼き [食文化]

何度か書いているが、私は大学卒業後、
首都圏の某自治体に就職した。
同じ部署に配属された11人の同期のなかで、
女子は、Nさんと私の二人だけ。それで、その後もずっと
親しくお付き合いしていたのだが、彼女は
短大の栄養学科を卒業していて、お料理が抜群に
上手だった。色々教えてもらったことも多い。

豚肉の生姜焼きは、彼女が紹介してくれた料理書
『美味しい肉料理』に載っていたので、その作り方で
ずっと作っていた。簡単に言うと、おろし生姜の絞り汁に
みりんと醤油を混ぜてたれをつくり、そこに薄切り豚肉を
三十分くらい漬け込んだ後、フライパンで焼く、というもの。

あれからだいぶ経ち、私は自治体を辞めてしまった。
家で仕事をするようになり、昼食は外食することも
多くなり・・・。一時期、ランチが気に入って
通っていたカフェで、時々「豚肉の甘酢焼き」という
メニューが登場していた。これが抜群に美味だった。

薄切りの豚肉に小麦粉をまぶしてさっと焼いた後、
甘酢のたれを絡めて作るらしい。それで、ふっと
思ったのが、豚肉の生姜焼きの作り方だった。

たれに付け込むと、味が染みておいしいが、
豚肉がやや硬くなる傾向がある。たぶん、焼く時間を短くすれば、
固くなるのを防げるのだろうが、豚肉はきちんと火が通っていないと、
不安な気持ちになる。
それなら、小麦粉をまぶして両面を焼いた後で、
生姜のたれを絡めるというのは、どうだろう。

最近、あまり生姜焼きを作っていなかったのだが、
二、三日前、おいしそうな生姜焼き用の豚肉を
入手したので、作ってみた。先に小麦粉をまぶして
焼いた後でたれをさっと絡めると、これが実に柔らかく
美味だった。

Nさんは今、どうしているのかな、とちょっと思った。
長く年賀状のやり取りだけは続けてきていた。
昨年末、私は父のことでばたばたしていて、ほとんど
年賀状を出さずじまいだった。不思議なことに、彼女からも、
初めて年賀状が届かなかった。こちらのことを察知されてたみたいに。
Nちゃん、教えてくれたシチューは、今も時々作ってますよ~。

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クマのプーさん(その5) [文学]

クマのプーさんのお話を原語で読んでみると、
やはり、ストーリーを楽しむ、と言う以上に、
詩を味わうための本、とう気が、してきます。
詩を披露しているときのプーさんが、飛び切り魅力的で。
「The House At Pooh Corner」の第二章からの一部を
ここに紹介してみます。

"And that's the whole poem," he said."Do you like it,Piglet?"
"All,except the shillings," said Piglet."I don't think they ought
to be there"
"They wanted to come im after the pounds"Explained Pooh,
"so I let them. It is the best way to write poetry,letting things come."


「これで、詩はできあがりなんだ。どう、コブタくん?」
「シリング、ってとこだけ、気に入らないな。その位置に
あるべき言葉じゃないように思う」とコブタが言いました。
すると、プーはこう説明しました。
「ポンドのあとに、入りたがったんだもん。
詩はね、言葉のしたいようにまかせるのが一番なんだよ」

そうなんだな、きっと。プーさんが言うと自然に
納得できるような気がしてきます。
プーさんは、これからも折に触れ、読み続けていきたい
と思っています。(終わりです)
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