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栗木京子歌集・続 [短歌]

先月刊行された栗木京子第11歌集『新しき過去』について、
先回はこの歌集の最も大きなテーマだった「母」の歌を
採り上げたが、もう一つ、「山」を詠んだ歌について書いてみたい。

栗木さんには海の歌も多いのだが、私はどちらかというと彼女の
山の歌が好きなのだった。本人が特に普段から登山や山歩きを
する、そういう趣味があるというより、おそらく山の裾野あたりで
過ごした時間を多く持っているのではないだろうか。その記憶が、
彼女の山の歌に何か懐かしい、童話のような、或いは短編小説のような
味わいを醸し出している理由となっているのではないだろうか。
第五歌集『夏のうしろ』に

 「カルピスが薄い」といつも汗拭きつつ父が怒りし山荘の夏
 山荘は磁石のくるふ丘にあり戸をあけて夜の客人(まらうど)迎ふ

という作品がある。幼少の頃に家族と、山荘で夏を過ごした記憶から
生まれた歌のようだ。
第七歌集『しらまゆみ』も山の歌が多く詠まれている歌集だが

 山荘の夜の卓上にトランプをすすすッと並べし人の指恋ふ

という作品があって、少しばかり妖しい雰囲気も感じられる。
ごく初期の作品にも

 ひたむきに孤独を鍛へゐるならむ 冬山の歌君より届く
栗木京子『水惑星』

という作品から始まる、恋を詠まれた一連があったことを思い出す。

清々しい高空の気を浴びながら、天空にひとすじの思いを捧げ続けるような
山の姿は、ある意味、栗木さんにとっての「生き方の指標」とも
なってきたのではないだろうか。
まさに山の気がピン、と張りつめているような、以下の作品に
私は強く惹かれてきた。

 山の気が天に吸はるる雨あがり 鎌倉五山の一の寺澄む
 もののふが城つくらむと決したるこころこそ美(は)し鯖雲流る
                 栗木京子『けむり水晶』

『新しき過去』で詠まれている「山」には、ゆとりも生まれていて、
読者もまた、山歩きにお供させてもらっている楽しさを感じる。

 瓢(ふくべ)より酒注(つ)がむかな山奥のそのまた奥にもみぢ照り映ゆ
 山道にアケビの大き実のあれば聖火を受くるごとく手のばす
 熊の毛にしばし貼り付き山をゆく盗人萩の種子こそ楽し
 憧れの彼方にとほく空晴れて山岳写真家は雲に住む人
               栗木京子『新しき過去』

長く歌を詠み続けて来て、ひとつ、何かから解放されたような、
安堵感もあるのだろう。これからどこへどう向かうのか。
とりあえず、読者でいられることに感謝してこの項を終えたい。

 散る前に芯赤くなるさくらばな言葉を発してゆかむ私は
               栗木京子『新しき過去』            
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