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栗木京子歌集 [短歌]

栗木京子さんの第十一歌集『新しき過去』(短歌研究社)が刊行された。
私は何度も書いているように、栗木さんのあの観覧車の歌に一読で
魅せられ、短歌を詠み始めた者である。その縁から、ずっと栗木さんの
作品を読み続けてきた。

『新しき過去』は、2017年から22年に詠まれた作品を収めており、
中心になっているのは、19年6月に亡くなられた母への挽歌である。

栗木さんは第四歌集『万葉の月』あたりから母を詠んだ作品が増え、
その後の歌集にも必ずと言っていいほど、ご自身の母らしき人を
登場させていた。続けて作品を読んできた者には、作者の、母への
想い、その変遷がよくわかり、こうした形で作品に触れられる、という
ことも、読者冥利に尽きるところ、と言っていい。

『万葉の月』から拾っていってみよう。この歌集には、急死された
父を詠んだ歌が収められているのだが。

 震へる母を支へ飲ませし一碗のあれは素水(さみづ)か湯なりしか覚えず

父の死に面して母を支える歌が詠まれているが、母なる人は強い女性だった
ようである。
 「泣いちゃだめ」母の声のみ身に残り骸の父と病院を出づ

『万葉の月』の巻末近くにはこんな作品もある。
 少しづつ母が親友になりてゆく葡萄色のスカーフ借りて返して

第五歌集『夏のうしろ』では
 バルコンに布の帽子を干してゐる母の薄着のまぶしかりけり

第六歌集『けむり水晶』にくると
 短歌やめよ、資格を取れといふ母に付き添ひあゆむレントゲン室まで

こうした歌が記憶に残っているからだろう、『新しき過去』に登場する
母を詠んだ歌には、これまでは直接的に詠われなかった、たぶん彼女が生前の
母を気遣って踏み込めなかったのだろうと思われる、母への本音が
現れるのを見て取れる。

 子どもらが泣くこと許さざりし母 みづからも涙見せしことなし
 苦しいと言はず必死に呼吸して必死の尽きしとき母逝けり
 このやうに必死に育てられしこと長く恨みき今なほ少し
 歯は大切 母が最期に教へたることは母らしく実利的なり

私は、お兄さんと二人きょうだい、という栗木さんを正直なところ
ずっと羨ましく思ってきた。いつもなにかにくるまれるように、
大切に育てられてきたのだろう、と想像してきた。それはその通りの
ようだが・・。お母さんの必死の子育てが、かなり息苦しくも
感じられていたようだ。親子の距離感とは、ほとほと難しいものではある。

 夜目といふやさしき距離に山法師しろく咲きをりわが母は亡し
               栗木京子『新しき過去』

次回は栗木さんの他のテーマの作品を読んでみることにしよう。
 
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